ギルド随一のポンコツ、エリート冒険者を無自覚に翻弄する【異世界BL】
ギルド職員として働いていると、冒険者たちの交友関係は否応なく目に入ってくる。
誰と誰が親しく、誰と誰が仲が悪いのか。
ある程度把握しておくと、いざというときに困らない。トラブルになる前に対処できるし、パーティ編成の際にどの冒険者とどの冒険者が合いそうかを判断しやすい。
そんな中でひとり、どこか浮いて見える存在がいた。
Aランク冒険者のアレスさん。職業は重剣士。異例の速さで上位ランクへと駆け上がった超優秀な冒険者だ。ダークブラウンの短髪からのぞく逞しい首筋。太い二の腕。広い肩幅に厚い胸板。鍛え抜かれた体つきは鎧の上からでもはっきりと分かる。
すっと通った鼻筋、太く整った眉毛、意志の強さを感じさせる切れ長の瞳。冒険者としての実力だけでなく、優れた容姿まで持ち合わせていた。その美貌につい見惚れてしまう女性がいるのも頷ける。
ただし、性格には難ありだった。無愛想で素っ気なく、無駄なことを嫌う。飾った言葉を使わず、物言いに遠慮がない。その冷たい雰囲気から誰もが彼に近づかなくなった。本人もまた、1人でいることを好んでいるようで、いつも単独で行動している。
僕は職員の中でもアレスさんに関わったことは数回しかないが、それでも苦手に感じていた。悪い人ではないのは分かるけれど、愛想がなさすぎてどうにも接しづらい。
とはいえ、アレスさんの生き方に口を出すつもりはない。問題を起こすような人ではないし、必要以上に踏み込まない方がいい。
彼はこの先も、誰とも深く関わろうとはしないのだろうな、と思っていた。
「お疲れ~。リュト、またクエスト受けたのか?」
仕事終わりの帰り際。解体担当の同僚が声をかけてきた。僕は頷いた。明日は仕事が休みだ。僕はギルド職員として働きながら、休日は冒険者として活動している。
「懲りないよなあ。いつか死んじまうぞ?」
「縁起でもないこと言わないでよ。大丈夫だって!」
僕が迷いなく言い切ると、同僚は心底呆れた顔をした。
「お前のその自信、どっから来てんだよ。まじで気をつけろよな~」
そう言い残し、同僚は去っていった。何かと気にかけてくれるのはありがたいが、死ぬのは大袈裟だろう。なぜなら僕はFランクだ。
最近冒険者を始めたわけではない。ただ、ステータスが万年ビリと言っていいほど低いのだ。僕の冒険者としての職業は魔法使いなのだが、魔力が人よりも少ないようだ。そのせいで魔法を上手く扱えない。
ギルド職員としての業務は問題ないが、魔法使いとしてはミス連発が続いている。同僚からはポンコツだからやめとけと言われるけれど、なかなか諦めきれない。僕にとって魔法使いはかっこいい。杖を握り、魔法を操る姿に憧れがある。せっかく魔法使いになれて杖も持つことができるのに、魔法を使えないままじゃもったいないじゃないか。
だからこうして、休みの日だけでも魔法の練習をするようにしている。
ボスンッと音を立てて、魔法が不発に終わった。うう…またダメだったか。がっくりと肩を落とす。僕のミスなどお構いなしに近寄ってきたモンスターを、ポコポコと杖で叩いて倒した。これでは意味がないのだが、焦るとついやってしまう。
「しょうがない…。こっちの練習をしようかな」
僕は最近購入した魔道具の『普通の箒』を取り出した。魔法使いといえば箒!職場で僕好みの装飾の箒を所持している魔法使いさんがいて、僕も箒が欲しくなった。そうは言っても僕に扱えるかどうかも分からないので、お試しに初心者向けの箒を買ってみた。
魔力が0じゃなければ作動するので、僕でも使えるはず。
慎重に箒に跨り、柄の部分を両手で握る。魔力を流した途端、足元がふわりと地面から離れた。箒がゆっくりと浮き上がる。
「……おお」
浮いた。しかし感動している間もなく、箒は小刻みに揺れ、ふらふらと左右に傾く。思ったより扱うのは大変そうだ。
やがて揺れが安定してきたので、少しずつ前に進んでみる。まだぎこちなさはあるけれど、飛んでいるという感覚が確かにあった。すごい、楽しい…!
僕はすっかりテンションが上がって更なる上昇を試みた。徐々に地上が遠ざかっていく。魔法は上手く使えなくても空は飛べた。僕にとっては大きな一歩だった。
このままいけるところまで行ってみようか。いざとなったら下降すればいい。ゆっくり、ゆっくり、ふよふよと空を漂いながら進んでいく。
僕は舞い上がっていて、完全に失念していた。
"風"という存在を。
「うわぁ!」
突然吹いた風にあおられ、箒ごと押し流された。強い風の影響でバランスを崩し、魔力が乱れて箒が暴走を始めた。
やばい。風のときってどう制御するの!?説明書をしっかり見てなかった…!
時すでに遅し。箒と一緒に空から真っ逆さまに落ちていく。先ほどの高揚感は一瞬で吹き飛び、全身を冷たい恐怖が駆け抜けた。
ああ、本当に僕は死ぬかもしれない。
同僚の忠告を聞いておけばよかったのか…。
目をつぶり、僕は死を覚悟した。
誰かの「うおっ!?」という声が耳に届き、次の瞬間、ドサッという音とともに全身に鈍い衝撃が走った。
「ぐっ…!」
低く押し殺したような呻き声が下から聞こえ、僕はゆっくりと目を開けた。ぼやける視界が少しずつ鮮明になっていく。見慣れない景色だが、どうやらあの世ではなさそうだ。状況を確認しようと視線を下に落とすと、ようやく自分が誰かのお腹の上に乗っていることに気づいた。
「わあっ!」
僕は驚いて反射的に飛び退いた。じんじんと痛むお尻をさすりながら、相手へ視線を向ける。「くそっ、なんだ…っ」と苦しげな声を出して起き上がろうとする男の顔を見て、僕は青ざめた。
「す、すみません、アレスさん!お怪我はないですか!?」
急いでアレスさんに近づき、彼のお腹に手を当てて身体の状態を確かめた。しかし、上半身を完全に起こしたアレスさんにその手を振り払われる。
「触るな。俺は平気だ」
あからさまに迷惑そうな顔でこちらを見てきた。1回ため息をついたあと、アレスさんは立ち上がって装備についた土を払い落とす。確かに平気そうだ。空から落ちてきた僕を受け止めたというのに、なんて屈強な身体だ…。
「ほんとにすみません。なにかお詫びを…っ」
「いい。そういうのは面倒だ」
アレスさんは僕をぎろりと睨むと、背を向けてスタスタと歩き出した。自分のミスとはいえ、あの不機嫌顔には背筋が冷えた。あれで怒っていないはずがない。最悪だ。一番迷惑をかけてはいけない相手にやらかしてしまった…。僕はアレスさんが遠ざかっていく姿を見つめながら頭を抱えた。
はっと我に返り周囲を見渡すと、最初にいたポマの森ではないことがはっきりと分かった。
少し離れたところに折れた箒が転がっていた。もう使い物になりそうにない。しかし、今はそれを嘆いでいる余裕もなかった。
僕は急いで箒を回収すると、大剣を背負った筋骨隆々とした背中を追いかけた。
「…なんだ。ついてくるな」
「その、ちょっと聞きたいことがありまして…。ここってどこですか…?」
「はあ?ジオノルガだ」
げっ!凶獣の森ジオノルガ!?高ランク向けのエリアじゃないか…!
僕は風に流されて、予想以上に遠くまで飛ばされてしまったらしい。ここはFランクの僕が踏み入るには危険すぎる場所だ。まいったな。出口がどこかも分からない。
ギャォオオオオッッッ
凄まじい咆哮が森中に響き渡る。木々に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。
な、なんだ…?
「ふん。地竜のお出ましか」
アレスさんが落ち着き払った声でそう言い、背中に背負った大剣を引き抜く。そして構えた。
次の瞬間、目の前に巨大なドラゴンが出現した。
―――《地竜ワイドロギラ》だ。
図鑑で見たことはあったが、実際に姿を目の当たりにすると、その大きさと迫力は想像を超えていた。そもそも僕のレベルでクエスト中にドラゴンに出くわすことなど皆無に等しい。せいぜい解体担当の職員の作業場でちらりと死体を見かけたり、素材である竜皮や竜爪などを目にする程度だ。
僕は突然視界に広がった非現実的な光景を前に、呆然と立ち尽くした。
「おい、喰われてえのか!ボケッとしてないで戦え!」
「えっ!?」
怒号が耳に入り、驚いてアレスさんに目線を向けると彼は迷いなくワイドロギラに斬りかかっていた。
なんか戦う流れになっているんだけど…!?
どどどどうしよう。なにか僕にできることがあるかな…?
戦えと言われても、弱小の僕がドラゴン相手にまともに戦えるはずがない。しかし突っ立っていても死ぬだけだ。人生で経験したことのない窮地に頭が真っ白になり、僕は闇雲に杖を振るった。
ポンッ。
え、な、なんか音がしたけど、魔法が発動したのか?だが、ワイドロギラに攻撃した様子はない。杖を持ちながら戸惑っていると、ワイドロギラがゆっくりと僕を見てきた。その目は確実に僕を捉え、離さない。
「なんだその格好…!」
アレスさんが目を見開いた。え、格好…?
言われた意味が分からず、自分の姿を見下ろす。ななななんだこれ…!茶色のふさふさとした毛で覆われた足がまず目に入った。身体中を触って確認していくと、頭には熊の耳を彷彿とさせる丸い飾りが乗っていた。お尻部分にはふわふわとした丸い尻尾がついている。
なぜか僕は、熊の要素をふんだんに取り入れた奇妙な格好をしていた。
ワイドロギラが僕から視線を外さず、獲物を前にしたかのように舌なめずりをした。どう見ても僕を捕食対象として見ている。熊の格好をした僕を地竜がロックオンしたことを理解し、全身が震え上がった。
逃げても遅い。獲物を見つけて嬉々とするワイドロギラが脅威のスピードで僕に向かってきた。泣きそうになりながら逃げる僕を気にも留めず、その巨大な口を開く。もうおしまいだ…!
「……っ?」
待てど暮らせど、痛みはやってこない。
グオオオオッ!と耳をつんざくほどの悲鳴が聞こえ、ドゴォンッ…!という衝撃的な音と共に地面が震えた。振り返ると、アレスさんがワイドロギラの背に立っていた。その手に握られた大剣が巨体に深々と突き刺さっている。ワイドロギラが泡を吹いて倒れていた。
地竜を一発で仕留めたアレスさんの姿に、僕はしばし魅入られていた。感動で、思わず拍手する。アレスさんは僕を無表情で見据えると、無言のままゆらりとこちらに歩いてくる。そして僕の胸ぐらを掴んだ。
「ふ ざ け てんのか!自らエサになりにいってどうすんだ!」
「ごめんなさいぃぃ…!」
鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離で怒鳴られ、心臓が跳ね上がった。至近距離で向けられた怒気に、僕は完全に萎縮した。もはや、今はドラゴンよりも怖いかもしれない。
「そもそもそんな初心者みてえな装備でここを彷徨くなんて舐めすぎだろ!あ…、もしかして死にに来たのか…?」
若干引いたような表情を向けられ、僕は慌てて首を横に振った。
「違うんです!ポマの森で箒の練習をしていたらここに飛ばされちゃって…」
「チッ。低ランクかよ。……つーか、戦闘でその格好に変身するってなんだ。なんか意味があんのか。ドラゴンの気を引いて喰われたいやつにしか見えなかったぞ」
アレスさんが熊のコスプレのような僕の姿を指差して、呆れたように眉間に皺を寄せた。
「あ、これは…魔法が失敗してしまいまして…」
「は…?魔法が失敗するか?普通。どんだけ雑魚なんだお前」
グサリッと容赦なく言葉のナイフが突き刺さった。この人は本当に言葉を選ばない。自覚はしていたが、改めて言われると心にくるものがある。
「はあ…」
アレスさんは大きくため息をつくと、地竜ワイドロギラの亡骸を、見えない収納空間である『アイテムボックス』の中に入れ始めた。冒険者ギルドで解体してもらうつもりだろう。
僕はこのふざけた格好を元に戻すため、魔法解除を唱えた。熊を模した装飾物が身体から消えていく。魔力を消すだけなので、魔法を使うことは下手でも魔法解除は容易だ。
アイテムボックスにドラゴンを入れ終わると、アレスさんは僕に見向きもせずに歩き出した。
「……おい、ついてくるな」
「すみません…。僕この辺りに来るの初めてで出口が分からないので…、町までご一緒させてもらってもいいですか?」
「チッ」
アレスさんは舌打ちをして無言で歩き出す。その後は僕に顔を向けることはなかったけれど、後ろをついて歩く僕に文句は言わなかった。僕は森とアレスさんにビクビクしながらも、この窮地を脱するためひたすらアレスさんを追いかけた。なんとか無事に町にたどり着くことができた。
「お前、冒険者向いてねえよ。うろちょろされると不快だからさっさと辞めろ」
お礼を言うと、去り際に辛辣な一言を言い捨てられた。
別れた直後、張り詰めていた緊張が解け、一気に疲労が押し寄せた。これほど生きた心地がしない日はなかった。アレスさんの冗談の欠片もない直球ストレートな言葉が耳に残る。やっぱり僕は冒険者を辞めた方がいいんだろうか……。
今日の出来事がだいぶ応えた僕は、しばらくの間クエストを受ける気になれなかった。
「買っちゃった…」
僕は手に入れたばかりの『はじまりの魔導書』を見つめた。魔法使いの武器は杖だけではない。魔導書がその1つだ。
冒険者業から離れていたとはいえ、僕は歴とした冒険者ギルドの職員だ。毎日冒険者と顔を合わせるし、冒険者業に関する情報は自然と飛び込んでくる。
そんな生活を続けていると、抑えていた魔法使いへの好奇心が、再び顔を覗かせ始めた。
杖じゃなくて魔導書なら魔法が成功するんじゃないか?という小さな希望が芽生え、僕はもう一度魔法と向き合うことにした。
お馴染みの練習場所、ポマの森。その中の初級区域を訪れ、僕は新品の魔導書を取り出す。手に持っているだけで魔法使いらしい気分になれる。
魔導書にはページごとに魔法陣が書いてあり、使いたい魔法のページを開いた状態で魔力を流せば技が発動する。上級者はいちいちページを探さなくても、魔力や意思に反応してお目当てのページがひとりでに開くみたい。かっこよすぎる。
僕はさっそく魔導書を開いて、どんな魔法があるか確認してみた。偶然開いたページに載っていた魔法に視線が吸い寄せられた。
初心者でこんな魔法が使えるの?面白そう!
斬新な戦闘方法に好奇心を掻き立てられ、今すぐ試さずにはいられなくなった。
ちょうど視界に入るところに、赤甲亀ピートルと呼ばれるモンスターがのんびりと歩いていた。あれは動きがのろいし、こちらが刺激しなければ襲ってくることはない大人しい魔物だ。
ピートルを狙って魔法を発動してみよう。僕は開いたページに右手をかざし、魔力を魔導書に流し込んだ。次の瞬間、モンスターの真下に魔法陣が浮かび上がって―――なんてことはなく、左手に持っている魔導書が光り輝くだけ。あれっ?
ドンッ
背中に何かが勢いよくぶつかった。振り向くと、まず目に飛び込んできたのは分厚い腕。見上げた先にいたのは、よりにもよってあの男だった。
「ボーッと突っ立ってんじゃねえ。邪魔だろうが」
険しい顔で僕を見下ろしている。
なぜアレスさんがここに……。
呆気に取られていると、アレスさんは何かに気づいたのか、地面へ視線を向けた。
「な、なんだ…!?」
下を確認したアレスさんがギョッとした表情を見せた。僕もつられて下を見る。
いつの間にか魔法陣が僕とアレスさんの足元に展開されていた。驚く間もなく、視界が真っ黒に染まる。
なにこれ!?せ、狭い……!さらりとした感触の壁のようなものに挟まれている。
「おい、なにが起きてるっ?」
すぐ近くから荒々しい野太い声が聞こえてきた。暗闇に少しずつ目が慣れてくると、アレスさんが窮屈そうにしながら手で壁を押したり、蹴ったりしている姿が見えた。
隙間がないほどすぐ隣に立っており、彼が力任せに動くせいで密着した身体を通して衝撃が伝わってくる。
「待って、落ち着いて…!」
このままじゃ押し潰されてしまう…!僕は咄嗟にアレスさんの身体に抱きついた。
「おいっ、くっつくな!」
「す、すみません。でも狭いから…っ」
僕の声を聞いたアレスさんは辺りをうかがうように顔を巡らせた。やがて落ち着きを取り戻したのか、身体を動かすのをやめた。すぐ近くで吐息が聞こえる。抱きついた腕越しに伝わる感触は、同じ男とは思えないほどがっしりとしていた。その体格の大きさを改めて実感する。……って、非常事態に何を考えているんだ僕は。
この狭い空間に押し込められたような状態をどうにかしなければと壁に目をやると、壁に円と線が組み合わさった複雑な図形が描かれていることが分かった。目を凝らしてじーっと見つめると、その模様に見覚えがあった。
これってもしかして…。
「チッ、しょうがねえ」
アレスさんが何かを唱えると背中に背負っていた大剣が光り出した。周囲の空間が歪み始め、視界は元いたポマの森へと切り替わった。
「あれ、戻った…?」
「俺の転移スキルだ。というか、またお前かよ!」
声を荒らげ、アレスさんは僕を指差した。僕の顔を見て思い出したようだ。
「まだ魔法使い続けていたのか!懲りないやつだな」
アレスさんの目つきが鋭くなる。そう言えばこの人に冒険者辞めろって言われたんだった…。すっかり忘れていたことを思い出し、僕は気まずくて縮こまるように俯いた。
そのまま視線を彷徨わせていると、足元に魔導書が落ちていることに気がついた。僕は魔導書を拾い上げて、ページをめくった。
やっぱりそうだ。
「しかしなんだったんだ、さっきのは…」
「あ、えーっと…その…僕がさっきモンスターに向かって『魔導書マジックボックス』を試してて…、魔導書に閉じ込めて身動き取れなくするっていう魔法なんだけど、それがうまく発動せず誤作動しちゃったのかもしれないです……。魔導書に描かれている魔法陣と、壁の模様が同じだったから…」
僕は視線を泳がしながら、歯切れ悪く事情を説明した。
「つまり俺は魔導書に閉じ込められたってことか??なにをどう間違えたらそうなるんだ!」
アレスさんは目を吊り上げ、怒りと呆れを露わにする。僕はますます縮こまった。
「ごめんなさい…」
「…たくっ、緊急依頼で来てみれば、お前に出くわすなんてついてねえわ」
アレスさんはうんざりしたように顔を顰め、片手で額を押さえた。もう関わりたくないと言わんばかりに、こちらを振り返ることもなく森の中へ歩き去っていった。
1人になって僕はしょんぼりと項垂れた。運悪くアレスさんと遭遇したうえに、また僕の魔法の失敗に巻き込んでしまうだなんて……。なんで僕ってこうなんだろう。しばらく心ここにあらずだった。
ふと、本の感触が手に伝わってきた。目線を落とすと魔導書を握ったままなことに気づく。「ひっ」と叫び、考えるより先に魔導書を放り投げた。
僕は閉じ込められた経験から魔導書に恐れを抱き、それ以降開くことはなかった。
何気なく立ち寄った本屋さんで、魔法使いの本が目に留まった。『少ない魔力でカンタン魔法☆』というタイトルだ。
興味を引かれて手に取ると、最小限の魔力で魔法が発動するための詠唱文が書いてある。今までの常識が覆るような目から鱗の方法に、思わず見入ってしまった。
好奇心が性懲りもなく顔を出す。魔法で痛い目に遭っていることもあり、買うか買わないか迷った。手を取っては、本棚に戻し、取っては戻しを繰り返し、「読んでみるだけだ」と自分に言い訳をして結局それを購入した。
家に帰ってすぐさま魔法本を開いた。興味深い内容に、読み進める手が止まらない。次から次へとページをめくり、あっという間に読み終えた。
僕は魔法を試したくてたまらなくなった。特に、どうしようもなく惹かれたのが転移魔法だ。憧れはあったものの自分には縁の無い魔法だと諦めていた。それがまさか、少ない魔力でも工夫次第で扱えるなんて思いもしなかった。
魔法本には詠唱文だけでなく、発動の手順まで丁寧に書いてあった。転移先は、頭の中で思い浮かべるだけでいいらしい。
転移先は家の前に定め、その景色を強く思い浮かべた。杖を振って、詠唱文を唱える。
そう言えば、アレスさんも転移スキルを使っていたな。剣が光ったと思ったら一瞬で移動した、あの転移の使い方はかっこよかったな…。
僕は詠唱文の最後の一節を口にしながら、アレスさんの顔を思い浮かべていた。
ビュンッ
身体がふっと軽くなり、景色が切り替わった。
「な…!」
頭上から、戸惑いを含んだ声が降ってきた。驚きで固まっているアレスさんと目が合う。僕はアレスさんに抱き抱えられている状態だった。
………どうしてそうなった!?
「どっから来たんだ…?」
突然現れた僕に、アレスさんは困惑を隠せない様子だった。
「え、えーと……自宅で転移魔法を試してて…。目的地は家の前だったんですけど………そういえば最後にアレスさんの顔が思い浮かんでしまいました。一応魔法は成功…ですかね…?」
聞いてどうするんだ。焦りと混乱でわけが分からなくなり、笑うつもりなんてないのに苦笑を浮かべてしまった。
怒られることを覚悟したが、アレスさんは複雑そうな表情で僕を見つめるだけだった。
「あ、すみません…!重たいですよね。今降りますねっ」
はっとして身体を動かす。腕から抜け出して飛び降りようとしたところ、アレスさんなら放り投げるぐらいしそうに思えたが意外にも優しく地面に降ろしてくれた。
「…むしろ軽すぎる」
それだけ言うと、アレスさんは地面に腰を下ろし、焚き火の上に置いた網に並べている肉の串焼きを回し始めた。
静かな森の中、焚き火がバチバチと音を立てている。近くには1人用のテントが張られていた。日が暮れる前に野営の支度を済ませているようだ。
アレスさんは慣れた手つきで肉を焼いていく。火の通り具合を丁寧に確かめている。その眼差しは真剣そのものだった。
煙がふわりと舞い上がり、肉の焼ける香ばしい匂いが辺りに漂った。
ぐぅうううう
僕のお腹が盛大に鳴った。
「……」
「……」
「これ食うか」
ズイッと目の前に、焼き上がった分厚い肉の串焼きが差し出された。脂が滴り落ちた。僕はゴクリと唾を飲んだ。
「あ、ありがとうございます…!」
アレスさんを見るといつも通り無表情だった。けれど、どこか穏やかな印象を受けた。僕は躊躇いながらも、空腹には抗えずその串焼きを受け取る。ひと口頬張った瞬間、肉の旨味が口いっぱいに広がった。その美味しさに自然と笑みがこぼれる。
「すっごく美味しいです!」
じっくり焼かれたお肉がこんなに柔らかいなんて。普段は自炊するか、料理屋で食事をするかの生活で、味に頓着することはなかった。しかし、アレスさんが焼いてくれたお肉の美味しさには驚かされた。無愛想な雰囲気からは想像できないほど、アレスさんは繊細な手つきでお肉を扱っていて、僕は意外な一面を垣間見た。
アレスさんは満面の笑みでお肉を食べる僕をじっと見ていたが、やがて口を開いた。
「それ食べたら帰れ。もうすぐ暗くなるぞ」
僕はこくこくと頷いて、またひと口かじる。気づけば無心で食べ続け、あっという間に平らげてしまった。
「ご馳走様でした。えっと、お礼……あ、今手持ちがなくて…っ。また今度お金払います!」
僕は服のポケットを探り、はっとした。家からアレスさんのいる場所へ転移してきたため、所持品は何1つ持っていなかった。
「不要だ」
アレスさんは素っ気なく告げ、大剣を手に持つと僕の目の前まで歩み寄ってきた。そして僕の肩に手を置く。大剣が光を放ち、景色が一変する。僕たちは町まで戻っていた。アレスさんが転移スキルを使ったのだ。
「クソ迷惑だから二度と転移魔法使うなよ」
怒鳴られはしなかったが、やはり最後には冷たく言い放たれた。
「お前、ギルド職員だったのか」
冒険者ギルドの待合席で冒険者との会話を終えたところで、アレスさんと視線がぶつかった。予想はしていたが、やっぱり僕が職員ということを今まで気づかなかったようだ。魔法の練習に巻き込む前は、ギルドで何度か声をかけたことがあるのだが。
僕は基本、パーティ編成を行う受付カウンターにいる。単独で行動するアレスさんがこの受付を利用することはほとんどないので忘れているのは無理もない。
僕は反射的にアレスさんから視線を逸らした。気まずくて顔を合わせられない。過去の出来事が頭をよぎり、冷や汗が流れる。――あの転移魔法事件に続き、僕はまたやらかしてしまったのだ。
転移魔法を成功(?)させたあの魔法本を片手に、僕は懲りずにポマの森へ足を向けていた。
アレスさんを巻き込んで反省したにもかかわらず、家に帰ってひとたび魔法本に手を伸ばすと、またその魔法の世界に惹き込まれてしまっていた。
今度こそアレスさんと鉢合わせしないように気をつけよう。彼に注意されたように転移魔法には手をつけない。そう自分に言い聞かせた。
魔法本に載っているのは、魔力が少ないことを前提とした魔法が大半で、とても攻撃の魔法とは言えないものばかりだった。
その中で水魔法なら攻撃にも使えそうに感じた。本来、魔法使いであれば、杖から自由自在に水を出したり、炎を出したりするのが当たり前だが、僕はお決まりのように失敗してしまう。この魔法本には自分の魔力と、自然に存在する水を融合させるやり方が書いてあった。
水辺にやってきた僕は、魔法本の教えの通り杖を湖の方向に向けた。次に、本に書いてある詠唱文を唱える。するとどうだろう。湖の水が動き、短い水柱が姿を現した。
――やった!成功した!
僕は魔法で水を動かすことができたことに感動した。ミスをすることなく、魔法を使えたのだ。喜びが込み上げてくる。諦めなくて良かった!
僕は衝動的にその場で飛び跳ねた。
もう一度やってみようと再び杖を構えて詠唱を開始する。
「なに跳ねてんだ」
背後から聞き覚えのある声がして詠唱しながら振り返った。つられて、杖先も湖から背後へと向く。
ビシャンッ
「あ」
湖から吸い上げられた水が、背後のアレスさんに思いっきりかかった。アレスさんは上半身の鎧を脱いで手に持ったまま立っていた。身につけているのは黒のインナーだけだった。なので、身体にまともに水を浴びてしまっていた。
「ご、ごめんなさい…!今拭きます!」
風邪になったら大変だ、とアレスさんの黒のインナーに手を伸ばす。まずは服を脱がせなきゃ…!
「お、おい……」
「うわっ」
アレスさんの身体から滴り落ちた水で足を滑らせ、僕はアレスさんを押し倒す形で転んだ。そのまま彼の鍛え上げられた割れた腹筋に顔を埋めていた。やややってしまった…!
ゆっくりと顔を上げると、アレスさんが頬を赤く染め、僕を凝視していた。
え……?
あのアレスさんがそんな顔をするとは思わず、僕は戸惑いを覚えた。沈黙が流れる。次第に恥ずかしくなってきて、振り切るように身体を起こすと無我夢中でタオルを動かし、アレスさんの上半身を拭くことだけに意識を集中させた。
緊急依頼の任務を終えて防具を磨こうとしていたアレスさんを、またしても僕の魔法に巻き込んでしまったのだった。
事件はそれだけでは終わらなかった。町に買い物に出かけたある日のこと。
道端で泣いている少年がいた。近くに大人がおらず、1人ぼっちのようだ。
親とはぐれちゃったのかな。僕は少年に声をかけて話を聞こうとするが、一向に泣き止まない。
そうだ。僕はバッグから魔法本を取り出す。僕が成功した魔法の中で、うってつけのものがあった。
杖を振って詠唱すると、少年の周りをキラキラの星たちが取り囲んだ。空気を使った幻影魔法だ。ちなみに戦いには一切役に立たない。
少年は泣くのをやめて、その幻想的な光景に目を輝かせた。
作戦は大成功。僕は少年が落ち着いたタイミングで事情を聞き、無事に親と引き合わせることができた。
少年に手を振っていると、町を歩いていたアレスさんと目が合った。
やばい…。なんで会うんだ。何かやらかす前に立ち去らないと。
「こんなところで何している」
なんとアレスさんから声をかけてきた。絶対僕の存在など無視して通り過ぎると思ったのに。
「子どもが泣いていたので、最近成功した魔法を使ってあやしていたんです」
「魔法、使えるようになったのか」
意外そうにわずかに目を見開いた。僕の魔法に関して、いつもは怒るか、呆れるかのアレスさんが、耳を傾けてくれたのは初めてだった。
「そ、そうなんです!良かったら見てください!」
僕は今まで魔法で迷惑をかけてしまったアレスさんに、今度こそ成功するところを見せたいと思ってしまった。
アレスさんの返事も聞かずに、先ほどの魔法を唱える。
………あれ?
子どもに見せたキラキラの星ではなく、たくさんのピンクのハートが空気中に浮かんでいた。なにこれ。
少しの沈黙の末、アレスさんが口を開いた。
「………俺のことが好きなのか?」
!?
「そそそういうことじゃないんです!」
僕は慌てて手を振り、ふわりふわりと宙を舞うハートの幻影を消していく。
アレスさんは、まだ漂い続けているハートを無表情で眺めていた。
僕は嫌な汗が止まらない。男が男相手にハートの魔法を見せるってどんな事故だよ。穴があったら入りたい。成功するところを見せたかっただけなのに、結局また別の意味で失敗してしまった。
―――そんな記憶の奥底に沈めておきたい、恥ずかしい出来事の数々が脳裏に蘇ってきた。
僕は外した視線をもう一度アレスさんに戻す。見間違えじゃない。僕は心の中でため息をついた。ギルド内でついに彼と言葉を交わすことになるとは。
「お、お疲れ様です…」
僕はぎこちない笑顔のまま距離を取ろうと足を動かす。僕がアレスさんに近づくと、ろくなことにならない。今度こそ平穏に立ち去ろうとした。
「次はいつ練習するつもりだ」
思ってもみない言葉がアレスさんの口から飛び出した。
「へ?え、えーと、明後日です…」
「ポマの森か?」
「あ、はい」
「なら10時に入口付近に集合だ。遅刻するなよ」
そう言い残してアレスさんは冒険者の人波に紛れて姿を消した。
僕は呆然とした。ど、どういうこと……!?
アレスさんらしからぬ冗談でも言ったのかと思ったが、半信半疑の中予定時刻に行ってみると森の入口に本当にアレスさんがいた。
「来たか。行くぞ」
アレスさんは僕の姿を一目見ると、森へと歩き出す。
「あ、あの、どういうつもりですか…?」
「なにがだ?」
「どうして僕なんかと待ち合わせをしたのか気になりまして…」
孤高を貫くアレスさんからは想像もつかない行動だったうえに、僕はAランクのようなエリートには遠く及ばない最低ランクのポンコツだ。そしてなにより、魔法の失敗に散々アレスさんを巻き込んでしまっている。僕なんて、彼からすれば極力関わりたくない相手だろうと思うのだが。
「お前は死にそうだからな」
アレスさんはそれだけ言うと、さっさと森へ入っていく。返ってきた言葉は簡潔すぎて、僕の疑問は晴れるどころか深まる一方だった。
低ランク向けのエリアまでわざわざ来たのだから何か緊急のクエストでも受けたのかと思ったが、そんな様子は全くない。それどころか僕に「魔法の練習しないのか?」と聞いてきた。むしろやっていいの?と驚愕した。
アレスさんに見られながら練習するのは、なんとも居心地が悪かった。魔法が失敗してもアレスさんを巻き添えにすることはなかったが、あれこれ口を出されたり、呆れられたりした。Aランクともなれば僕に割く時間などないはずなのに、結局森を出るまでアレスさんは僕のそばを離れなかった。
どういう心境の変化があったのか、あんなに煙たがっていたのに、アレスさんのほうから僕に寄ってくるようになった。僕はもうこれ以上巻き込みたくないので、距離を取ろうと必死なのに。
「また失敗したのか。諦めねえな」
「お前は弱いから、1人でいたらすぐ襲われるだろうが。馬鹿なのか」
「なにやってんだお前は。危ねえだろ。俺から離れるな」
アレスさんは相変わらずグサグサ言葉で刺してくる。彼から近づいて来るくせに気に障ることを言われるので、最近は少しムカついている。けれど、ギルド職員として関わることも無きにしも非ずなので文句が言いづらい。
言葉は優しくないが、アレスさんの態度は日に日に変わっていった。
滑って転ぶと、たいした怪我ではないのに僕をお姫様だっこして運び出すし、倒した魔物の肉を使って手際よく料理し、僕に分けてくれる。「お前はこぼしそうだから食べさせてやる。口を開けろ」とまるで餌付けするかのように僕の口に食べ物を運んでくる。魔法を扱うのが下手だからって、日常生活もままならないとでも思っているのだろうか。
いつの間にかアレスさんと過ごす時間が増えている。あんなに人と関わることのなかったアレスさんがここまで僕と一緒にいるなんて驚きだ。そんなかんじでこの生活に疑問を抱きつつも、彼に助けられることも多い。段々とそれを受け入れてしまっている自分がいた。魔法の突破口も見えてきて、毎日が少しずつ充実していく。
業務が終わり、デスクを片付けてギルドを出る。いつもはギルドが休みの日に活動していたが、それだと物足りないことに気づき、仕事終わりにクエストに向かうことにした。
町からそこまで離れていないナナルの草原に行く。町の明かりが届く開けた場所なので、夜でも辺りは薄明るい。夜の魔法の練習に最適だった。
今日は秘策がある。バッグに手を入れてごそごそと中を探る。紫色の液体が入った小瓶を取り出した。魔力を一時的に上げるポーションだ。魔力を増やせば魔法の成功確率が高まるに違いない。そう考えたのだ。これ以上、魔法の誤作動が起きてアレスさんに貶されるのは勘弁願いたい。
いざ飲もうとしたときに、ガサガサッと音がした。モンスターか?と警戒して振り向くと、剣を身につけた冒険者さんがいた。
「あ、ギルドの職員さんですか?こんばんは」
「こんばんは。さっきぶりですね」
顔を見て、営業終了前にクエスト受注の手続きをしていた冒険者さんだと分かった。僕はちょうどロビーにいたので、すれ違う際に挨拶していたのだ。
……まずい。僕の他に誰もいないからと安心していたが、人がいるところで魔法を使うのはろくな思い出がない(主にアレスさんの前)。彼がいなくなってから飲もうかと悩む。
「それって魔力を上げるポーションですよね。実は俺も買ってみたんですよ。どうですか?魔力結構上がります?」
冒険者さんが小瓶を取り出して得意げに見せてきた。
「これから試そうと思ってて…」
「じゃあせっかくだし一緒に飲みません?乾杯~!」
彼は持っていた小瓶を、僕の小瓶にカンッと打ち合わせた。ごくごくとポーションを飲み出す。僕も慌ててそれに続いた。
「ぷはっ。おお、なんか力が漲ってきたかんじがする!」
勢いよく飲み干した冒険者さんはとっても元気そう。
―――あれ?
じわじわと身体が熱くなっていく。これが漲るってこと?でも、なんかおかしいような……。
「あれ、職員さん??顔が赤いですよ?」
「へっ??」
思わず頬を触ると熱を帯びていた。同じポーションを飲んだ冒険者さんには顔の変化は見られないし全然平気そうだ。
どうしよう…っ。身体に力が入らない。頭がぼーっとする。
「職員さんっ!?」
僕はフラついた拍子に冒険者さんに寄りかかっていた。心臓がドクドクと音を立てて波打ち、息が荒くなる。
「はぁはぁ……すみ、ま…せ……んっ……」
冒険者さんの肩に手を置いてしがみつく。足がガクガクと震え、もう立つのが限界だ。そんな僕に戸惑いながらも冒険者さんが僕の背中に手を回そうとしたその時だった。
バリッ
強い力で引き剥がされ、より大きくて丈夫なものに身体を抱えられた。
「おい、こいつに何した!」
聞き覚えのある低音の声が草原中に響き渡る。
「いや、俺何もしていないです!魔力上昇ポーションを一緒に飲んだだけですよっ。そしたら職員さんが寄りかかってきて……」
「…そうか。あとは俺が面倒を見る。くれぐれも変な気を起こすなよ」
「えっ?はあ……」
足が地面から離れ、身体がふわりと持ち上げられる。背中と膝裏を支えられ、がっしりとした腕の中に収まっていた。
僕はまぶたが重く、意識もぼんやりとしていた。穏やかな揺れに身を任せるうちに、全身の力が抜けていく。火照った頬に胸当てが触れた。ひんやり冷たくて心地よく、無意識に頬を擦り寄せた。胸当ての下にある力強い鼓動を微かに感じながら。
ビュンッと転移魔法の影響で大きく身体が揺さぶられた。その衝撃で目が覚める。草原にいたはずなのに気づけば森の中にいた。テントが張られており、ランタンの淡い明かりが周囲を照らしていた。
僕は地面に下ろされるなり、テントの中へ連れて行かれ、座らされた。
「あれ…?アレスさん?どうして……」
ようやく僕を抱き抱えていた人物がアレスさんであることが分かった。
「さっきのはなんだ?男に抱きついて誘惑しやがってどういうつもりだ!!」
両肩をガシッと掴まれ、至近距離で睨まれた。
「ゆ、誘惑!?そそそんなつもりありませんっ!」
「そんなつもりないだと?誘うような真似してただろうが。赤らんだ顔して脚を子鹿のように震えさせやがって、襲われてもおかしくねえって分からねえのか?」
普段の苛立ちとはまるで違う。その目には、今まで見たこともないほどの激しい怒りが宿っていた。なぜそこまで怒っているのか分からなかったが、僕はとりあえず事情を説明しようとした。
「あ、あれはポーション飲んで、なんか身体が変になっちゃって…それで…」
そこまで言って、僕はふと口を閉ざした。未だに身体が熱を帯びていることを自覚した。手は小刻みに震えている。
「チッ。お前さあ…ポーションで酔うとかどんだけ弱っちいんだよ」
アレスさんは僕の頬に手を当て、呆れたようにため息をついた。
「飲め」
荷物の中から水を取り出して、僕に渡してきた。動揺して動かないでいると「力が出ないのか」と判断したのか、水筒の栓を開けて飲ませようとしてきた。
「あ、大丈夫です!自分でっ、飲めます…!」
震える手で水筒を包み込み、口元に運んでゆっくり水を流し込んだ。冷たい水が乾いた喉を潤していく。熱っぽさが少し引いたような気がした。
「……ありがとうございます」
水を飲み終えると、僕の顔に自然と笑みが浮かんだ。それを確認したアレスさんは少しだけ表情を和らげた。
「いいか?もう二度とポーションは飲むな。あと俺以外の前で魔法も使うんじゃねえぞ」
「え、そ、それは…」
「俺が好きなんだろ。だったら、俺の言うことを聞け」
アレスさんは真っ直ぐ僕を見据え、真顔で言い切った。
ん……?
僕は目を瞬かせたまま固まった。彼の瞳には一切の迷いがなかった。
「え?いや、僕は…「あと、1人でクエスト受けることも禁止だ。必ず俺と行動しろ」
口を挟む隙もなくアレスさんは話を進めていく。僕が困惑している間にも、彼は無駄のない動きで野営地を片付け始めた。
待ってほしい。僕がアレスさんを好きみたいな話になっているんだけど……どうしてそうなった?
誤解だと言い出すタイミングを掴めず、流されるまま町の宿屋に泊まることになった。最初は家に帰ると断ったが、「だったら家に入れろ」と言われた。ギルド職員として、冒険者を家に招くのは望ましくない。「体調が気がかりだから1人にしておくわけにはいかない」というアレスさんの強い主張に押され、しぶしぶ宿屋へ同行した。
大人が2人いるのに(僕は小柄なほうだけど)、ベッドが1つしかない部屋を希望した時は肝を冷やした。幸い空きがなく、2人部屋を案内されてほっとしたというのにアレスさんが僕のベッドに入ってきた。どうして一緒のベッドに!?と驚いていると「近くにいないとリュトの様子が分からないだろうが」と当然のように告げられた。しかも、太くて逞しい腕で僕を包み込むように抱きしめてきた。
え、どういうこと??
アレスさんの態度が今までと違いすぎて反応に困る……!
戸惑いで頭がいっぱいになった。けれど、考えれば考えるほど眠気は増していく。シャツ一枚越しに伝わる彼の体温に包まれ、僕はそのまま眠りに落ちた。
「変なことをするようなやつがいたら俺に言え。そいつ潰してやるから」
「美味いか?顔にソースついてるぞ。待ってろ。拭いてやる」
「おい手ぇ繋げ。…リュトの手ちいせえな。気にしてんのか?可愛いな。俺が守ってやるから安心しろ」
「リュトに似合うと思って買ってきた。今の装備じゃ危ねえ。金?要らねえよ。持ってるからな」
「心配するな。俺がついてる。絶対死なさねえ」
ぶっきらぼうで、気の利いた言葉を言うタイプではないはずのアレスさん。それなのに、僕に対する言葉は気づけば以前よりずっと甘くなっていた。無愛想で他人に無関心なこの男が、ここまで世話焼きだなんて、誰が想像しただろう。
より一層距離を縮めてくる彼に『僕がアレスさんを好き』という思い違いを正そうとするが、次々と言葉を重ねてくるせいでなかなか切り出せない。ようやく口に出せたと思ったら「なにも恥ずかしがることねえよ。リュトが俺を好きなように、俺もリュトが好きだ」と全く噛み合わない返事が返ってきた。
魔法の練習はアレスさんの目が届く場所ですることになった。あれ以降仕事終わりの活動は禁止で、休みの日の日中だけと決められた。
今日は風魔法を練習するぞと、朝から意気込んでいた。なぜならこの前、風魔法で物を浮遊させることに成功したからだ。重たい物は浮かせられないけれど、モンスターの周りに落ちてあった石を浮かせて攻撃することができた。空気を使った幻影魔法も扱えたわけだし、もしかしたら風魔法は成功しやすいのかもしれないと思った。
風圧を飛ばして物体を切る風魔法がある。魔法本に載っているあまり役に立たない魔法だけでなく、普通の攻撃もできるようになりたいので、今日はそれを試してみることにした。
落ちてある木の枝を的にして、魔法を放つ。だがしかし、ボンッと嫌な音がした。あれ、もしかして失敗……?
ビリィィィッッッ
「うわああ!!」
風が一瞬吹き抜けると、ズボンが太ももあたりから盛大に裂けた。両脚の肌が露出してしまった。
「どうしたんだ!?」
アレスさんが僕の声を聞きつけて急いでやってくる。どうしよう…!今は来ないで欲しいのに……!何か隠せるものはないだろうか。しまった。今日、ローブを忘れたんだった!僕は必死に両手を伸ばし、露わになった肌を隠そうとした。
「は…?」
僕の姿を見たアレスさんは、明らかに動揺した。みるみるうちに顔が赤くなり、物凄い勢いでアイテムボックスの中に手を突っ込む。彼はマントを取り出し、急いで僕の肩にかけてきた。一瞬、沈黙が流れた。
「お前なあ…、いいかげん魔法使うのやめろ!」
「え、っと……そ、それだけは……」
僕はしゅんと肩を落とすと、それ以上何も言えなくなった。アレスさんは落ち込む僕を見下ろして小さく舌打ちをし、「……ったく」と呟く。
「次こんなことしたら覚悟しとけよ…」
何かを堪えるような、凄みのある顔でそう言われた。……覚悟って、何されるんでしょう。
勘違いを解く前に、僕の身が危ないことになりそうで怖い。
おわり
冷たい孤高のイケメンが、実はスパダリ攻めでした(,,>᎑<,,)♡
お読みいただきありがとうございました!
次回作は8月に投稿予定です。(タイトルは後日公開します)
◆前作◆
『冒険者ギルドの裏権力者に強制就職させられてしまう』
『レアスキルで飛躍のはずが、規格外スキル持ちに"わからせ"られています』
どちらもおすすめです( *¯ ꒳¯)b




