6話
魔神を「洗って」から一週間。
カズヤが勤める弱小ギルドの電話は、鳴り止むどころか爆発寸前だった。
「はい、お電話ありがとうございます……ええ、はい、砂漠の? ピラミッド・ダンジョンの『砂埃』を全部取り除いてほしいと? ……申し訳ありませんが、佐藤は現在、国内の特売イベントで忙しくて……」
支部長が憔悴しきった顔で受話器を置く。
彼の前には、エジプト政府、フランスのルーヴル迷宮、果ては国連の環境局からの親書が山積みになっていた。
「佐藤先輩、いつまで窓ガラスを磨いているんですか! 世界があなたを呼んでいるんですよ!」
事務所の窓を、一点の曇りもなく磨き上げているカズヤに、リンが痺れを切らして叫んだ。
彼女の肩には、今日も「きゅぴっ!」と元気よく鳴きながら、付近の空間を脱臭しているプル次郎が乗っている。
「世界って言われてもなぁ。僕、パスポート持ってないし。それに、海外の洗剤って成分が強そうで、手が荒れそうじゃないですか」
「そんな心配ですか!? あなた、魔神の猛毒に素手で突っ込んでおいて!」
リンは強引に一通の封筒をカズヤの目の前に突きつけた。
それは金縁の豪華な招待状。
エジプトの『ファラオ・ギルド』からの緊急要請だった。
「第80層、通称『黄金のピラミッド』。数千年にわたる砂嵐のせいで、ダンジョン内の超高度な精密トラップが全て『砂詰まり』を起こして暴走。世界中のS級探索者が進入不能になっているわ。報酬は……」
リンが溜めてから言った。
「『古代エジプト王家秘伝・汚れを1ナノメートルも許さない伝説のハタキ』。それと、プライベートジェットでの送迎よ」
「…………ハタキ、ですか」
カズヤの目が、かつてないほど鋭く光った。
彼が今使っているハタキは、100円ショップのナイロン製だ。静電気が発生しやすく、細かいホコリの処理には苦労していた。
「……行きましょう。砂詰まりは機械にとって致命傷ですからね。放っておけません」
「(ハタキで釣れた……!)」
数時間後。
カズヤたちは、最新鋭のプライベートジェットの中にいた。
豪華な機内食、最高級の革シート。
しかしカズヤは、座席に座るなりリュックから「激落ちスポンジ」を取り出し、テーブルの小さな汚れを磨き始めている。
「佐藤先輩、少しはくつろいでください……。見てください、窓の外。もうカイロの上空ですよ」
窓の外には、砂漠の地平線と、現代ビル群の合間にそびえ立つ巨大な『ピラミッド・ダンジョン』が見えた。
しかし、その周囲は異常だった。
視界を遮るほどの猛烈な砂嵐が吹き荒れ、数キロ先からでも分かるほどの禍々しい黄色い魔力が渦巻いている。
「あれが今回の現場……『大砂塵迷宮』。砂そのものが魔力を持った自律型のモンスターなの。物理攻撃は効かないし、魔法で焼けばガラス化してさらに硬くなる。世界中の探索者が手も足も出なかった難攻不落の——」
解説を続けるリンの横で、カズヤはスッと立ち上がり、機体のハッチへ向かった。
「……え、先輩? まだ着陸してませんよ?」
「あの砂嵐、かなり重症ですね。換気フィルターが詰まってて、ダンジョンが苦しそうですよ」
カズヤは、プライベートジェットのハッチを無造作に開けた。
猛烈な風圧が機内に流れ込むが、カズヤは一歩も動じない。
「プル次郎、準備はいいか?」 「きゅぴーっ!」
カズヤは肩からプル次郎をひっ掴むと、そのまま巨大な「メガホン」のような形に変形させた。
さらに、バケツに入れていた特製の『超濃縮・防砂コーティング剤』を、プル次郎の口(?)に流し込む。
「佐藤先輩、まさか……空中で掃除を始める気ですか!?」
「効率がいいですからね。——『広域散水・ワールド・クリーン』!」
カズヤがプル次郎 (メガホンモード)を空へ向けて一振りした。
次の瞬間、機体から放たれた洗浄液の霧が、砂漠の空を覆い尽くすほどの「雨」となって降り注いだ。
奇跡が起きた。
洗浄液に触れた砂嵐は、一瞬にして重さを失い、サラサラとした「ただの綺麗な砂」となって地上へ落下していく。
数千年間、一度も晴れることのなかった死の砂漠に、真っ青な青空が顔を出した。
「……あ」
リンが呆然と空を見上げる。
地上では、絶望的な砂嵐に耐えていたエジプトの軍隊や探索者たちが、武器を落として空を仰いでいた。
空から降ってくるのは、心地よい石鹸の香りと、眩しい太陽の光。
カズヤは満足げにプル次郎を頭に乗せ、ハッチを閉めた。
「よし、外壁のホコリは大体落ちましたね。あとは中のトラップの油差しに行きましょうか」
世界ツアー初日。
カズヤの「お掃除」は、一瞬で一国の気象を改変し、神話の塗り替えを開始していた。




