3話
翌朝、カズヤが勤める『関東ダンジョン清掃ギルド・第三支部』の古びた事務所。 カズヤが出勤すると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「おはようございます、佐藤先輩!」
キリッとした声と共に、深々と頭を下げる赤髪の美少女。
昨日、激安スーパーでカズヤを追い回していた聖騎士、神代リンだった。
しかも、あのみすぼらしい……いや、伝統ある清掃ギルドの「青い作業着」を着こなしている。
「……え、神代さん? なんでここに」
「今日から、こちらのギルドで『特別外部研修生』としてお世話になることになりました。清掃技術こそ、これからの探索者に必要な素養だと痛感したからです!」
嘘である。
実際は、彼女が所属する協会に無理を言って、「佐藤カズヤの監視および実態調査」という名目で強引に潜り込んできたのだ。
支部長は、伝説の聖騎士が来てくれたことに涙を流して喜んでいたが、カズヤは困ったように眉を下げた。
「いや、危ないですよ。掃除の現場は汚いし、重労働だし」
「覚悟の上です! 私は昨日、あなたの動きを見て悟りました。あの神速の踏み込み……あれは清掃によって鍛えられたものなのでしょう?」
「……まあ、モップがけを10年やってれば、誰でもこれくらいにはなりますけど」
カズヤは「本当に誰でもなれる」と信じ込んでいる。
毎日、魔力濃度が極めて高いダンジョンの床を、魔力抵抗を無視して磨き続けることが、どれほどの高負荷トレーニングになるか、普通の人間は知らない。
「よし、挨拶は終わりだ。佐藤、神代さん。今日の現場に行くぞ」
支部長から渡されたタブレットには、今日の清掃区域が表示されていた。 それを見たリンの顔が、一瞬で強張る。
「……第62層、『腐毒の沼地』? 嘘でしょ、あそこは現在、汚染濃度が高すぎてS級パーティーでも進入禁止になっているはずよ!」
「ああ、だから掃除するんですよ」
カズヤは事もなげに言い、自作の「強力洗剤入りバケツ」を肩に担いだ。
「汚染が酷いってことは、それだけゴミが溜まってるってことです。放っておいたら、街の方まで臭いが漂ってきちゃいますからね。さあ、行きましょう」
ダンジョン第62層。 そこは、一歩足を踏み入れるだけで防具が溶け始め、強力な継続ダメージを受ける「死のエリア」だった。 リンは最新の結界魔法を多重に展開し、必死に毒を防いでいたが、それでも息苦しさを感じる。
「くっ……なんという毒性。佐藤さん、無理はしないで、一度退避を——」
振り返ったリンは、絶句した。 カズヤは結界も張らず、あろうことか「軍手」一つで、猛毒を撒き散らす沼の中に手を突っ込んでいた。
「うわぁ、ここのヘドロ、かなり粘りますね。去年から放置されてたのかな」
ジュウジュウと音を立てる沼。
だが、カズヤの皮膚は溶けるどころか、毒素を弾き飛ばしている。
長年の清掃で培われた【状態異常:絶対耐性】。汚れに屈しない精神と肉体が、物理的な毒すら「ただの不潔」として処理しているのだ。
「佐藤さん……あなた、毒耐性のレベルはいくつなの……?」
「さあ? でも、お風呂掃除の強力カビ取り剤を素手で使ってたら、いつの間にか慣れちゃいました」
カズヤは立ち上がると、バケツから特製の液体を取り出した。
それを沼に一滴、垂らす。
「仕上げに、除菌です」
ドォォォォォォォォォォンッ!!!
衝撃波が走った。
カズヤが放ったのは、洗浄魔法を極限まで圧縮した、彼独自のオリジナル・アーツ。 真っ黒だった沼が、一瞬にしてクリスタルのように透き通った清流へと変わっていく。
沼に潜んでいた凶悪な魔物たちが、浄化の余波で「除菌」され、消滅していく。
「ふぅ。やっぱり天気がいい日の掃除は気持ちいいですね。……神代さん、どうしました? 口開いてますよ」
リンは膝から崩れ落ちていた。
彼女が数年かけて磨き上げた聖騎士の奥義よりも、カズヤが「ついで」に放った除菌の方が、遥かに神聖で強力だったのだ。
「……佐藤先輩」
「はい?」
「私、掃除を……掃除を教えてください。私、自分がどれだけ無知だったか分かりました」
聖騎士が、清掃員に弟子入りを志願した。
世界最強の師弟(?)が誕生した瞬間だった。
しかし、そんな二人の様子を、沼の対岸から不気味な影が見つめていた。
「……我が『毒』を無効化しただと? 貴様、何者だ」
それは、このダンジョンを管理する魔神の一柱。 カズヤの「大掃除」が、ついにダンジョンの支配者層を刺激し始めていた。




