2話
翌朝、午前五時三十分。 まだ薄暗い街並みを、カズヤは愛用の自転車で颯爽と駆け抜けていた。 目指すは、駅から少し離れた場所にあるスーパー『激安天国』。
「ふふん、一番乗りかな」
カズヤの予想は的中した。 入り口にはまだ誰もいない。彼は駐輪場に手慣れた様子で自転車を止めると、リュックから文庫本を取り出し、開店を待つ。 今日の戦利品予定は、半額の『業務用・超強力除菌洗剤』と、限定三十個の『高耐久ワイパーの替えゴム』だ。
カズヤが読書に没頭し始めてから三十分後。 静かな住宅街の朝を切り裂くように、重厚なエンジン音が響いた。
現れたのは、スーパーの駐車場にはおよそ似つかわしくない、三台の真っ黒な高級セダンだ。 車列はカズヤの目の前で急停車し、中からスーツ姿の屈強な男たちが次々と降りてくる。
「……? なんだ、今日は特売日だから、警備員が多いのか?」
カズヤが不思議そうに首を傾げていると、中央の車から一人の少女が姿を現した。
燃えるような赤髪をポニーテールにまとめ、凛とした空気を纏った少女。 その腰には、現代の武器とは思えないほど豪華な装飾が施された騎士剣が差されている。 彼女の名前は神代リン。国内最年少で最高位ランクに王手をかけている、日本探索者協会の至宝——【聖騎士】だ。
「……見つけたわ。佐藤カズヤさん、ですね?」
リンが鋭い視線をカズヤに向ける。 背後の男たちが、一斉にカズヤを囲い込んだ。
「えっ、あ、はい。そうですけど……何か? 順番なら、僕が先ですよ?」
カズヤは「横入りは許さない」という強い意志を込めて、自分の位置をキープした。 リンはその反応に一瞬だけ面食らったような表情を見せたが、すぐに表情を引き締める。
「昨日の第45層の件です。……私の兄、神城が世話になったそうね」
「ああ、あの派手な服の。怪我は大丈夫でしたか?」
「腕の接合手術は成功したわ。……でも、今の彼は精神的に再起不能よ。昨日自分が何に助けられたのか、理解できずに震えている。だから私が、自分の目で確かめに来たの」
リンは一歩、カズヤに歩み寄った。 彼女から放たれる圧倒的な威圧感。並の探索者なら膝をつくほどのプレッシャーだ。 だが、カズヤはそれを「今朝は風が強いな」程度にしか感じていない。
「佐藤さん。単刀直入に言うわ。あなたが昨日使ったスキル……あれは『清掃員』が持てるような代物じゃない。協会のデータにも存在しない。……あなたは一体、何者なの?」
「何者って……ただの清掃員ですけど。一応、勤続十年のベテランですよ」
「嘘を吐かないで! 兄を倒した変異種を一振りで消し去るなんて、そんなこと——」
その時。 スーパーの自動ドアが、ウィーンと音を立てて開いた。 午前七時。開店の時間だ。
「いらっしゃいませー、本日特売日でーす!」
店員の声が響いた瞬間、カズヤの目が鋭く光った。
「すみません、大事な話の途中みたいですけど、僕は仕事があるんで!」
「待ちなさい! まだ話は——」
リンがカズヤの腕を掴もうと手を伸ばす。 しかし、彼女の手は空を切った。 カズヤは、リンの動体視力すら置き去りにする異次元のフットワークで、店内の洗剤コーナーへと消えていったのだ。
「な……っ!? 速すぎる……!」
リンは愕然とした。 今のはスキルですらない。ただの「歩行」だ。 その洗練された動きは、無駄を削ぎ落とした芸術品のようでもあった。
数分後。 カズヤは、山のように積まれた洗剤のボトルとワイパーの替えゴムをカゴに入れ、ホクホク顔でレジから出てきた。
「よかった、無事に買えました。……あ、まだいたんですか?」
「……あなた、本気でそれを買いに来ただけなの?」
リンは呆れたようにカズヤの手元を見た。 そこには、一本当たり三百円の安物洗剤が握られている。
「ええ。これ、汚れ落ちが最高なんですよ。……あ、そうだ。神代さんでしたよね? お兄さんに伝えておいてください。『次にダンジョンに入る時は、もっと靴の泥を落としてからにしてください』って。掃除が大変なんで」
カズヤはそれだけ言うと、ママチャリの荷台に荷物をくくりつけ、軽快にペダルを漕ぎ出した。
「待ちなさい! まだ納得してないわ! 私も……私もついていくから!」
赤髪の聖騎士が、高級セダンを放置してママチャリを追いかけ始める。 その様子は、遠くから見守っていた部下たちのドローンによって、またしてもネット上に拡散されようとしていた。
『【衝撃】聖騎士リンちゃん、お掃除ニキに告白!?』
世界を揺るがす「最強の清掃員」の日常は、さらに騒がしく加速していく。




