1話
その夜。インターネットの世界は、文字通り『燃えて』いた。
発端は、国内最大手の配信サイトで同時接続数30万を記録していた、探索者・神城のチャンネルだ。 無惨に敗北する「天才」と、それをゴミでも払うかのように救った「作業着の男」。 その対比があまりに衝撃的すぎた。
【速報】神城、45層で変異種に遭遇
【朗報】謎の清掃員、ワイパー一本でボスを粉砕
【悲報】神城さん、雑巾でレンズを拭かれる
主要な掲示板には、秒単位でスレッドが立ち並ぶ。
『マジで何だったんだ今の。誰か説明してくれ』 『俺、現場の近くのギルド職員だけど、あの作業着、清掃ギルドの制服で間違いないぞ』 『清掃ギルド? 探索者の間違いだろ。あの一撃、推定攻撃力5万は超えてるぞ。今の国内トップでも無理だ』 『動画の最後見たか? 「定時なんで上がります」って言って帰ってったぞ。化け物かよwww』 『「お掃除ニキ」爆誕の瞬間である』
ネット民たちが狂喜乱舞し、動画の切り抜きがSNSで数百万リポストされる中、当の本人は——。
「……ふぅ。やっぱりこの洗剤、油汚れには強いな」
都心から外れた、築40年の木造アパート『若竹荘』。 カズヤは鼻歌を歌いながら、今日一日着倒した作業着をもみ洗いしていた。 手垢や泥、そして微かに付着した魔獣の体液。 普通なら専用の除染装置が必要な汚れだが、カズヤの手にかかれば、100円ショップの洗濯石鹸一つで真っ白に輝きを取り戻す。
「よし、これで明日も気持ちよく仕事に行ける。……ん?」
ふと、安物のスマートフォンが震えているのに気づいた。 画面を見ると、通知欄が死ぬほど埋まっている。
「なんだこれ。迷惑メールか……?」
カズヤはITに疎いわけではないが、自分のような日陰者がこれほど注目されるはずがないと端から思っている。 適当に開いたSNSのトレンド欄には、『お掃除ニキ』『ワイパー無双』『最強の清掃員』といった単語が並んでいた。 動画を再生してみると、そこにはレンズに向かってニコニコと雑巾を動かす自分の顔がドアップで映っている。
「……あ」
カズヤは固まった。
「これ、神城さんのドローン……。勝手に触ったから怒られてるのかな」
ズレていた。 カズヤの感覚は、10年間の「下積み」という名の異常な日常によって、一般社会の常識から完全に剥離していた。 彼にとって、ボスを倒すのは「掃除の邪魔」を排除しただけであり、レンズを拭いたのは「汚れが気になったから」に過ぎない。
「ま、いっか。壊したわけじゃないし。それより明日のチラシを見ないと」
スマホを放り出し、近所のスーパー『激安天国』の電子チラシを開く。 明日は特大サイズの洗剤が半額。そしてカズヤが愛用している万能ワイパーの替えゴムが限定30個で売り出される。
「よし、朝6時には並ばないと。清掃員の朝は早いんだからな」
そう呟いて、カズヤは早々に電気を消して布団に潜り込んだ。 明日、自分が勤務するギルドに、国内外からヘリコプターが飛んでくるほどの大騒動が待ち構えていることなど、微塵も想像せずに。
一方、同時刻。 世界最大の探索者管理組織『WSA』の本部では、緊急会議が開かれていた。
「この男の身元を特定しろ。今すぐにだ!」
巨大なスクリーンに映し出されているのは、カズヤがワイパーを振った瞬間のスロー映像。 解析の結果、彼が空気を切り裂いた瞬間、そこには『因果の断裂』が発生していたことが判明したのだ。
「清掃員……? 笑わせるな。これは神の御業だぞ」
エリートたちが血眼になって彼を探す中、カズヤは「洗剤、買い溜めできるかなぁ」と夢の中で呟いていた。
最強と日常。
その歯車が、音を立てて狂い始めていた。




