現代社会で発生するかもしれない企業国家は中世封建主義に似ているということについて
この文章は私が書いた文章をChatGTPが書き直しさらにそれを私が書き直したものである。
かつて中世の時代、権力を追求する行為と利益を追求する行為は密接に結びついていた。確かに、封建領主という支配層が土地と農奴を基盤に富を独占し、その権力もまた領土の広さによって決まった。しかし、ここで留意すべきは中世の経済が単なる農業生産にとどまらず、11世紀以降の都市の興隆や商業革命によって複雑化していたことである。イタリアの都市国家やハンザ同盟都市のように、商人階級が富の新しい源泉となり、領土以外の形での利益追求も現れていた。ただし、全体としては農業収入と軍事力に依存する封建領主が社会を支配していたため、権力と利益は依然として重なり合っていたと言える。
近世に入ると、王権や皇帝権が強化され、中央集権体制が形成された。絶対王政は領土に基づく権力を維持しつつ、常備軍や官僚制を整備することで支配を安定化させた。この時代には重商主義政策が採られ、金銀の蓄積や海外植民地の獲得が富と権力を増す手段となった。したがって、富の源泉はもはや単なる領土そのものだけではなく、植民地交易、関税、国家独占事業といった経済活動に広がっていた。それでも権力すなわち国家領土の拡大と富すなわち国庫の拡大はほぼ不可分であり、権力の追求と利益の追求は表裏一体であった。
ところが近代において、市民革命が起こった地域では大きな転換が訪れた。革命後、政治権力を握る主体は国王や皇帝から議会と選出された政治家に移り、富の担い手は資本家階級へと移行した。このとき、権力の追求と利益の追求が明確に分化した。政治家は制度的な枠によって権力の濫用を制限され、資本家はむしろ競争を通じた利益追求を社会的に奨励された。その結果として、近代資本主義社会では政治的腐敗を抑制しつつ経済的活力を促進するという仕組みが成立した。ここにおいて初めて権力と利益が別々の軌道を歩み、社会発展の条件が整ったのである。この構図は現代になってもおおむね続いたとみることができる。
ところが現代においては、利益を追求するはずの資本家が利益を拡大するために権力まで追い求めるようになった。資本家たちは規制回避のための小さな政府を求め、国家権力の縮小を通じて企業が主導権を握れる体制を構築しようとしている。小さな政府自体は国民の自由と権利を守るために国家権力を抑制する側面を持つが、資本家たちは同時に国民の自由と権利を守るために不可欠な規制までも排除しようとする。その背景にはグローバル化の進展による国家の規制力低下があり、このままでは企業国家への移行は不可避に見える。企業国家とは、企業献金などを通じて企業が国家運営に深く介入し、事実上企業が法律を決め、社会を統治する体制である。この概念は既存文献におけるコーポラトクラシーと類似している。コーポラトクラシーは、国家政策や法律が大企業や金融資本の利益に従属する体制を批判的に示す用語である。
企業国家体制において、企業の持つ権力と金銭的豊かさは市場や経済圏をどれだけその企業のものにできるかで決まる。権力追求と利益追求が再び表裏一体となり、複数企業が競合する点で中世封建制に似る。ゆえに企業国家体制では発展が制約される危険が高い。
さらに規制なき競争は必然的に勝者総取りを生み、市場独占が権力独占へと転化する。こうして企業国家は独占企業国家体制へ移行し、単一または少数の巨大企業が権力と富を独占する体制が出現する。これは近世の絶対王政に類似し、社会の活力を抑圧する恐れが強い。
もっとも未来はこれ一筋ではない。代替シナリオも存在する。第一に、国際機関や地域連合によるグローバル規制枠組みが整備され、企業権力を抑制する方向。第二に、AI・ブロックチェーンなどの分散技術を活用し、企業国家ではなく分散型コモンズが新しい富と権力の源泉となる方向。第三に、市民社会や社会運動が企業国家的趨勢を修正(例えば企業献金規制、ロビー活動の透明化、独占禁止法強化)し、民主主義的統制を取り戻す方向。いずれの未来もあり得るが、独占企業国家体制の危険性を回避するためには、規制・市民参加・新技術の公共的運用といった複合的対応が不可欠である。