第9話:『裏世界』事始め
出発。『最初』に一歩を踏み出す事。
途中がどうなっているか、無事に終着点に到着する事ができるのか。
それを徐々に考えながら、気が付けば後ろは見えなくなっている。
反省は必要だが、過ぎた後悔は尾を引く。
そんな事は何にも考えずに走っていられる所まで。それがある意味『最初』の定義ではないか。
という事は、だ。
つまりは、あいつが特にパートナーとなる意思が無い以上、『臨実試験』は水に流れたって事だよな?
私はあいつに"この世界を案内してやる"事になっただけ。
ならそんなに深刻に考える必要は無いではないか。
ちょうどいい身体慣らしだと思えばいい。
私だってずっとここでじっとしているのが好きな訳ではない。
何事もポジティブシンキングで行こう。
「よし、では一通りおまえさんにこの世界を紹介してやろう。
実際に身体を動かした方が、口で喋るよりも手っ取り早いしな。
私も退屈していたところだ。早速出発するぞ」
◇ ◇ ◇
我ながら不思議な気分だ。
この世界を自分で見極めるために。
妙な目的だけど、その漠然としている目標のスケールが変に大き過ぎて、逆にやる気が湧いてきた。
夢ならば素直にそれで問題無し。
死後の世界ならば……とりあえず今は考えるのを置いておこう。
で、そうは言っても僕には今の状況がほとんど何にも分かっていない。
具体的には一体何をどうすればいいのか。
そもそもに、この空間が真っ暗で何にも見えないのが第一の問題なんだけど。
「ところでこの真っ暗な空間だと、この世界を紹介してもらおうにも何も見えないんですけど」
「だから、出発すると言っているのだ。
ここは私の空間。何もこの世界が全部ここみたいに真っ暗な訳では無い。
何にも言わず、とりあえず私に付いてこい」
シェワードは、何でもないように言うが。
「……でもまずこの真っ暗な中、僕にはあなたがどこに居るかすら分かっていないんですけど」
僕にしてみれば大問題だ。
付いて行くとか行かないとか、そういうレベルの問題じゃない。
「面倒な奴だな。
仕方ない。ならば、これを持っておけ」
シェワードがめんどくさそうな声で答えると。
真上から何かが降ってきたような音。
足元辺りで、トンと軽い落下音がした。
恐る恐る足元近くに手を下ろして。
その周りを四つんばいで這い回ってみると、ひんやりと冷たい、コンクリートのような地面があった。
手探りで周りを調べてみると、確かに何かが落ちていた。
それを大事に両手を使って拾い上げる。持ってみれば軽いもので、片手に収まるサイズのものだった。
よくよく触ってみれば、木でできた取っ手のように感じた。
「これは何です?」
「それを持っていれば、私がおまえを引っ張って歩いてやる。
よく考えてみれば、おまえには私の姿がどこに行こうと見えない。
だから、それを利き手でしっかりと握っておく事だ。手を離したら知らんぞ」
そうシェワードが言う。
言い終わった瞬間、取っ手が勝手に前に動いた。
「え!?」
つんのめって手を離しそうになり、それを慌ててしっかり握り直す。
「では、これで準備はできたな?
ならば行くぞ。目を瞑れ」
さっきから、何をすればいいのかさっぱり見えてこない。
言われている事を飲みこもうとするのでやっとだ。
「目を瞑って、どうするんです?」
至極当然の事を聞いたつもりが。
「ああ、面倒臭い!
どんだけ面倒なんだよ、お前は!」
シェワードが苛立ちを隠そうともせずに、またため息。
だんだんと申し訳なくなってきた。あのシェワードの言い方もかなりきついとは思うんだけど……
そうは言っても僕にはどうにもしようがないじゃないか。
「分かった。まずは私の話を聞いてくれ。
この世界は、一般には『裏世界』と呼ばれている。
ちなみに、おまえさんの言う生前の世界とやらが『表世界』だ。
で、この『裏世界』は数え切れないほどの大小様々な空間が寄せ集まってできている世界だと思えばいい。
その小さな空間から小さな空間へとワープするのが、私の言う、移動の事だ」
この世界は、『裏世界』と呼ばれている。これはそういうものだとして。
大小様々な空間がある、とか言われても全く想像がつかない。
それに、いきなりワープと来たか。なんだか難しそうだ。
でも、意外とファンタスティックな世界だったりして。
「じゃあ、どうやってワープするんですか?」
少しワクワクしながら聞いてみた。
「想像しろ、としか言い様が無い。出来ないなら付いてくるな」
さらっとシェワードは一言。
唖然とした。
『想像』しろ、と言われただけ。
僕に何をイメージしろと。
それに、シェワードにこれ以上質問したら真面目に見捨てられそうな気がしてきた。
少し黙って待っていてもシェワードはそれ以上何も説明してくれない。
僕は基本小心者なのである。
仕方なく覚悟を決めて、あえてさも冷静な口調でシェワードに確認を取る。
「想像、と言えば、行きたい所を頭の中ではっきりと思い浮かべれば良いのですか?」
「それだと、半分正解ってところだな。
正確には中継地点が要るんだよ。
そうだな……おまえがこの世界ではじめて意識を持った場所があるだろ?
そこを経由して、目的地に行くんだ。
私は説明が下手だ。だから実践に移るぞ。
まずはその場で目を瞑ってみろ」
自覚はあるのかよ。
とりあえず、シェワードの言う通りに目を瞑ろうとした。
が、その瞬間に急に不安になった。
ここで目を瞑ったら本当に死んでしまうのではないか。
ここで目を瞑ったら本当に戻れない場所に行ってしまうのではないか。
目を開けていようが瞑ろうが、何も見えていないのは変わらないのに。
それでもなかなか目を瞑れない。
僕は結局、今の状況から目を背けようとしていただけではないか?
見極める、などと口だけだったのではないか?
そんな事を考えようとしていた時だった。
「まったく、馬鹿め。
私の言う事が信じられない奴が私に付いて行くなどと言うな。
旅は道連れ何とやら、と『表世界』では言うのだろう?
こうなったからにはやむを得ん。
しばらくは私がおまえを守ってやる。
私は強いぞ? 多分おまえなんかでは『死んでも』私には勝てん。
そもそもに、死んでいるのかどうかを自分で決めるために私に道案内をさせるのではなかったのか?
だから、さっさと目を瞑れ」
シェワードの二度目の苦笑い。
仕方ない奴め。暗にそう言っているようで。
「ありがとうございます」
クスッと無意識に笑ってしまった。
そうだった。自分で決めるために行くのに、自分がそれを渋ったら何も進まない。
そう思うと同時に目を瞑った。
まぶたは一瞬強張ったが、今度は抵抗しなかった。
「目を瞑ったら、まずはおまえがこの『裏世界』で一番最初に来た、何だか懐かしい風景だった場所を思い浮かべてみろ」
シェワードが続ける。
え~っと、懐かしい風景?
そんなものあったっけ……
あ、あったあった。僕がこの空間に来る前に、何だか昔何処かで見た事のある風景の場所だ。
その記憶を頭の中の引き出しから探し当てる。
そして、僕は全神経をそちらに傾けた。だんだん思い出してきた……
「その場所を〔裏世界のロビー〕と呼ぶ。覚えておけ。
そのイメージを、一・二・三で強く念じてくれ。そうすれば、まず〔裏世界のロビー〕に行ける。
では、いくぞ」
「はい。大丈夫です」
多分、大丈夫だ。
返事をしてから、神経を尖らせて、頭の中の一点に気を集中させる。
「じゃあ、いくぞ。
一……二……三!」
その瞬間。
ぎゅっと右手に握った感触が、激しく揺らぎ始めた。
それをしっかりと逃がさないようにして。
◇ ◇ ◇
僕の周りの空間が一点にぐわっと集中していく。
空間を構成していた要素が全て吸い込まれていって。
それが一点が盛り上がって、パッと弾けた。
それが完全に弾け切った時、ようやく周りが止まった……
「……おい、もう目を開けていいぞ」
シェワードの声を合図に、その瞬間に目を開けて周りを見渡した。
……ああ、この空間だ。僕が一番初めに来たのは。
やっぱり懐かしい感じがする。
それが何故なのかは、記憶がぼやけていて思い出せない。
だけど、ここの風景は透き通っていた。巨大な絵だとしたら、描かれているキャンバスの後ろ側まで透けていそうな透明感。
〔裏世界のロビー〕は、広々としていた。上から光が燦々と注いでいて、見渡す限り、壁が見えない。
ロビーと言っても、椅子もカウンターも、何もない。ただ広大な空間が静かに在るのみ。
「こういう空間、いいですね」
気づけば、独り言が漏れていた。
開放感あふれる空気を胸一杯に吸い込んでみて。
「私もここは好きだ。心が癒される感じがしてな。
……それはさておき、私にそんな事で気軽に話し掛けるなと言っただろう。まったく、おまえって奴は」
独り言のつもりだったんだけどな。
それにしてもシェワードの姿はこんな明るい所に出ても全く見えない。
『裏世界』では透明人間もありなのだろうか。
「おい、とにかく目的地に行くぞ!
ここは中継地。目的地は、〔裏商店街〕と呼ばれているところだ」
ん? でも、僕は当然そんな場所のイメージなんて持っていない訳で。
ここのイメージは、漠然としていたけれど覚えていたから良かった。
でもイメージできないところにはワープできないんじゃないのか?
「僕、どうやってワープすればいいんです?
そんな所、行った事も無いのにイメージできませんよ?」
「ふふ、抜かりは無い。
こういう時は、そのおまえに握らせてある『リードホルダー』を頭の中でしっかりと想像してくれ。
形や色、触り心地、漂う雰囲気。そのものを完全に頭の中で復元するような感じで、な?
私がお前を引っ張ってワープしてやる」
……ほぅ。そんな事も出来るのか。
自分の右手を開いてみると、『リードホルダー』と呼ばれたそれは、木でできた素朴な取っ手だった。
木の風合いがそのまま出ている、自然からの一品。
縄跳びの端に付いている持ち手みたいなそれには、細かく何種類もの幾何学模様がびっしりと刻まれていた。
ただ、その彫りが浅くてさっきまでは全然気付かなかったけど。
これのどこにそんな凄い機能があるんだか。
「とにかく、やってみるぞ。
さっさと目を瞑らないと置いて行くからな!」
上から注いでいる光は、太陽の光、なのかな?
目を閉じた後、頭にそんな事が思い浮かぶ。
『裏世界』という言葉から閻魔大王の君臨している世界を頭の端に想像していた自分。
それがすごくちっぽけに感じられた。
ここまでが一区切り、です。
次からもう少し文章を小切りにして進めたいと思います。