第7話:先代からの頼み(後)
無知。自分が如何に無知であるかを知る、というのは難しい。口ではいくらでも言えるが、そもそもにそれで自分を暗に納得させようとしていることにすら気付かない。全て知っている世界と、何にも分からない世界。どちらの世界で生きた方が楽しいかを考えてみる。すると、知らないうちに無知であることを望む自分がいた。
ある意味、この世界に来て初めて納得できたことかもしれない。
なるほど。それならばさっきまでのクワーゼットの言いようも理解できる。
分からないのは、
「シェワードの理想が高すぎるのか、はたまた籤運が悪いのか、か……
まあ、どちらもあながち間違いではない、がな」
『なぜそんなにシェワードのパートナーとやらが決まらないのか?』
僕が頭の中で考えようとした内容の、その返答の先が返ってくる。
こうまで全てを完璧に見透かされてしまっては、もう笑うしかない。
「まあまあ、私にしてみればこれぐらいは朝飯前、と言うほどの事でも無いがな。
言ったであろう? おまえさんのような若造の考えている事などお見通しだと、な?」
僕をなだめるように軽く笑ってみせて。
もう僕はどうすればいいのやら。
「それで、の?
シェワードに何故パートナーが出来ないのか。
私が思うに、幾つかの原因があると思うのじゃ。
一つに、あそこに人間が落ちてくる事自体がかなり稀である事。そういう意味では、おまえさんも選ばれた人間だと言えなくもないの。
二つ目に、シェワードのあの性格。
私が言うのもなんだが、あいつはものの言い方がきつすぎるでの。
これまでに色々とあったから仕方ない部分もあるのかもしれんが……
そして三つ目。これが一番直接的なんじゃが、二つ目に繋がっていると言えなくもない。
要は、あいつのきつい言い方では、おまえさんの時みたいに『おまえは死んだ。何が何でも死んだ』
みたいな話になって、言い合いになってそのままどうにもならなくなるんじゃよ」
クワーゼットは、やや表情を硬くして僕の方から目を反らす。
昔に色々あった、ということだろうか。
気になったのは、目を反らした瞬間の彼の表情が少し哀しそうだったこと。
だけど、その一瞬に彼の温もりが詰まっていた気がした。
「じゃが、な。
私の出番は、もう終わった。
おまえを見た時にそう思った。
何故だ、とは訊くな。
理由なんて何も無い。直観、じゃ。
だが、侮ってもらっては困る。私やシェワードの直観は、その辺の人間達の適当な思いつきとでは次元が違うで、の」
彼は再び、笑っているのか苦笑いなのかよく分からない表情をこちらに向けた。
目の前にいる、何でも見通してしまいそうなクワーゼットの直観。
半端では無いだろうというのは分かるが、それでも。
しかも、タイミングよくやってきただけの僕を見て、直観。それだけで、自分の出番は終わった、って。
それで良いのかよ。あり得ない発想だろうに……
「いいも何も、そもそも私にはあの子の面倒を見てやる権利など無い。
今が潮時、そう悟ったのみ。
変な事を喋っておいて勝手だが、これに関しては私とあの子の問題。口出ししたら許さん。
あの子にはこれから立派に一人前になってもらわねば困る。それが一番大切なんじゃ」
口元はそのままに、目を細めて。そして、そのまま続けた言葉には重みがあった。
確実に、過去に何か大変なあったんだろうとは思う。
それでも、それでいいのかよ。
声に出そうになって焦る。こういう本能的に短絡なところが僕の悪い所。
ここは、僕が口を出していい話じゃない、って。それぐらいは分かっているつもり。
この世界でいう父親、ってものは僕がこれまでにいた世界の中のそれとは違うのかもしれない。
でも、どうなんだろうか。父親、ってそういうものだっただろうか。
僕の中の常識で判断するとズレている話だった。
「なに、おまえさんは、あの子の傍であの子と一緒に歩いてみてくれればいい。夢が覚めるまで。もし覚めるならば、な。
それだけで分からないなら、分からない事をあの子に尋ねればよい。
それであの子の、シェワードの隣を歩けないと本気で思ったのなら、それは私の勘が鈍ったという事。
尚更、私はあの子の傍には居られんよ」
どこか矛盾しているところがあるのだろう。だが、クワーゼットの表情には真剣そのものだった。
ますます眼を細めたその眼光は鋭く、そのまま射すくめられてしまいそうなほど。
「なあに、そんなに怖い顔をするな、少年。
私があの子、シェワードの事が嫌いな訳無いじゃろうに。
可愛くってたまらんわ。直には言わんが、の。
……お主になら、私の可愛い一人娘を任せてみてもよい。そう言っておるだけじゃよ。
表面では怒りっぽくて扱いづらいが、内面はなかなか素直なもんじゃぞ?
じゃあ、私はそろそろ行く。こう見えても忙しいのじゃ。仕事があるのでな」
◇ ◇ ◇
最後には、彼は胸を威張らせて笑っていた。
「失礼かもしれない。けど、あなたは不思議な人ですね。
温かいようで、それが見せかけにみえて、実は見えていない。
肝心なところが分からなくって」
僕も、彼に合わせて何となく笑ってみた。
「ふふ、老人を悩ませる言い方をするでない。
要は、温かくて優しさにあふれたやつだ、と言いたいのじゃろ?
それで良い良い」
そう言いながら、彼は僕の隣から立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。
付いて来いとも言わずに、だんだんと僕から離れていく。
「……では、頑張ります、と一言だけ。
あと、ありがとうございました」
それを追うのはすごく野暮な気がした。
何故か分からないけど今は清々しくて。頑張ろうって気にもなって。
理由も無く一言だけお礼を言った。
「ふん、ここでの話はシェワードには絶対に内緒、じゃからな。
それにもうしばらくの間は、さよならという訳でもあるまい。
シェワードとお主がどうしても上手く行かぬようならば、またどうにかせねばならんしの。
じゃあ少年。シェワードによろしくな」
そう言うと、クワーゼットは上着の裾を揺らしながら足を速めてあっという間に去って行った。
……と、その時。
彼の上着のポケットから、何かが落ちたような気がした。
立ち上がり、もやの中に小さい星形をしたキラキラした落とし物を見つけた。
しかし、もう既にクワーゼットを呼んでも返事は返って来なかった。