第5話:先代からの頼み(上)
周りに誰もいなくなると、自分の周りが全て無くなって消えてしまうような錯覚を覚える。孤独という一言に閉じ込めることは出来ない程にそれは怖い。
でも、周りに頼れる他力がなくなった時に、その人自身が出てくる。良い意味でも、悪い意味でも。
いきなり声が出なくなった。
焦って大声を出そうとしても、それで出ればそもそも問題は無い訳で。
無駄なあがきをしばらく続けた後。
そして結局、この世界には僕の常識が通用しないんだし、こんな事もあるさ、と。そんな結論に達した。
そんなに簡単に諦めてもいいのか、とは考えない方向で。
仕方ない。しばらく待っていれば、何とかなるかもしれない。
そう思って、真っ暗な空間の中で、ボーっとしてみる事にした。
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真っ暗な闇の中。
電気が消えた真っ暗、みたいなのは、しばらくすれば眼が慣れてくるはずなんだけど。
でも、ここではまだ何も見えない。この空間の中に存在する全てのものが黒という色しか持っていないのか、とさえ感じる。不気味だ。
目を凝らしてみても、眼が開いているかどうかすらも自分では分からない。
自分の顔に、恐る恐る自分の指を添わせてみる。
唇。鼻。そして、もうちょい上。この辺り、左右に眼がある。眼球を突かないように、そっと周りに触れていく。
自分の眼のまぶたに指が触れてから、ふと思う。
こんな事しなくとも、自分の身体じゃないか。
不安になる。もしかして、眼を開けている、という自分の感覚がしっかり働いていないのではないか?
そのままで恐る恐る瞬きをしてみると、眼球の動きが指に伝わってくる。ちゃんと目は動いているんだ。
当たり前だ。当然の事だった。
静かだった。何もやる事が無い。じっとしていた。
足を動かすのは怖い。一歩でも動いたら、僕がいるこの地面以外の部分は底が抜けているかもしれない。そう思うと、動けない。
そういえば、この真っ暗な空間に来た時からずっと同じ場所に突っ立ったままだった。
シェワードと口論になってた時に無意識に動いたかもしれないけど。もともと何処にいて、今何処にいるのか。それすら分からない。
意識すれば、急に足が疲れてきた。
ちゃんと、足に神経は通っている。ふと、そんな当たり前な事を考える。自分の右腕をそっとつねってみた。ちゃんと痛かった。
どうにも落ち着かなくなってきた。
少しの時間は、いっそのこと眼を瞑ってじっとしてみた。
次に、手が伸ばせるところまで、手を伸ばした。そして手探りで360度、触れるものを探してみる。
その辺りに四つん這いになって冒険しようとした。でも、しゃがむことすら怖くなっていて、無意識のうちに足が固まっていた。
しかし、何も無かった。
そこが僕の限界だった。
声が出ない。目は開いているけれど、何も見えない。何も聞こえない。もう無理だった。
怖い。どうしてここで落ち着いて人と話なんてしてたんだ? そんな事が不思議でたまらなくて。
誰か、何でもいい。喋ってくれ。シェワードでも、天の声でも何でもいい!
……もしかして。
シェワード達に見捨てられてしまったのか?
僕は、何にも悪い事なんて言ったつもりはなかったのに。
いや、何か僕の何気ない一言で、傷つけてしまったのではないか?
それどころか。シェワードが僕とほとんど正反対の物の捉え方を持っていて、僕の言葉がほとんど全て思わぬ鋭い凶器になっていた、とか。
それを聞いて、何だか知らないが好意的だった"天の声"すらも僕を見捨ててしまった、と。
それで、ここによく分からないまま、たった独り。
自分では叫んだつもりだった。
寂しい、って。嫌だ、怖い、悪かった、色々な感情をすべて口に出した、つもりだった。
どれくらい時間が経っただろう。
自分では、声が枯れるぐらいに叫んだ。
でも、その声は自分の耳にすら一言も届いて来ない。
このままだと、僕というものが真っ暗な闇に埋もれて、誰も気付かないうちにいつの間にか消えてしまいそうに感じて。
気が狂ってしまいそうになってきた……同時に、めまいがしてきて……
高層ビルの屋上から突き落とされたみたいな感触に身体が包まれた。そして、それが自分の身体が倒れている感覚だと思ったのが最後。
そのまま、意識を手放した……
「……悪いな、荒療治で。
まあ、姿ぐらいは償いに見せてやるべき、かの」
呟いたのは…
◇ ◇ ◇
「大丈夫か?」
天の声のお情けか。遠くから声がする。
そうか。あの真っ暗な中で気を失って、今に至っている、と。
目をうっすらと開けようとすると、眩しくて開けていられなかった。
「おっと、眩しすぎたか」
天の声が聞こえたかと思えば、自分の周りがぱっと目を開けていられるぐらいの暗さになった。
周りは、さっきまでの真っ暗を薄めたぐらいの明るさになっていて。
空間には白黒の濃淡があって、上に行くほど薄く、下に行けば黒くなっていた。グラデーション、っていうのかな。
自分の身体は地面に横たわっていて、周りは薄黒い霧に包まれているみたいだった。
さっきまで真っ暗な中にずっといた僕にはちょうど心地良かった。自分の姿も、そして自分の近くならば目が利くようになった。
「先程はすまなかったな。
だが、どっちにしろ一回は経験しておいた方がいい事じゃろうし、許してくれ」
ハッと気づけば、誰かが隣に座って僕の方を見て笑っていた。
年の頃は五、六十の男。
長身で、細長い顔。立派な白いあご髭。髪の毛はやや白がかっていた。
白っぽいシャツにグレーの上着を羽織り、下は黒のスラックスを穿いている。
あと、音楽でも聞いているのだろうか? 何故か片方の耳に、イヤホンみたいなのをつけている。
若さの残るイギリス紳士がそのまま十、二十年ぐらい歳をとったような。
印象は、よく言えば優しそうで、慎重に見れば怖そうで。要は、さっぱり分からない。
若そうな表だちとは裏腹に、内からは、一種の神々しささえ放っていた。
「……誰ですか?」
起き上がり、ワンテンポずれながらも軽く座りなおしながら尋ねる。
この意味不明な世界、敢えて言えば夢世界に来て、初めて人というものを見た。
本能、だろうか。すごく心が温かくなる。何故か、彼を見ていると心の中が満たされたような安心した気持になれた。
「そうじゃな。
シェワードは自己紹介を済ませたようだったが、私はまだだったか。
では、少年。いや、九条涼太。
我が名は、クワーゼット。
……この声、聞き覚えはないか?」
確かに、何処かで聞いたような。
しかも最近……あ、天の声か!
「ふふ、ご明答。
これからは、クワーゼット、で良い。
天の声、なんて大それたものではないからの」
「えっ、口に出てた!?」
こういうとこ、僕は無意識にやっちゃうところがあるから分からない。
でも、さすがにまだそこまでボケてはいないつもりなんだけど……
「いいや、お主は別に口には出してはおらん。
じゃが、な? 私には、おまえさんの心を読むなどと造作の無い事だ。
ま、この辺りはシェワードにはまだまだ負けん」
「……」
何者なんだよ。今度こそ、口に出しそうになった。
でも、それを待たずにクワーゼットは続ける。
「私はおまえのいた世界のことなら何だって知っているし、その世界で起こった出来事を変えることだってできる。そんな存在。
ついでに、お主ぐらいの若造の考えそうな事なら読めぬ私ではない」
彼は、何処かで聞いた事のあるような無いような台詞を含め、僕の耳元でぼそっと呟いた。