#5
「アデルバート殿下!」
隠しサロン――今まで公的な関係性ではなかったアデルバートとマリーが密会をするために用意されていた隠し部屋にて。
慌てた様子のマリーは、肩で呼吸をしたままでサロンの扉を勢いよく開け放ち、おそらくいるであろう部屋の主の名前を呼んだ。
「やあ、マリー。僕がここにいるってよくわかったね」
「それは、ギルスさんに尋ねたときにここにはいない、と。含みのある言い方をされたので……って、今はそれは本題ではなくて――」
マリーはアデルバートを訪ねてきたその理由を説明しようとして。しかし、そこで言葉を詰まらせる。
今まで必死でいたがゆえに見えていなかったのだが。アデルバートが向かっているサロンの長机の上に、なにやら書類が沢山積み上がっている。
「あの、えっと。も、もしかして私、邪魔を――」
「ああ、これについては気にしなくていい。ちょっと私的な都合で僕が勝手にやっているだけだから」
アデルバートはニコリと笑いかけながら、マリーに落ち着くように促す。そのまま、彼に案内されるままにマリーは席につく。
そして、アデルバートから「それで、どうしたんだい?」と。
「あの、えっと。……私、いったいどうしたらいいんでしょうか」
「どうしたら、とは?」
「私は。ベアトリスお姉様に、嫌われてしまったのでしょうか……」
先日の夜会での一件。あのとき、ベアトリスからマリーへと伝えられた言葉。
それらがずっとマリーの中で逡巡していて。
そして、そのことについてベアトリスに直接尋ねに行こうと。そうしてナミュール家へと訪れたマリーがフォルテから伝えられたのは、ベアトリスが家から離れたということだった。
「ああ、なんだ。そんなことか」
「そんなことって! ……ああ、ごめんなさい」
アデルバートの放った言葉に、マリーは反射的に食らいついてしまい、しかし自分の行動を即座に顧みて、引っ込んでしまう。
「いや、今のは僕の言葉が悪かったね。マリーからしてみれば、そんなこと、で片付くことではたしかにないだろう」
「……はい」
マリーとて、自身のとった行為が正しいことであるとはあまり思ってはいなかった。
曲がりなりにも、自身の敬愛する存在から。正式な婚約を結んでいた関係性ではないにせよ、その相手を奪うような形式で今の座にいるのである。
無論、そんな経緯があるのだから、ベアトリスから祝福されるとも思っていなかったし。
最悪、現状のマリーが捉えているように。ベアトリスから嫌われる、ということも覚悟はしていた。
だけれども、それと同時に。やはり現実に起こると、辛いものではあった。
「勝手な、想像ではあるんですが。お姉様は、私たちの関係についてを一応は認めてくださっていると、そう、思っていたのです」
マリーは、ポツリと、そうつぶやく。
もちろん、状況から考えればかなり支離滅裂なことを言っているというのはマリーも自覚はしている。
だけれども、それと同時に。ベアトリスの取っていた行動はマリーがそう感じるには十分なものではあった。
『マリー。あなたは、自分のしたいようにしなさい』
マリーが密かにアデルバートへの恋心を懐き始めた頃合い。ベアトリスと一緒に帰る馬車の中で彼女から伝えられた言葉はそれだった。
自身の心境をピタリと言い当てられたその言葉に、マリーは大きく驚いたものの。しかし、ベアトリスはそれ以上を言わなかった。
そう。それ以上は、全く。
マリーがアデルバートとふたりきりで話しているところが見つかったりしたときも。ふたりの仲が世間にバレてしまって、様々な噂が飛び交ったときも。
ベアトリスは、アデルバートとマリーの関係に対して、一切口を出してこなかった。
だからこそ、勝手な考えではあったものの。認めてくれていると、そう思っていたのだけれども。と。
俯きながら、ギュッと拳を握りしめる。
そんなマリーを見たからか。少し困り顔を浮かべたアデルバートは「そうだなあ」と、つぶやきながら。
「これについては、あんまり僕の方から話すのは好ましくないのかもしれないけれど。まあ、いいか」
そう言いながらアデルバートは、マリーの対面の席に座り。そして、ゆっくりと話し始める。
「さっき僕がそんなこと、と言ったことにも繋がっては来るんだけど。まあ、早い話が、マリーが今懸念しているようなことについては、心配はないよ」
安心させる笑顔でアデルバートはそうマリーに語りかけてくれる。
「で、でも! ベアトリスお姉様は!」
「うん。たしかに僕らのせいで泥を被った。僕らのことを恨んでも仕方がないし、むしろそれが当然と言えるような立場だと言えるだろう」
「そうなんです! だから――」
「ひとつ、面白い話をしようか」
アデルバートの言葉に賛同しようとしたマリーを遮るようにして、彼はそう言葉を続けた。
きょとんとしたマリーを前に。あれはしばらく前のことだったかな、と。アデルバートが話を始める。
「まあ、当然の話といえば当然の話なんだけど。僕たちの方から婚約の話を蹴りに行くんだから、ナミュール家に謝りに行ったんだけど」
「えっ……」
そんな話、聞いていない。いや、たしかに話の筋としては道理なのだろうが。しかし、マリーは全く知らなかった。
「正直ね。僕は拳の一発でも食らう覚悟でいってたんだけど。実際のところはイザベラからもナミュール侯爵からもそんなものは飛んでこなくて」
なんなら、一番それに近かったのが弟のフォルテだったという。今にも食らいついてきそうな鋭い視線でアデルバートのことを睨みつけていたのだとか。
「……まあ、フォルテくんも私と同じでベアトリスお姉様のことが大好きですからね」
「身に沁みて感じたよ。……とまあ、話を戻そうか。それで、そのときに彼女やナミュール家にまつわる噂の払拭について僕らから全力で協力する旨を伝えたんだけど。でも、ベアトリスからは断られてね」
厳密には、ベアトリスに関わる噂について、のみ。
訳を聞けば、当事者たちからの言葉であっても、この手の噂は下手な油になりかねないから、との話ではあったらしいが。
「さすがは、というところだね。……まさか、噂までもを利用しようとは」
「噂を利用って。……それじゃあ、お姉様が私たちに対してあの言葉を投げてきたのが真ってことになって」
なにも解決していないじゃないか、と。そう言おうとしたマリーの頭を、アデルバートはポンポンと優しく撫でる。
「大丈夫。そもそもの話だ。好きなようにしたらいいとマリーに言ったベアトリスが、それを反古にすると思うかい?」
「そ、れは……」
「大丈夫。昔も、今も。ベアトリスは君のことを守ってるよ」
アデルバートはそう言うと。「さて、僕のやるべきことをやらないとね」と。立ち上がって、先程まで作業をしていた書類たちの方へと戻っていく。
「守られて、る?」
たしかに件のことが起こる以前は、そう感じることも多かった。
けれど、それ以降についてはどちらかというと不干渉であったことが多かったような気が――、
「……あれ」
いや、そもそもの話。よくよく考えてみれば、都合がつかないことが多すぎる。
ベルティエ家は事実上でナミュール家を裏切ったような形になっているにも関わらず。少なくとも、今のところは今まで通り、問題のない親交と取引が為されている。
断ち切られても、おかしいはずなのに。
あの夜会でも。ベアトリスの言葉は、マリーのことを諌めることはあれど、責めることはなかった。
そして、アデルバートから伝えられた、ベアトリスがマリーのことを守っている、という言葉。
「……お姉様」
嬉しさのような感情が湧き出ると同時に、複雑な気持ちもが浮かんできて。
対立するふたつの想いが、綯交ぜになる。
「私、は……」