#4
「とはいえ、ここまで話しましたが。これらは私が負けた場合、の話ですが」
「負けた場合?」
「ええ。私とて、なにも努力をしていないのに、ふたりに賛辞を送るつもりはありません。それは勝者の特権ですから」
つまり、ベアトリスの方からは、ふたりが結ばれるように自発的に動かない、ということである。
無論、これに関してはふたりのことを知りながら、あえて見ないふりをしているというだけでも、随分と甘い処置であるとフォルテは思うが。
「ですから、そうですね。……アデルバート様が御両親にマリーとの婚約を頼みに行くようなことがあれば、私はおとなしく身を引くことにします」
「……言っちゃ悪いが、あのアデルバート様がそんなことをするかねえ」
フォルテも、なんだかんだといろいろと調べたりはしているし。なによりベアトリス経由で話を聞いたりするので、アデルバートという人物の性分は知っている。
だから、その性格を考えるのならば、そんなことはしないように思うのだが。
「存外に、恋情は人を変えるものですよ。……ですが、そうですね。それならばひとつ、賭けてみましょうか。無論、私はアデルバート様が動くことに賭けますが」
「自分の婚約が破断になることにかけるやつがあるかよ……」
それも、当人がその婚約自体を嫌がっているわけではない、というのがなによりも厄介である。
「というか、姉さんがアデルバート様と婚約しないのなら、俺じゃなくて姉さんが家督を引き継ぐほうがいいんじゃないのか?」
「いえ、世情を引っ掻き回そうとした人間がその席に収まるのは、あまり好いものではないでしょう」
「いや、ほんとになにしようとしてるんだよ」
ベアトリスのその発言に、フォルテは苦い顔をしながらにそう言っていた。
◇ ◇ ◇
「本当に、動いたな。アデルバート様」
「ええ、賭けは私の勝ちですね」
「……その賭け、まだ絶妙に納得してないんだけど。まあいいか」
なにかを明確に賭けていたわけではないので、なんなら勝ち負けの精算も曖昧だったりする。
「ったく、姉さんも。アデルバート様も、みんな思考がどうにかしてるっての」
アデルバートは、両親への直談判の後、しっかりと周辺の精算をキチンと行い。そして、これからどうしていくつもりなのか、ということもしっかりとナミュールに対して説明をしていた。
無論、それが筋ではあるし。当然といえば当然なのだが。しかしながら、フォルテの知っているアデルバートとは全然違っていて。大きく驚いたのを覚えている。
まあ、その展望についてもベアトリスからすると少し粗があった様子で。なにやらその後に話していたのを覚えているが。
「みんな、自分のやりたいことに全力で。それでいて、他の者の力にもなれるようにと頑張っているだけですよ」
「普通は自分のことでいっぱいいっぱいになって、それすらも叶うかがわかんないもんなんだよ」
小さく息をつきながら、フォルテはそう言う。
「ですが、私たちは貴族です。それを叶えるだけの権力や資金力。そして、義務があります」
「……わかってるよ。昔から父さんや姉さんから口酸っぱく言われたからな」
「しかし、ナミュールとしての私は、それに反する行為をしました」
たしかに、今回ベアトリスが行った行為は、間違いなくナミュールという貴族の信用を侵す行為である。
それは、自分たちが守らなければならない民たちへの不義理な行為とも解釈することができる。
無論、それをベアトリスが理解していないわけもなく。
「だが、それでも姉さんはやった。それは、ナミュールとして、ではなく。この国に住まうベアトリスとして、の判断だったんだろう?」
「理解が早くて助かります」
フォルテの解釈に、ベアトリスは満足そうに笑みを浮かべる。
「俺は姉さんに比べて不出来だからな。国がどうとか、そんな規模のことなんか、全く手がつけられなさそうだけれども」
「フォルテは十二分に優秀ですよ?」
「姉さんに言われても気休めにしか思えないんだわ。……まあ、言われて嫌なわけじゃないんだけど」
どこか恥ずかしそうに頬を掻きながら、フォルテはそう言う。
褒められるのが嫌なわけではないし。それが、自身の憧れの存在から言われているのだから、嫌なわけがない。ただ、あまりにも姉との差を感じているからこそ、その言葉に現実味を感じられないだけであって。
ただ――、
「まあ、だからこそ」
そんなベアトリスが、フォルテのことを、頼ってくれているのだから。それに、応えたいと。そう思うから。
「ナミュールのことは、俺がなんとかするから。姉さんは自分のやりたいことをやればいいよ。たとえ、姉さんがちょっとしたポカをやらかしたとしても。それくらいなら、俺がなんとかナミュールを支えるから」
「ちょっとしたポカ、ですか。……ふふっ」
「なんだよ。わざわざ言葉を取り上げるんじゃないよ、恥ずかしい」
「いえ、やっぱりフォルテも成長をしたな、と。そう感じたので」
王太子との事実上の婚約の破棄と、それにまつわる様々な下馬評を。ちょっとした、なんて。そう評するとは、と。そんなふうに、考えながら。
「任せましたよ、フォルテ」
「ああ。自信はないけど。俺だって姉さんの弟なんだからな」
ニヘラ、と。笑ってみせるフォルテ。絶妙に弱々しい笑い方が、なんとも彼らしいと思える。
「それでは、私はお父様に諸々の報告をした後に、準備をしますので」
「準備? なんの準備だ?」
「引っ越しですよ。先刻も言ったように、私があまりナミュールに関わり続けるのは良くないので」
淡々とそう言い放つベアトリスに、フォルテは大きく目を見開く。
「嘘だろ? 姉さん」
「私が冗談を言うと思いますか?」
「いや、思ってないけど――」
「お父様から許可と。それから、別邸を借り受ける手続きも済ませています」
「……本当に、どこまで想定していたのやら」
呆れたように息をつくフォルテ。
別にフォルテ自身も、また、ふたりの両親も。たとえベアトリスがなにをしようと、泥を被ろうとも。彼女がこのナミュールの家に居続けることに反対する者はいなかっただろう。
ベアトリスからの迷惑を、嫌だと突っぱねることはなかったし。事実、現にそれを受け入れているので。家に居続けるかどうか、というところももはやある意味では誤差だとも言える。
だけれども。少しでもその迷惑を抑えようという。そのベアトリスなりの考えと、そして、ケジメとを。フォルテも、両親も。それを受け入れたのだ。
おそらくは、自身と同じく大きくため息をついているであろう父親の姿が目に浮かぶ。
なんだかんだとフォルテも親子なので、似た性分の父親の気持ちはよくわかる。
「……無理はしないようにな」
「ええ。もちろん、私のやれる範囲でしか、私は事を起こせないので」
「そういう意味じゃないんだよ、全く……」
相変わらずな姉の姿にフォルテは苦笑いをしながら、そのまま父親に会いに行く彼女を見送る。
(……そうか。また、しばらく会えなくなるのか)
姉の背中を見送りながら、フォルテは少し、寂しく感じる。
それが、自身の立場などを鑑みると、相応しくはない感情であるとは自覚していても。
……最初は、アデルバートとの婚約。王太子という存在との、予め決まっていたものだから、仕方がないと割り切っていた。
しかし、それが破談になって。それでも、姉はずっと遠くを走っていて。
正直、破談になったと言う話を聞いたとき。少しだけ良くない感情がフォルテの中に生まれたのは、否定しない。
それが、自身のためのも、ベアトリスのためにもならない、エゴに依るものだということも自覚しているから。
だからこそ。この感情は、しっかりとしまっておく。
「……でも、アデルバート殿下だけは、好きになれねえよなぁ」
公には、絶対に言えないけれど。
敬愛する姉を、事実上ではあるものの捨てた上に。その姉に敗者のレッテルを貼り付ける要因となった、その人物。
「見る目がねえよなあ……」
立場があるから、こうしてつぶやくまでしかできないけれど。