#34
あれだけの事件があったあとで、場も落ち着いた空気、というわけには行かないにせよ。ひとまず、一件落着、というところには落ち着いて。
つい先程では格好良く決めてくれていたマリーはというと、緊張の糸が切れたのか、別人かのようにワンワン泣きながらにベアトリスにくっついていて。
フォルテなんかも、同じくベアトリスのところに向かいたい気持ちがありはするのだろうが、公衆の面前ということやマリーがすでに占領しているということもあり、躊躇っている様子が伺えた。
「ああ、そうだ。ベアトリス嬢。少しいいだろうか」
マリーの頭と背中を撫でながらにゆっくりと落ち着かせていたベアトリスの元に、ギルスがそう声をかけてくる。
「ええ、構いません。どうかされましたか?」
「気になったことがあってな。ベアトリス嬢。君はこれから、どうするつもりなんだい?」
ギルスからのその質問に、ベアトリスは少し考える。
今回の一件が終わったことで、ベアトリスにとっての想定外はいくつかあった。
まず、自身が罪に問われなかった、ということ。これがなによりも大きい。
正直なところ罪からは逃れられないと思っていたので、その先のことについては考えていなかったということが正直なところである。
加えて、マリーとフォルテによる働きかけが大きかった、というのもあった。
正直なところ、今回のことでベアトリスは自身の名前にも。加えて、ナミュールという家名にも泥を塗る覚悟で進めていた。
だが、マリーは自ら様々な貴族や、その夫人や令嬢たちとの交流を深め、間違いなく、社交界の中にマリー派閥を作り上げていた。
そしてその中には、どうやらマリーがベアトリスのことを喧伝した層もあるらしく。なぜかベアトリスのほうが面識がないのに敬愛の対象として取られているまであるらしい。
そしてフォルテも、ベアトリスが帰ってくることを大前提に、両親と協力してナミュールの名前を強く保ってくれていた。
それも、ベアトリスのやりたいことを汲み取り。わざわざ、降りかかる泥を払わずに。むしろ、その泥を突き抜けていってくれていた。
そういう意味でも、想定外に。ベアトリスの居場所は、未だここに残ってくれていた。
「とはいえ、しばらくはあまり外聞が良くはないでしようしね。諸々が落ち着くまではおとなしくしておこうかと」
すぐ胸元で「そんなぁ」と残念そうな声を出すマリーだが。しかし、こればっかりは仕方がないことだろう。
今回の事件のことについては、ベアトリスは一切の罪に問われなかったが。しかし、それについて十分な理解をできている人は決して多くはない。この場にいる人たち以外だとほとんどいないと言ってもいいだろう。
そしてそんな中には、やはり様々な予測から噂を立てるような人たちもいる。
特に、今回の件はともかくとしておいても、依然としてベアトリスが婚約発表の夜会で行った宣戦布告のような発言は残っているのである。
そういう意味でも、アデルバートとマリーの立場がある程度固まるまでは、ベアトリスも表舞台に戻るのは控えておくほうがいいだろう、と。そう、思っていたのだが。
「それならば、いい案がある。特に、アデルバート殿下とマリー嬢のことについては」
そう言ってみせるギルス。ベアトリスが少し驚いていると、いつの間にやらある程度落ち着いていた様子のマリーが胸の中で楽しげに笑っていて。かと思うと、今度はフォルテが「俺はまだ認めてませんからね!」と息を巻いている。
アデルバートはというと相変わらず依然として面白そうなものを見るような様子でニコニコと笑みを浮かべていて。
「……なるほど。聞かせてもらってもいいでしょうか?」
おそらく、彼らの中で話がある程度進んでいたことなのだろう、と。そんなことを思いながら。
ぜひとも、その話を聞かせてもらいたくて。
「単純な話だ。特に殿下とマリー嬢とのことについては、まるでベアトリスが殿下との婚約を諦めていないかのように見えるのが問題なのだろう? つまり、ベアトリスが身を固めてしまえば、それでいい」
「それはたしかにそうですが。そのためには相手が必要でしょう?」
「ここにいる」
「…………はい?」
「相手ならば、ここにいるだろう」
一瞬、思考が固まった。
だが、なるほど。よくよく考えてみれば、そんなに難しい話でもない。ギルスの性格のこともあるし、言葉そのままに受け取って間違いはないだろう。
事実、ギルスも現状、伴侶がいない。ベアトリスと婚姻を結ぶことができる。
ただ、気になることといえば。
「私でよいのでしょうか」
ベアトリス自身、自分がそれほどにかわいらしい性格をしているとは思っていない。見目についてはありがたくも両親から良いものを受け継がせてもらったとは思っているが、性格はそれには相応していない。
加えて、ちょうど先程議題に上がっていたように、ベアトリス自身が現状、世間からすると腫れ物のようなものである。
ギルス自身も年齢が年齢なので身を固めたいという意図もあるかもしれないが。彼には見目も地位もあるのだから、わざわざベアトリスのような見え透いた爆発物を引き取らなくても良いはずだが。
「ああ。むしろ、ベアトリスがいい。君のような優秀な人物をこのまま表舞台から退場させるのは惜しいし。なにより、君ならば俺についてこれるだろう?」
そこまで評してもらえるのならばありがたい話ではあるが。とはいえ、それならばわざわざ婚姻まで結ばなくとも――、
「……まあ、ついで言うならば。君は十分な準備をしていたのだろうが、周りからすると突飛に、かつ、大きな行動を起こすということを今回で重々に理解したからな」
「それは……ええ、今回については、私自身無理をしたな、とは」
「君が自己犠牲をすると悲しむ人物は多いんだ。だからこそ、俺がそばで見ておく。必要ならば話してくれれば、協力もする」
そのためには、婚姻が都合がいいだろう、と。
なるほど、たしかにそうかもしれない。
「だから――」
「だああっ! 俺はまだ、認めてませんからね! ギルスさん!」
「……フォルテ」
割って入ってきたのは、弟のフォルテ。
ふすーっと息を巻きながらにベアトリスの前に立つと、ギルスを睨みつける。
「姉さんを助けることについては協力すると言いましたが、その点についてはまだ納得してませんから!」
話の流れを聞くに。おそらくは、ここまで加味で彼らの話が進んでいたのだろう。
だが、この婚姻についてはフォルテが未だに納得していない、と。
「では、フォルテ。他の代案を出せるか?」
「うぐっ……それを言われると……」
「まあ、ベアトリスお姉様に相応しい人物としてギルス閣下以外にいるかと言われると難しいのは私も同意見ですけど」
ベアトリスの胸の中は自分の特等席だと主張せんばかりに陣取っているマリーがそう言葉を挟んでくる。
「でも、ちょっとだけフォルテくんの意見もわからなくはないかなー、というのも私の思いです」
「そうだね、マリーがいうのもひとつ、もっともなことではある」
「殿下まで……」
ついにはアデルバートまで話に割り込んできて。
しかし、ギルスはどうにも困ったような様子を見せる。なにが足りていないのか、と。
かくいうベアトリスもわかっていない。事実、ギルスは十分な説明をしてくれたとそう思っているのだけれども。
「当人ふたりがこれなんだから、いいんじゃないか、と。そう思わなくもないんだけども」
「それは、そうかもですね……」
ギルスとベアトリスの様子を見たアデルバートが、苦笑いをしながらにそう言って。マリーもそれに倣う。
「俺は、俺は認めませんからね!」
フォルテは最後まで、ギルスに噛み付いていた。




