#31
それは、たしかに足掻きではあった。
ルシエラと言う人物の信用は、現在この場において地に落ちていると言っても過言ではない。
だが、それと同時に。ここに来ている人物たちは、ベアトリスの噂――彼女が侍女を殺したということについてを聞きに来た人物がほとんど。
一部ベアトリスの協力をするために集まっている人物もいるが、あくまでそれは少数派。
そもそも、罪を疑われている人物の味方としているのであれば、その発言力は同様に下がる。
……無論、なぜルシエラがベアトリスが殺したということを知っているのか、とか。そういうところを詰められれば、むしろルシエラの罪が重くなりかねないところではあるのだが。もはや、現状で極刑は免れない状態であるので、誤差である。
それよりかは、少しでも逃げ切れる可能性を。一瞬でも自身へと向く意識が減るようにと。
案の定、というべくか。
観衆たちの意識は、ベアトリスに向く。
「……たしかに、ベアトリス嬢の言葉を無条件に、ってのも違うよなあ」
「でも、ギルス閣下も言ってるんだよ?」
「でも、もともと内通してたっぽくね? てことはギルス閣下も仲間ってこと?」
もとより、噂話の好きな人物たちである。そこにこんな考察のタネを投げ込まれようものならば、その想像力の広がりは留まるところを知らない。
苦し紛れではあるが、これで、ベアトリスの言葉への信用は僅かではあるが、落ちた。
相対的に、ルシエラの状況も、わずかに持ち直す。
このまま、せめて逃げ果せるだけの隙を――、
「失礼。どうやら、私の話題のようですね」
会場に。そんな声が響いた。
当然。観衆の意識は、そちらに向く。
声がしたのは、マリーの方面。全員の意識がそちらに向いた今ならば、ルシエラがこの場から退散できるかもしれない、と。
ルシエラが行動をしようとしたとき。ふと、違和感を覚える。
声が、違う。たしかにマリーの方から聞こえた声なのだが。しかし、マリーの声ではない。
その違和感を拭いきれずに、ルシエラが振り返ると。
マリーのその後ろに立つ女性の姿が、いつの間にか、そこにはあって。
「おや。どうかされましたか?」
「――ッ!」
その、人物の顔に。放たれた言葉に。ルシエラは思わず言葉を詰まらせる。
そんなルシエラを待つつもりはないと言わんばかりに、彼女はマリーの後方から広間の中央へと、丁寧な所作で。しかしながや、迅速にやってくる。
「まるで、幽霊でも見たかのような表情ですね?」
「なぜ、あなたが生きているの。サラ。あなたは、そこよ主人に殺されたはず」
刺されたナイフを、斬られた腹を、床に溜まった血を。そしてなにより、止まった手首の脈も確認した。死んだ、はずである。
「ええ、確認されていましたね。間違いなく、私の手首を。しっかり、止まっていたでしょう?」
「なら――」
「ご存知ですか? 手首の脈は、止められるんですよ」
脇の下にうまく物を挟み込むことで、その先の血流を絶ち、一時的に脈を止めることができる。
あのとき、ルシエラは死亡確認として、ベアトリスから差し出されたサラの手首を確認した。
ベアトリスから、差し出されるままに、手首の脈を確認した。
そう。ベアトリスの指示のままに、手首の脈を確認させられていた。
あのときから、既に誘導されていたということである。
「でも、たとえあのときの脈を止められたとしても、あの腹部の傷は本物だったはず。あの血だって」
「ええ、本物です」
「なら、あのまま放置してしまえばどのみち失血死していたでしょう!? それなのに、なぜ生きて――」
「それこそ愚問でしょう」
たしかに、ルシエラの言うとおり、なにもしなかったならば失血死待ったなしである。
だが、それはなにもしなかったならば。
「あの場には、私ひとりではありませんでしたので」
「――――ッ!」
そう。当然ではあるが、ベアトリスがサラを殺した、と見せかけるために。あの場にはベアトリスがいた。
ベアトリスが、いたのだ。
そして、ルシエラがサラの死を確認したあと、サラの後始末をしたいとベアトリスが言い、ルシエラはその場を去った。
「そうですね。ドジなことにナイフで自身の腹に怪我を負ってしまった侍女に、ベアトリスお嬢様がお優しくも応急処置をしてくださった、とでも言えば体裁がよいでしょうか」
どう考えても無理筋のあるシナリオではあるが、しかし、そんなことはこの場において、どうだってよい。
なにより、今重要な事実は。
ベアトリスが殺した、とされていた侍女が。
殺されたどころか死んですらおらず、なんならこの場に立っている、ということ。
「サラ、随分と負担をかけてしまったわね」
「問題ありません、お嬢様。これが、私の仕事ですので」
あわや死にかねないような作戦に携わることは侍女の仕事ではないとは思うのだけれども。
しかし、そのおかげでベアトリスがうまく叛乱軍に取り入ることができたというのもまた事実であり。
「あなたのことを、叛乱軍の監視から逃がすには、これしかありませんでしたから」
ベアトリスたちが叛乱軍の存在を察知したとき。同時に、彼らからもサラの存在を知られてしまった。
現にルシエラがサラの存在を危険視していたように、諜報に係る彼女の能力は目を見張るものがあり、ベアトリスの手足としておいておくには、叛乱軍としても不安があった。
だからこそ、ルシエラはベアトリスにサラを殺させることで、ベアトリスを後に退かせないようにすると同時に、彼女の裏切りを可能にする存在を始末しようとした、のだが。
しかし、それすらも、利用されていた。
サラが死んだ、と思わせることによって。叛乱軍から、サラを逃して。
そして、その後はマリーのところで、ひっそりとその身を寄せていた。
マリーならば、サラと面識がある。彼女のもとに向かい、事情を話せば受け入れてもらえるだろう、と。
ついでに、噂話としてベアトリスとサラのことを聞いたマリーが不安に思うだろう、という考えもあった。
これで、ベアトリスの手足が、遠くではあるものの自由に動くことができる。もちろん、サラが死んだことを察知されてはいけないため、サラが大きく動くことはできないし、ベアトリスに直接関わりに来ることはできないが。
しかし、サラはベアトリスがなにをするつもりか、ということは把握している。それだけで、十分でもあった。
あとは、マリーを介してギルスやフォルテと協力をすればよいだけである。
……まあ、実際のところはマリーのところでもなにやら暗躍してくれていたようだが。むしろ、これについてはマリーに託してよかった、という話である。
つまり、全ての転換点は。
ベアトリスがサラを殺した――かのように見えた、あの瞬間。
あそこで、ルシエラが察知していれば、あるいは、加減を間違えて、サラが死んでしまっていたら。
いや、それよりも前。そもそも、サラを殺すように命じなければ――サラが叛乱軍の警戒リストから外れるようなことに、ならなければ。
未来が、変わっていたかもしれない。
けれど、それは。あくまでもしもの話でしかなく。
ここに広がっている事実が、間違いようのない今なのである。
「…………」
もう、打つ手がない、と。ルシエラは察する。
最初から、うまく使われていたのはこちらなのだと。痛いほど、思い知らされた。
目の前のベアトリスに。……あるいは、
ここから、遠く。こちらの様子を伺っている、アデルバート。彼の、手も加わっているのかもしれない。
(……本当に、厄介な人物を相手取っていたのね)
マリーを婚約者にする、だなんて。そんな気の触れたようなことをするから、世情もなにもわかっていない阿呆だろうと、そう、思っていたのだが。
どうやら力量を、大きく見誤っていたらしい。
(ただ、このまま引き下がってやるのも、味気が悪い)
もはや、足掻きなんてものですらない。
ただの、私的な自我を通すためだけの、横暴。
(ここまでうまく使われたのは、そうだろう。だが、それだけで終わるのは、負けた気がする)
現に負けてはいるのだが。それはそれとして、ただただ使われただけというのは、ルシエラの矜持にかかわる。
「ええ、認めましょう。私たちは、たしかに国に対して、反旗を翻しました。けれど――」
一矢くらいは報いなければ、この気持ちも収まらない。
「けれど。過程はどうあれ、ベアトリスが叛乱軍に所属し、陣頭で旗を持ち、ここに一団を招いた、というのもまた事実。そして、殺してはいなかったものの、侍女に刃を突き立てたのも、事実」
だからこそ、これは、私怨だ。
私怨からくる、ただの。道連れだ。
さあ、せめて。共に深くへ落ちようか。
と。他の誰でもない、ベアトリスに向けて、ルシエラが笑みを浮べようとした、そのとき。
「ええ。もちろん。もとより、そのつもりです」
ルシエラは、見誤っていた。
ベアトリスという人物の、覚悟を。矜持を。そして――、
「我々は、敗者です。国に攻め入り、そして、それが叶わなかった。なれば、勝者の花道を整えるのが、その務めでしょう」
敗北令嬢としての、立ち居振る舞いを。
 




