#26
しばらくして。ベアトリスが提案した作戦について、正式に採用されたことがルシエラから伝えられた。
最初に作戦を聞いたときには随分と渋っていたはずのルシエラであったが、今となっては態度が反転、作戦に対して非常に意欲的になっていた。
その理由は、ベアトリスにもすぐ理解できた。
(……さすがに、対応してきましたね。いや、それくらいに警戒心が高かったからこそ、今までしっぽすら見せなかったのでしょうが)
ベアトリスの大立ち回りによる立ち位置の変遷と、サラの決死の捜索があって、初めて存在に気づけた。そのレベルで、彼女らは普段、自身たちをなんでもないように振る舞っている。
同時に、ベアトリスの立ち位置がどちらとも取りづらかったからこそ。サラというベアトリスにとって最大級の手札であり、組織にとっての障害となりかねない存在をベアトリス自身の手で排させた。
「そういうわけだから。貴女には作戦の決行は伝えるものの、直前までの一切の情報共有を断たせてもらうわ」
「……わかりました」
ごめんなさいね、と。そう言ってみせるルシエラだが、その表情に申し訳なさは一切見えない。
なにせ、ルシエラがベアトリスを疑っている最大派閥である。
作戦は決行する。だが、直前まで情報の共有は行わない。
つまり、ベアトリスが内通している可能性を疑われているということだ。……事実、潜入しているのだから、そのとおりであるとしか言いようがない。
(やはり、なかなかままならないものですね)
思ったとおりには、ことは進まない。
こうして明確な対策を打たれる前に可能な限り組織でのベアトリスの立ち位置を上げておいて、多少の発言権や、あるいは扱いを蔑ろにされないようにと動いていたものだが。しかし、やはり相手も行動が早い。
これで、ベアトリスは作戦の詳細を自力で調べる手段を失った。サラのような自前の従者もいない現状である。
(ですが、やりようは、まだある)
最良の道筋は断たれた。それに準じる、いくつかの手立ても同様に。
が、相手の警戒度が高いことは承知の上だった。だからこそ、他の手も用意している。
もちろん、リスクもあるが。もはやこの際、言っていられる場合ではないだろう。
(ルシエラ伯爵夫人。……やはり、彼女が最も厄介ね)
ベアトリスから、決して目をそらそうとしてこない。
おかげさまで、行動が制限されっぱなしである。
ベアトリスが、後ろ手を組むと。ルシエラは目ざとく、それを見遣る。
普段の所作ひとつからこれか、と。思わなくもないが。しかし。
(だからこそやりようもある)
少しばかり見せつけるように。わざとらしく、腕を動かしてみせた。
* * *
「……ふう」
夜も更けた頃合い。ひとり、執務室の机に腰掛けながら、ギルスは息をついていた。
アデルバートあたりに見つかれば、こんな時間にまで、と言われそうなものだ。
「進捗は、決していいとは言えない。……が、確実に進んではいる」
マリー、もとい彼女の協力者が提供してくれた情報はとてつもなく大きく。かつ、方針を大きく固めることができた。
同時に、やはり影響として大きかったのは、マリーである。彼女の行動の活発性は、貴族たちの間での世論に大きく影響した。
おかげさまで、こちらに仕事のしわ寄せが来ていたりするが。
「……さて、もうひと踏ん張り、しますか」
良くも悪くも、賽は既に投げられている。まだ、空中で回転している段階ではあるが、ここでのんびりしていると手遅れになりかねない。
改めて気を入れ直したギルスが目の前の案件に向き合おうとした、その瞬間。
コンコンコン、と。入り口の扉がノックされる。
ギルスがそれに応えを返すと。丁寧な所作でリゼットが入室してくる。
「こんな夜更けにどうした、リゼット嬢」
「すみません。ソフィアちゃんから、ギルス閣下が最近夜まで忙しくお仕事をされていると聞いたもので」
彼女が提げている籠からは、ほのかに紅茶の香りが漂ってくる。
彼女の入室を許可するとともに、ギルスは手近な資料のうち、見られるとまずいものをひきだしに片付けていく。
近づいてきた彼女は「よろしいですか?」と許可をとってから、机の空きスペースに紅茶の準備と。それから、籠の中に入っていたサンドイッチとを用意する。
「そろそろ、小腹が空く頃かと思いまして」
「……ああ、助かる。しかし、こんな時間に大丈夫か?」
「はい! キチンとこちらに入らせていただく許可はいただきましたので」
それもたしかに必要ではあるが、ギルスとしては別のことのほうが気になっているのだが。
まあ、彼女が大丈夫だというのであれば、その言葉を信じておこう。
「しかし、ソフィアちゃんから聞いていましたが。こんな時間まで。……表現としてはいささか直接にはなりますが、お忙しいのですね」
「まあ、リゼットも知ってのとおり、世論がかなり荒れているからね。その対処に追われている」
このくらいならば、世間話の範疇である。
「今はどのようなことをされているのですか?」
「……答えるのが難しいな。どうしても、伝えられることと伝えられないことがあるから」
「あら、それは私の信用が足りないから、ということでしょうか? だとすると、少し悲しい気もいたしますが」
リゼットのその言葉は、月明かりに照らされた彼女の表情も相まって、どこか儚げに映る。
「信用云々というよりかは、内部外部という話だな。君だって、レーヌ伯爵家の内情をおいそれと他人に話すわけにはいかないだろう?」
「それはそうですわね。……まあ、そうだとしても、ちょっぴり仲間はずれな気分がしないわけでもないですが」
とはいえ、これに関しては致し方ない。
情報統制に対する理解度、という側面では間違いなくソフィアよりもリゼットのほうがリテラシーがある一方で。しかしながら、ではギルスから今回の件に関する情報で、より多くを開示できるのはソフィアの方である。
こればっかりはそれぞれの立場と、それに対する裏付けの有無という話である。
「……なるほど。では、ギルス閣下。もし、しばらくの間、こうして夜遅くまで作業をされるようなのであれば、こうしてまた、お夜食を持って来てもいいでしょうか?」
「俺としては別に構わないが。しかし、リゼットに利がないのではないか?」
ここまでの流れや彼女との過去のやり取りから、ある程度察するものがなくはないが。しかし、念の為に聞いておく。
「ふふふ、私としては、こうしてギルス閣下とほんの少しのおしゃべりの時間をいただけましたら、それで十分ですの」
「……そうか」
それならば、まあ、構わないだろう。
作業に対してそれほど支障が出るわけでもないし。
それで夜食を用意してくれるというのならば、ギルスにとってはありがたい話である。それ以外にも、利点がないわけではないし。
ギルスが彼女の提案に対して肯定の答えを返すと。リゼットはパアアッと顔を明るくさせて、それでは明日からもよろしくお願いします。と。
よろしくお願いするのはどちらかというとギルスだとは思うのだが。まあ、いいか。
持ってきた籠を再び手に持って、リゼットが帰ろうとする。
途中まで送ろうかと提案をしたギルスだが、彼女は大丈夫です、と。
……正直、こんな夜更けにという気持ちもなくはないが、どうやら従者が控えてくれているとのことで大丈夫なのだとか。
「では、気をつけて」
「はい。ギルス閣下も無理をなさらぬよう」
ペコリと頭を下げたリゼットを見送って。ギルスは、ゆっくりと顎を撫でる。
「……さて。本当にどうしたものかな」
現在抱えている案件。その対処を考えつつ。
席に戻ったギルスは、リゼットが用意してくれたサンドイッチを片手に作業を再開した。