#15
「……ええっと?」
ギルスから呼び出され、指定のサロンに入ったフォルテは、中の様子を見て首を傾げた。
てっきりギルスがいるものだと思っていたのに、そこにいたのは見知らぬ女性だったからだ。
困惑しているのはどうやらフォルテだけ、というわけでもない様子で。彼女も同様に、フォルテの入室に慌てているようだった。
「俺は、ギルス閣下から呼ばれてここに来たんだけど」
「あっ、わ、私もです!」
どうやら、お互いに事情は同じ、とのことらしい。ただ、どうにも呼び出した当人が未だ来ていないという事情らしいが。
初対面かつ異性という絶妙な気まずさもあり、言葉を詰まらせていると。しばらくした頃合いで、このやりにくい空気感を作り出した間接的な元凶ことギルスが入室してくる。
「すまない、少し遅れてしまった」
どうやら急いで来たというのは真実らしく、ギルスは少々呼吸を乱しながらに謝罪の言葉を述べる。
他に人がいるのなら先に言っておいて欲しかった、などの言いたいことは無くはないが。まあいいか、と腹の中に収めておく。
「それで、今回はどういう要件で俺と。……それから、ええっと」
「ソフィアです!」
「ソフィアのことを呼んだんですか?」
言葉を詰まらせるフォルテからの視線を感じて、ソフィアはピンと腕を上げながら、名乗ってくれる。
「呼んだ目的としては、単純な話ではある」
そう言いながら、ギルスは大雑把に状況を説明してくれる。
曰く、フォルテもソフィアも、現在のギルスの協力者であるということ。そのため、顔合わせをしておいてもらいたかったという点。
そして、ソフィアの現在行っている噂の流布について、フォルテにも手伝ってほしいためである、と。
「噂の整合性を取れるようにするためには、直接にやり取りする必要性があるだろう?」
「まあ、それについては否定しませんけど。思ってたよりも……いや、これはいいや」
小賢しい手段を取るものだ、と。そう、少し感じていた。が、言わないことにした。
曲がりなりにもギルスは宰相閣下なわけで。下手な言葉を吐くのは利口ではないだろう。……ちょっと口に出しかけたし、その関係で表情にもおそらく出てしまったのは、完璧に失態だった。
「まあ、私自身。周囲からの評価としてそういう手段を好き好んでする性格ではないということは自覚しているよ」
半端に漏れた声と表情から、ある程度フォルテの言いたいことを察したのであろう、ギルスがそう言ってくる。
苦笑いを浮かべるしかないフォルテの対面では、のんきに「へぇー」と、文字通りの受け取り方をしているソフィアがいた。
どうやら、彼女の立場はギルスの直属の文官のひとり、というところらしい。……それにしては、ギルスがフォルテに対して暗に放った意図を孕んだ言葉を理解できていなかったりしている側面はあるが。いや、だからこそむしろうまく立ち回れているのか。
「まあ、らしくない、と言われてしまえばそのとおりなのだが。確実に備えていかなければ対抗できる相手でもない、というのもそうだろう?」
小さく笑ってみせるギルスに、フォルテは同意をする。
現在、ギルス……もといフォルテやソフィアが対抗をしようとしているのは姉であるベアトリス。
稀代とも言える鬼才を持っている、常人離れした政治力の人物である。
「状況は大方把握しました。とは言っても、前回も言ったように、基本的には俺は閣下に協力するスタンツではありますが」
「ああ、助かるよ。……なんだかんだで、ベアトリスのことをよく理解しているのは君だろうからな」
要は、ベアトリスのことをよく識るフォルテに、ソフィアの噂の調整役をさせたい、という話である。
それだけであればベアトリスへの理解度という意味では劣るものの、盤面の把握度については大きく優っているギルスでも役割は担えるだろうが。
しかし、今回の噂とそれに伴う影響を考えるならば。ギルスには、別の役割がある。
そして、そちらにリソースを割きたい、ということであろう。
そういうことならば、たしかにフォルテが代行するのが合理的であろう。
「そういうわけだから、しばらくよろしくね、ソフィアさん」
「はい、よろしくお願いします! フォルテさん!」
ぺかー、と。好い笑顔を見せながらに、ソフィアがそう言ってくれる。
素直なことは好いことではあるだろう。少なくとも、この場においては。
「……そういえば、フォルテさん。どこかで見たことがあるような気はするんですけど」
「ん、俺のことをか? ……まあ、姉さんと違ってあんまり表には出てこなかったから、印象に薄いのはそうかもしれないな」
そのフォルテの言葉に首を傾げているソフィア。小さな声で「姉さん?」と。
「ああ。俺の名前はフォルテ・ナミュール。ちょうどさっきまで話に出ていたベアトリス・ナミュールは、俺の姉だ」
「……へ? って、えええええええっ!?」
目をまんまるに丸めて。口をあんぐりと開いて。ソフィアは大きく驚く。……まあ、ベアトリスと違ってフォルテは社交界での知名度はそれなりなので、と。そう解釈しようとしたが、どうやらギルス曰く、そういうわけではないらしい。
本当に、ただソフィアが単純に気づいていなかった、ということと、それに伴って、そういえば貴族が相手だった、ヤバい。となってるのが半分。
そしてもう半分は、どうやらソフィア自身がベアトリスのファンとのことであり。そういう関係上で大きく驚いている、とのことらしい。
……つまり、ここにいるフォルテもソフィアも、ギルスがベアトリスに対抗するために集めている協力者なのだが。ふたりともがふたりとも、ベアトリスのことが好き、だということになる。
それでいいのか、と。そう感じなくもないが。まあ、それを判断するのはフォルテではなくギルスなので、いいのだろう、おそらくは。
* * *
「ギルス閣下ってば、ほんっとーに、びっくりしたんだから……」
その日の帰り道、ひとりでとてとてと歩きながらにソフィアはそんなことをつぶやいていた。
誰か他の人を呼ぶのであれば事前に教えておいてほしいものだったし。まさかその人が貴族であり、なんなら、ベアトリスの弟であるということを、それなりに仲が良くなってから突然に告げられるのだから驚く他ない。
……まあ、ベアトリスと姉弟関係にあることはわからずとも、あの場に呼ばれているということを鑑みるならば、貴族である、という予測くらいならまだつきそうではあった、というのは気にしないことにしておく。
「でも、どうして急にフォルテさん……様にも声をかけたのだろう」
誰もいないから大丈夫だとは思うが、思わず、最初のときの呼び方が残ってしまっている。当人は好きに呼んでくれていいと言っていたが、そういうわけにもいかないはずである。
「やっぱり、私ひとりじゃ頼りないのかなあ……」
つーん、と。唇をとんがらせながらにそんなことをつぶやく。
ちょっとしたギルスへの抗議と。それから、自分への自戒。
先日、やる気を出して頑張った結果、むしろ仕事を増やしてしまったのは記憶に新しい。私だって、役に立てるってことを示したいだけなんだけど。
「でも、これ以上で私にできることって……」
ギルスは、アデルバートとマリーの味方となるべく人物を探すために噂を流した、と。そう言っていて。
あまり強くないと自覚している頭をぐるぐると回しながらにソフィアが考え込んていると、
「あの、少し良いでしょうか」
「ふぁい!?」
突然、話しかけられてしまって。思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
驚きながらにソフィアが振り返ってみると、そこには貴族令嬢だろうか。歳としてはソフィアと変わらないくらいの身なりの良い女性が立っていて。
「たしか、ソフィアさん、でしたっけ? 少し、あなたと話したいことがあるんですけれど」
にこりと笑いかけてきた彼女を前に。
ソフィアは「なんでぇ?」と。心の中でつぶやいていた。