#13
「あのーぅ……」
執務中。ギルスに対して、申し訳なさそうな表情で、話しかけてくる声がした。
ギルスが顔を上げてみると、そこにははたして話しかけてよいものなのかと、迷いながらやってきたことがわかりやすく表情に出ているソフィアが立っていた。
「大丈夫だ、どうかしたか?」
「ええっと、その。なんか、宰相閣下の様子がいつもと違うので、どうかしたのかなあって」
あはは、と。頬を軽く掻きながらにソフィアがそう言ってくる。
「……まあ、否定はしない」
「そうですよね、そうですよね。閣下のことですし、私の勘違い――って、ええっ!?」
「なにをそんなに驚いている。心境の変化があったというだけの話だろう」
ソフィアが目を丸く、大きく広げながらに驚愕をする。よく見れば、他に業務を行っている文官たちもこちらに視線を向けながらに驚いた様子を見せている。
意識がこちらに向いていることについてはあまりよろしいことではないだろうが、まあ、それについては今はいい。それよりも、なぜそこまで驚かれるのか。
「ぎ、ギルス宰相の心境が変わるって、いったいなにがあったんですか?」
「……まあ、早い話が。ソフィアたちも以前話していた、ベアトリスに関する一見ではあるんだが」
ギルスのその言葉に、ソフィアは「うっ」と苦い顔をした。別に多少の噂話程度ならば業務に支障のない範囲で行っていても別に構わないのだけれども。ただ、以前のその対応が、どうにも詰められているように感じてしまったのだろう。
「でも、たしかギルス宰相って、あの話を受けてもそんなに強くなにかを感じたー、って感じでもなさそうでしたし。それに、どちらかというと噂話とかはあんまりしない方では?」
「俺自身が下手な情報を拡散させないために噂話自体をあまりしないというのは事実だが。別に噂話自体を収集しないわけじゃないぞ。噂話だって、立派な情報の供給源だ。もちろん、精査は必要だが」
噂話ほどに真偽の混濁した情報もまあ無いが、同時に、種がなければ樹木も育たたない。噂が立つということは、そこに元となるなにかがあったはずではあるのだ。
無論、根拠もなにも無いような、ただの悪意からできている噂もあるが。しかし、そうであっても悪意という種が、そこにはたしかにあるわけで。
存外に、噂話自体も参考にはなるのだ。
そんなギルスの説明に、ソフィアは「ほえー」と、感心した様子ではあるものの、間の抜けた声を出していた。
こいつは、これで大丈夫なのだろうか、と。少し不安になってきてしまう。
「それで、宰相閣下は結局のところ、ベアトリス様のお話を受けてどういう心境の変化をしたんです?」
「……案外、踏み込んでくるんだな、ソフィア。いや、別にこれといって隠すようなことでもないから、構わないといえば構わないのだが」
「えー、だって気になるじゃないですか!」
気になったとしても、そんなに直接に聞きに来るものなのだろうか、という話なのだが。
まあ、良くも悪くも裏表無く、真っ直ぐにこういう話をできるところがソフィアの性格なのだろう。なんだかんだ、文官の中では手が止まることも多い彼女だが、同時に、最終的な業績という意味ではかなり上位に食い込んできているのもそういうところではあるだろう。
「主にはふたつだな。ひとつは、皮肉な話ではあるが、彼女が世情をかき乱してくれたおかげで、いろいろと是正すべき点が見つかった、というところだ」
ベアトリスが世論をめちゃくちゃにしてくれたおかげで、今までそこに沈んでいたような意見なども皮革的表に見えてくることもあったし、同時に、普段では周りの笠に隠れていて見えていなかったが、やや苛烈ではないか、というようなことをしている手合も見つかったりした。
それ以外にもいろいろな、現状での問題点が見えてきたりしている。
「もちろん、これについて。ベアトリスのやり方が正当である、とは言わない。別のやり方があるのならばそうであるべきだろう。とは思うが」
「すごいですよねぇ。なんか、今の話を聞いている限りだと、本当にベアトリス様がこう、ダークヒーロー? みたいな感じで。……いや、女性だから、ダークヒロイン?」
かっこいい、と。キラキラと顔を輝かせながらに言うソフィア。そういえば、彼女は前回の噂話をしていたときも、かなりベアトリスに興味を示していたか。
「ソフィアはベアトリスに対して憧れがあるのか?」
「はい! 私、ベアトリス様みたいなかっこいい女性に……あっ」
ソフィアはそこまで言ってしまってから、自身の発言の内容を客観視できたようで。サアッと、その表情を青くする。
現状、あまりよろしい立場とは言えないベアトリスのことを、曲がりなりにも宰相付きの文官が賛美した、という行為は、少なくとも褒められたものではないだろう。
それに気づいたからこそ、ソフィアをはじめとして。他の文官たちも、わかりやすく「まずい」という空気感を醸し出していた。
「……まあ、公式の場で扇動しようとか、そういう目的を持って言っているのならばそれは咎めるが。別にここでは個人の趣向の話の延長線でしかないからな」
誰それがかの人のことを好きだとかどうとか、そういうことを話しているのと、大きくは変わらない。……そもそめ、若干ギルスも発言を誘導したきらいもあるし、別に咎めるつもりはない。
……まあ、ソフィアのこの性分自体は少々危ういので、それについては治すべきだろうとは思うが。
「でも、ベアトリス様の動きが理由でいろいろな問題点が浮上してるんですねぇ」
「ああ。しかしそれについてはソフィアも感じていることだろう?」
「えっ? ……ああっ、もしかして最近の仕事が多いのはその都合ですか!?」
無論、問題が見つかったのならば、優先度はもちろんあるとはいえ対処しないわけにはいかないわけで。すなわち、仕事が増えることと同義、なのだが。
まさか、気づいていなかったとは。
「コホン。とりあえず、話を戻そうか」
「……はい」
どこかまだしょげた様子のソフィアを前に、ひとまず、ギルスは元の話へと軸を移動させる。
「それで、俺の心境の変化のもうひとつだが。……先程の、問題点が複数見えてきた、というのは具体性があってわかりやすい事柄な一方で、こちらについては少し抽象的で、俺自身まだ正確には言葉に表せてはいないんだが」
そう、前置きながらに。ギルスは少し考える。
「役割……について、少し考えることがあってな」
「役割、ですか?」
ソフィアが、こてんと首を横に傾げる。
「ああ、役割だ。……配役、と呼んでもいいかもしれないな」
「配役ですかあ。まるで舞台みたいですね」
「……あながち、認識としては間違っていない」
たとえば、アデルバートには、王子という立場があり。周囲からはそう在ることを期待されている。
言い換えてみれば、アデルバートには王子という配役が割り振られていて、そう演じることを望まれている。
もちろんこれに従うか従わないか、ということは本人の自由ではあるのだけれども。
ただ、役割を割り振られる、ということは。少なくとも割り振った当人からしてみれば、なんらかの恣意があるはず。
つまり、筋書きを書いた人間からしてみれば、そう在って欲しい、と。そう願っている理由があるはずだ、と。そう考えられる。
「それこそ、今回俺に話しかけに来たのがソフィアであったようにな?」
「……えっ?」
きょとんとしながら、あまり要領を得ていないソフィア。しかし、そのずっと後方、机に向かって作業をしている風を装いながらにこちらへと耳を傾けている文官たちの一部は、その言葉にビクリと身体をびくつかせた。
どうせ、おおかたあまり考えずに突っ込むというソフィアの性格を利用して、こちらの様子をうかがいたかったのだろう。
……全く、気になるのなら自分で聞きにこればいいものを。
それで受けるソフィアもソフィアではあるが。
「都合よく、使われないように気をつけろよ?」
「……はい、わかり、ました?」
やはりあまり状況を理解していないらしいソフィアは、不思議そうにしながらそう答えていた。