#1
ベアトリス・ナミュールは、敗者だ。
それは、この夜会の場ではより顕著に表れることだろう。
「よくもまあ、出てこれたものですわね」
「きっと恥であるとか、そういうものは持ち合わせていないんでしょう」
令嬢方のクスクスという冷笑がベアトリスの耳にまで届いてくる。無論、聞かせるつもりで言っているのだろうが。
そういった言葉の数々を気にも留めず、ベアトリスは会場の中を闊歩していく。
銀糸のように輝く髪をたなびかせながら歩く姿は、周囲からの下馬評とは対照的に、凛として真っ直ぐであった。
「アデルバート王太子の入場です!」
堂々としたその宣言とともに、会場が大きく沸き立つ。
今日の夜会の主催であり、主役の登場だ。
切れ長な目尻に、落ち着いた紫の瞳。
短くも整えられた金色の髪を携えたアデルバートは、柔和な笑みを浮かべながらに、挨拶に来た周囲の貴族たちに応対していく。
(……本当に。よくも悪くも、人がいい)
ベアトリスは心の中で呟きながらに、アデルバートを中心とする人だかりへと歩みを進めていく。
ベアトリスの立場を知っているからか、あるいは、彼女の持つ雰囲気に気圧されてか。周囲の貴族たちが一方退く。
拓けた道をベアトリスが歩いていくと、やはりというべきか、優しい笑顔でアデルバートはベアトリスに接してくる。
「やあ、久しぶりだね。ベアトリス・ナミュール侯爵令嬢」
「お元気そうでなによりです。アデルバート殿下」
カーテシーをとり、ベアトリスはアデルバートに挨拶をする。
その瞬間、周囲からは小さくないざわつきが沸き起こる。
それらの本意は、不安か、嘲笑か。あるいは――、
「ベアトリス。君も知ってのとおり、今日の夜会は僕の婚約者を発表する場でね。早速ではあるんだが、君も含めてここにいる全員に紹介させてもらいたいと思う」
アデルバートのその言葉と同時。周囲から歓声が挙がったかと思うと、彼の後方から女性が一人現れる。
ふんわりとした亜麻色の柔らかな髪の毛を持ち、まだどこか幼さを残しつつも整った顔立ち。
ベアトリスが、とてつもなく、見知った顔である。
「マリー・ベルティエ子爵令嬢だ!」
紹介されたマリーは、緊張からか一瞬ぎこちない動きになりつつも、しっかりと周囲の貴族たちに向けて挨拶を執り行う。
そうしてくるりとあたりを見回していくさなかで、ベアトリスと目が合う。
瞬間、マリーはピタリとその身体を止め、どこかバツの悪そうな表情で「お姉様……」と、小さく呟いていた。
そんなマリーの様子に、ベアトリスは渋面を浮かべる。
相も変わらず、周囲からの言葉は聞こえている。
それらは、当てつけのようにベアトリスへと投げかけてきているものだった。
「噂は本当だったみたいね」
「たしかあのマリーって子、ベアトリス様が付き従わせてた子なんでしょ?」
「そんな子に抜け駆けされただなんて、笑っちゃうわね」
「まあ、普段からあたりが強かったみたいだし、当然の結果なんじゃないかしら?」
――そう。ここにいるマリー・ベルティエを、王太子の婚約者という座を手に入れた勝者だとするならば。
ベアトリス・ナミュールは、紛うことなき敗者だった。
◇ ◇ ◇
ベアトリスは、当初アデルバートの婚約者となるはずだった。
とはいっても、これは公式なものではなく。あくまでナミュール家と王家との間だけで進められていたもので。それと同時に、半ば公然の事実として知られていたような話でもあった。
ただ、当人であるベアトリスやアデルバートにとっては心構えの必要であろうということで、それなりの便宜が図られていた。
そうした都合でベアトリスはアデルバートと頻繁に面会していたのだが。互いに二人きりとなると体裁が悪いということもあり、他にも同席している人物が複数いた。
そのうちの一人こそが、マリーであった。
元々ナミュール領とベルティエ領とが隣接しており、家としても、またベアトリスとマリーの個人としても交流があったために、ベアトリス側の友人としてマリーは参加していた。
そうして交流会を経ていくうちに、ベアトリスはあることに気づいた。
どうやら、アデルバートはマリーに対して気がある様子で。同時に、マリーもアデルバートに対して恋慕を抱いているようだった。
それからというもの、アデルバートとマリーは、ベアトリス抜きでの逢瀬を始めるようになった。
歯は関所にはなり得ないとはよく言ったもので、噂というものはとてつもない勢いで波及する。
それが権力者のイロゴトともなれば、その勢いは更に増す。
アデルバートとマリーが懇ろである。という話は瞬く間に広まった。
それと同時に。ベアトリスは従えていた格下の令嬢に、婚約者を奪われた敗北令嬢である、とも。
◇ ◇ ◇
「あの、ベアトリスお姉様……」
「マリー、この場ではその呼び方はやめなさい」
「あう……ご、ごめんなさい……」
ベアトリスと面を向かい合わせたマリーはどもり気味になりながら話しかけてくる。
「そういうところもよ。ほら、しゃんと背を伸ばして立ちなさい」
曲がりなりにも今宵の主役なのだから、縮こまるような姿勢は許さない。
ベアトリスに言われて、マリーは慌てて背筋を伸ばす。
「でも、その。ベアトリスおね……ベアトリス様。あの、周りの人たちが言ってるアレは――」
「勝敗については間違っていないでしょう? マリー。あなたは私から勝利を勝ち取ったのよ。それを誇りに胸を張りなさい」
マリーがなにかしらを進言しようとしてきたものをベアトリスは言葉で制する。
また背を丸めこもうとしたマリーに、ベアトリスは「背」と短く諌める。
「それに、あんな戯言。気にするまでもありません」
「……えっ?」
「負けたからなどという些末な理由で、私が萎縮して壁の花になったりこの場に参加しなくて、誰の得になるのでしょうか。……失礼、他人の不幸話でしか愉悦感を得られないような方々には得になるのかもしれませんね」
マリーが先程から気にしていた声に、少し声を張り上げながらに直接に釘を刺す。
チラとベアトリスが周囲を確認してみれば、悔しそうな顔をしている集団がちらほら。それほどに言いたいことがあるのならば、陰からではなく直接に言いに来ればいいのに。
……まあ、その度胸がないから、指摘されても聞き間違いではないかという誤魔化しの効く夜会の場で言ってきているのだろうが。
「それから、マリー。あなたも、自身の立場を自覚しなさい」
「そ、それは。ベアトリスお姉様、えっと、どういう――」
「アデルバート殿下も。弱みになりかねないところを作ったのならば、足元を掬われないようにご注意を」
「ああ、勿論だ」
「私は、自身の夢を諦めたつもりではありませんので」
ベアトリスの放ったその言葉により、会場にどよめきが走る。
挨拶をして、ベアトリスは二人の前から退く。
マリーはまだなにか聞きたいようでベアトリスのことを引き止めようとしたが。ベアトリスはそれに足を止めることもなく会場を歩いていく。
発言は、個人に解釈され。そして、波及していく。
本人の意思が推測の範疇を超えない以上、言葉の本意は無視され、聞き取り手の自由な考えによって。
それは例えば「敗北令嬢が王太子の婚約者に対して宣戦布告をした」というような形で。
あるいは「婚約発表の夜会にて敗北令嬢が奪われた婚約者を取り返すと宣言した」と。
ベアトリスは、それらの噂に対して。少し、安心する。
大衆は。狙い通りに誤解してくれたらしい。
マリーはどうやら状況を解釈できていなかったが、アデルバートはベアトリスの行動を理解できているようだった。
元より、アデルバートは頭は切れる人物である。ただ、あんまりにも優しいことと、動くための勇気が足りない人物であった。
そんな彼が、マリーと婚約したいと両親――国王と王妃に直談判しに行ったことについては、ベアトリスとしては高く評価している。
だが、それであっても。依然として優しいが過ぎる。……だからこそ、優しく純粋なマリーに惹かれたのだろうが。
そう。この二人は、あまりにも優しすぎる。
美徳ではあるものの、それと同時に為政者としては付け込まれかねない甚大なる弱点だ。
更には、マリーは子爵の出だ。家格からしても、あまりにも大きな弱みとなる。
アデルバートはそれでも彼女を守るという意志であの場に立っているのだろうが。だが、優しさだけでは守れない。
だからこその、ベアトリスの立ち居振る舞いだった。
あの言動で、ベアトリスはマリーの座を狙っている。あるいはアデルバートごと権力の転覆を狙っている、という認識が広まったことだろう。
そうなれば、そういう手合が――マリーとアデルバートにとって懸案すべき存在がベアトリスへと近づいてくる。
(決して、邪魔させるものか)
ベアトリスとて、夢を諦めたわけではない。
この国を良くするという、その夢を。
マリーとアデルバートなら。優しすぎるほどの二人ならば。きっと叶えられるだろう。だから――、
「敗者ならば敗者らしく。背を伸ばして凛と立ち、真っ直ぐに拍手を以て褒め称える。それが、勝者に対する最低限の礼儀でしょう」
二人の幸せな未来のために。
ベアトリスの夢のために。
勝者には、花道があって然るべきだ。
ならば。その道を整えるのは、敗北令嬢たるベアトリスの役目であろう。
というわけで、見切り発車的にはなりますが本作を連載していこうと思います。
他の連載の都合などもある上に突発的に始めていることもあるので連載が安定するかはわかりませんが、できるだけ毎週更新の形は取れるようにしたいと思います。
よろしければ、ブックマークや下にある☆☆☆☆☆などを押して応援していただけますと嬉しいです!