血染め神社の瑠璃音
少し遠出した折に、占い師の師弟を見つけたので観察した。
「ええか、不安な時ほど、赤色を絶やしたらあかんよ」
と、師匠、赤紫に幾度となく言われるその言葉に、弟子、瑠璃音は飽き飽きしている様子だった。
よくよく話を聞いてみれば、妙な気配がする場所に塩をまくように、蚊が飛ぶ場所に蚊取り線香を置くように、赤い色で線を引いた場所から内には、悪いものが入ってこないと、赤紫は信じているようだ。
それで、いつもしこたま持ち歩いている紅のいくつかを瑠璃音にも分け与えているらしい。
赤色が魔除けになる理由は火の色と似ているためなのだから、蝋燭でも置いていた方がよほど良いのではないかと言った瑠璃音だったが、寝る間にそれでは危ないし、せっかくの紅を腐らせてはもったいないと思ったのだろう、言われた通り、時折部屋の隅などに使うようにしていた。
そんな瑠璃音と赤紫は、悪霊を祓う祓屋という訳ではなく、悪霊に遭いやすい葬儀屋という訳でもなく、往来の片隅で占いをしている占い師の師弟だった。
占い師なので、当然未来が見える。
人々はそういった不思議な力を抱えて生きる者を魔女や魔法使いと呼ぶものだが、その不思議な力は大抵、不思議な品物を拾ったとか、ある神社に御百度参りをして賜ったとか、生まれつきではないものが多い。
それ故に、人々は知りたがるのだろう。
魔女や魔法使いの魔法の力の根源を、自分にも手の届く場所にあるかもしれない、その不思議の在り処を。
しかし瑠璃音と赤紫のそれは違った。
生まれついてのものだったのだ。
だからむしろ、二人は不思議の在り処を追い求める側についていた。
天に二物を与えられる事もあるかもしれないと言いながら。
ある日、他人の心を悟れるというお客がやってきて、赤紫がその未来を見てやるやいなやほとんど何の会話もせずに立ち去ろうとした。
赤紫はそれを引きずり戻して、どこでどうやってその力を得たのかを代金として占った。
呆れながら座り込んでいたお客は、どうやら悟り神の神木の実を食べて力を得たらしい。
「悟り神に気に入られぬ者は逆に祟られてしまうぞ」
と、お客は忠告したが、赤紫は瑠璃音を店番に置いて、悟り神の社へ出向いていった。
そうして、いつまで待っても、ついに赤紫は戻ってこなかった。
「やはりお師様は祟られてしまったのかしら」
二日後の朝、一人だけお客を相手してから、瑠璃音は旅支度を始めた。
口うるさく、がめつく、人使いの荒い養母だったが、それでも尊敬する師である。
瑠璃音は赤紫を探しに行く事にしたのだった。
まず瑠璃音は赤紫の行方を占う事にした。
占い札をめくると、猪の札が出た。
「無条件に己が直感を信ずるべし」という意味の札である。
そこで瑠璃音は、悟り神の社へ向かった。
その道のり自体に大した難は無く、とてもそこで何かあって行方知れずになれるとは思えない。
そうして社にやってきて、真っ先に出会った巫女は、社に仕える前から瑠璃音を知るおしゃべり好きの娘で、瑠璃音を見るやぱっと明るく微笑んだ。
「あらぁ瑠璃音ちゃん久しぶりねぇ、もう十二になった頃かしら?何か願掛けしに来たの?」
「お師様が悟り神様のお社へ行くと言って、行ったきり帰って来ませんの、十八くらいの姐さんを見かけなかったかしら?」
とたんに空気がヒヤリと張り詰めた事に、瑠璃音は気付いた。
「いいえ、見てないわ」
巫女の困り顔が作られたもののように、私には見えた。
「そう、ありがとうございます。せっかくなので参拝させて頂きますわ」
瑠璃音は手水で手と口を清め、参道の端を歩き、鐘を鳴らして、賽銭を入れ、二つお辞儀をして、二つ柏手を打ち、もう一つお辞儀をすると、振り向いた。
先ほどの巫女がずっと見ていた。
ほうきを手にしながら、動かしていない。
「思い出したのだけど」
と、巫女。
「今度、釵姫様のお茶会がここの庵で行われるの、招かれていなくても参加出来るのよ」
瑠璃音は少し迷ってから。
「そうなの?ぜひ参加しますわ!」
と、返事した。
この社に関わり続けなければ、師を見つける事は出来ないと直感したのだ。
社を立ち去り、社の近くに宿を取った瑠璃音は、勇気を振り絞り、占った。
「師匠は今頃酷い目に遭っていないか?」
すると、ハズレを意味する白地に冬を意味する桐が咲いているだけの札が出た。
「これ以上ないほど何もない」という意味の札である。
瑠璃音は震える手でもう一度占った。
「師匠は今頃酷い目に遭っているか?」
すると、舞台付きの桜の札が出た。
「大当たり」の札である。
悟り神の社の階段の麓に張り出されたお茶会の時間は、夜中だった。
当日になり、夜闇の中、急な階段を登り始めた瑠璃音の後ろから、わん、と吠える声が響いた。
瑠璃音が振り向くと、白い毛の、光を放つ犬がいた。
瑠璃音のもとまで登ってくる犬に、彼女は慌てて尋ねる。
「おまえ、おうちはどうしたの?こんな時間に出歩いたら迷ってしまうわよ?」
犬は首輪をしていて、そこに吊り下げられた鉄板に「行燈」と刻まれていた。
「おまえ、行燈っていうのね。おうちにお帰り、行燈」
しかし行燈は瑠璃音のもとから離れなかった。
「……足元を照らしてくれるの?」
をん、と行燈。
「ありがとう」
「わふ」
静かに鳴くと、瑠璃音の先を行く行燈。
彼女は後について登って行った。
「あ」
突然、瑠璃音は行燈を追い越しそうなほど急いで階段を駆け上がった。
階段を登り切ると、行燈はどこかへ走り去り、大勢で客を待ち構えていた顔見知りではない巫女達が揃って瑠璃音に声をかけてきた。
「釵姫様のお茶会はこちらです」
釵姫の噂は赤紫も瑠璃音も聞き及んでいた。
市井では手に入らないような贅沢な菓子で茶会を開き、参加する娘からは参加料として釵を奪うのだという。
その上、名乗る呼び名も釵姫なのだから、相当に釵が好きなのだろうと噂されていた。
もちろん釵なら瑠璃音も用意していた。
ただ、飾りは赤い球がついているだけの貧相で陳腐なものだった。
「こちらです」
「こちらです」
巫女達に導かれ、たどり着いた庵には、錠前がかけられているようだった。
近づいていってよく見てみると、数字を揃える事で開くもののようだった。
瑠璃音が巫女達へ振り返る。
「答えは決して言わないように申しつけられております」
と、巫女の一人が深々と頭を下げる。
戸を見れば、何か書かれた小さな張り紙がしてあった。
「弱くたって生きてるんだよ」
瑠璃音は、錠前の数字の桁を数えてから、苦々しい顔をして「三五四二七三一」と数字を揃えた。
錠前が開いた。
「いらっしゃい」
すぐに出迎える声が聞こえた。
そして、瑠璃音の背後で錠前が閉め直される音が虚に響いた。
釵姫は、色とりどりの豪奢な色の着物を着た娘だった。
しかしその着物は色が豪奢なだけで、下女のようにたすきがけしてあり、動きやすい小袖に似たものだった。
顔つきは猿面のように掘りが深く、まんまるとした目で、見つめられると何か恐ろしいものと対峙しているような心地がして、瑠璃音はそろりと目をそらした。
先客は七、八人ほどいて、彼女らの方がよほど姫らしいしゃらしゃらした格好をしていた。
「ごきげんよう……参加、申し上げます」
「はいな」
と、釵姫に差し示された座布団へ瑠璃音はちょこんと座った。
そして彼女はすぐに話を切り出した。
「釵姫様、私はここへは人探しをしに参りましたの。十八くらいの、赤紫の着物を着た姐様をお見かけになった事はございませんかしら?」
「はいな」
「それは、ど、どちらで?」
「そうねぇ、お客も揃った事だし、そろそろ茶会を始めてしまいましょうか」
「姫様……?」
釵姫の背後、巨大な仏壇のような、収納のような扉がひとりでに開き、中から大きく丸く赤いものがふわりと出てきた。
それを見た瑠璃音は思わず叫んだ。
「お師様!」
赤紫が提灯にされて吊るされていた。
子供の背丈ほどの大きさの提灯から頭と手足を生やしてぐったりしている。
釵姫は構わず次の段取りに移る。
「皆様、お手元の棒をお持ち下さい」
他の客らが、座布団の横においてあった木の棒を手に取った。
「釵姫様、お待ちくださ……」
「私はこの社の巫女として」
釵姫が瑠璃音の言葉を遮った。
「不届者に罰を与えねばなりません」
「確かに我が師は不届者です!しかしどうかご容赦を!どうか!どうか!」
「……皆様、私に続いて下さい」
釵姫が棒を振り上げる。
「よいしょおー!」
ふわふわと浮く提灯となった赤紫を釵姫が棒で殴りつける。
他の客らも続いて殴りつけ始めた。
瑠璃音はただその場に這いつくばり、釵姫へ許しを乞う事しか出来なかった。
ぱん
ついに、提灯が乾いた音をたて、破裂した。
すると、下にあった食卓の上へ見た事もない菓子の数々がぼとぼとと落とされた。
どうやらそれらは提灯の中に詰まっていたらしい。
「……お師様?」
瑠璃音がどこを見ても、探しても、赤紫の姿を見つける事は出来なかった。
その後、瑠璃音がどうなったかは詳しくは知らないが、何かしらの手順を経て悟り神の加護を得たという噂が流れていた。