呪われた絵画と多腕少女
今日は森の奥を散策していた。
すると見知った少女が一人、古びた館を見上げ、立ち尽くしていた。
「ここが……ラーニョの館……」
ラーニョの館……そこは、かつてある惨劇の現場だったとされる幽霊屋敷で、森の奥に放置され、朽ちて、不気味な噂の絶えないそこに、近寄ろうとする者はほとんどいなかった。
そう、「ほとんど」……たとえば家を失くした者などを除いて……。
「雨漏りしそうだなぁ」
そんな感想を漏らしながら、少女、プルモーは、目の前の骨ばった門を開き、中へ入っていく。
雑草の生い茂ったポーチを通り過ぎ、重そうな玄関扉に触れた時、おそらく、彼女は扉の向こうにいる何かの息遣いを感じ、取っ手から離れた。
しかし、家無しとなった彼女はそうして玄関の前で突っ立っている訳にはいかなかった。
「お邪魔します、一晩だけ泊めて頂きます!」
宣言し、やはり重い扉を開くと、その先にあったのは、あちこちに湿った蜘蛛の巣のかかったエントランスホールだった。
背後でガチャン、と重みで玄関の閉まる音が低く響く。
「蜘蛛の糸には触れない方が良いよ、毒がたっぷり染み込んでる」
ホールのどこからか、少年の声が忠告する。
「まあ僕には関係ないんだけどね」
少し誇らしげに言う少年の声と同時に、ガタガタと何かが揺れる物音がし始めた。
そこでプルモーは、階段の壁にいくつも掛けられている数々の絵画の一つが壁から離れるようとするように揺れている事に気付いた。
「えっ?」
その絵画が斜めに天井へ向くと、絵の中の人物がもこっと盛り上がり、そのまま引っ張り出されるように伸び上がると、人の形を成した。
そのまま棚から飛び降りでもしたかのように額縁の中から落ち、軽く着地すると、絵の中の人物は、ニヤニヤとプルモーを見つめた。
「ラーニョの館へようこそ、毒が効いちゃう可哀想なお嬢さん。僕はレニー、大天才画家レナード様の自画像だよ。見て分かるだろうけど百億はゆうに超える値がついた事もあるんだ」
朗々と喋るレニーに、一方知恵熱が出そうなほど混乱した様子のプルモーは、震える声でたった一言、尋ねた。
「ど、どこを踏んで歩けば良いの……?」
湿った蜘蛛糸は、プルモーの立っている場所から一歩でも踏み出せば蔦のようにそこらじゅうに蔓延っていた。
「あー……ボロでも靴を履いてるならどこを踏んでも平気じゃないかな、でも素肌で触れたら一貫の終わりだよ」
「私、裸足なの」
それを聞いてレニーは驚いた様子を見せた。
プルモーの足のあたりに見える土色は、外でぬかるみや水たまりをうっかり踏んで付けてきた泥の色だったのだ。
フッ、と鼻で笑うと、レニーは階段を降り、プルモーのもとへ向かう。
「しょうがないなあ、一晩泊まれる安全な部屋まで運んであげるよ」
「ひえぇっ!?」
レニーは軽やかな動きでプルモーの足をさらい、背中を支えて抱き抱えた。
「お、お姫様だっこ……」
「樽担ぎの方が良かったかい?」
「い、いやいや!そんな事は……」
そうして大人しく運ばれていくプルモー。
「震えてるね。この時期だ、外は寒かっただろう」
プルモーは押し黙っていた。
「それとも怖い?」
「あっ、えっと……」
「ならどうしてこんな所に来たんだい?」
「住む場所が……無いの、追い出されてしまって」
そう言いながら、プルモーは限界を迎えたようにボロボロと涙を流し始めた。
「相当嫌われたんだな、何があったんだい?」
涙声で、プルモーは続ける。
「わた、し、悪魔の子供なんだって、でも試しにやってみなさいって言われて、初めて魔法を使ったの、そしたらたくさんの宙に浮く腕が生えたの、それに触ったらみんなおかしくなってしまって、"誰もプルモーに近付かないように"って言われて、でも、みんなの役に立つ立派な魔法使いになりたくて、実習用の笛で豊作のおまじないをしてみたの……」
実はラーニョの館がある森の外には、魔術教育の盛んな都市があるのだ。
「そしたら?」
「そうしたら森の動物達がスタンピードを起こしたの、それで町がめちゃくちゃになって、とうとう追い出されたの」
「スタンピードって何!?」
「大型動物の集団が、興奮や恐怖などのために突然同じ方向へ走り始める現象よ。転じて、人々が同じことを同時に行おうとする様も指すわ」
「……この前の謎の騒ぎ、君が原因だったのか」
「ひっ……ごめんなさい!」
「いや別に僕には関係ないし良いんだけどさ」
そこである一部屋に到着する。
「さ、ここが安全な部屋だよ、ラーニョの姉君の部屋だったから、糸が張られてないんだ。彼女はとっても怖かったそうだからね」
くるんと華美なデザインをしたドアノブを回し、入った部屋は、確かに女性の部屋のようだった。
フリルに縁取られた天蓋付きのベッドも赤色の派手な壁紙も、猫足の豪奢なドレッサーも、それぞれ強い存在感を放っている。
「こっちにお風呂場もある、足の泥を落としなよ」
プルモーがレニーに運び込まれた風呂場は、どうやら水も通っていれば魔術も残っているようで、ちゃんとシャワーに魔力を流し込めば問題なくお湯が出るようになっていた。
泥を落とし、部屋に戻ると、レニーはドレッサーの掃除をしていた。
誰かが起き上がった跡の残っていたベットもすでに整えられていて、ホコリ臭さももう無くなっていた。
「夕食はどんなのがいい?野生味溢れるもので良ければ作れるよ」
と、レニーがヘラヘラ笑う。
「何から何まで……ありがとう。私なんかには木の実と水で十分よ」
「へぇ、そうかい」
そう言うと、レニーは含みのある笑みを浮かべ、部屋を去っていった。
ほっと一息ついて、プルモーはベットに座り込む。
そして、小さくつぶやいた。
「この後もお姫様抱っこされるのかな……」
別にそんな事はなく、レニーは夕食と古い子供靴を持って部屋へやってきた。
夕食は丸焼けのリスと木の実と紅茶だった。
焦げた毛の残る丸焼けのリスは避けて他を食べ、飲み終えると、プルモーは古い子供靴に目をやった。
「私、こんなに小さい足じゃないわ」
「君っていくつなの?」
「12だよ」
「へぇ、ところで僕はいくつに見える?」
「あなたは、17くらい?」
「半分当たり、120さ。年上である事に変わりはないから敬うように」
えへん、と胸を張るレニーだか、すぐにこほん、と咳払いをする。
「さておき、良い靴を改めて見繕ってこないと。君はどんなのが良い?」
「丈夫で毒を通さないやつがいいわ」
「飾りっ気とかは欲しくない?」
「あったら嬉しいかも」
「了解」
そう言ってレニーが皿を持ち去り、しばらくしてから持って戻ってきたのは、三足の靴だった。
「はいこれ、ガラスの靴!」
「ほ、本物?」
「もちろん!これで歩けば割れて刺さって血みどろ間違いなしさ!」
「え……他のは?」
「こっちは純金の靴!」
「綺麗……あれ?重い……」
「キンッキンに熱して履かせて踊らせる為の拷問具だよ!重くて熱くてきっと最高の履き心地なんじゃないかな!」
「他のがいい……」
「じゃあこれ!ラーニョの姉君のお古!」
それは、赤色をしたごく普通のハイヒールだった。
「赤色って縁起悪いよね!」
「これがいい」
ついに登場したまともな靴に、プルモーは迷わず飛び付いた。
ハイヒールは元々地面の汚れを踏まない為に開発された靴だ、より都合が良いだろう。
いざ履いてみると、ハイヒールはすっぽりとプルモーの足におさまった。
レニーがぴゅうと口笛を鳴らす。
「似合うじゃないか」
縁起の悪い色と言った直後にこのセリフである。
「ラーニョのお姉さんは私と同じ歳だったの?」
「いや、12の頃の靴なんじゃない?この家の住人の享年なんてどうでもいいよ。何歳までここに住んでいたかとかなら尚更ね」
「薄情なのね」
「お節介過ぎる奴にそう言われてもね」
プルモーがうつむく。
「やっぱりこの性格、良くないかしら?」
「大いに悪い!」
「今後は少し、考えを変えてみようかな」
「そりゃあ良いね、おやすみ!」
そう言ってレニーは部屋を去っていった。
プルモーは、ベッドに入りながら、ふふ、と小さく笑った。
「なんか楽しい」
ふかふかの布団にくるまりながら、また小さく笑いながらそうつぶやく。
「もうしばらくここにいたいなぁ……」
翌日の朝食の時、来て間もなく、レニーが言った。
「僕、恋愛がしてみたいんだ」
するとまるで冷水を浴びせられたように、プルモーがしおしおと縮こまっていく。
「……そうなの?」
と、かすれかかった声でプルモーは尋ねた。
「昨今巷では真実の愛なるものが流行っているらしいじゃないか。隣国では王太子が真実の愛だと言って婚約を解消して子爵令嬢を選んだとか」
「……そうらしいわね」
プルモーの手がかすかに震える。
そんなプルモーをよそに、レニーは続ける。
「そこまで人を夢中にさせる恋というものに関心を持ってね」
「この館の中に、気になる人がいるって事?」
レニーはにこりと微笑んだ。
「冗談だろう?」
するとプルモーはどこか警戒気味に次の言葉を待った。
「この館にはじゃじゃ馬しかいないよ、アクが強いのは良い事だけど好きにはならないな」
結果、プルモーが得たのは"この館にはレニーの他に「じゃじゃ馬なおばけ」がいる"という情報だった。
「だからさ、よそ者の君と恋がしてみたいんだ」
「そう、なんだ……でも私、絵は全体の構図を見ないと好きか嫌いか決められないの」
「それは正しいね」
そうして、プルモーによる一旦絵の中に戻った状態のレニーへの評価が行われる事に決まった。
額縁の場所まで歩いて行く間、古びた赤いハイヒールは湿った蜘蛛糸の毒を通さず、しっかり靴として機能した。
しかし、遠くから聞こえてくる叫び声のような音や、あちこちの部屋からする物音と明らかな人の気配に、プルモーは震え上がっておぼつかない足取りになっていた。
そんな危険な旅路を経て、ついに額縁の所にやってくると、レニーは小窓か何かに入り込むように額縁に潜り込んでいき、吸い込まれていった。
絵を確認すると、そこには、いくつもの自作であろう絵の数々を背景に足を組んで座るレニー……画家レナードの姿があった。
その表情は穏やかで誇らしげで、絵の全体の色合いは、置かれているだけ、座っているだけの静かな構図に反し、踊り出したくなるような音楽が聞こえてきそうなほど、活気に溢れていた。
「どうだい?この絵画の魅力は分かってもらえたかな?」
見惚れていたプルモーへ、実際にそう語りかけてくるレニーに、プルモーはクスクスと笑みをこぼした。
「見ているだけで元気になる素敵な絵ね、確かにこれは持って帰りたくもなっちゃうわ」
「よし、それじゃ話は決まりだ」
ぱん、と縦に柏手を打つレニーの意図はプルモーには分からなかったが、何かの合図だろうと考え、とりあえずレニーの絵を壁から外した。
その瞬間、遠くで人のものとも地響きともつかない低いうなりが聞こえてきて、足元が揺れ始めた。
「じ、地震!?」
今ここで転べば蜘蛛糸の毒が……。
そう気付いたのだろう、プルモーは強張った表情になった。
「早く僕を壁に戻すんだ!」
芝居がかった喋り方でそう叫ぶレニーに従い、レニーの絵を元の壁に掛け直した。
すると地響きも地震もおさまり、何事も無かったかのようにエントランスホールはしんと静まりかえった。
「何が起きたの?」
「判定基準はバラバラなんだけどね……」
と、レニーはそう言ってから2度ほど咳払いをした。
「ラーニョの旦那はこの屋敷の物を持ち出す事を許さない、本当に持ち出した者には呪いと死が与えられるんだ」
そこまで言ってから、レニーは一息ついて続ける。
「絵画は壁から離したらアウト、僕ら被写体は敷地から一歩出たらアウト、持ち運び出来るものも同じ。あと絵画じゃなくても動かしたり持ち上げた時点でアウトなパターンもあるから気をつけるんだよ」
それを聞いたプルモーは唖然としていた。
「カップを持ち上げただけで死ぬかもしれないって事……?」
「そこまでは……と言いたい所だが、それもありえるんだよなぁこの館では」
結局プルモーは、館を早々に出る事にした。
雨が降らなければ外でも食べて寝る事は出来ると主張して。
レニーは、苦笑いしながら去って行く彼女を見送った。
しかし翌日、雨が降った。
「おかえり」
案の定とんぼ返りしてきたプルモーを、レニーはニヤニヤ笑いで出迎える。
プルモーはいたたまれない表情をしながら、玄関の安全地帯に並べられた三つの靴の中から熱されていない純金の靴を選び、そこに泥に塗れた足を突っ込んだ。
「朝食は何が良い?カビ臭いもので良ければ作れるよ」
レニーがヘラヘラと笑う。
「朝ごはんはお日様が出る前に食べたの」
「何食べたの?」
「ちゃんとした焼き方をしたリス」
「……ああ、そういうの苦手な訳ではないんだね」
「苦手だよ。でも不思議とお腹がぐーぐー鳴って、気が付いたら焼いてたの」
窓の外の白んでいた空が、青さを帯び始めた。
すると、プルモーがガタガタと震え始める。
「ああもう……なんでこんな怖い所……戻ってきちゃったんだろ……」
「"見るだけで元気になる素敵な"僕がいるから?」
「そんな訳ないでしょ!」
「えっ」
「普通の人に見えるからまだいいけど、絵の中の人がそこらへん歩き回ってるの普通に怖いよ!?」
意外な言葉を投げかけられたのか、レニーは目を丸くした。
しかしすぐに落ち込んだような顔になる。
「そうかい……」
それから、レニーはとぼとぼと額縁まで戻ると、絵の中に入って行った。
プルモーは雨が止むまで館で雨宿りすると、また立ち去って行き、結局街に戻る事が出来てしまい、ラーニョの館に近寄る事はなく、むしろ噂を広め、ラーニョの館が肝試し目的の若者達に荒らされる原因を作ってしまった。
私は正直、最後はレニーがプルモーを毒糸に沈めて殺してしまおうとすると思った。
それで、プルモーが魔法で抵抗して、"我が親を喰らうカトブレパス"も比ではない地獄絵図が広がるものと思っていた。
それかレニーがプルモーを言いくるめて敷地から抜け出し、呪いの道連れにするのではないかとも思った。
しかし、レニーが予想以上に人間的だったのと、プルモーが予想以上にレニーに執着していなかったおかげで、今回は非常に面白みのないバッドエンドとなってしまった事をここに記録する。
(追記)その後、画家レナードに関して調べてみて分かった事だが、国立中央美術館に展示されているもの以外に存在する「画家レナードの自画像」は全てレプリカで、しかもレナードが自画像を描いたのは一度だけらしい。
ではラーニョの館のレニーはなんだったのだろうか?
本物や他のレプリカもあのように人格を持った人物が絵から出てくるのだろうか?
だとしたらあの「レニー」は何十人、何百人と量産品の如く存在しているのかもしれない。