98.コースター
「あ、ごめんごめん。ちょっと興奮しすぎちゃって。良かったらお茶でも飲んでいく?」
「おや、そちらの青年とは仲が良いのですね」
「そうなんですよ。すごく仲良し……だよね?」
ふぐが見つかったと言う事実に大変興奮していて、仕事で疲れているであろうエドワルドをいたわることをすっかり忘れていたシズクだったが、はたと正気に戻ってエドワルドにお茶を勧めた。
すると常連客の息子である男性がちらりとエドワルドを見やってシズクに聞いた。シズクも満面の笑みで仲良しだと告げたのだが、エドワルドは悪戯を仕掛ける子供のような笑顔をシズクに向けて、何も言わない。
「仲良しだよね!」
堪えきれずにエドワルドの肩が小さく揺れている。
「もう! びっくりさせないでよー」
「あははは」
揶揄われていると理解しても、なんだか少し慌てた様子を見せたシズクを見ることが出来て満足したエドワルドは、シズクの頭を二度優しく撫でて「そ、仲良し」と目を細め楽しそうに甘やかに笑った。それを見てほっと一息ついたシズクは「だよね!」とドヤ顔で力強く返事をした。
「甘々だよ。激甘だよ……。さて、私はそろそろお暇しなくては。父に買い物も満足にできないのかと怒られてしまいそうだ」
ひとしきり茶番のようなやりとりを見せつけられていた常連客の初老の男性の息子はやれやれとため息交じりに席を立つ。
「あの、長らく引き留めてしまってすみません」
「いや、面白いものも見れたし出来立ては大変美味しかった。また寄らせてもらうよ」
「? えっと予約貰えれば店ではなくてこちらで次もお渡ししますので、遠慮なくご予約下さいね」
ありがとうという声にほんの少し見える顔を見れば、目元はどこかで会ったような会っていないような、知っているような知らないような、だけれどもとても優しく微笑まれた事が嬉しくて、また来てくださいねとシズクは伝える。
扉に向かう途中、その男はエドワルドに何かを耳打ちするとエドワルドの耳が真っ赤になる。それを見てまだなんだか楽しそうに声を出して笑ってからシズクに向き直り、また是非と言っ家を出ていった。
「あのおじさんなんて??」
「おじ、おじさん?」
「?」
シズクから見ればあくまで常連客である初老の男性の息子だが、エドワルドから見れば自分が仕えるこの国の王である。唐揚げを齧り舌鼓を打っていたのであれば本人はそれをひた隠しにしていたのだろうから、エドワルドからそれを暴露するのは気が引けた。
「えっと、……と仲良しだね、だって」
「ん? なんて??」
「彼女と! 仲良しだねって!!」
――珍しく語尾強めで、なんか耳まで真っ赤だ。
少し息が上がり気味に言い切ったエドワルドの耳は赤く、口は一文字にぎゅっと結ばれている。
そんなに恥ずかしがることなんてないのに、とシズクは少しだけお姉さんぶってエドワルドの肩を叩きながら肩をすくめた。
「知らない人達が見てもエドワルドと私が仲良しーって分かっただけなのに、なんでそんなに必死なの?」
そのシズクの言葉を聞いてひとしきり目を丸くしたり視線を外したりした後、身振り手振りを交えながらも口を開けたり閉めたりして何かを訴えようとするエドワルドだが、結局何と言っていいのかわからなかったのか、あきらめたように一度目を瞑り息を大きく吐いて椅子に座り、ようやく勧められたお茶に手を伸ばした
「まぁ、あれだよ、色々あって、俺だって必死にもなるって事」
「んーん?」
エドワルドの真意が分からないシズクは、ふーん、ともうーんとも言えない返事を返しながら自らも先ほどまで飲んでいたカップを手に取って一口お茶を飲んだ。
「さっきまでリグとエリスがいたんだけど、どこ行ったんだろ」
シズクとエドワルドが玄関先で常連客の初老の男性の息子と話をしている間に、食事を食べ終わったのだろうと推測は出来る。玄関先で話をしていたので邪魔してはいけないからともしかしたら裏口から工房に入ったのかもしれない。
普段は物凄く社交的な二人なのにたまに引っ込み思案になるのがシズクはとても不思議に思っていたのだが、仕事モードの二人は物凄く察しのいい職人である。シズクの客である初老の男の息子に気を使わせない為にこっそりと工房に向かったのだろう。
そう思って玄関側から工房を見れば、やはり明かりが灯っているのが見えた。
「なんか仕事してるみたい。忙しいのはありがたいけど、あまり忙しすぎるのはダメだな」
「働き者代表のようなシズクがそれを言う?」
「別にそんな働いてないよ。ちゃんとお休み取ってるし」
「今日はお休みだったのに、唐揚げ揚げてた」
「あー、まぁ、確かに……。常連さんだったし……」
「次からはちゃんと休みを把握しておくように伝えておくから、ちゃんとお休みしてよ?」
働き過ぎのシズクに釘を刺しつつ、常連客の初老の男性とその息子には、しっかりとシズクの休みを把握してもらった上で予約を入れてもらうともう一度エドワルドが真面目な顔でシズクに伝えた。
「伝えておく?」
どうやって?もしかして知り合いだった?
閉まったと言う顔はしていないはずだ。
それでも疑って怪訝な顔をしながら飲み物に口をつけるシズクに今にも聞いてきそうだ。国王陛下だとバレてはいけない、何とか話題をはぐらかそうとエドワルドが視線をめぐらせると、シズクの手元に目がいった。
カップの下に何かが敷かれている。
毛糸で出来た何かなのだが、何となく自分の瞳の色に似た紫なのが気になった。
「ね、そのカップの下のヤツ……」
「あ、これね、これね!! ちょっと待ってて!」
その下に敷いてあるのものがいったい何なのかを知りたかったのだが、シズクは思い出したかのように勢いよく席を立って二階に向かい、すぐさま戻って来た。
手に持っているのは、手の中に納まるほどの大きさの袋である。
「ハッピーオリンジデー」
「はっぴー? オリンジデー?」
シズクの勢いに押されて同じ言葉を繰り返したエドワルドに、心底満足したような笑みを浮かべたシズクはようやくその袋をエドワルドに手渡した。早く中を見て欲しいのか、その瞳が包み袋を開けるのを今か今かと心待ちしているといった風にキラキラと輝いている。
「あ……」
中を見て見れば、先ほど目に留まったシズクのカップの下に敷かれていた何かと似たようなものが入っている。取り出して見てみると丸い形でエドワルドの瞳と同じ色の毛糸で編まれている。大きさは自分の手のひらより少し小さいぐらいだ。手縫いなのか、たまに網目の大きさが違っていて、それがまたいい味をだしている。使い方はシズクが使っているように飲み物の入っているカップなどの下に敷けばいいのだろう。
「ふふ。これはねフェリスとクレドにプレゼントして、ベルディエットにはいつ会えるかわからなかったからフェリスに託したコースターというものです!」
「こーすたー」
「冷たいものが入ってるコップの水滴がテーブルに落ちないようにとか、傷がつかないようにとか、そんな感じで使うんだけど、好きな柄とか色とかだと嬉しくなるでしょ?」
と満面の笑みで渾身の解説をしてくれる。
「そうだね。シズクは紫の色が好き?」
「紫? 普通かな。でもこの毛糸はエドワルドの瞳の色と似てるなーって思ったら、これだーって思って衝動買いしちゃった!」
「ん゛……」
普通にという事は別に好きでも嫌いでもないけれども、贈る相手の瞳と似た色の毛糸を衝動買いするなんて。純粋に選んでくれたのだと思うし含みなどはないことは分かるのだが……エドワルドの瞳の色と同じだと認識したうえで選んでくれたと言うこと自体に何かを期待せずにはいられない。
「綺麗な色でしょ? ベルディエットとフェリスとクレドさんにもねプレゼントしたんだけど」
「あ、うん」
クレドの名前が出ればどうしてもぐっと腹に力が入ってしまう。シズクはというと気の抜けた返事をしてしまった事はあまり気にしていないようで話を続ける。
「三人は四角いコースターにしたんだけど、エドワルドのだけ丸いのにしたくて」
「俺のだけ?」
「そう。練習もしたから結構上手に出来たよ」
俺だけ特別だ、とつい綻んだ口元に手を当ててにやけているであろう顔を何となく隠す。と、練習したというそれは、目の前にあるカップの下に敷かれているものだろうか。
「それは練習して出来上がったやつ?」
「そうそう、貰った毛糸が途中で足りなくなっちゃって、紫の毛糸を少々拝借して出来上がった試作品」
照れたようなそれでいてバツも悪そうに口をほんの少しだけへの字にしてシズクがカップをあげると、エドワルドの目に飛び込んできたのは、中央部分が少し黄色味を帯びた落ち着いた色の赤。そしてその周りをエドワルドの瞳の色に似ていると言って微笑んでくれた紫で編まれた二色のコースターだった。
――シズクの瞳の色と、俺の瞳の色だ。
「他の色もあったけど、この色綺麗だもんね」
「俺の瞳の色だけど、そんなに褒められると照れる」
「えへへ。照れといて照れといて。でもこれはね、かなり好き」
耳の奥で、好きという言葉だけがエドワルドの心まで柔らかくこだまする。
自分のために編んでくれたこのコースターも今日からエドワルドの宝物の一つになる。
しかし目の前にあるその二色のコースターがどうしても気になってしまってじっと見つめてしまうばかりか、もっとまじまじと見たくてシズクがカップを持ち上げたタイミングでエドワルドがするりと手元に引き寄せた。
つい、とエドワルドがバツが悪そうに苦笑いを浮かべると、シズクは何故か嬉しそうに笑った。
「コースター、気に入ってくれたの?」
「う、ん」
シズクがその手で自分のために、エドワルドのものだけ違う形を作ってくれて嬉しかった。
エドワルドの瞳の色を思い浮かべて色を選んでくれたことに、その意味を見出したくなる。
シズクの瞳の色の続きを、エドワルドの瞳の色を重ねて彩ってくれたことに特別を感じた。
そっと手に取って茜色と紫の色の境目をそっと撫でる。
シズクが作ったそのコースターの中で寄り添うその二つの色に、都合がいいかもしれないがエドワルドは自分が思い描く未来を見たような気がした。
と、コースターから視線を外しシズクを見れば、照れ笑いのような表情を浮かべるそのおでこの一部が少し赤くなっているのが見えた。
「シズク、そのおでこ、どうしたの?」
怪我をしたと言う風でもない。腫れているわけでも虫に刺されたのでもなさそうだが、小指の爪ほどのの大きさだが一部が赤くなっている。
「え、あ、さっき油が跳ねてちょっとやけどしちゃったみたい。あんまり痛くないし大したことないよ」「油って……、それは火傷っていうんだよ。ちゃんと冷やした?」
「大げさー。油跳ねた時にちょちょいと水で濡らしたし、ほんと痛くないから……」
シズクがそう言い終わる前には、エドワルドがシズクの真横にくる。
真横に来たエドワルドにシズクの顎から頬にかけてエドワルドの大きな手が添えられて少し上を向けさせられる。さらに反対側の手で優しく前髪をそっとわけ、大事なものを触る様におでこの赤くなった部分に親指を当てた。じわっと心地いいぐらいの冷たさが伝わってきて思わず目を瞑る。
「おぉ、ひんやりする……」
「火傷のあとが残ったらどうするんのさ」
「こんなちっちゃなやけどぐらいであとに残ったりしないよ」
心配しすぎだと言い返しながらもエドワルドの氷魔法でほんのりと冷やされるおでこがくすぐったいながらも気持ちいい。
「でも、心配してくれてありがと。いやぁしかしエドワルドにはお世話になりっぱなしだね。て、て、ておどらん? もありがとうだよ」
「テオドランは絶対気に入ってくれるってピンときたからね」
「びっくりしたよ。ておどらんを見た時、うわー! すきー! 結婚してくれー! って思ったもん」
シズクがフグを見た瞬間の喜びを表現した言葉に、エドワルドがおでこに当てていた指がぴくりと震えた。
あ、ちょっと冗談が過ぎただろうか。
前世であればそこそこのオタク用語として尊い、嬉しいを表現する言葉としてそこそこ市民権を得ていたと思うし友人同士であればあまり問題視されるような発言ではないと思うが、こちらでは仲の良い友人とはいえやはり不謹慎だっただろうかと恐る恐る薄目を開けながら訂正というか説明すべきかを見極めるためにエドワルドを見た。
「もう痛くない?」
「え、うん。大丈夫そう」
あ、なんか会話は普通にしてくれてるから、ちょっとびっくりしたぐらいでなんとなく流してもらえるそうだな、なんて呑気なことを考えながらエドワルドの出方を引き続き薄目でうかがう。
「わかってるわかってる。あれでしょ? 冗談っていうか、気持ちが高まっちゃって、みたいな感じでしょ?」
「そ、そう」
何ともいつもの調子とあまりにもエドワルドが変わりがないから、シズクはつい油断してしまったのだ。
頬に添えていた手はそのままで、エドワルドの体がゆっくりと近づいてくるのをぼんやりと薄目で見ている。
その世界すべてがスローモーションのように見えて、囁くようなエドワルドの声がとにかく近くから聞こえる。
「シズクが冗談で言ったのは、理解してる」
何故か。それは先ほどまでエドワルドが冷やしてくれていた場所に、温かく柔らかいものがちゅっと言うリップ音と共にシズクのおでこに数秒触れたからだ。
シズクは何が起こったのかちょっと良く分からず、薄目に開けていた目はびっくりして大きく見開いてしまいエドワルドを凝視する。
そう、その通り。結婚してくれとは言ったが、冗談って言うのともちょっと違うけれど、そう言うのじゃない。エドワルドの事はどちらかと言えばなんてそんなこと言わなくったって好きだけれども!カッコいいし優しいし、何より一緒にいるとギュッとなる瞬間なんかもあって、なんならほんのり好きかなーって自覚するぐらいには思ってましたけど! いや、違う違う、今はじわっと恋心をを暴露するターンじゃない! そうそう、だからさっきの台詞はちょっと色々なことが嬉しくって高ぶった台詞でー! これが告白とか思われてもちょっとーそれは嫌だというかぁぁぁー(号泣)
いつもと変わらないのにいつもと全然違う。冗談だと理解しているといったその表情はどうにも冗談だと理解しているようには到底見えない。
射抜かれそうなほど真っすぐに、そして穏やかな優しい瞳でシズクを見ている。
なんと説明していいか考えれば考えるほど、はくはくと動くだけ。シズクの口からはこのちょっとのっぴきならない展開にびっくりしすぎて心の声では早口でとにかく色々なことを捲し立てているというのに肝心の声が出ない。
「俺のは冗談でも何でもないからちゃんと聞いてね。シズク。結婚を前提に、俺とお付き合いしてください」
「う、えぁ」
この世の幸せすべてがその手の先にあるかのように静かに向かって手を伸ばしてきたエドワルドが卒倒しかけたシズクの背中をそっと支えふわりと抱き包み込む。
シズクが甘く溶けてしまいそうなぐらい優しい表情を向けてエドワルドは微笑んだのを最後に、シズクはキャパオーバーですと小さくつぶやいて、意識を手放した。
お読みいただきありがとうございます。




