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97.ふぐ

 休日の午前中だと言うのにからからっと油の小気味よい音と、スパイシーで食色をそそる香りが台所どころか家じゅうに充満している。


 今日のシズクはお店の定休日だが、唐揚げを購入している老夫婦からあらかじめ予約を貰っていた為その準備を自宅でしている最中なのだ。

 本人たちは予定があって、残念ながら直接取りに来ることは出来ないが代理で人を向かわせるからと、先にお代と手紙までいただいてしまった。


――お二人とも、お元気そうでよかった!


 初老とはいえまだまだ若く見える夫婦のことを思い出しながら、シズクは唐揚げを揚げる。

 前回の味は塩のみだったが今回は塩とカレーの二種類を準備した。そしていつも卵料理を一緒に買っていくことが多いので、ユリシスではスピナッチと呼ばれるほうれん草とサルモースパニッシュオムレツも作る。

 

 すでに頂いたお代が、今回予約を貰っていた塩唐揚げのお代よりはるかに多すぎたため、他の味の唐揚げとスパニッシュオムレツと百日芋のポテトサラダ、特製タルタルソースにも付けることにしたのだ。


 それでも多すぎるけどね……。


 もしかして量が多すぎるかもと一瞬考えてみたものの、唐揚げを買うならば息子夫婦が遊びにくるのだろう。多すぎたら息子夫婦に持って帰って貰えればいいのだ!

 

 そうと決まればたまにしか足を運んでもらえなくとも、常連であることは間違いないのだからしっかりと準備するぞと、唐揚げが揚がる音に耳を傾ける。


 静かにカラカラという揚げ物の揚がる音が小気味よいのだが、油がごくまれにおでこや腕の辺りをピンポイントで狙っているかのように跳ねる。


「あっ!! いって」


 今日もご多分に漏れず左頬を直撃されたが、少し跳ねただけなので酷い火傷には至らず少しだけ赤くなっただけで済んだ。


 痛い、と言葉に出したほどの痛みはほぼなく、ほんのり赤くなってしまったその場所をそのままにして残りの唐揚げを揚げ終わると同時にリグとエリスが帰ってきた。

 昼食用にもちろんリグとエリスの分と自分の分も一緒に作っていたので、ちょうどいいタイミングで帰って来てくれた。


「お昼唐揚げだからー。急いで急いでー!」

「おぅ。揚げたて食えるなんてラッキーだぜ」

「おにぎりもあるよー」


 元々この予約が入った時にはその日の昼食を唐揚げにしようと思っていたので、米を炊いておにぎりにしてある。

 炊き立てがいいのだが、お昼に帰ってくる時間が読めない二人と白米を食べる場合はどうしてもおにぎりになってしまう。それはそれでお弁当気分が味わえて楽しいので気にしていない。


「そう言えばよ、近衛騎士団戻って来てたぞー」

「今回は国王様が直々に足をお運びになって解決されたみたいよ?」

「なんとかっていう毒持ちの海の生き物を退治したらしいってもっぱらの噂だ」

「さすが国王様と近衛騎士団ねー」


 一体何を退治したのかはわからないが、無事にことが終わって良かった。オリンジデーに会うことはできなかったけれど、今日ユリシスに戻ってきたならば近いうちに会えるだろう。


 今日休みなことは知ってるはずだから、明日顔を出してくれるといいなぁ。


 ラッピングの準備は終わっているし、あ、でも一緒に何かお菓子か何かをつけた方がいいのか、はたまたお弁当に少しおまけした方が喜ぶだろうかと思いながら、作ったものと今から食べる分を分けてから昼食分を別の皿によそう。

 

 準備万端な二人が席についても、しかし決して動かずに唐揚げを凝視している。いったい何故かと思っているとちらっちらっとシズクをうかがい見る二人の様子を確認できた。

 お腹もすいているだろうに、シズクが昼食のために席に座るのを待っているようだ。


――嬉しいなぁ。


 いそいそとエプロンを外しようやく席につこうと思ったと言うのに、来客だろうか、かすかではあるが勝手口からドアを叩く音が聞こえた。


「俺出ようか?」

「いいよいいよ。リグとエリスは先に食べてて?」


 そう言いながら一度座った椅子からすぐに立ち上がって玄関に向かう。

 はーい、とドアを開ければ仕立ての良いスーツに帽子をまぶかにかぶり、目元は見えない。それでもなんだか妙に気になる白い髭の見知らぬ男性が立っていた。


「あの、うちに何か御用ですか? もしリグの工房に用事があるなら今食事中なので少しお待ちいただければ……」

「いえ、あの、からあげというものを受け取りに参りました。全こ……、こう、なんというか人の良さそうな老夫婦から頼まれていたアレでございます」


 あ! と思い出す。

 先ほどまであんなに沢山揚げていたと言うのに。


「あ、はい。はい。勿論です! いつもお名前を聞きそびれてしまっていたので、申し訳ありません。準備はできていますので、このまま少々お待ちください」


 シズクはそれだけ言って、取りに来てくれた代理人に少し待っていて欲しいと頭を下げ、準備していた唐揚げとポテトサラダとタルタルソースを袋に入れてその男性に手渡した。

 中身を確かめた時に、唐揚げの香りに刺激されたのか腹がぐーぅっと鳴ったのが聞こえた。隠し通せるような小さな音ではなく、バツが悪そうにいそいそとシズクに向かって丁寧なお辞儀とお礼を述べる。

 

「んんっ、ありがとうございました。父も大変楽しみにしておりましたゆえ」

「あ、あのお爺さんの!! いつもありがとうございます。息子さん夫婦と一緒に食べるのを楽しみにしてるってお伺いしてるので、お会いできて光栄です!」


 つい嬉しくてぐっと常連客の息子なる人物の手を握って力強くそう言うと、目深にかぶった帽子の下から柔らかく微笑む笑顔が見えて、その笑顔を浮かべる目元に何となく見覚えがあったのだが、はて、いったいどこでこんな品のいい紳士に会ったのだろうかと……、もう少ししっかりと顔が見たいなと思ったところでもう一度その紳士のお腹が盛大に鳴った。


「……、面目ない」

「全然、全然! ドンマイです」


 いったい何がドンマイなのかわからないが、しょんぼりしているその姿を見ては何か声をかけなくてはと考えた末の言葉である。


「あ、もしよかったら、少しだけ唐揚げあるんでちょっと食べますか?」

「いえ、ありがたいですが……」

「遠慮なさらず。まだ揚げたてなんでほんのり温かいですよ! 是非」


 お腹がすいていては何とやら。

 まずは少しでも腹を満たしてもらえたらと、ちょっと待っててくださいと半ば強引に待たせてシズクはもう一度台所に向かった。


 シズクが台所に向かったその直後。

 ベルタ家のドアの前に一人の男がやってきた。その男はドアの前で興味深そうにゆったりと周りを見ながら観察している謎の帽子の人物の背後に音もなくすっと忍び寄る。


「こちらのお宅に、何か御用ですか?」


 帽子の男に声をかけたのは、もちろんエドワルドだ。

 本当はオリンジデーに来たかったのに、思ったよりも時間がかかってしまって、ユリシスに戻って来たのは今さっきだ。


「いや、父の使いでこちらに唐揚げを取りに来た、の、だ、が……」


 普通に返事をしていたはずだったと言うのに、振り向いてエドワルドを見た途端、それは歯切れの悪いものに急に変わった。

 帽子を目深にかぶり表情があまり見えないようにしていても誰だかエドワルドにはすぐわかった。髪の色もおかしいし、鼻の下に不自然な白い髭がついてはいるが間違いない。


「国王へい……」

「これこれ、めったなことを口走ってはいけないよ。私はこの店の常連である父の名代としてここに唐揚げを取りに来た、常連客の初老の男性の息子です」

「前国王陛下の名代として唐揚げを取りに来るって言うだけでインパクトがありすぎるんですが?」

「だから滅多なことは口に出してはいかん! 父上も母上も大層お気に入りだと言うし、食事の時には大概土産と称して持ってきてくれる唐揚げを作る人物を見極めようとやって来ただけなのだよ。もしやとは思っていたのだが本当にシズク•シノノメノの店のものだとはびっくりしたがね」


 説明に説明を重ねるだけその言葉のインパクトが強くなっていくだけなことに気が付いていない国王に、受け取ったのならば、周りに警護も引き連れているはずなので早めに王城に戻った方が賢明だと小声で伝える。しかしエドワルドに帰ってきた言葉は、その心配事を全く考えていないものであった。


「いや、いい匂いを嗅いでいたら腹の虫が盛大に鳴くものでな。シズクがほぼ揚げたてを一つ二つ用立ててくれるそうなのだ。今まで温め直しは食べたことがあるが、揚げたてはなかったのでな。お言葉に甘えることにして今ここにおるのだ」


 昨日は日々の業務を終え、夕方頃に一旦大きな魔法を展開してユリシスに戻っていたと思ったのだが、ここで出会うなんて思ってもみなかった人物を前に、エドワルドも多少困惑気味である。


「一つ二つ、揚げたてを食べることが出来たらすぐに退散する故、この事は内密に頼むぞ」


 内密も何も、こんなに目元を隠し変装に力を入れているつもりなようではあるが、エドワルドは一瞬で誰だかわかってしまった。先日直接会った事があるシズクであればわかりそうなものだが……。


「面白いものでな。目元が見えにくい、いつもとは違う髪色で帽子をかぶれば、あまり分からないものだ。あまりね、みんな見知らぬ人物にそこまで興味はないものさ」


 ふふ、と楽しそうに笑う。

 道すがら異様に近衛騎士団員が多かったのはこのせいかと妙に納得し、食べ終わったらすぐにでも城に戻っていただかねばと決意を新たにしていれば、何も知らぬシズクが玄関にいるエドワルドを見つけた。


 花が綻ぶような満面の笑みでエドワルドに満面の笑みを向けてシズクが駆け寄り、おかえりなさいと声をかける。ただいま、と柔らかな笑顔でエドワルドも返事を返した。


「……すみにおけぬな」

「え? 何か?」

「なんでもない。おぉ、いい香りだな」

「でしょう? まだ温かいうちにどうぞ」


 進められるがままに口にいれる。今だけは国王あらため常連客の初老の男性の息子が唐揚げをひと齧りすると、じゅわっと肉汁が溢れた。食べる時はいつも温め直して食べているが、やはり揚げたてが至高だ、とゆっくりと咀嚼を繰り返す。


「あ、これ、お土産持ってきたよ」

「お? 魚介系?」

「テオドランとクラーケンだよ。なかなか見たことないと思って……」


 ちらりとシズクがその中身を見ると、その中身がなんだかわからないといった具合でエドワルドに開けていいかを聞いている。

 いいよといった後もかなり自信があるのかエドワルドはシズクの反応を笑顔で待っている。


「こっちはイカだ! ヤバい! イカだ!」


 興奮気味にシズクが少し大きな声でエドワルドの服の裾を引っ張る。いや、それはクラーケンだが?と常連客の初老の男性の息子は思うが、そんなことは些細な問題だと思う弾けるような笑顔だ。


「なんか、白身魚だな……。白身だ、な……。待って、これフグかな? ねぇ、エドワルド」


 シズクはさらに興奮気味にエドワルドを引っ張る。


「この魚、もしかして毒がある、かな……」

「ん? 毒はあるみたいだけど持ってきたものはちゃんと解毒してあるし、ちゃんとした漁師さんが安全に捌いてくれたから安心だよ」

「ほんと?? ねぇ、それ、ほんと?」


 ほんとほんと、とシズクに向ける眼差しはどうしようもなく嬉しそうだ。笑いを堪えながら常連客の初老の男性の息子、はそれはふぐとやらではなくテオドランだと訂正するのも忘れてその二人を観察する。

 中を改めているシズクの横顔は純粋に喜んでいるようにも、品定めをする職人のそれにも見える。


「この魚、捌いていない状態のものはある?」

「あるよ。報告用だから見せることしかできないけど。これ、解毒済みだから触っても平気だって言ってたよ」


 がさりとエドワルドが出してきたのはテオドランだ。

 常連客の初老の男性の息子……が先日一気に解毒などを施したあの魚である。

 その魚を見た途端、シズクはわなわなと震えかなり興奮しているのか頬に赤味が射した。


「ふぐだ! やっぱりふぐだ!!」

「絶対シズク気にいると思って、貰って来たんだよ」

「エドワルド、私の事私より分かってる……」

「ま、ま、まぁね。シズクの事、いつも見てるし……」

「えへへ、照れるなー」


 甘い、甘すぎる!!

 エドワルドが蕩けるように甘い笑顔を向ければ、返すシズクの表情はと言えば無邪気に喜んでいるだけ、でもないように初老の男性の息子には見えなくもない。


「……ふむ、これはこれは、誠によい」


 常連客の初老の男性の息子、国王は大変美味で深い味のする肉汁溢れる唐揚げの最後の一個を味わいながら、若い二人にほんの少しのスパイスをといたずら心が芽生えるのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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