94.5.コーンポタージュの夜
セリオン家の三男に生まれ、幼い頃から快活で常日頃から勉学と鍛錬に励み、今は警ら隊と近衛騎士団の団員としてしっかり仕事をするエドワルドは、親の贔屓目がなくともとても気持ちの良い、いい男に育った。そんないい男に育ったエドワルドは、兄二人が結婚したことも相まって、他家からの結婚の申し込みがかなり増えていたが、本人にその気がないと言っていたので、この数年はすべて家を通して断っていたのだ。
ロイルドは夕食後一人、書斎で熱々のコーンポタージュの甘い香りと優しい湯気を見つめ、先ほどエドワルドに告げられたことを思い出していた。
エドワルドとシズクは出会って二年ほどになる。
どういう経緯でシズクがこのユリシスにやって来たのかはセリオン家の情報網をもってしても分からなかった。この国に行きついた経緯についてはどうにも不明。念のため日頃の生活を秘密裏に調べさせたが、仄暗いなにかとつながりがあるようなものは何一つ出てこなかった。
別にシズクを危険視していたわけではなかったが、二年ほど前にこの街に屋台だけを持って死にそうな状態でベルタ夫妻に保護され、もう戻れない程遠くに故郷があると言った人間が、自分の娘と息子が懇意にしているのならば調べないわけにはいかなかったのだ。
調べても調べても、どこにも彼女の今まで生きてきたと言う痕跡は見つからなかった。
しかし彼女の素性が不明であっても、今までの付き合いから感じる誠実な人柄と、裏表のない性格。さらには大事な一人娘であるベルディエットの命をドラゴンから体を張って助けてくれて、自らが生死を彷徨ったにも関わらず微塵も恩を着せることもしない人物が悪人であろうはずがない。
そんな人物だからこそ息子であるエドワルドも惹かれていったわけだ。
ドラゴン飛来の際、吊り橋効果のようなもので二人の間に何か芽生えたのかもしれないと、その時のことを思い出してみた。
確かにかなり動揺していたように思えるが友人が傷を負ったのであれば、それが普通だろうと思う。あの時はベルディエットも同様に、かなり心を痛めていた。
ではそのあとか?
王城で開かれた宴でシズクが攫われたとわかった時のエドワルドの動揺はかなりのものだった。
城でそのような誘拐劇が起こっていたことにも驚いたが、あれほどうろたえたエドワルドを見たのはロイルドも初めてであった。あの出来事が、エドワルドの不確かな形で存在していた小さな思いが形になり始めたのやもしれない。
幼い頃からの友人であるクレドの存在も意識していたように思えるし、出会ってからの小さな積み重ねが種となりエドワルドにとって小さく芽吹いた思いが花開くような、気持ちの溢れる出来事が最近あって、今朝に至ったのだろう。
まぁ十中八九、年越しを一緒に過ごしている間に、しっかりと自覚したのだろうが。
『近いうち、シズクに求婚しようと思っています。もちろん……』
しかし、ベルディエットが馬車に乗り込む直前のエドワルドの一言は、パンチがありすぎた。
恐らくエドワルドとの会話が断片的に聞こえていたであろうベルディエットをちらと見た。
驚愕の表情を浮かべながら御者に急かされて、行きたくないと駄々をこねるように馬車に乗るのを拒むベルディエットと御者との攻防の末、馬車に詰め込まれたのを見たのには笑ってしまったが、ベルディエットもシズクの事を大事に思っているのだから気になるのも仕方がないだろう。
ベルディエットが馬車に乗った後、エドワルドはちゃんと話をしてくれた。
『オリンジデーでシズクに、結婚を前提として交際を申し込もうと思います』
求婚しようと思っているという事。
もちろんしっかりと交際を申し出てからお互いの信頼をもっと深めたのち、である。すでに信頼は十分に得ていると自負しているが、生涯彼女の隣にいる唯一にエドワルドを選んでもらえるよう一層の信頼を勝ち取りたい。
生涯共にありたいと願うのは彼女だけですから。と力強くロイルドに告げた。
身分の差など些細な問題だ。と社交辞令のようにいうのは簡単だが、こと彼女に関しては本当に些細な問題だ。
一市民でありながらロイと対等に話をし、自分よりも年上の頭の痛くなるような音楽家ややり手商人にも臆しない。国王の覚えもめでたく、ユリシスの食文化の再発見や新発見に余念もない。どこで受けたのかはわからないが、しっかりとした教育を受けて教養もかなりある。そして最たるものはドラゴンと対峙したり、そのドラゴンから何やら恩恵を受けたり受けなかったり……。
もうただの弁当屋だと言い張るには、無理がある。
『俺、仕事で難しい日もあると思うんですけど、シズクと食事の準備とか、一緒に悩んだり笑ったり……、沢山の事がしたいんです。今から楽しみで仕方ありません』
まだどうにもなっていないくせに照れたような笑みを浮かべ、交際を断れるとは全く思っていないような口ぶりに、若干自分の若い頃を思い出してしまった。
ロイルドは若かりし頃、デビュタントボールで見かけたマリエットに一目ぼれした。まだ学生の時分であったが、リットラビアの貴族であると言う情報を得たロイルドは、セリオン家の次期当主となるべく勉学と剣術に励む一方で、使える伝手をすべて使いマリエットに会えるよう手をつくし、他国の貴族であったマリエットを口説き落として一緒になったのだ。
あの時の自分も、嫌われていないのであれば好きになってもらうまでだと、もちろん文は沢山送ったし贅沢にならないよう気持ちを伝えるにはと考えた末、自ら刺しゅうをしたハンカチを送って困惑されたり……、今思えばかなり怖いもの知らずと言うか、恋は盲目と言うか。
それでも当時は断られるなんて露とも思っておらず、何故か絶対に振り向いてもらえると思っていたのだ。
婚姻が決まった後は他国の貴族同士の結婚で少々手続きに時間がかかったが、無事に共に歩める幸せに比べたらその時間さえも愛おしいぐらいに思えた。
無論、今でも変わらず、いや、以前より増してロイルドはマリエットを愛している。
まだまだ熱いカップの中身にふーっと息をかければ、まろやかで甘みのある香りがした。
このコーンポタージュもシズクがレシピをセリオン家に教えてくれたものだ。
求婚を受け入れてくれるかどうかは分からないが、シズクがエドワルドに対してそれなりにいい感情を持っていることは見ていれば分かる。好意は持ってくれているのは間違いないが、恋愛感情かと問われてもこればかりはロイルドの目では判断しかねる。
『求婚を受け入れてもらえたなら二人で挨拶に来なさい』
『はいっ! 必ず。申し訳ありませんが少し仮眠いたしますのでこれで失礼します……』
とそれなりの返事を返し自室に戻ろうとしてエドワルドはくるりとまたロイルドに満面の笑顔で振り返る。
『父さん、俺、絶対シズクと幸せになるよ』
『だから、まだ受け入れてもらってないだろう!』
しっかりとした話ぶりから、いつものように砕けた喋り方に戻ると、ふはっ、と茶目っ気たっぷりの人懐こい笑顔をこちらに向けるエドワルドに、やれやれと思いながらも思いが届くといいなと声をかけてやれば、ありがとうと笑って今度こそ部屋に向かって行った。
エドワルドの背中を見追っていると急に、この好きになったら猪突猛進な性格は間違いなく親であるロイルドの遺伝なのだと確信して、なぜか自然と笑いが込み上げてきた。
先ほどのやり取りを思い出していれば、ふわりとまたコーンポタージュの甘い香りが湯気と共に香った。
またカップに口をつけ、ゆっくりとこくりこくりと飲めば、ロイルドは心まで温まるような気がした。
「なんとか、うまくいくといいな」
そう窓の外に見える月を見ながら独り言を言うロイルドの顔は、穏やかな父親の顔であった。
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