89.クレッシェンド
「あ? なんだ? そのおでこ」
初日の出を見てセリオン家の屋敷に戻って、長めの仮眠を二人でとってからリエインで買い物をして夕方前には家に戻ったのだが。ドアを開けたリグに開口一番、シズクのおでこの赤みを指摘された。
「えっと……」
「初日の出見てるときにね、ちょっとぶつかっちゃってー。ふふ、ふふ。思い出すと笑っちゃう」
言い淀むエドワルドは顎のあたりが赤い。
おでこの辺りの赤みを無邪気に同居人かつ保護者的な立場であるリグに、シズクは楽しそうに見せつける。
「朝日が昇ってきた時にお弁当食べるかー? ってエドワルドに聞いた時にさすがにちょっと寒かったからくしゃみが出ちゃって。あれだよあれ、ちゃんと口は押えてました! だからエドワルドにくしゃみはかかってないよ? で、くしゃみした反動で私の頭とエドワルドの顎がぶつかっちゃって」
新年早々あった楽しい出来事を、シズクはリグに身振り手振りを交え、途中思い出し笑いを挟みながらリグに話す。
「は? そんなに至近距離に座ってたのか?」
「二人で初日の出見るために一緒に出掛けたのに、距離があったら逆におかしいでしょうよ」
リグはじっとエドワルドを見てから視線をシズクに戻す。心底面白そうに笑ってシズクはリグにツッコミの手を入れ、そのまま荷物を置きに自室のある二階に向かって行った。
「……。おい」
「……ない」
「おいこら……」
「だからっ!……なんにもしてないっ」
二回目のリグの問いかけに、ようやく重い口を開いたエドワルドだったが、それを言うのが精一杯である。
あの時、シズクに好きだと言ったのは間違いではない。
しかしその声は二人の間を強風が吹いたため、シズクには聞こえていなかった。
彼女は大事な言葉を聞こえないふり出来るような人ではない。用意した朝食用の弁当を取ろうとしていた彼女が、風に遮られて本当に何を言ったのかちゃんと聞こえなかったから、エドワルドの方に向いてくれたのだ。
だから、雲ひとつない今年昇った初めての太陽の光に照らされたシズクの顔を見たあの時、自分のすべてが伝わればいいのにと、さらに体を寄せたのはエドワルドの意思だ。
タイミングよく出たシズクのくしゃみにより、至近距離にあった二人のおでこと顎がぶつかって雰囲気が台無しになるなんて思ってもみなかったが。
自分の気持ちが全部伝わって欲しくてかなり近い距離であったことは認めるが、断じて、断じて始めからキスをしようとしていた、というわけではない。
「まぁ、最近のお前を見てれば丸わかりだし、二人ともいい大人なんだからとやかく言うつもりはねぇよ」
「ま、まる、丸わかり!?」
「あはははは」
「まぁあれだ、頑張れよ」
「え? 何を頑張るの?」
リグからの激励に、顔から火が出そうになるほど真っ赤になって口を噤んだエドワルドに、二階の自室から戻って来たシズクが不思議そうな顔を向けて会話に入り込んでくる。
「な、なんでもないって」
「ふぅーん」
今朝は雰囲気で言ってしまいそうになったが、今は違う。
丸わかりだと言いつつそれ以上は必要以上に突っ込んでこないリグにエドワルドは心の中で感謝する。
「年越し凄く楽しかったよ。来年も再来年も……出来れば何年先も年越しは一緒に過ごしたい」
そう言ったエドワルドにシズクは満面の笑みで拳を握り、もちろん!と力強く頷く。
やはりと言うべきか、思っていた反応とは若干違うが、今日はこの先の言質を取れたことで良しとしようとエドワルドも微笑み返した。
「あっちの館で仮眠したとはいえ夜更かししたり朝早かったり、寝不足は寝不足だからさ。今日は温かくしてしっかり休んでよ」
「それはもちろん! エドワルドもちゃんと身体休めてね」
エドワルドはと言えば、これから夜にまた城での舞踏会に足を運ばねばならない。
朝初日の出を見てからリエインの館に戻った後それぞれ体を休めるためにベッドに入ったが、色々ありすぎたエドワルドはあまり深く眠ることが出来なかった。
自分がしでかしそうになった事を思い出せばまた眠れないかもしれないが、自分の部屋で一人冷静に考えればもう少し違うかもしれない。
「あのね、エドワルド明日は仕事?」
「明日か……。明日はアッシュ団長と一緒だから、お昼ロイのところに行くかも」
「本当? 明日はねリグとエリスとお昼ぐらいからロイのところに行くから、また一緒にご飯食べれるかもしれないね」
えへへと笑うシズクも自分と会えるのを楽しみにしてくれているのだと思うと、エドワルドの心臓の奥がそわそわと落ち着かない。
「じゃぁ、何とかして早くアッシュ団長をロイのところに連れて行かなくちゃだね」
そんな落ち着かない気持ちを悟られないように、いつもの調子でエドワルドは返事を返すと、いつもと変わらぬ笑顔でシズクも「よろしく頼むっ」と笑った。
あぁ、なんかもうどうしようもないな。
いつもと変わらない笑顔なのに、エドワルドはじわじわと自分の心拍数が早くなって頬が熱くなるのを感じると、火照って赤くなっているのがばれることが無いように無造作に頬を数回叩いた。
そのしぐさはシズクから見れば唐突ではあったが、眠気覚ましならばちょっとアイスでも食べていく?と聞いてきたので、眠気を覚ますために顔を叩いたのだろうと思われたのは幸いだ。
「じゃぁ、ちょっとだけ」
ひんやりとしたアイスは、エドワルドの頬の赤味を隠すには十分とは言い切れない。夜会への準備もあるにはあるが、もう少しだけシズクと一緒に居たいエドワルドにはありがたい口実になると、二つ返事でその申し出を受けるのだった。
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