88.初日の出
夜食を食べえ軽く仮眠をしてアステルに見送られ出かけた二人は、屋敷を出て少し歩いたところにあるエドワルドが考えていた日の出のポイントに陣取りその時が来るのを待っていた。
「ほぅぅ、息が白いねー」
シズクが息を吐きながら楽しそうに笑う。
顔を見れば寒さで鼻の頭と頬が真っ赤だ。
「寒い?」
「いやいや、冬の夜明け前だよ。寒くて当たり前」
また楽しそうに笑う。
夜食では乾杯でワインを少しだけ飲んだ。ほろ酔い気分でさらにエドワルドの好きなものを詰め込んだお弁当をお腹に収めたシズクは、仮眠したとはいえ朝からおせちを配ったりしていてそれなりに疲れが出たのだろう。
飲んでいたお茶を入れたカップが手から落ちそうになるのを目の端でとらえたエドワルドが、隣で座っているシズクを見るとうつらうつらと頭を緩く揺らしているのが見えた。
シズクの手から滑り落ちたカップをタイミングよくキャッチし、エドワルドはそれを自分の自分の右側に置いて空を見る。
水平線はまだ暗いまま。日の出まではもう少しかかる。
寒いのによく寝れるな、と横に座るシズクを見ると体を覆っていた毛布が肩から少しずり落ちている。エドワルドはズレた毛布を肩に掛けなおそうと手を伸ばし、寒くないように肩からしっかり掛けなおしてやると、満足そうにふんふんと鼻を鳴らしたシズクの頭が数回左右に大きく揺れた後、エドワルドの肩にぽすりと納まった。
「シズク……?」
声をかけてみたが起きている気配は、全くない。
先ほどまではご機嫌そうに鼻を鳴らしていたと言うのに今度はむにゃむにゃと眉間にしわを寄せて何かを喋った後、寒いのかふるりと肩が震えた。
触れている肩が、シズクから感じる熱でじんわりと暖かい。
まだ少し寒いのか、もぞもぞと体勢を変え収まりのいい場所を探して頭の位置を変えたりしながら少し動くと、また毛布がずり落ちる。
「シズク」
エドワルドの声は聞こえているだろうか。
またシズクが数回頭を揺らす。反対側の何もない所に倒れそうになる前にエドワルドはシズクの頭を起こさないように優しく自分の方に引き寄せ、寒くないようにさらに上から毛布を羽織る。
ポケットの中に入っているレザーウォレットに付けた根付の雪の結晶のモチーフを、エドワルドは軽く指で触る。空を見上げれば、まだ暗い夜の空に満天の星が今にも降ってきそうなほど瞬いている。
もう少しだけ……。
まだまだ水平線が暗いことを確認してエドワルドはシズクの肩を、起こさないように、けれどもぐっと自分の方へ引き寄せる。
しばらく寝息を立てていたのだが、やはり頑張って起きていたのか睡魔とでも戦っているのか、腕の中でシズクがたまにもごもごと寝言を言っている。
卵を串焼きにするのは勘弁してやって欲しいとか、バナナはおやつに入ります、とか、これが尊いというやつです、などなど。エドワルドにっては意味不明だが、眉間にしわがよったり穏やかに笑ったりと飽きることなく見ていられるので起こしたりする事なくそのままにしている。
そんなエドワルドにとって普段見ることのできないシズクを観察する時間はそろそろ終わりだ。
「残念だけど、そろそろかな……」
陽は昇っていないが、ほんの少しだけ夜が明けてきて夜の空にわずかなグラデーションが生まれようとしているのが見える。
この後は水平線に太陽が顔を出すまで、じっくりとその変わりゆく時間をシズクと共に楽しみたくて軽く肩をゆすって起きるようにと促す。
「シズク、起きて。そろそろ夜が開け始めるよ」
大きな声にならないように、耳元に優しく語りかけるように声をかける。声のするところを探すシズクとようやく視線が合うと、とろんとしていた眠気まなこが大きく見開かれ、今まで頭を預けていたエドワルドの肩を見た。
離れていってしまったぬくもりにエドワルドが名残惜しそうに自分肩を触ると、シズクがハッと弾かれたように自分自身の口元を触って、よだれが垂れていないか確認する仕草をした。一瞬ほっとした表情をしたが、何かに気が付いたようにわなわなと体を震わす。
「私、と、とんだ粗相を……」
「何語??」
「もしかしなくてもずっと肩を貸してくれてた?」
そう言う事か。とエドワルドは思う。
ずっと肩に乗っていた方の髪にぴょこんと出来立ての寝ぐせが揺れた。
「まぁ、肩を貸していただけだし大したことじゃないよ」
「そこら辺に転がしてくれても良かったのに」
「何言ってんの。シズクにそんなことさせられないよ。俺の肩ぐらいいくらでも貸せるよ」
ふらふらとしていた頭を、強引に自分に引き寄せてあまつさえ肩を抱いてしばらく同じ毛布にくるまっていたのはエドワルドの意思だ。やましい気持ちが本当になかったと言えば嘘になる。なにせそばでそのぬくもりと寝息を一番そばで感じることが出来て役得とばかりにそのままでいたのだから。
しかしやましいことなど何もしていないと神に誓って言える。ありがとうと言わせてもらいたいし、逆に寝ぐせをつけてしまって申し訳ないぐらいの気持ちもあるが、それは、まぁ……、シズクに言えるはずもない。
エドワルドはシズクの気を逸らすように、明け始める空に指を指した。
「それよりも、ほら、見て」
二人の白い息の向こうに夜と朝の境目が出来始めている。
キラキラとした朝を纏った光が、少しずつ真っ暗な夜の闇を溶かして混じったような不思議な色がじわりじわりと変化して新しい一年の初めの朝をもたらそうとしている。
曙、暁、そして自分の苗字でもある東雲、と朝の日の出までを表す美しい日本語のことを、シズクはふと思い出した。
「明け方だけじゃなくて……、私の住んでいたところでは色々な言い方があってね。今ぐらいの暗さが暁、このあとほんのりと少し明るくなってきたぐらいが曙。暁と曙の間の夜が明ける一歩手前が私の名前にもなっている東雲って言うんだよ」
「夜と夜明けと朝、じゃないんだね」
「そうそう。言っている事は同じなんだけれど言葉の響きが雅でしょう?」
そんなことをゆっくりと話している間にじわりじわりと明るさが増して、太陽がその姿を少しだけ水平線の先に表し始める。日の出だ。
「あ、明けましておめでとう! エドワルド!」
「ん? えっと、あけましてお、おめでとう、シズク」
「今年もよろしくね」
シズクの国の新年の挨拶なのだろうと片言だが何とか挨拶を返せば、エドワルドに向ける眩しい笑顔とぴょこんと跳ねる寝ぐせに愛おしさが増す。
「では、ここで私の今年の抱負を発表します」
「ん? なんて?」
何かが溢れて手を伸ばしかけていたエドワルドだったが、その手が夜明けとともに急に決意表明をしようとするシズクの言葉にぴくりと止まる。根っからの日本人であるシズクとしては日の出とともに今年の抱負や決意を語ることは別に唐突でも何でもないのだが、エドワルドにはやはり不思議な行動である。
「今年も健康にお店を切り盛りしたいです」
いつもと同じじゃないか? という言葉がエドワルドの喉元から出かかったがぐっと踏みとどまった。
「ユリシスに来て……、普通に暮らすって事が物凄く大変ななんだって事を再確認したから、一日一日を大事にしたいなって思ったんだよね」
「そっか」
家族の話はしてくれたことはあったがシズクがいったいどういう経緯でユリシスにやって来たのか、聞いたことはない。それでもいつか打ち明けられる日が来ればそれでいいと思っているから、よっぽどのことが無ければエドワルドはシズクに聞くことはしないつもりだ。
「ドラゴンの爪に引っかかった時、また死んじゃうかもしれないって頭をよぎったけど、絶対死ぬもんかって思って、生きててよかったなって思う」
「うん」
たまにぽろっと出てくる言葉から、過去に何かがあったのだとは思っていたが自分と出会う前にも死にそうになったこともあったのかと、胸の痛みと共に、本当に無事でよかったとあの時のことを思い出して胸の奥が軸りと痛む。
「あの時は助けてくれてありがとうね。感謝してる」
助けたと言えば助けたことになるのだろうが、治療したのは姉のベルディエットだしその後の治療も自分にはできなかったが、そう思ってくれたことは純粋に嬉しい。
シズクがエドワルドの目を真っすぐ見て微笑むのと同時に、太陽の光が増した。
先ほどは少しだけしか見えなかった太陽がその姿をしっかり見せ始め、星々に変わって青空が広がる。
「はい! ご清聴ありがとうございました。あ、エドワルドお腹空いてる? 朝のお弁当も作って来たんだよ。ゴロゴロ卵たっぷりマスタードとハムチーズと野菜のサンドイッチ。勿論私も好きだけど全部エドワルド好きなやつ」
冷たくてまっさらな風が、エドワルドの白い息とともにシズクとエドワルドの頬を過ぎていくと、もう一度、食べる?とシズクが横に用意してあったバスケットに手を伸ばす。
「うん」
じっとシズクを見つめたエドワルドとの間を風がまた吹き抜けようとしたが、今度はぴったりとくっついたその間を抜けることが出来ず、仕方ないなと遠慮がちにその側を静かに抜けていくと、朝の太陽の光が増す。
「………だ」
耳のそばを吹き抜けた音で、エドワルドの声はシズクには聞こえない。
「ん? なんて?」
聞こえなかったその言葉を聞こうと、シズクはエドワルドのいるほうを振り返ると、とても落ち着いた優しい笑顔のエドワルドが小さく頷き……。
一年で一番初めに昇る朝日に照らされた二人の影がゆっくりと重なった。
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