87.日の出前
夜食を食べえ軽く仮眠をしてアステルに見送られ出かけた二人は、屋敷を出てエドワルドが考えていた日の出のポイントに陣取りその時が来るのを待っていた。
「ほぅぅ、息が白いねー」
シズクが息を吐きながら楽しそうに笑う。
顔を見れば寒さで鼻の頭と頬が真っ赤だ。
「寒い?」
「いやいや、冬の夜明け前だよ。寒くて当たり前」
また楽しそうに笑ってエドワルドの少し前を歩く。
夜食では乾杯でワインを少しだけ飲んだ。ほろ酔い気分でさらにエドワルドの好きなものを詰め込んだお弁当をお腹に収めたシズクは、仮眠したとはいえ朝からおせちを配ったりしていてそれなりに疲れが出たのだろう。
飲んでいたお茶を入れたカップが手から落ちそうになるのを目の端でとらえたエドワルドが、隣で座っているシズクを見るとうつらうつらと頭を緩く揺らしているのが見えた。
シズクの手から滑り落ちたカップをタイミングよくキャッチし、エドワルドはそれを自分の自分の右側に置いた。
水平線はまだ暗いまま。日の出まではまだまだもう少しかかる。
寒いのによく寝れるな、と横に座るシズクを見ると体を覆っていた毛布が肩から少しずり落ちている。エドワルドはズレた毛布を肩に掛けなおそうと手を伸ばし、寒くないように肩からしっかり掛けなおしてやると、満足そうにふんふんと鼻を鳴らしたシズクの頭が数回左右に大きく揺れた後、エドワルドの肩にぽすりと納まった。
「シズク……?」
声をかけてみたが起きている気配は、全くない。
先ほどまではご機嫌そうに鼻を鳴らしていたと言うのに今度はむにゃむにゃと眉間にしわを寄せて何かを喋った後、寒いのかふるりと肩が震えた。
触れている肩が、シズクから感じる熱でじんわりと暖かい。
まだ少し寒いのか、もぞもぞと体勢を変えエドワルドの肩から離れるとまた毛布がずり落ちる。
「シズク」
エドワルドの声は聞こえているだろうか。
またシズクが数回頭を揺らす。反対側の何もない所に倒れそうになる前にエドワルドはシズクの頭を起こさないように優しく自分の方に引き寄せ、寒くないようにさらに上から毛布を羽織る。
ポケットの中に入っているレザーウォレットに付けた根付の雪の結晶のモチーフを、エドワルドは軽く指で触る。空を見上げれば、満天の星が今にも降ってきそうなほど瞬いている。
もう少しだけ……。
まだまだ水平線が暗いことを確認してエドワルドはシズクの肩を、起こさないように、けれどもぐっと自分の方へ引き寄せた……。
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「シズク、ごめん遅くなって!」
クレドに背中を押されて早めに城を出てきたとはいえ、一旦家に戻って舞踏会で着ていた正装から普段着に着替えてくれば流石にそれなりの時間になってしまった。
ただしなんとか日をまたぐよりも半刻程前に到着することが出来たエドワルドは、全力で走って来たので息がかなり上がっている。
「全然大丈夫。準備万端! 夜食と朝日を見ながら食べようと思ってるスペシャル弁当も期待してね。し夜食食べた後、ちょっとだけ休憩してから日の出前に出かけようよ」
「休憩?」
「そ。すぐに出かけても朝日を見る場所は逃げたりしないでしょ? お腹いっぱいで出かけた先で途中で眠くなっても困るし、寒いからってやっぱり帰って来て、結局初日の出を見れなくなっちゃうのも嫌だし……」
若いとはいえ朝早くからおせちを配り、昼寝もせずに年越しの準備をしたシズクに朝までテンション高めで起きたまま初日の出を拝めるほどの体力はさすがに残っていない。
だから少し小腹を満たした後、日の出前の時間まで体力を温存して移動しようと提案したシズクに、エドワルドは分かったと大きく頷いた。
「で、どこで初日の出を見るつもりなのだね? エドワルド君?」
行先を聞いていなかったシズクは、ようやくどこで初日の出を見るのか聞いた。
エドワルドがシズクと一緒に初日の出なるものを見ようと思っていた場所まではそうそう時間はかからない。
リエインにある高台で海岸線から昇ってくる日の出たとっておきの場所だ。
元々日の出まではリエインの邸宅で暖を取りつつ、陽が昇ってきたら少しの間外に出て見ればいいだろうと思っていた。
「前にシズクは海の近くに住んでいたことがあったって言ってたよね」
「近くって言うわけではないけれど、行こうと思えば行ける距離には住んでたけど……」
顎に手を置いてふむふむと何かを考えるようにしていたが、急に閃いたと言った風にシズクは目を見開いた。
「もしや、リエインの海から上がる初日の出を拝もうと言う腹積もりかっ!」
「何その言い方。でもまぁその通り。移動門を使う許可は父上にすでに取ってある。心配なしだよ」
わおーっと両手を広げて喜ぶシズクの後ろから、二階から降りてきたリグとエリスが顔を出した。
年越しで出かけることをあらかじめ言っていたようで、特に驚きは見られない。寧ろ夜なのに寝ないでどこかに出かけ、あまつさえ早起きして朝日をわざわざ見ようと言うのだから若干の呆れが見える。
「エドワルド。すまないな、忙しいのにこいつのわがままに付き合わせちまって……」
「わがままじゃないし! 二人で行こうって話になったんだし!!」
「はいはい、それは何度も聞いたわ。エドワルド、申し訳ないけれどシズクの事よろしく頼みますね。寝ちゃうとなかなか起きないけど、仕事柄夜明けにはちゃんと起きると思うから、寝ちゃったら寝かせて置いて頂戴」
「二人共酷いー!」
地団太を踏んで悔しがっているが、そろそろ急がないと年を越す瞬間は外を二人で歩いている最中になってしまう。シズクが言っていた通り出かける準備は万端のようで、大きな鞄とバスケットがテーブルの上に準備されている。大きな鞄にはひざ掛けとカーデガンと湯たんぽが入っている。
屋台を持っていければいいのだろうが、何故か屋台の近くだけは何となく丁度いい温度になるのだが、残念ながら移動手段に考えていた移動門に、横幅の関係で残念ながら一緒にくぐることが出来ないのだから諦めるより仕方ないのだ。
ベルタ家を出て急いでセリオン家へ向かう。幸か不幸か舞踏会の為ロイルドもマリエットもベルディエットもいないセリオン家の中を走り抜け、滑り込むように移動門に辿り着く。
「あはは。急がせちゃってごめんね。さ、行こう!」
「あ、それちゃんと使ってくれてるの嬉しいな」
「凄く大事にしてるよ。たまに磨いたりしてさ」
「それは凄く嬉しい!」
前を歩いていたエドワルドのズボンのポケットから見える、オリンジデーにプレゼントした根付。エドワルドにだけ雪の結晶のモチーフを付けた特別製だ。とても大事に使ってもらえていると思うとプレゼントした甲斐があるというものだ。
これから二人で一緒に年を越して初日の出を見る。そう思うといつもと少し違うような高揚感に包まれながらエドワルドはシズクに手を伸ばす。伸ばし返されたその手を取ってしっかりと肩を抱いて移動門を二人で通ると、リエインにあるセリオン家邸宅の執事が遅い時間だと言うのに出迎えてくれた。
「エドワルド様、ようこそお越しくださいました」
重厚な扉を抜けると、時を告げる鐘が鳴った。
年が明けたのだ。また新しい一年が始まる。
「新年あけましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願いいたします」
「えっと、あけまして、おめでとう、ございます。ことしも、なにとぞよろしくおねがいいたしま、す」
移動門を抜けてきたばかりで、エドワルドの手を取りさらに肩をしっかりとエドワルドに抱かれたまま、満面の笑みでエドワルドを見上げて挨拶をされると、片言でシズクの挨拶をなぞるばかりになってしまう。
二人で顔を見合ってひとしきり笑った後、歓談の為に準備された部屋で夜食の準備を始めた。
始めたと、というかお弁当箱を広げただけだが。
タレで味わう鳥つくね。ニンニク味噌の唐揚げ。ちくわチーズの磯部揚げ。簡単スペアリブ。ポテトサラダ。アポの実とブロッコリーとポルダルムのサラダ。あとは一口オムライスとぺスカ入りのおにぎり。
全体的にエドワルドに好評だったものを詰め合わせだ。
「俺の好物ばっかり……。これって、俺スペシャル弁当?」
「そう、俺スペシャル弁当にございます!」
夜食としてはかなりお腹に重たいものばかりではあるが、大みそかから元旦にかけての夜食なのだから好きを詰め込んで喜んで欲しかったのだ。この満面の笑みを見れば喜んでもらえているのが丸わかりで、見ているシズクも満足だ。
「少し温めて食べようか」
チリンと、そばにあった小さい呼び鈴をエドワルドが鳴らすとすぐに執事筆頭がやってきた。これを少しだけ温めて、と弁当箱を渡すとかしこまりましたと目を細めて嬉しそうに笑った。
「こんな夜中なのに、申し訳ないです……」
「いえ、シズク様がエドワルド様と年初めをこちらでお過ごしになられるとおいでになられると聞きまして、とうとうその時が来たのだと館の皆で喜んだものでございます」
「ちょっと、アステル! 何、何言って」
ふぉふぉふぉ、と朗らかに笑いながら部屋を一旦出ていくその執事筆頭の名前がアステルなのかと見送ったシズクがエドワルドに向き直る。動揺したように目が揺らぐエドワルドが面白くてついシズクが笑うと、かなりばつが悪そうではあるがそれに釣られて笑う。
温められたことによりいい香りがする。カラカラという音と共に部屋に戻って来たのは温めなおされた弁当箱ではなく、綺麗に皿に盛り付けられていた。その豪華な皿にのっている茶色い料理を見て、目を見合わせてエドワルドとシズクが大笑いすると、アステルが微笑ましそうに微笑んで静かに部屋を出ていく。
「おぉ……。一緒に飲み物も持ってきてくれてる。ありがたいね」
「ワインか。今日の弁当のチョイスにも合いそうだけど、この後起きれなくなっちゃうかもしれないから、念のため乾杯だけにしておこう」
エドワルドの提案ももっともだ。一緒に年越しするのもそうだが、一番の目的は一緒に初日の出を見ることなのだ。飲みすぎて初日の出を見逃すことだけは絶対に避けたい。
シズクは大きく何度も頷き、エドワルドがワインを開けてグラスに注いだ。
透き通るような葡萄のワインは、香りだけで上質なものだとすぐにわかる。シズクの作った弁当と合う、というエドワルドの身に余るほどの賛辞を受け照れながらもいただきますと食べ始める。
「んーっ! やっぱりシズクが作るのが一番美味しい!」
「えへへ。そう言ってもらえると嬉しい!」
口いっぱいに頬張り体全体、表情全てでシズクに伝えようとするエドワルドにとても温かい気持ちが込み上げてきて、シズクはありったけの笑顔でありがとうを返した。
食事をしながらの会話はとても楽しい。
セリオン家は家族仲も悪くないしよく話もする。一般貴族の中では普段から会話は多い方だとは思うし世間話や取り留めない話もするが、あくまで貴族の中では、だ。
「それでね、その時にロイがさー、アッシュさんとの事めちゃくちゃ惚気るわけ!」
楽しそうに先日会った話をしているシズクに相槌を打ちつつ続きを促すと、あんなことやこんなことがあってとロイの家に食事を届けた時に新婚に惚気られたと、と言いつつも兄にも似たロイの話をとても幸せそうな顔をして身振り手振りを加えて続ける。
「アッシュ団長も、そう言えば似たようなこと話してたっけ」
「え? 本当? あそこの二人は気を抜くとすぐ周りに惚気てくるなー」
別にそれが悪いことだなんて思わないけど、と付け加えながらこの間見た鳥が綺麗だった話や、畑で獲れた野菜の出来栄えなど、シズクの毎日の本当に些細な出来事を目を輝かせながらエドワルドに聞かせている。
それを聞くエドワルドは、くるくると変わるシズクの表情を見ながら幸せをかみしめながら手に持ったワインをちびり飲み干した。変に酔っぱらわないようにと乾杯で飲む一杯だけにするつもりが、会話が弾むにつれ二人共二杯目に突入してしまった。
別に呼んだわけではないのにアステルがやってきてボトルは回収されていったのでこれ以上のアルコール摂取にはならず安心ではある。
「さてと、おしゃべりは楽し行けれど明日の朝起きれないと困るから……、そろそろ仮眠した方が良いかな」
「えー、じゃぁあと一つだけ!!」
「聞きたいけれど、それは日の出を待つまでの肴にしようよ」
「本当にだめ?」
「だーめ。何? 今日は随分甘えただね、シズク」
「うー……」
話はしたいのだろうがしょぼしょぼとしている目をしているシズクに、ほらやっぱり眠いんでしょう?とエドワルドが柔らかく笑う。
その笑顔に妙にくすぐったさを感じたシズクがちらりと時計を見れば、結構時間が経っていることに気が付いた。楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
こちらの館に来たのが日をまたいですぐだったから、二時間ほど夜食を食べながら談笑していたことになる。楽しい気持ちに眠さが吹き飛んでいていたが、急激に眠気がシズクに押し寄せてくる。
「日の出を見る場所までは館を出てからそんなに離れていないから、夜明けまで十分仮眠できるよ」
「うん……」
ちりんちりんと呼び鈴を鳴らしてエドワルドがアステルを呼んだ。シズクのために用意した部屋を聞いてからエドワルド自らが手を引いて案内する。
部屋の前まで到着して、部屋に入る様に促してみたがもうシズクの眠気がピークに達しているのかエドワルドの手を離そうとしない。
「何もしないから、見張ってなくても大丈夫だってば……」
「見張っているつもりはございませんが?」
エドワルドの後ろをついてきているアステルに口を尖らせて抗議すれば、何やら楽しそうな口調で返事をされる。しかし握られた手を離そうとしないシズクをこのまま廊下に立たせておくのもダメだし、手を離してくれないからと言って自分の部屋に連れて帰るなど以ての外でもある。
アステルには部屋の外で待つように指示して、エドワルドは扉を開けたままシズクに用意した部屋に一緒に入り、ベッドにゆっくりと寝かせる。
「エドワルド、おやすみ。また、あと……でね」
シズクがうっすらと目を開いて、エドワルドに向けてふにゃりと笑った。
つないだままの自分の手がじわりと熱くて、同じようにほんのりと暖かいシズクの指先にエドワルドはそっと唇を寄せる。
「うん。また後でね。おやすみ」
その声を聞いた直後、一瞬エドワルドの手にすり寄った後シズクは深い眠りに入ったのかようやく手を離してすうすうと寝息を立てて寝始めた。
その頬を一度撫でてからエドワルドは後ろ髪を引かれながらその部屋を出た。
「日の出の少し前に出発するから」
では、ある程度余裕を持って身支度できる時間に侍女に起こすように部屋に向かわせましょう、というアステルが執事らしく明日の予定を決めていく。そして一番最後に……。
「上出来でございますよ。エドワルド坊ちゃま」
「坊ちゃま言うな……」
その一言に部屋であったことを見られていたことにようやく気が付いた。
「坊ちゃまも同じぐらいのお時間に。眠れないかもしれませんが……、おやすみなさいませ」
やましいことなんて何もしていないのに、何かしでかしたような言い方ではないか。
それに指や手のひらに唇を寄せることは、貴族の舞踏会では挨拶だし、頬を撫でたのは、伝わるその熱が嘘ではないと思いたくて……。
ぶつぶつ独り言をいいながら、しかしこの後仮眠できるか不安になりながら、エドワルドも自室に戻るのであった。
お読みいただきありがとうございます。




