83.一番星
夕暮れ時。
早く帰宅することが出来たクレドは、少しだけと帰る途中の橋の途中で、キラキラと輝く夕暮れが青い夜と合わさってとても幻想的な瞬間を見ていた。
その夜の染まる前の光り輝く夕暮れ時の茜色が、シズクの瞳を思わせた。
ぼーっとそんなことを考えていると、ここを通らないはずの人物が大きな屋台を引っ張って歩いてくるのが見えた。
「シズク殿とこのような場所で会うとは、なかなかに珍しいな」
平然と言えただろうか。
出会えた奇跡に感謝する気持ち半分、会いたくなかった気持ち半分。
「あ! クレドさん! こんばんは。お仕事終わりですか?」
「あぁ。家の方向とは違うのだが少し早く終わったからな。最近運動できていなかったから散歩でもと思って遠回りしたのだが、ここでシズク殿と会えるとは、幸運だな」
穏やかな笑みを浮かべながら、当然のように屋台を押し始めた。
少しクレドが押してやると随分と軽いのだなと思いつつ、シズクがびっくりしない程度にゆっくりと屋台を押しながらその家路を共にする。
残ったわけではなく、帰り道につまみ食いするつもりで残していたと言うぺスカのおにぎりを一つ分けてもらう。
「シズク殿、あの……だな」
「なんでしょう。あ、あれです? おせちのご予約とか」
「え。え、あぁ、そう、そうなのだ。収穫祭も終わったしアッシュ様とロイ様の婚礼の儀もつつがなく……。これでシズク殿のおせちの予約が出来ればいう事なしだと思ってな」
言いたいことの一つも言えない自分の手の甲をつねる。
しかしいつまでもシズクに想いを寄せたとて、叶うことなどない事はエドワルドといる時の彼女を見れば分かりきったことだ。
玉砕覚悟で告げれたなら……、そうできないのは今の友人としての距離感に安心しているからだとクレドは思う。断られることは重々承知だからせめてそばに居てもいい関係を維持していたいと言う臆病な理由だ。
「今年のお節はまだ考えてないんですけれど、クレドさんのおうち様に一番乗りの予約承りますね」
「エドワルドのところじゃないんだな」
「おせちを待っているお客さんは沢山いますからねー。エドワルドって言うよりもベルディエットが予約に走ってきそう」
ベルディエットが走ってくると笑って言いながら、それでもエドワルドの名前を口にしたときのシズクの表情に、じくりと胸の痛みを痛感するのだ。
心が誰に向かっているのかなんて、充分すぎるほど分かっているつもりだったが目の当たりにすればこの通りまだまだ痛いものだ。
「どうしたんですか? 仕事で何か嫌なことでもありました?」
妙な顔をしていたのか、シズクに気を使わせてしまったと取り繕うように笑って見せたがそれは逆効果だったようだ。
「あれですよ。もしもクレドさんがピンチになったら私が助けますから! 絶対に!」
「いや、別に仕事で何かあったと言うわけではないのだが……」
「何か悩み事ですか? 聞ける話ならばお聞きしますよ? 人に話すと楽になるって言いますし。いや、人によるかもしれませんからクレドさんが嫌じゃなければっ」
妙なところで察しが良すぎるのは、喜んでいいのか悪いのか。
クレドとしては当の本人に恋愛相談などするつもりなど微塵もなかった。微塵もなかったのに、魔が差してしまった。
「とある人に自分の好意を伝えるべきか、少し悩んでいて……」
「好意と言うと……、その人の事が好きだということですよね」
沈みかけたその夕暮れの色と似た茜色の瞳がクレドに問いかける。
じわりと込み上げる気持ちを伝えたならばいったいどう返してもらえるのだろうか。
「そう言うことになりますね。一目惚れで、ただその人には想い人がいるので、どうにもならないなと……」
ほうほうと目をキラキラさせてクレドを見るシズクに、どうしてやろうかという気になってしまうがそこはぐっと抑える。
「でも、何というかしんどいですね。好きな人に好きな人がいるの」
「始めは五分五分だと思って居て付け入る隙があると思っていたのだが、今ではオレに分がないことは重々承知している」
腹が立つほどエドワルドはシズクを大事に思っているくせに、その気持ちが恋や愛ではなく友情だと思って全くと言っていいほど進展しなかった頃は、まだ自分にも付け入る隙はあるだなんて思ってもいた。
「クレドさんほどの人ならば、大丈夫だと思うんですけど、そんなに分が悪いんですか?」
「あぁ、びっくりするほど勝ち目などないな」
「そうなんですか……」
何かを考えるようにシズクはふむふむと言いながらクレドの顔を見て、ピンと閃いたのか頭の上の髪がぴょこんと揺れた。
「そうそう、そう言う感じで笑ったらギャップでイチコロかもしれないです!」
「ギャップでいちころ、とは??」
シズクの言葉が理解できず、それでも髪がぴょこんと揺れたタイミングが何とも面白くて思わず吹き出して笑いながら聞くと、そういう感じですとこれまた意味不明な返事が返ってきた。
「普段はあまり笑ったりしないクレドさんが見せる笑顔で、骨抜きにされちゃうそうだってことです」
解説してもらえたのだが、では君は今はどうだろうか、とも聞く勇気はクレドにはない。
何故なら今の笑顔で、その当の本人が骨抜きにならなかったのだから。
「あ……。でも無責任に好き勝手言っちゃってすみません」
「いや、まぁどうにもならない事を相談しようとしたおれも悪かった」
口を尖らせてそれでも何か打開策を見つけようとしてくれようとしているシズクの視線の先に、暗くなった夜に一番星が輝いた。
「私の故郷では、一番星は新しい始まりや希望を意味したりするって聞いたことがあります」
じっと前を見つめたまま、シズクはその星を見つめながらさらに続けた。
「いつか誰かがクレドさんだけを見つけてくれる人がきっといます。クレドさんが今一番星を見つけたみたいに」
「シズク殿がエドワルドを見つけたみたいに?」
「え……? えっと」
赤らむ頬の朱色に正解を見て、泣きたくなる、大きな声を出したくなる、地団駄を踏む……。
そのどれでもなく、見つけてくれるのが君だったら良かったのにとクレドは心底思いながらも、それでも君が見つけた一番星は自分でなかったのだとわかり切った現実を突き付けられ、いっそクレドは清々しい気持ちになった。
始めの出会いからおかしかったな。
煮え切らないエドワルドをけしかけてみたり、ちょっかいをかけて見たり……。
一目惚れから転がるように好きが大きくなると、彼女の幸せを願わずにはいられなくなって、正直自分でどうしていいのかわからなくなっていたのだ。
そして今日、本人からしっかりと引導を渡された。
「私の事はいいんです!」
「おれの一番星、すぐ見つかると思うか?」
「ピカピカの一番星がきっと」
ぺスカは白米と混ざると食べやすいが、それ単体で口に入ってくると酸っぱくて、その酸っぱさに思わず涙がにじんだ。
恋とは甘く、敗れた時には苦い思いをするのだろうなとなんとなく想像はしていたのだが、存外酸っぱいのだな……。
しばらくは今までとは違う恋の胸の痛みもあるだろうが、新しい一歩を踏み出すためにクレドはその一番星に向かって自ら足を踏み出したのであった。
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