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78.吉日

 カチャ……とカップを置く音が静かに響く。

 いつもであればお喋りの声でそんな小さな音など気にならないのだが、今日は妙に耳に響く。


 クレメント・ヴァン・フィッツエラルド。

 目の前の人物の名前である。


 緊張してシズクがその人の前に丁寧に淹れたお茶をそっと置くと、しっかりとシズクの顔を見てありがとうと言った後香りを楽しんでから口に含んだ。


「なかなかに良い茶だ。この茶菓子も香ばしい香りで大変良い」

「シズクが出してくれたのです。美味しいのは当たり前ですわっ」


 そして呼ばれていないのにこの場に何故か居るベルディエットにクレメントは驚いたりもせず、じろりと目を向ける。


「お前は呼んでおらんが、何故ここに居る」

「シズクが私の大事なお友達だからです」

「理由になっておらん」


 話しにならんとばかりにふんと鼻を鳴らしてクレメントはエドワルドに視線を向けた。


「クレメント先生に、シズクが意地悪されるんじゃないかと思って心配でついてきてしまったんですよ」


 一度家に帰って来たのに夕方前に再び外出しようとするエドワルドに、ベルディエットが問いただした結果が今である。

 何故かクレメント先生がロイとアッシュの話を聞くためにベルタ家で集まると聞いた途端、絶対に心配だから私も同席しますと言って聞かなかったのである。


「心外であるな」


 そんな悪い人には見えないのだが、エドワルドもベルディエットもかなりクレメントを警戒しているというか戦いに備えているというか……、とにかく臨戦体制といった様子である。

 何故か家を貸すことになったリグとエリスも、緊張の面持ちで同じテーブルに着席している。


「しかしこの茶菓子、かなり旨いな。ユリシスの菓子店ではあまり見ぬが新作か?」

「いえ、これは売り物じゃなくて……」


 人が沢山集まるならば茶菓子の一つでも出さねばならないと、今夜三人で食べようと思って作っておいたアップルパイにアイスをトッピングして出してみたのだがかなりお気に召したようだ。

 

 一方アイスクリームが乗っているのを見つけたベルディエットは、クレメントを見る目つきは鋭いというのに、目の前の皿を見る瞳は恋する乙女そのものである。


「では、こちらもいただきながら話を聞こうか」

「はい。実はアッシュと、その、俺は……」


 言い淀んでしまうのはクレメントの視線が真っすぐにロイを刺すように見ているから……。

 かなりの目力の強さとぶっきらぼうな物言いがかなり怖い印象をシズクにも与えていたのだが、決して話を聞かない人ではないようだ。

 言い淀み、それでも話そうとするロイの言葉を急かすことなく待っている……、なんというか『近所に必ず一人はいた厳しい人だけれど実のところはとても優しいおじさん』のような感じだ。


「一緒に、生きていくことを決めました」


 先ほどまではあまり見たことがないほど自信がなさそうだったのに、絞り出すようにそう声に出したロイはシズクの知っているいつも通りのロイだった。


 それを聞いたクレメントは特に何か言葉に出すでもなく、一口アップルパイを口に運んだ。


「クレメント師匠。彼との交際、ひいてはこの先二人で歩んでいくことをお許しください」


 続けてアッシュのそれを聞いたクレメントは先ほどと表情をほとんど変えることなく、今度はアイスクリームをのせてからアップルパイを口に運んだ。

 ゆっくりと味わうように咀嚼をして、まだ少しだけ湯気の立つ茶を飲んで口を開く。


「私が許す許さないではない。二人で決めた事であるならばそれを貫けばよい。教会の保証人ならば私も名を連ねよう」


 その言葉を聞いたリグとエリスは、ようやく緊張の糸が切れたようでようやく目の前に置いてあったカップに手を伸ばし、喉がカラカラだったのか一瞬でお茶を飲み干した。おかわりが欲しいような顔をしているが、緊張の糸が切れたと言っても現在進行形でクレメントとロイ、アッシュの話し合いは続いている。


「まだ世間には偏見はあるが、気にすることはない。お前たちには実力もある。何か言われたとしてもしばらくすれば心無い言葉も落ち着くだろう。二人の方針に基本的に口出しするつもりはないが、一つだけ。必ず一人は養子を迎えろ。以上だ」

「以上だって……。いや、保証人の件はありがたいです。お願いしようと思っておりましたので。ですが、息子同然の俺が大事な人を紹介したと言うのにいつもと変わらな過ぎて逆になんでだと問いたいぐらいですよ」

「息子、同然……?」


 工房に来る人もいないし、弟子の人達も手を焼くほどの面倒くさがりで、口が悪くて仕事馬鹿なくせにアッシュの事が大好きだと言うことぐらいで、ロイの家族構成についてはシズクは何も知らなかった。


「あぁ、学生時代両親が他界したあと、授業を受け持ってくれていたクレメント先生が後見人を買って出てくれたんだ。今はもういい大人だし独立して不要になったが……。恩師であり親みたいなもの、ではある」

「そう言う割にはあまり顔を見せてくれぬではないか。この親不孝者が」

「それは、仕事が忙しくて仕方なく……」

「忙しいと言う割にはアッシュとは逢引きしていたのだろう」

「私は人目を忍んでロイと会ったりなどしておりません。正々堂々とお付き合いしているつもりです!」


 そういうことを言っているのではない。とぴしゃりとクレメントがたしなめる。


「何かあれば遠慮せずにくればいいと言っている。昔からお前たち二人は大事な場面で連絡して来ぬではないか」

「先生はいつもお忙しいですし、つい先日留学から戻られたばかりではないですか」

「ふん、もっともらしいことを言いおって。留学しようとしまいとほとんど家に寄り付かぬではないか。そう言えばリグとエリスからも遊びに来ると言いつつ来ぬな……」


 ようやくこの空気にも慣れてきたのでアップルパイに手を伸ばしたリグとエリスだったが、急にクレメントから話を振られてびくりとその手を止めた。


「リグとエリスはクレメントさんとはどういった関係なの?」

「どういった関係って、クレメント様は大学の教授先生でこの国で数人しかいない王族直属の魔法技師で、それなのに庶民が通うような学校でも教えてくれてな。俺もエリスも子供の頃にお世話になった事があるんだ」

「リグもエリスも幼い頃から手先が器用だったな。貴族よりも今を生きる力とイマジネーションに溢れているのは市民の人々だ。未だ常に自分も刺激を貰っている」


 勉強の好きなただの変わり者のじいさんなんだ、と小声でロイがシズクに教えると、クレメントは聞こえているのだぞと言わんばかりにぎろりと睨む。

 

「して、二人の話はこれで終わりか?」

「終わりかって他に何か言う事あるんじゃないですか?」

「他に……。男同士は、あれだ、それなりに色々大変だと聞く。精進しろよ」

「いう事それかよっ!!! おめでとうだろうがっ」

「言葉遣いが悪い」

「ーーーーっ!!」


 大真面目に答えたクレメントにロイはたまらず声を上げた。

 先ほどまでの塩らしい様子の口調から一転、ようやくいつもと同じような口の悪さに戻ったロイだったが、クレメントにはかなわないのか珍しく不貞腐れながらも、とにかく物凄く小さな小さな声でお願いしますと絞り出した。そのやり取りが、悪ガキと近所の頑固おやじのような構図過ぎてシズクはついニヤニヤとしてしまう。


「まぁ今日はそれでよかろう。して、この茶菓子について少し話がしたい」

「え?」


 この場にいる誰もが何故急に茶菓子の話になるのかと頭に疑問符が浮かんだ。


「こんな茶菓子は今までに食べたことがない。アウラ商会でもゴトフリー商会でも取扱していないはずだ」

「えっと、自分で作ったのでお店では売っていません」

「ほう……。これはミーロンの実を甘く煮たものと……、もしや甘芋を一緒に焼いたのか」

「はい。ミーロンと甘い物パイです……」

「生地の一番下にはクッキーのような生地を細かくして入れているのは何故だ」

「入っていると食感が変わっていいんですよ。クッキー生地の他にはスポンジを入れたりするのもおいしいですよ」

「ほぅ。興味深いな……」


 クレメントを知るシズク以外の者たちは、自分が幼い頃からクレメントを知っている。外見はまだまだ四十代と言われてもおかしくない程若々しいが、初老と言ってもおかしくない年齢のようだ。

 それなのに何かに対しての探求心が薄れることがないって凄い……。 


 シズクがこの世界にやってきたのとほぼ時を同じくしてクレメントは留学に出たそうだ。

 留学先では教鞭に立つこともあったそうで、本当に探求心の塊のような人だ。


 ミーロンと甘芋のパイについてあらかた知りたいことを聞き終えたクレメントは、知ることに夢中で途中食べるのを止めてしまったパイに再び無言で手を伸ばした。今度は頭の中で作る手順などを考えながらなのか、ゆっくりと咀嚼し味わって食べている。


 思ったよりも強烈なパンチが出てこなかった事に、逆にベルディエットやエドワルドが不審に思いながらも、目の前にある美味しいミーロンのパイとその横に鎮座する溶けかけのアイスクリームの誘惑に勝てず口に運び入れた。


「これは、この前食べたものよりもまたちょっと違うのですわね。前は包み焼でしたが今回はケーキのような焼き方ですわ」

「包んで焼くのも美味しいけど、ホールになってるの切り分けてみんなで食べるのもテンションが上がるからね」

「ミーロンだけの時と違って甘芋があることによって、これはまた別の美味しさがありますわ」


 シズクとベルディエットのやり取りを聞いていたエドワルドだったが、アイスのお代わりが欲しくてそわそわしているのがシズクから見えた。

 ちらちらとシズクをうかがうその様子があまりにも面白くて、それを見ていた皆がこらえきれずについ笑みがこぼれているのを、クレメントは見ていた。


 リグとエリスはクレメントが家にいると言う緊張感で、初めのうちは動きがぎこちなかったと言うのにシズクがミーロンと甘芋のパイのお代わりを用意しようとすると、急にここが自分の家の中だという事を思い出したかのように水を得た魚のように動き出したのも、クレメントは見ていた。


 ロイがぶつくさとクレメントへの不満を本人がいると言うのに堂々と言い始め、それをなだめるようにアッシュが背中をさする。ほうほう、と二人の仲睦まじい様子に自分の頬が一瞬だけ緩んだところを、今度はシズクに見られていたことに付いた。


 何か冷やかされるかと思ったが、そのようなことはなく、にこりと微笑む。

 

「お茶のお代わりいかがですか?」

「いただこうか」

「はーい」


 全員のお茶のお代わりを緊張していたリグとエリスと共に準備して、何事もなかったかのようにまた楽しそうに歓談に加わるではないか。いつもはしかめっ面のベルディエットも、愛想はあっても学校では表情が硬かったエドワルドも、普段はあまり腹の中を見せようとしないロイも、いつも飄々としていてつかみどころのなさそうに見えるアッシュも……。

 

 自分がユリシスを離れている前からそれぞれが元々持っていた心の奥底にあった目に見えない柔らかい部分が、このシズクと言う人物によって自然に引き出されているのだとクレメントは何となくだが確信があった。


「今日はいい日になりましたね」


 またすぐに他国に学びに行こうと思い立ってしまうかもしれない自分の事を考える。

 数年待たせてしまうことになるよりは、今どうするべきかなんてシズクがクレメントに投げかけた言葉がすべてだ。二人からの頼まれごとは、この今日の良き日にこそだと。

 

「よし。皆ミーロンと甘芋のパイは食べ終わったな。出かけるから準備しろ」

「クレメント師匠。どちらに出かけると……?」


 アッシュの問いかけを最後まで聞かずに、クレメントは立ち上がり上着を羽織る。

 そのまま玄関に向かって一直線に歩きドアノブに手をかけたところでアッシュに止められてしまった。しかし止まってなどいられない。


「教会だ。今すぐだ。ここにいる全員で今日お前たち二人の保証人となる」

「ちょっと待ってください。クレメント師匠。それはもう少し段階を踏んだ後に……」

「今日が吉日だ」


 破談になる事もないだろうが、思い立ったが吉日とどこかの国の格言にもあったはず、とクレメントは一人頷き、その場にいた戸惑う全員を引き連れて教会に向かって歩き出したのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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