77.アボカド
「そう言われましても……」
朝、市場で屋台を準備しながらシズクはため息とともにその一言を吐き出した。
先日あれよあれよという間に城で国王と顔を合わせると言うびっくりするような出来事があったばかりだと言うのに、目の前の見目麗しい近衛騎士団団長のアッシュがまたびっくりするような提案をしてきたのだ。
「そこを何とか……。ロイが一番信用している家族は君達を置いて他にないし」
「いや、それはそう思ってくれてるなら凄く嬉しいんですけれど……。それは置いておいてですね、かなり分不相応と言うか荷が勝ちすぎていると言うか……」
アッシュと正式にパートナーとして教会に届出を出すときの保証人になって欲しいのだと、朝からお願いにやってきているアッシュと断るシズクの押し問答が続いているのである。
「それにしてもお二人共お忙しいのに、もうそこまで話を進めてるんですね」
「はい……」
そう言ってピタリと動かなくなった後、アッシュはバツが悪そうに苦笑いをしながら頭を掻いた。
また話しにくいのだろうかと思ったが、そうではなかった。
「実はまだ、なんですけれど、そろそろですね……、いつそういう事があっても大丈夫なように根回しだけはしておきたくて……」
「!」
もじもじと指を合わせながら話をするアッシュの表情に、シズクは込み上げる笑いを隠せず思わず声を出してしまった。
常に自信に満ち溢れ、近衛騎士団団長としての責務を全うしているアッシュを見ているが、今目の前にいる人は、同一人物とは思えない。
「僕自身もなんでこんなに気持ちが溢れるんだろうなって不思議なほどロイの事が愛おしくて、絶対にずっと一緒に居たいんです。自信がないと言うわけではないんですが不安もあって……。だからせめて外堀は早めに埋めていこうと思ったんです」
外堀から埋めていく、と言ってはいても、その行動の根幹をなすものはロイが好きだと言う気持ちでいっぱいで、臆面もなく惚気るアッシュになんだかんだ愛されてるんだなと安心する。が、それとこれとは話は別である。
やっぱり本当に荷が勝ちすぎる。
「シズク! おはよう……。あれ? おはようございます。団長も朝ごはんですか?」
アッシュとシズクがしばらく押し問答をしていると、朝から爽やかな笑顔でエドワルドがやってきた。
今日は近衛騎士団の仕事も警ら隊の仕事も休みで、久しぶりにゆっくりと朝食を食べながらシズクと過ごすつもりでやってきたエドワルドにとっては、見知った上司の顔がそこにあるのには嫌ではないがびっくりした。
「朝食……、そう言えばお願いすることばかりで、すっかり朝食の事全然考えていませんでした」
そう声に出してしまえばアッシュの腹の虫も鳴るというもので、色々必死過ぎて忘れていたが意識した途端に腹が空いていたことに気が付いてしまった。
「お願い? シズクにですか?」
「あ、えっと……」
そんな少し気の抜けてしまったアッシュとは正反対に、エドワルドの心中は穏やかではいられない。
お互い知らない仲ではないが、こんな風に直接個人的に何かをお願いするような仲であるとは思わなかった……。さらにシズクが言い淀んでアッシュを窺い見るほど、自分にはすぐ話せない内容なのかと思うと、自分の心に落ちた一粒の雨が大きな波紋となって広がる様にざわつく。
言い知れぬ不安のようなものがじわりと広がり始めたが、しかしその不安はすぐ払しょくされた。
「ロイとのことの保証人に、リグとエリスとシズクの三人になってもらいたいとお願いに来たんだけれど、いい返事がもらえなくってね」
確かにシズクが即答できる話じゃないや。
しょげているアッシュを見た途端、エドワルドが感じた先ほどの不安は消えてなくなった。
寧ろそんなことを思って申し訳ないと心の中で一度謝って、それでもほっとしたエドワルドは気持ちを改めてアッシュに話しかけた。
「アッシュ団長のお家柄などを考えたら、流石のベルタ家と言えど尻込みしますよ……」
「天下のセリオン家と対等な付き合いをしているのに?」
貴族嫌いなリグとエリスに珍しくセリオン家との付き合いはとても良好だ。
どちらかと言えばロイルドがあまりに気さくにやってくるので、大貴族と思うのをやめている節もあるが、それを抜きにしてもお互いがお互いを尊重し友人としての付き合いをしてるのが分かるのだ。
それがリグとエリスの娘ユリアの墓の前で腹を割って話した時からだ……という事は、シズクは知る由もないが。
ぐぅぅぅぅ……
すると、今度はさらにアッシュの腹の虫が主張するように大きく鳴った。
「あははは。あ、すみません。お腹の虫が我慢できなさそうですね。朝食を食べて少し体を温めましょう」
「団長、そうしましょう。ねぇシズク。今日のメニューはなに?」
こんなに美味しそうな食事がいい匂いをさせていると言うのにまったく見向きもしなかった自分が悔やまれる!!
アッシュはシズクとエドワルドの小気味よい会話を聞きながら、目の前にある総菜に目をやる。
二人の会話によると、みそソラムや百日芋の煮物、ピギー肉の甘辛焼きなどのメインの他にもサラダもあるようだった。
中でも気になったのはポルダルムに混ざっている角切りの黄緑色の実である。
「結構出てるけど、つい何か聞くの忘れちゃってた。これ結構好きなんだけどなんて言う名前の食べ物なの?」
最近サラダなどによく入っているもので、少しねっとりした触感の不思議な食べ物だとずっとエドワルドは思っていたのだ。
「これ? アポだよ」
「え? アポ……って、粉にして飲むんじゃないの?」
粉にして、飲む??
アポとは前世で言うところのアボカドのことである。
確かに市場でアボカドを見つけて買おうと思っていた時に、三つ四つ欲しいと言った時に何故か足りるのかと聞かれたっけなとシズクは思い出した。
買うたびに聞かれるので一体どうしてなのか気にはなっていたのだが……。
乾燥させて粉状にするならば数としては少ないからお店の人も気にしてくれていたのだろう。
「アポの実は、昔から乾燥して粉にしてから他の滋養にいいものと混ぜて飲む栄養剤のようなものですからね。直接味わうということは、あまりしないですね」
「フレッシュな状態では食べないんですか?」
「俺はこんなに美味しいなんて知らないぐらいには、今まで食べたことなかったよ」
味を思い出しているのか少し微妙な表情を浮かべるエドワルドの言葉に同意するように、アッシュも頷いた。
他のものと混ぜて飲む栄養剤という事は、スムージー的な感じになるのだろうか。ただ二人の表情からすると間違いなく美味しくはない事だけは伝わってくる。
「でも同じものとは思えないぐらい俺好きなんですよね。パンに挟んでも美味しいと思うし、ハンバーグ何かにも合いそうってずっと思ってたんだよ」
「お、いいね。今日はパンがあるからサンドイッチ風にして食べてみる?」
「食べてみる食べてみる! アッシュ団長も食べますよね」
「エドワルドがそんなに美味しいと言うならば……、私もいただきましょうか」
では……、とシズクは少し考えて今ある総菜でホットサンドを作ることにした。
パンをフライパンで気持ち焦げ目がつくぐらい焼き、ピギー肉の甘辛焼きにアポのサラダをサンドして、チーズを中に仕込んでおく。
結構大きめの具になったがそこは大目に見てもらうことにして、上から少し押さえながら半分に切るだけだ。二人の評価がこれがもし好評ならば今後たまにハンバーガータイプのものを売ってもいいかもしれないと商魂をちらりとのぞかせながら、シズクは二人の前に簡単ではあるが出来上がったサンドイッチを出した。
「結構簡単に作れてしまうものですねー」
「アッシュ団長、違いますよ。これはシズクだから出来ることですから」
何故か自分の事のように話すエドワルドの顔は誇らしげだ。
そしてそのまま誇らしげな顔のまま出されたサンドイッチをエドワルドは口いっぱいに頬張る。
ぱくっと大きな一口を咀嚼し始めると、目が輝く。
美味しいが分かりやすくて、シズクとしては大変ありがたい。
一方今までアポをこのような形で食べて事のないアッシュは、少しだけじっと具をみていただが空腹には耐えきれなかったのか、しかし控えめに一口食べゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。
「思ったものと随分違いますね。少し青臭いく感じる人もいると思いますがこれはこれでくせになる美味しさですね」
「いつも思うんですけれど、シズクの食事に使われる食材は昔からユリシスにあるものもあるのに食べられてこなかったものとか美味しくないなって思いながら長年食べてきたものもあるじゃないですか」
もう一口、今度は大きく口に頬張ったアッシュにエドワルドが問いかけると、間が悪く相槌は打てなかったが頷いて返事をした。
「だから俺、食わず嫌いは良くないなって思うようになって……。他の店だと外れた時が怖いですけど、この屋台というかシズクが作った物は安心できるから、この店の新しいメニューは何でも試そうって思ってるんですよ」
「圧倒的な信頼だね」
「ですね。なんか不思議とシズクが作るものは何でも美味しく感じちゃうんで」
本当に気持ちよくぺろりと食べてしまうエドワルドにはびっくりさせられっぱなしのシズクだが、そんな風にほぼ無条件で信頼してくれているのかと思うと謎に照れが湧き上がってきてしまう。
「食わず嫌い……か」
「イキュアとか凄く美味しくなかったですか? この辺りでは食べたことがないものとか、敬遠されてた食べ物とか調理方法を見直したりするだけで本当はすっごい美味しいって、シズクに教わった出ていうか……」
「確かにイキュアはびっくりしたね。昔からあんなに敬遠していたというのに、今はそんな面影もないほど色々なものに使われるようになったよね。サルモーとイキュアの前菜なんてお酒にも合うからどこでも置くようになったし」
売り出し始めてまだまだのはずなのだが、おせちの口コミ評価なども広がって未だに人気は衰えず……。お土産としても今までは見向きもされない程だったのだが、今や人気お土産物ランキングがあったなら絶対に上位にランクインするほどの人気らしい。
「そうだな……。食わず嫌いは、確かに良くない。良くないな」
アッシュは何かが吹っ切れたようにそう言って目の前にあったサンドイッチを味わって食べ、シズクとエドワルドに挨拶をしようと立ち上がったところで、通りかかった男性に声をかけられた。
「アッシュとエドワルドか。久しいな。このような朝早くから市場とは珍しいな」
シズクは見たことはなかったのだが、並んで立っている人物は知り合いだ。
「ア、アッシュ。おはよう」
「ロイ。おはよう」
ただの挨拶だと言うのに、会えたことが嬉しすぎて言葉がうまく出てこないロイに満面の笑みでアッシュは挨拶を返したが、すぐにその表情を引き締めた。
隣に立つのはシズクは見知らぬ人物だったが、アッシュとエドワルドはぴしっと背筋を伸ばし緊張の面持ちである。
「おはようございます。クレメント先生」
「おはようございます。師匠」
「堅苦しい場ではないのだ。そう畏まるな。してそちらのお嬢さんは?」
物凄く大物感がありすぎるこの目の前の人物はいったい誰なのか。
エドワルドにとっては先生。アッシュにとっては師匠。二人にとって何かしらの先生なのだろうか?
「クレメント師匠! あの、お時間を……」
「構わん。なんだ?」
「ありがとうございます。僕とロイの関係についてお話をしたく」
「えぇあ? アッシュ! ちょっと待ってくれ」
先ほどまでシズク達に保証人にはなってなんて言っていたのに、急に吹っ切れたように目の前の人物に話し始めたことにびっくりしたのはエドワルドとシズクだけではない。
そのクレメントと呼ばれた男性の隣に立っていたロイも同じようにびっくりして、顔が真っ赤になってしまっている。
「三人とも緊張感凄くない?」
「おい、今は何も話すな」
独り言のように出た言葉に、小声でロイのお小言がシズクに飛んできた。
「なんだ、ロイ」
「は、はい。今日夕方に時間をとっていただきたいというのはその話で……」
「そうであったか。ではアッシュの話も一緒に話を聞こう。場所はお前の工房でいいか?」
「いえ。ベルタ家でお話しさせていただければ」
ふむとクレメントは顎に手を置いて少しだけ考え、頷いた。
「では、念のためエドワルド、お前も来るように」
「私もですか?」
そう言って、エドワルドの意見は聞かず、先ほどまでとなりを歩いていたロイも置いてすたすたと去って行ってしまった。
先ほどまでアポのサンドイッチの話をしていたというのに、一体何が起こった?
夕方になって家にあのクレメントと呼ばれた人とロイとアッシュ、エドワルドも家に来るの??
ベルタ家で話を聞くことを少し考えただけで了承したが、そもそもリグとエリスは知り合い??
「っていうかあの人、誰なんだろ」
シズクはわからないことだらけだが、とりあえずは今日の営業はなるべく早めに切り上げて家に帰る事だけは決定したのだった。
お読みいただきありがとうございます。




