74.赤い宝石
懸命に足を動かして前に進む。
こんなに走るのはいつぶりだろうかとふとシズクの頭をよぎった。
街外れの教会まで、シズクが全力で走ってもあと十分ぐらいはかかる。このまま全力で走ることは流石にできないので途中途中歩いたとして二十分はかかってしまう。ならばとランニングよろしく同じリズムでしっかり走ってなんとか早く到着できるように懸命に足を動かし続ける。
「ちょっと、今日はもう外に出たらダメだって!」
「ちょっと街外れの教会に行くだけですからー! 見逃してー!!」
「はーーーー???」
途中警ら隊の隊員に声をかけられ盛大にため息をつかれながら止められるも、強引に振り切って教会にひたすら走り続ける。比較的街の人達も家の中に避難しているようで、人通りもかなり少なく走りやすかったのはありがたかった。
ペースを守りつつ走っていてもランニングよりも速く走っているので、流石に息は上がる。
それはもう、今日までの自分自身の運動不足を恨み嘆くほどに息が上がる。
ただ足を止めてしまうと走れなくなってしまう可能性もあったので、シズクは一旦ペースを早歩きぐらいに落としてちらりと空を見上げてみた。
ユリシスの街並みと綺麗な青い空が広がって、こんな時にだがここで生きているのだと猛烈に実感したシズクは気合を入れなおすために二度自分の頬を景気よく叩きまた走り出そうとした。が、自分を呼んでいるような声が聞こえた気がして後ろを振り返ってみればそこにはシズクを心配しすぎて顔面蒼白なエドワルドがいるではないか。
「シズク!!」
「エ、エドワルド? どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ」
エドワルドも全力で走って来たのか、息が切れ気味である。
ただそこは普段から体を鍛えている人とそうでない人の差が如実に表れ、振り返った拍子に足が止まったシズクは肩で息をしながらなんとか喋るのが精一杯だが、エドワルドは大きく数回深呼吸をしただけで息が整ったようである。
「今日は外に出たらダメだって警ら隊からも注意があったのに、どうして」
「それは聞いたから、ちゃんと一回家に帰ったんだよ。そしたらさ家の前に良く分からないおっきくて赤いものが落ちてるし、教会にもそれが落ちて被害が出てるかもしれないって聞いたらいてもたっても居られなくって……」
焦ってちゃんと聞けていないかもしれなかったが、教会に被害が出てるかもしれないと聞いたのは間違いなかった。シズクはこの街のどの教会にもなんらかお世話になっているし、一番色々としてもらっている街外れの教会であれば尚更気になって仕方なかったとしか言いようがない。
「大丈夫。俺が聞いてるところだと教会の庭とかに赤いものが落ちてるってのは聞いてるけど、街外れの教会は俺が城から出てくる時にはそう言う話は聞いてない」
「本当?」
「ほんと」
大きく安堵のため息を吐きだしたが、そこで終わらないのがシズクである。
安心したため息をしっかり全部吐き出した後、家ではなくやはり街外れの教会に向けて歩き出したのである。
教会は大丈夫だと伝えればおとなしく家に帰ってくれると思っていたエドワルドは、一瞬何が起こったのかわからずシズクの背中を見ていることに気が付いて急いでその手を取って止める。
「だから、危ないってば」
「だって、教会に何かあったらと思うと気が気じゃないよ」
街外れの教会には、畑のこと以外にもいろいろとお世話になっているのだ。
何かあってからでは自分自身が許せなくなってしまう。出来ることはほとんどないにしても、シズクは教会に被害がない事だけでも目にしておきたかったのだ。
「ドラゴンはまだ飛んでるし、まだ何があるか……」
必死なシズクを、さらに必死にエドワルドが止めようとした時。
どごんっっ
と大きな音と共に地面が大きく揺れ、土煙が舞う。
その振動でシズクの体が倒れそうなのを見るや否や、エドワルドは反射的に自分の腕の中に守る様に抱きかかえこんだ。
揺れはほぼ一瞬で納まったが、土煙は待ったままだ。
エドワルドはシズクだけは守らんと、その土煙の先を凝視した。
「何かいる……」
土煙が落ち着いてくると、だんだんとその先にあるものの輪郭がはっきりとしてきた。
赤い、赤い、大きい、何かだ。
「まさか」
「ドラゴンがこんなところにいるわけない」
以前に対峙した時には、遠くまでその存在感が分かるほどに腹の底からせりあがってくるような恐怖があった。しかし今はそのような恐怖はみじんも感じることはないのだ。だから、ドラゴンではない、とそう思いたいと言うのに、その砂煙が晴れれば晴れるほどそれはより一層輪郭をはっきりさせた。
「あの時の子供の方、だよね」
「う、うん……」
エドワルドの腕の中にすっぽりと入ったまま、ドラゴンと目が合ったシズクはなんとか物凄く気恥ずかしくなってもぞもぞと身じろぎしたのだが……、エドワルドが放してくれる様子はない。
諦めてドラゴンの出方を見ているのだが、子供のドラゴンは暴れたりすることはなく何故かずっと喉元の辺りを手でひっかくような動作を続けている。
「なんだろ。また誰かに悪さされて怪我とかしてるんじゃ……」
シズクの心配が頂点に達しそうになったその時に、その喉元からぽろりと透き通った赤い何かが落ちるのが見えた。太陽の光に反射して煌めいているので鱗ではなさそうだ。
ドラゴンはその後喉の辺りを気にすることはなくなり、今度はその赤い何かを不器用にも手で転がしていた。
「えっと、なにしてんのかな……」
「悪いことしてるわけじゃなさそうだけどね」
犬や猫がおもちゃで遊んでいるのと同じようにも見えるが、丁寧に扱っているので遊んでいるつもりではないのかもしれない。だからいったい何なのだと言う思いは変わらずあるのだが……。
しばらくするとエドワルドの腕の力が一瞬抜けた隙にシズクが旨く抜け出すそうと身じろぎしてみたが全く動じることなくすっぽり抱え込まれたままである。
エドワルドを見ると絶対に離しはしないと言う強い意志を感じて、シズクはそこから出ることをあきらめることにした。
しかしドラゴンの動きがあまりにもなさ過ぎて、エドワルドとシズクがどうしたものかと思って居ると、 赤く煌めいたその何かが、ころりとシズクの足元に転がってきたからだ。
「……なんだろ」
「喉の辺りから転がり落ちたよね」
転がってきたものをシズクが拾い上げる。
ビー玉のような大きさのそれは清廉な朝日のような、それでいて郷愁を秘めた夕日のようでもあり、濁りなど全くない宝石のように美しい。
「シズクの瞳の色みたい……」
エドワルドがそうつぶやくと、鈴が鳴るような澄んだ高い音が辺りを包んだ。
ビリビリとする音を振動として体全体で感じるが、やはり不快感も恐怖もない。
次第にビリビリとした振動よりも、澄んだ高い音がより一層強くなったかと思った瞬間、手元に持っていた宝石のようなものと同じような色のキラキラした粒子のようなものがシズクとエドワルドの周りにふわりふわりと漂い始めた。
そして今度は違う澄んだ高音が近づいてくるのが分かる。先ほどよりも響くような音がどんどん近づいてくると、上空に大きな影が出来た。
恐怖はなく温かい思いに包まれているようで、寧ろ心地よさすら感じる。
エドワルドと共にシズクが上を見上げると、赤いもう一つの大きな体が上空を旋回しているではないか。
「あ……。あれ……、あの親の方のドラゴンだ」
「うん。俺にしっかりつかまってて」
エドワルドを見るとシズクだけは絶対に守るぞという意志に満ち満ち溢れた眼光でドラゴンを見据えている。
今の段階でドラゴンが何かしてくるとは思えないが、一度はシズクの体を傷つけたドラゴンだ。絶対に気は抜くまいとぎゅっと宝物を守るようにエドワルドはシズクを抱き込んだ。
ちょっと過保護がすぎるけど、悪い気がしないのほんと自分チョロ過ぎる……。
こちらの世界ではうまく伝わらないであろう言葉は飲み込みつつ、ドラゴンの出方をエドワルドに抱え込まれながら待っていると、特に何かすることはなく子供のドラゴンが親ドラゴンと空中で合流して共に去っていったのだが、その際また何かが落ちてきてシズクの足元に何か転がってきた。
「えっと?」
「赤っていうか今度はより茜色っぽい。しかも大きいね」
「だね……」
先ほど子供のドラゴンが置いて行った赤い宝石のようなものはビー玉ほどの大きさだったのだが、今度転がっていたのはサッカーボールほどの大きさのもので、赤と言うよりも本当にシズクの瞳のような茜色だ。そしてこちらにも濁りなどは一切ない。
「ごめん。これ一体なんだろ」
「ね……」
二つの赤い宝石のようなものに二人で困惑していると、教会の中から神父がおずおずと出てきてシズクとエドワルドを見つけると心配そうに大きく手を振って呼び寄せるように声をかけているのが見えた。
小さい方はシズクでも持つことはできそうだ。大きい方はエドワルドが持ち上げられないほど重たくもない。
とりあえずシズクとエドワルドは何にも分からない状態ではあるが、取り急ぎ教会の人達の安全を確認するために一旦この二つの赤い宝石のようなものを持って教会へ歩き出したのであった。
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