73.追いかけっこ
「危ないから今日は……。えぇ、……そういう事で……気をつけてください」
シャイロが店を発ってしばらく後。
「何かあったのかなぁ」
「どうなんだろ。今日は大きな鳥が空を飛んでるぐらいしか取り立ててなにか珍しい事なんて何もないけどなー」
今日は収穫祭の開催にあたり、今日は屋台の店主達でいろいろ話し合いをする予定があったので忙しくなる前少しだけ話をしようとヒューイと立ち話をしていると、人通りが増えてきた昼少し前に、警ら隊の隊員が一人一人に声をかけて回っているのが聞こえた。
「大きな鳥?? 私も見たいじゃん!」
「たまに空見上げてたら通るぞ?」
「ほんと! 今通るかなぁ」
シズクが空を見上げてみても、今は穏やかに雲が流れ青い空が広がるばかり。
「あ、なんか、呼ばれてるっぽいな。ちょっと良く分からんが行ってくる。またな」
「うん。また今度話そ」
そんな穏やかな雲と空とは対照的に、花屋の屋台の前で警ら隊員が切羽詰まった声で店主を呼んでいるのが聞こえて慌ててヒューイは自分の店に戻っていった。
何やら尋常ならざるその物々しい雰囲気にシズクの屋台の前まで回って来てから説明を聞いた方がいいか、自ら聞きに行った方がいいか……と考えていると顔見知りの警ら隊員が走り寄ってきた。
「シズクちゃーん」
「あ、バリアントさん」
エドワルドとも仲が良い警ら隊員のバリアントだ。
妻であるデイジーとも知り合いなので、なんだか物々しい雰囲気に呑まれそうになっていたシズクも見知った顔が来てくれたことに少しだけホッとする。
「どうしたんです? なんか随分物々しいですよね」
「あー……。そうなんだよ。隠し立てするつもりは全然ないから全員に話をしてるんだけど、実はな、ユリシスにドラゴンが現れたんだよ」
え??
という声を発する口の形を保ったまま、シズクの声は出ていない。
先ほどヒューイが言っていた大きな鳥、とはドラゴンだったのかもしれない。
そう思うと驚きが勝りすぎて音が出なかったのだ。
「いや、別に何か悪さしてるってわけじゃないらしいんだよ。ユリシスの上空をうろうろしててるらしくって」
それでも相手は行動のすべてが全く解明されていないドラゴンで、いつ何があるかわからない。
被害が出ないように念には念を入れて今日は営業を控えて出来るだけ家の中にいる様に、という国からの指示が出ているという説明にとりあえずはほっと胸を撫で下ろす。
「それでも家に突撃されたらしょうがねぇんだけどな」
「確かに……。でもまぁ外に丸腰でいるよりは家の中にいる方が少しは安心感がありますよ」
「違いねぇな」
バリアントががははと笑うと同時に、ノルンが別の屋台の店主に話をし終わったようで走り寄ってきた。
「もー! 全く秋も近いってのに、走り回って汗だくだよ」
「そいつは良かった。少しは鍛錬になったんじゃないか?」
「夜勤明けの体にこの鍛錬は堪えるって」
ノルンは息が上がると言うよりは疲れ切ったと言った方がいいだろうか。しかも夜勤明けで走り回るとは、若いとはいえ心配だ。
残念だが今日は店を開けることなく終了の鐘が鳴ってしまったので、幸いと食べるものは沢山ある。
「あの、バリアントさんもノルンさんも良かったらこれ貰ってください」
シズクが渡したのは、具沢山サンドイッチ。
エドワルドに持って行ってもらったのとほぼ同じものである。
ちなみに城に向かう前に朝食を食べにやってきたシャイロにエドワルドに持って行ってもらったものは、朝店に寄らなかったエドワルドの為に具をかなりマシマシにして渡してあるので、正確には同じものではないのだが。
「え? もらって良いの?」
「はい。今日はもう帰るしもったいないですからね」
「なんか、エドワルドに悪いな」
なんでエドワルドに悪いと思ったのか、シズクは首を傾げて考えてみたが理由は思い浮かばなかった。
もしかしたらエドワルドと、バリアントやノルンと同様別の辺りに説明に走り回っているのに自分達だけもらって申し訳ないということだろうか。
そう言う事なら特に心配する必要もない。何せシャイロにエドワルドに渡してもらう用のお弁当を渡し済みだからである。
「大丈夫ですよ。エドワルドはそんなことで悪いなんて思ったりしませんから」
「お……、おん?」
「それにしても、警ら隊総出で外にいる人達全員に話をするんですか?」
「まぁな。全員にってのが結構大変だけど、住人を守るためだからな。妥協は出来ないぜ」
「あ、でもエドワルドは警ら隊の仕事じゃなくって近衛騎士団の方で任務にあたるみたいで早々に呼び出されてたからな。俺達とは違う意味で大変だよ」
どういう理由でエドワルドに悪いと思ったのかその理由が分からないので二人に聞こうを思ったのだが、それはもう叶わないらしい。バリアントもノルンもシズクと話をしている間に増えてきた屋台の主達に今日の営業は控えるようにと、また言って回らなくてはならないようだ。
そわそわとし始めた二人にシズクは今日店に出す予定だったサンドイッチをいくつか袋に入れて渡す。
「あ、あの。荷物になってしまうと思うけど良かったら皆さんで食べてくださいね」
「ありがたく貰っておく!」
そう言いながらバリアントとノルンに両手いっぱいのお土産を渡してそのままシズクは家に向かって少しだけ軽くなった屋台を引いてきた道を戻る。相変わらず道々に警ら隊の人達が市場の店主達のみならず街行く人達にも注意を促しながら走り回っているのを横目に家のある方向に向かって歩く。
「シズク! シズク!!」
「あぁ、良かった」
家の近くまで戻ると、リグとエリスが少し手前で待っていてくれたのかシズクを見つけるなり心配そうに名前を呼んで手を振っているのを見つけた。警ら隊員に危険だと言われたので今日は店は閉めて帰ってきたのだと伝えると、リグもエリスも心底安心したように頬を緩めた。
そんな二人を見て、なんだか胸の奥がほこほこと温まるような気持ちで三人並んで家の前に戻ると……。
「なんじゃ、これ……?」
家の前に、赤く固そうな何かが一つ落ちている。
そしてそれはかなり大きい。
「外に出ないようにって工房の方に警ら隊の人達が注意しに来てくれたんだけど、しばらくしたら家の外で凄い音がするじゃない? 何事かと思って見て見たら……、これがあって……」
エリスが大層困った顔で赤い何かを見ながら言う。
確かに外は危ないからと注意を受けた後に、こんなものがどこからから大きな音と共に現れたならばそれは確かに不安だろう。
「しかし、これなんだろね。他の家の前には落ちてないの?」
「それがまた不思議なんだがよ、どっかからか音はしたけど、この辺りだとうちの前にしかないんだよな」
リグが持ち上げようとしても持ち上がらないので、小さくしようと色々試みたが切ることは出来なかったのでいくつか落ちていたものの一つだけ、なんとか引きずって工房に運び入れたらしい。という事はうちの前に二つ落ちていたという事か。
「通行の邪魔になるやつだけ、とりあえずな」
「とか言って、なんか素材になるんじゃないかとか考えたんじゃないの?」
「そりゃお前、未知の素材は、ワクワクしちゃうだろうが」
「わかるー」
シズクもリグも新しい素材や食材は試さずにはいられないのだ。いつも通りすぎる二人のやり取りにエリスは大きくため息をつき、あきれた気持ちを全部吐き出した後大きく息を吸い込んで笑い出した。
「なんていうか、ほんとに親子じゃないのに似てるんだから」
「職人の性って言って!」
別にシズクも物凄く嫌がっている素振りもないのだが、全力で否定するシズクに若干の落胆が透けて見えるリグを見ると、笑いが込み上げてきてしまう。エリスはこれ以上揶揄いすぎると二人の機嫌を損ねてしまいそうなのでこれ以上は追及しないでいようと頑張って笑いをかみ殺し、先ほどの話題に戻す。
「それはね、まぁ置いておいて……。このよくわらかないものが街中に落ちてきてるならちょっと怖いわよね」
「さっき警ら隊の人達が危ないから家に帰れって言って回ってたけど、怪我人とかはいないの?」
「あぁ、特に聞いてないし街にも被害はないみたいだぞ」
どうやらさらにいくつかの教会の庭にも落ちていたらしいと警ら隊が言っていたと、リグが言う。
それを聞くと教会に何か被害がないか……、どうにも不安でならない。
「あの、街外れの教会とか……」
「どうだったかしら。でもどこかの教会で怪我人が出たらしいって……」
「え? 被害が出てるの?」
「そう言うわけじゃないみたいだけど……、あ、ちょっと、シズク!!」
街外れの教会だったら……。
いつもお世話になっている牧師さんや子供達に何かあったらと思うだけで、シズクはいてもたってもいられずリグとエリスが止めるのも聞かず街外れの教会に向かって走り出した。
シズクが街外れの教会に向かって走って行ってしまったすぐあと、どうすることも出来ずリグとエリスが家に入ると同時にまた家のドアが叩かれる。
「シズクならドアをノックなんてしないよな」
「はいはい。すぐ開けます」
エリスがドアを開けると、息を切らしたエドワルドが立っていた。
玄関から家の中には足を踏み入れないが、家の中にいて欲しいと願っている彼女を探して目が泳いでいるのが分かる。
「シズク……、帰って……来た?」
全速力で走ってきて乱れる呼吸でうまく言葉が出てこない。
それでもなんとか家にいて欲しいと願いながらエドワルドがリグに聞いてみたが、返事は良いものではなかった。
「あ……、さっき帰って来たんだけどよ、今さっき街外れの教会に……」
「追いかけっこみたいだな……。わかった。ありがとう!」
息が整う間もなく、シズクを追いかけてエドワルドはまた走り出したのであった。
お読みいただきありがとうございます。




