67.伊勢海老の味噌汁
ふんふふーん、とご機嫌な声が真横からずっと聞こえている。
遠征から戻ったエドワルドが冷凍していたスキュラをシズクの元にお土産として渡しに行くと、目をこの上なくまんまるに大きく見開いた一瞬あと、手を叩いて今まで見たことのないような笑顔で頬を染め、歓声をあげた。
「あー!!! 何これ!すっごい立派な伊勢海老!」
イセエビがなんなのかはわからないが、恐らくシズクの故郷ではこれをそう呼ぶのだろうとエドワルドはとりあえず自分を納得させる。
「こんな凄い立派だったら……かなりお高かったんじゃない? 高級伊勢海老を沢山お土産でいただいちゃって、ほんとにいいの?」
ちらっと一度自分を見上げたシズクは、次の瞬間には目の前にあるスキュラをじっと見つめている。
それが猛烈に腹が立つのだが、仕方がない。
「遠征の帰りにちょっとね。元手はかかってないし気にしなくて大丈夫だよ」
「ほんとに本当??」
「本当」
大変嬉しそうにニマニマしているシズクに手を引かれキッチンに連れていかれると、丁度良く解凍され始めたスキュラについて説明が始まった。
「これはね蒸しても良いし焼いても良いし煮ても良いし……。まだしっかり解凍されるまでは時間がかかりそうだから、今日は味噌汁かな。ね、いいよね!」
いいよね、と満面の笑みで問われたならば、いいよと答えるしかないわけで、そう言うとまたもや飛び跳ねてシズクが大喜びする。
「伊勢海老は四尾か。全員分とかめちゃくちゃ豪勢じゃん。ね!」
「ね……」
謎の圧力で出てきた相槌を返すと、シズクは満足気に大きく一つ頷いて見せた。
そして満足げな表情のまま大きめの寸胴鍋をキッチン下からよいせと持ち上げる。
水を入れようとさらに上に持ち上げようとするのが危なっかしくて、エドワルドはシズクが転ばないように後ろから抱え込むようにして支えながらそれを手伝う。
「ありがと!」
エドワルドはなんだかじわりと耳の辺りが熱くなってきて、
振り向きざまの満面の笑みは、その、よく、効く……。
いつまででも後ろから手をまわしているわけにもいかず、いたたまれなくなってエドワルドは何事もなかったかのようにぱっと手を離して距離を取った。
シズクは少しだけ不思議そうな顔をしたが特に気に留めるでもなく、目の前にある少し凍ったままのスキュラをしっかりと水で洗っている。何故か洗ったスキュラの匂いを何度か嗅いでは不思議そうな顔をしていたのだが、んー、臭み消しはいらない感じかな……、と何かに納得したような一言を呟いた後、まな板に乗せ、半分に切る。
「これを豪快にいれます!」
「全部?」
「そう、全部!」
きゃっきゃといった感じでとても楽しそうに四尾半分に切った後、丁寧にゆっくりとスキュラを横たわらせるように寸胴鍋にいれて火にかけた。
ふぅーっと長く息を吐きだし額をぬぐうようなそのしぐさとその表情は、すでに大きな仕事を終えたかのようないい笑顔である。
「っていうか、こんな立派なの本当に良くたくさん獲れたよね」
「結構みんなやけくそで獲ってたからなー。実はさ、折角遠征にいったのに持ち帰れる手土産が無さ過ぎて、見つけたこいつらを本当の手土産にしたってわけ」
「仕事的には物凄く残念だったかもしれないけれど、私はすこぶる嬉しい!」
しかしこれだけ嬉しそうにしてもらえればスキュラも本望、だろうか。
そうこうしているとぐつぐつと湯が煮えている音がエドワルドに聞こえてきた。
「そう言えば、遠征の時に披露したシズクに教えてもらったポルダルムのパスタは物凄く好評だったよ。みんな口の周り真っ赤にして食べてくれてさ。旨そうに食べてくれるのってめちゃくちゃ嬉しい」
「そうでしょ? 美味しいって食べてもらえるの嬉しいよね」
ぐつぐつと煮えてくると、謎のあぶくのようなものが沢山出てくるのがエドワルドには見えた。
しばらくその謎のあぶくをお玉を使って器用に掬い上げて、あまりそのあぶくが出なくなったところでシズクは蓋をした。
「食の好みは千差万別だからさ、その千差万別の中でも美味しいって気に入ってもらえると私まで幸せになっちゃうんだよね」
シズクがぽつりとそう言うと、ポワロをリズムよく細めに切る。
一度鍋の中を確認して蓋を取ると、かき回すというよりはスキュラを丁寧にひっくり返してからシズクがよく秘伝のダシと言っているものを入れた。
「出汁を入れてからお酒とで味を調えて、しばらくまた灰汁を見ながらもうちょっと煮込むね」
「結構煮込むんだね。同じ隊のやつが、普通は生で食べるって言ったたんだけどシズクの故郷だと煮込むのが普通?」
んーと顎に手を置いて、考えているようだ。
シズクの故郷の料理のレパートリーは、弁当の総菜を見ればいいものが沢山あるのは分かる。しかし、生でしか食べないスキュラのレパートリーがさすがにそんなに存在するわけないとエドワルドは思っていた。
しかし帰ってきた答えは、信じられないものだった。
「もちろん生の刺身で食べるのも美味しいけど、今作ってるお味噌汁も美味しいよ。あー、あと和風とか洋風とか色々な味付けして焼いても良いんだよね。それからスープにしてもいいんだよ! 他の魚介と一緒にしたり、ビスクって言って殻を細かく砕いて濾したりしたものも美味しいし、さらにそれをパスタのソースにしても美味しいんだよねー。それからでっかい海老フライにしてみたり、シンプルに塩だけでグリルにしたって美味しいんだよ! まぁどう調理しても美味しいんだよねー!」
ここまで、ほぼ一息。
シズクは比較的よく喋る方だが、こんなに一息で喋るのはエドワルドは初めて見た。
他の食材でもたまに語るように好きが溢れるように喋ることはあるが、ここまでは一度もなかった。これはかなり好きな部類なのだと思われた。
「余すところなく食べられるって言うのがみそでね、この殻からもしっかりとした潮の香りと出汁がじんわりと出てきて美味しさが増すわけですよ! こんな風に!!」
丁度いい頃合いだったのか、鍋の蓋を大きな仕草であけたシズクが鼻を鍋に寄せてその香りを力いっぱい吸い込んだ。が、何かが違ったのか、なんだかちょっと恥ずかしそうにエドワルドをチラッと盗み見て何事もなかったかのように蓋をしめた。
「ん? まだ出来出来上がってなかった?」
「色はすごくいいから、頃合いなんだけれど……。なんか思ったよりも香りが出てなかったからお味噌入れてからもう一回やる」
もう一回やるんだ……。という思いが喉元まで出かかったのだがぐっと飲み込む。何故ならばエドワルドが先ほどの可愛らしい仕草をもう一回見たいからに他ならない。
「頃合いとしては全然いいはずだから、お味噌を入れて少しだけ蓋をしてから一旦匂いを閉じ込めますね」
味噌の入っている容器からたっぷりといい香りがする。
いつも調理済みの味噌の香りしか知らなかったエドワルドは、とても新鮮に感じた。
「ミソ単体だとこんなに芳醇な香りがするんだね」
「そうなんだよ。お味噌は身体にもいいし食べ物も美味しくなっちゃう不思議な不思議な食べ物なんだよね」
そう言うと味噌を溶かして先ほどの宣言通り蓋を閉じる。
何故か無言で器を四つ準備して、鍋の横に並べた。
「そう言えば、リグとエリスはいつ帰ってくるの?」
「今日は会合って言ってたけど夕飯は家で食べるって言ってたからそろそろ帰ってくるはずだよ」
シズクと二人でいるこの緩くて穏やかな時間がなんだかとても心地が良くて、そろそろリグとエリスが戻るのかと思うと残念な気持ちになってしまう。
エドワルドは今日の二人の時間を何とか噛み締めようと一歩シズクに歩み寄る。
「そっか」
「うん」
真横に立って少し上からシズクを見下ろすと、目の前の蓋を開けるのが楽しみで仕方ないとばかりに身体が横に揺れているのが分かる。かすかにだがエドワルドの腕に当たっても気にしてないようだ。
「ではそろそろいい頃合いだから、開けます!」
「どんとこい!!」
「やーーっ!!!」
謎の気合いが入った掛け声と共に蓋が開く。
「「おぉぉ……」」
シズクと顔を見合わせながらその白い湯気が上がるのを見上げる。
そして共に立ち上がるこの幸せな香りはこの鍋の中の味噌汁の香りなのかはたまた……。
とシズクが嬉しそうに鍋の中を覗いているので、エドワルドもそれを追いかけて鍋の中をみると、そこにあったのは光り輝くような、赤だった。
遠征で見つけたものは、ここまで赤くはなかった。スキュラ元々の赤で食べたことがあるという隊員もおかしいなどとは言っていなかった。
それがどうだ。
これであればドラゴンの鱗と間違うのもわかるというぐらいに煌々と宝石のように赤い。
「うーん、思ってたよりも香りが……」
こんなことがあるのかとエドワルドは驚いたと言うのに、シズクはスキュラの色が変わったことに対して全く驚いていない。
「でも、しっかり火も通って綺麗な赤! 美味しそうでしょ?」
「火って、熱ってこと? 熱にさらされたら赤くなるの??」
「甲殻類は基本的にそうだと思うけれど……、どうしたの?」
ふむと顎に手を乗せてエドワルドは考える。
持ってきた時にほんのりだけ赤かったスキュラを調理の為に熱を入れたら宝石のように赤く光煌めいた。
「茹でても赤くなるって事は、焼いても赤くなるって事だよね?」
「そりゃそうだよ。殻に含まれてる成分に熱が加わると赤くなるって……、常識ではなかった?」
「スキュラ自体があまり食べられないからね」
「そうなの!!??」
心底びっくりしたようなシズクの顔は、何度も見てきた。
今回もご多分に漏れず、であるが今はそれどころではないのだ。
熱が加わると赤くなる……。
スキュラは、熱が加われば今目の前にある鍋の中に見えるものと同じように赤く煌めくのだ。
という事は、もし、ドラゴンがいたとして、近くにあった大小の骨は何か生き物と戦った痕かもしれなくて、それに対して火で応戦した可能性もあるわけで……。もしかしたらその熱でスキュラが熱せられた可能性もあって……。自分たちが遠征で足を運んだ前日の雨で、赤く色の変わったスキュラの殻が川に流れて見えなくなった可能性もないとは言い切れない。
そして、火を扱って応戦する生き物は、人間の他にエドワルドはドラゴンしか知らない。
仮定の上にさらに仮定を重ねているだけなのだが、絶対にないとは言い切れない。
ドラゴンはもしかしたら遠征先にいた可能性が少し上がったのだ。
エドワルドはこの事実を何とか早く団長であるアッシュに伝えたかったのだが、報告が上がってから今まで特に被害が無いのであれば大丈夫なのだと思うし、シズクが盛り付けをしているスキュラの味噌汁が全身全霊をかけて誘惑してくるこの香りに抗うことなど出来ようはずがない。すべては食べてからだとエドワルドは一旦報告することを置いておいて、椅子に座る。
「冷凍されてたからかちょっと磯の香りが少ないけれど、味見をしたらすっごい美味しかったから是非味わってみて!」
「磯??」
「うん。海の生き物だよね?」
疑いなど全くない眼でエドワルドを見ながら、シズクがそう言いながら目の前に器を置く。
シズクも正面に座っていただきますと手を合わせて食べる挨拶をしてから味噌汁に口をつけた。
「ふぁー、良い出汁でてるぅー……。うまい……」
ほわっと頬を赤らめて目を閉じて味わうそんな姿を見せられてはこちらもたまらないとばかりに、エドワルドも急いで同じようにいただきますと言ってから味噌汁をすすると、いつもの知っているはずの味噌の芳醇な味わいが爆発して、さらにさらにその奥に確かな旨味を感じた。
白いその身を口にすれば味噌汁を飲んだ時に感じた豊かで芳醇な旨みと、淡白そうに見えるのに甘みのあるその身と相まって……。
「うっま……」
この味噌汁を称える言葉は沢山あるのかもしれないが、エドワルドの口から出たのはその一言だけで、自分自身でびっくりしてしまったほどである。
美味しさにびっくりした拍子にシズクを見て大きく頷くと、それを受け取ってシズクも大きく頷く。
ゆっくりと味わうように味噌汁を口に含むと、また豊かな香りが増す。するとスキュラの頭部分から何やら不穏な色の物体がちらりと頭を出す。
「それはね、ミソなんだけど苦手だったら食べないでおいて、良さそうなら味噌汁に溶かしてみて。コクが出てまた別の美味しさがあるんだよー」
「あー……、そういうミソってことね。俺抵抗はないから混ぜてみるよ」
気を遣ってくれているのか言いにくそうにしているシズクを察してエドワルドは言葉にはせず、ゆっくりとそのミソを混ぜて飲んでみると、本当により一層深みが出ているように感じて思わずほぅっとため息のような声が出た。
「結構好きな感じでよかった! これ磯の香りがあまりないけれど臭みも全然ないしこれはこれで美味しい! はー、これはごちそうだよ」
「磯……? スキュラ? は……」
怪訝な顔のシズクと、それはこっちの台詞だと言わんばかりばかりのエドワルドが顔を見合わせ、次の瞬間に一言を言い放つ。
「スキュラは川の生き物だよ」
「え?」
「え??」
何やら難しそうな顔をしていたと思ったら次の瞬間にはきりっとした顔を一瞬にして作り上げているのに、口元だけが微妙に笑ってしまっている。
「伊勢海老が、川に住んでいる……だと?」
「だから、いせえびじゃなくってスキュラだってば」
するとガチャリと扉が開いてリグとエリスが帰ってきた。
家の中に充満するスキュラの味噌汁の香りが二人の嗅覚に直撃したのか、帰ってて来たばかりだと言うのにお腹の鳴る音がエドワルドの耳にも聞こえてきた。
「聞いてよ! これ川の生き物なんだって!」
「おぅ。エドワルド、シズクの御守りありがとうな。ってか何言ってんだ。スキュラは川の生き物だろうが。しっかし珍しもん獲って来たなー」
「おミソシルね! はー、良い匂いー」
リグとエリスとの会話でもその目まぐるしく変わるシズクの一つ一つの表情のどれもがとても………。
リグとエリスが帰って来てくれて良かった。
帰って来なければ、うっかり想いの丈が口から出してしまっていたかもしれない。
玉砕するかもしれないと考えると怖いだけだ。
もう少しシズクとの時間を過ごしたかったけれど、今はリグとエリスが帰って来てくれてなんとなくほっと胸を撫で下ろすエドワルドであった。
お読みいただきありがとうございます。




