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61.梅仕事

「久しぶりですね。シズク」

「御無沙汰しております。マリエット様もお元気でしたか? リグとエリスが寂しがっているのでまたうちに遊びに来てくださいよ」

「あらあら、そんなに可愛らしくおねだりされたなら行かなくてはね」

「可愛いだなんて、お世辞が過ぎますよー」


 庭に案内するために先行して歩いているのはエドワルドの母、マリエットである。


「そんなことなくってよ。シズクは自分が可愛いという事にもう少し自覚を持つべきですわ」

「いやだから、ほんとそんなおだてたって何にも出ないし」

「もうっ! 本当だと言っていますのに」


 その横をベルディエットが並んで歩いている。

 シズクはマリエットとベルディエットに挟まれた真ん中を歩くような形で、セリオン家の中庭に続く廊下を歩いていた。

 さらにその後ろにエドワルドとクレドが続き、その後ろにガイルが続く。


 そのガイルはというと、いつもの大仰態度からは全く想像もつかない程かなり緊張しながら後をついて歩いている。百戦錬磨のゴトフリー商会のガイルとは言え、ユリシスきっての名門貴族宅へ足を踏み入れたのだ。多少の緊張も仕方のない事かもしれない。


「それにしても、シズクがぺスカを知っているだなんて」

「知っているかどうかを今から確認するんだってば」

「そうでしたわね。でも、その大荷物は確信しているのではなっくって?」


 そう言うわけではないのだが、もしも完熟している梅だったとしても完成まではひと月ほどの時間が必要なのですぐにでも漬けた方がいいかもしれないと思ったからだ。そのためシズクは一応それなりの準備をしてきたのだった。

 

「結構時間かかるからさ。もしも私が知っているものと同じならすぐに漬け始めてもひと月ぐらいはかかるからね」

「え? ひと月!?」

「うん。美味しく食べることが出来るまでにはそれぐらいかかるんだよ」


 今回は赤じそは使えないが、基本的な作業は変わらない。

 梅雨のころに梅を漬け、梅雨明けの土用干しまで待ってから天日干しをしたあとしっかり三日ほど乾かせば出来上がりである。シズクも昔祖母に作り方を教わってからという物、塩加減を調整しながら毎年漬けたものだ。


「最近つわりが始まったって言うから、これからピークがやってくると思うんだよね。その間に何とか食を進められるように作ってあげたいからね」

「そう言ってもらえるとありがたいな」


 そうガイルに妊婦であるクエルを気遣うシズクを見るマリエットは、にこりとほほ笑んで目を細め、先を促した。


「ささ、こちらですよ」


 長い廊下を歩いた先にあったそこは、裏庭のようなところだったがとても綺麗に手入れをされている。

 いったいどこにこんな庭を隠していたのかと思うほど、見事なキッチンガーデンが広がっていた。

 キッチンガーデンと言うにはかなりの規模ではあるのだが……。


「ここは先祖代々守られてきた畑で、色々な国の要人から頂いた献上の品を植えたりもしているのよ。ぺスカは……、これよ」


 マリエットが梅と思われる木の前まで歩いて教えてくれた。

 そこには見事な南高梅に似た品種の梅の実が、黄色く完熟して芳醇な香りを放ってたわわに実っていた。完熟している実が結構な量落ちているのが見える。


「これ、これですよ! 完熟してる感じするしすぐに作り始められそう!」

「すぐに?」

「うん、すぐすぐ!」


 横にいたエドワルドがびっくりして声をかけてきたが、シズクは食い気味にすぐだと返事をすると落ちている実を選別し始めた。

 うんうんと唸っていると、クレドが真後ろに立ってどれがいいのか聞いてきた。


「えっとですね、これぐらい黄色の実で……」


 そう言って先ほどシズクが取った実をクレドに渡してみる。

 うむ、と一言呟いてシズクとは別の場所で完熟した実を探し始める。


「シズク! 俺も!」


 そう言ってエドワルドもクレドに負けじと同じように完熟している実を確認して探し始める。


「実を探すのはあの子たちに任せて、私達はお茶にでもしましょう?」

「あ、ありがとうございます。クレドさん、エドワルド、実はこのざるにのるぐらいで大丈夫だから!」


 シズクが二人に取りすぎ注意を促すと、すぐさまお茶の用意が運ばれてきた。

 マリエットとベルディエットが座った後、どうにもおずおずとしていたガイルもようやく一息つけるとばかり末席に腰を下ろすが……。


「シズク! これぐらいでいい?」

「黄色くいい香りのする者だけを厳選してあるぞ!」

「お、俺だっていい感じのヤツだけちゃんと探した」


 しかし、お茶の準備が終わる前にクレドとエドワルドが競うように梅の実を取ってくれたおかげで物の数分で終わってしまった。

 そのどれもがしっかり完熟しているもののように見えて、これならばすぐにでも作業できるのだが一旦お茶を頂いてから作業しようと出されたお茶を飲んでいたのだが……。エドワルドの興味津々なまなざしにシズクは耐えきれずに作業を進めることにするのであった。


 南高梅によく似た品種だが、皮は厚めである。

 ヘタを取るために楊枝を持ってきてあるので実を傷つけないように丁寧にヘタを取る。


「随分と器用に取るのだね」

「ガイルさんもやってみますか? クエルさんの為に想いを込めて」


 そう言ってガイルにヘタ取りを一緒にしてみようと提案してみる。楊枝を取って丁寧にヘタを取り始めた。黙々と作業すればすぐに終わるという物で、マリエットとベルディエットの二人が他愛もない話をしている間にあっという間にこの作業も終わってしまう。

 しっかりと洗って丁寧に優しく水気をとる。


「あら、もう終わり? 結構簡単なのではなくって?」

「まだ終わりじゃないよ。簡単なんだけれどここからが大変なんだよね」


 そう、梅干しを漬ける時の大敵はカビである。

 梅雨の季節に漬け始め、塩の量が少ないと梅酢が上がり切らずカビが発生することがあるのだ。小さい時は何回か失敗して悔しい思いをしたことも一度や二度ではない。しっかりと強めのお酒で消毒をして二、三日後梅酢が上がってくるまでは油断できないのである。そしてこの世界にはラップに似たような透明なフィルムのようなものがあるのでそれを使用する。


「保存容器を強めのお酒で消毒した後、ぺスカと塩を交互に入れていって……、最後はこの油汚れ取りにもアルコールで消毒して上から蓋をします! さらにその上に重しを乗せてしっかりと蓋をするんだよ」

「油汚れ取りのフィルムなんかでいいの?」


 油取りのフィルムとは、サランラップのようなものである。

 災害時サランラップは食器洗いなどにも使えたと記憶があるが、サランラップはこちらの世界では油掃除用の掃除用具なのである。


「まぁ、今準備出来る中だとコレが一番最適な感じ。で二、三日待ちます」

「大変って言ってたけど、結構すぐじゃない? 塩を入れてたみたいだけど甘くなるの?」

「ふふふ。聞いてくれたね、エドワルド君」


 ちっちっち、と人差し指を左右に少し揺らしてエドワルドに……、というよりもここにいる全員にシズクはこれからの説明を始める。


「この後少し暗くて涼しい場所において中身を確認しつつ二、三日待ちます」

「それで出来上がり?」

「違います。エドワルド君。ガスが出てたら抜きつつ梅酢をなじませながら梅酢がたっぷりになるまで繰り返して梅雨明けを待ちます」

「つゆ……?」

「あ、えっと、本格的に夏になるのを待ちます」

「待ってくれ。今からだとひと月ほど待つと?」


 途中でクレドが質問をしてきた通り、この世界では今からであれば半月ほどで本格的に夏がやってくる。


「そう。で、その夏が来たら晴れた日を狙って三日ぐらい天日干しして出来上がりです!」

「そんなに? すぐには食べられないって事?」

「梅仕事は、丁寧に時間をかけてこそ美味しくなるんだよ。味は出来上がってからのお楽しみ」


 うんうん、と一人で頷くシズクを、半信半疑で全員が見ている。

 時間をかけたら美味しくなる、もこの世界ではあまり一般的ではない。熟成させる、みたいな概念もあまりないのだ。


「夏にぴったり、塩分も補給出来て、妊婦さんの食欲にも貢献できるはずだから期待しててよね」

「でも出来上がりはひと月先ですわよね」

「そう。ベルディエットも楽しみにしててよね」


 ぺスカ干し?なんて名前になるのだろうか。

 この名前もどうするか考えなくてはいけないが、それよりもこのぺスカはセリオン家のキッチンガーデンでしか取れないのであれば商品化が難しくなることの方が重課題だと思われる。

 

 夏の塩分補給にさっぱりした酸っぱさを提供できる食べ物だが、実を取ることが難しいと商品化できない。キッチンガーデンにあった数本で受粉なども行えているのが奇跡的でもあるというのに、これ以上はさすがに難しいかとシズクも商品化はやめて毎年少しだけ分けてもらう方向で考え始めていた。


「ぺスカの実なんて毎年どうにもならなかったのに、これなら裏にある木からも取れるからいっぱい作って年中食べられるようになるんじゃないかしら?」

「いっぱい?」

「えぇ。裏の方に三倍ぐらいの木があるのよ」


 うっそ!とつい大きな声が出てしまった。

 実がなる木なのかは実際に見て見ないとわからないが、それでもキッチンガーデンの三倍あるならば、場合によってはかなりの数が作れて、自分の店で使えるばかりか少しぐらいは販売もできそうだ。


「シズク、嬉しそうだね」


 ついつい顔がにやけてしまっていたのをエドワルドに見られていたようだ。

 どういう表情と言っていいのかわからないが、馬鹿にしている表情には見えなかったのが救いである。


「うん。故郷の味に近いものが作れそうだなって思ったのと、またレパートリーが増えるから嬉しいなって思った」


 そう。

 醤油や味噌がこの世界にもあることで、日本にいた頃の懐かしい味をどうしても求めてしまうのは仕方がない。

 白米があれば、なおさら……。


「うちでは失われてた作り方が分かっただけでもありがたいのに、また誰かに食べてもらえる機会がやって来たなんて、素敵な出会いだわ」

「その通りですわ。お母さま」


 マリエットとベルディエットがぺスカの木を眺めながら優雅にお茶を飲んで談笑している。

 競うようにぺスカの実を集めてくれたエドワルドとクレドにも感謝だ。

 

 ガイルはというと、このぺスカ干しがいち早くできて欲しいと隣で何とか早く作ってくれと懇願してくる始末である。


「この実があればつわりも軽くなるのだろう? 私はね、両親の顔も知らずに育ったものでね。強がって生きてきてはみたもののどうにも寂しくてね。だから家族が増えるのはとても嬉しいんだ」


 いつもは不敵とも思えるガイルだが珍しく優しく微笑んだ。

 パートナー達にも思うところがあって、それぞれがガイルを独占したい不満を皆で言い合える環境作りも徹底しており、皆で家族だと言い合える絆をはぐくんでいるのだと言う。

 

 その状況は全然シズクには想像できないのだが、ガイルを含め全員が納得しているのであればそれはガイルたちの家族の形なのだと、自分には想像するには難しいがシズクはそう思う。


「一月後ぐらいの天気のいい日に、三日ほど天日に干して出来上がりです。手間暇かけて愛情たっぷりに仕上げましょう」

「一か月後に出来上がりではなく、そこから三日もかかるというのか!」

「俺は我慢できるから!」

「つまみ食いしそうだな」


 カビが生えないようにしっかりと消毒して塩に付け、ちゃんと梅酢が上がってくるまで空気を抜いたりゆすったり。そこまで来たらあとは干す日まで涼しい場所で保管する。

 そして時期が来たら、一つ一つざるなどに丁寧に取り出してくっつかないように干すのだ。


「そう言えば、そっちのはなに?」

「え?」


 梅を漬けている間に、もう一つ小さな瓶にシズクガこっそり作ったものがエドワルドの目に留まってしまった。

 完熟梅をアルコール高めの焼酎に似たお酒で丁寧に拭いて、氷砂糖と比較的癖のなさそうなブランデーで梅酒を作ったのだ。


「何やら氷砂糖も入っているようだな」


 クレドにも見つかってしまった。

 堂々と鎮座しているわけではないが、目に留まってしまっては隠し切れない。


「ぺスカ酒を作ってみたんだけど、もしうまくできたら一緒に呑んでよ」

「このぺスカで酒か。シズク殿が作るのだ。美味しくなるはずだ」

「そうそう。絶対美味しいと思う。楽しみだなー」


 美味しくなるかは未知数だが、クレドと、そしてエドワルドと一年後の約束が出来たことが楽しみではある。


「で、こっちのお酒はどれぐらいでできるの? さっき漬けていたのがひと月っていってたから、こっちは二、三か月?」

「恐らくこのぺスカの香りを酒に移すのだろう? ならば半年ほどは必要ではないか?」

「うーん。一年は寝かせるつもり」

「「一年!!!」」


 美味しくするためには時間が必要なのである。

 

 梅仕事を終え、一月後にまたお邪魔する約束をして解散した。

 シズクだけは翌日と翌々日、瓶の中身を確認しに勝手口からお邪魔する許可をもらい、梅酢が上がってきたことを確認して涼しくて暗い場所に保管してその日が来るのを待った。

 ひと月ほどした頃、当面雨が降りそうにないと花屋のヒューイが言っていたので、朝食を食べに来ていたエドワルドに干す作業をする旨を伝える。準備をしてくれていたセリオン家の料理人に感謝しつつ、ざるに丁寧にぺスカを干すこと三日。


 出来上がった梅を器用にフォークで小さく分け食べたマリエットとベルディエットの眉間のしわと突き出した口が、うまく行ったことを告げているようだった。シズクも一粒食べると、なかなかいい酸っぱさの中にほんのり甘みを感じられる上品な味わいの仕上がりに大変満足したのであった。

 

 ちなみに一個丸々ぱくりと口に入れたエドワルドとクレドは、目をぎゅっと閉じ口を突き出して顔全体で酸っぱいと言っているのがわかって笑ってしまった。

 ガイルに至ってはそんな顔になるほどなものをパートナーに食べさせていいか本気で心配していたようだが、実際持ち帰って食べてもらうと、大変喜ばれたと後日謝礼が届いたほどであった。


「ぺスカ干し、おにぎりに入ってたら絶対美味しいよね」

「わかってるね! エドワルド!」


 こそっと話かけてきたエドワルドが、今度はおにぎりに入れて欲しいとリクエストをした後すぐ、小さくシズクの耳元で囁いた。


「あと……一年後。約束だよ」


 優しく、全身を包み込まれるような暖かい声で耳元で囁かないで欲しいのだ。

 耳どころか、頬が熱くなってくるのをシズクは感じて、クレドにもそしてその声を発したエドワルドにも不審に思われない程度にそっと離れる。


「覚えていたら、ね」


 誤魔化すように大きな声でシズクはエドワルドにそう答えるのが精一杯であった。

天日干しはしてもしなくてもお好みで。


いつもお読みいただきありがとうございます。

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