55.オニオングラタンスープ
春にしては汗ばむ気温に、そろそろ夏が来るのだろうときらっきらに輝く太陽とその近くにそよぐよう泳ぐ真っ白い雲を仰ぎ見た。
「ミョンが泣き始めるのはまだまだ先ね」
いったいこの貴族のお嬢様はどのように時間を捻出してこの店にやってくるのかわからないが、目の前にいる美少女ベルディエットが頬杖を突きながら呟いた。
「お行儀悪いよ。ベルディエット」
「今はただのベルディエットだからいいのですわ」
先日エドワルドに教えてもらったのだろう。
冷やし中華を食べにやって来たと、お昼前にふらりとやってきたのだ。ただ先日ロイの家で食べたのはあくまで試食である。ほぼ完成ではあるのでもう少し暑くなってから気温が上がる昼ぐらいに売り出そうと思っていたので、もちろん今日は用意しているはずがない。
「いつまでも不貞腐れてないで、早く食べてよ」
「不貞腐れてなどいませんけどっ! また、ソラムなんていう珍妙なものを」
今日の総菜一押しは、簡単だけれども美味しいナスの肉みそ詰めだ。
街の教会が管理している畑で見つけたナスを使った逸品である。見つけた時には大喜びして試作をしたものだが、探してみれば数は少ないが普通に市場でも売ってはいたが畑で獲れるものの方が発色もツヤもいいので畑で獲れるものを使っている。
「ここらへんではソラムって言うんだね。これはソラムを焼いて中に肉みそを入れて焼くだけなんだけどかなり美味しいよね」
「美味しい? 人によってはそうかもしれませんが、私ソラムは渋くてあまりすきではありませんわ」
シズクの頭に大きなくクエスチョンマークが浮かんだ。
渋い?
という事は、市場で出回っているものはあくが強いという事だろうか。もしかしなくてもタケノコのようにまたあく抜きをしていない可能性が……。いや、間違いなくあく抜きしていないのだろう。
お行儀悪く、ソラムをツンツンとフォークで突っつきながら食べたくなさそうにしていたが、中の肉みそを発見しようやく肉みそ三に対してソラム一、ぐらいの割合でようやく口に含んだ。
しばらく咀嚼の後、無言で肉みそ二に対してソラム二、次いで一対一、さらにはソラムだけで食べ始めるとすぐに目の前のソラムの味噌詰めは綺麗さっぱりなくなってしまった。
「もう一つと、白米もいただきたいですわ。白米に肉みそが合いそうです。あと何かスープはありますか?」
「今日はね、ケーパのスープあるよ」
「まぁ! ケーパのスープは、私一家言ありましてよ?」
「ほぅほぅ。そうかね、そうかね」
作る工程を確認する為だろうか、ベルディエットが鼻息荒く屋台の内側にやってきた。
「お手並み拝見と参りましょうか」
「よろしくお頼み申します」
「ふふっ」
あらかじめ用意していたトロトロ飴色になるまで炒めたケーパとニンニクを、小さめのミルクパンで温めながらもう少し炒めた後、準備していた昆布和風だしを加えて一煮立ちさせたあと塩等々で味を調える。
「ブイヨンで丸ごとケーパを煮るのではないのかしら」
「細かくしてあるよ。ここら辺は具材大きいもんね。ゴロゴロしてるって言うよりは丸ごと入ってる感じ」
「えぇ。その通りです。キャロッテは三つほどに切られてますけれど、ケーパのスープと言ったら大概はケーパを丸ごと煮たものが出てきます」
「見たことあるよ。びっくりしちゃった。あ、ケーパはこうやって炒めたやつを使っても、お味噌汁に入れても美味しいよ?」
味噌汁に関してはこの店に通うようになってから普通に飲むようになったようだが、玉ねぎ……、ケーパの日には当たった事がないようで訝しがる表情が面白い。
「はい、どーぞ」
「いただきましょうか」
スプーンに掬いふーふーと少し冷ましてから口に運び入れる。
ケーパのスープと言えば丸ごと一個をブイヨンで煮込むのがユリシスの主流だ。
じっくりと煮込んだケーパがほくほくと甘く美味しく、スープと相まってベルディエットは大好きではあるのだが……。この喉を通るそのスープは濃厚で、ケーパの甘みが最大限に引き出されているとベルディエットは感じた。普段食べているものも美味しいとは思うが、これはまた別の美味しさがある。
そしてケーパを崩して食べなくてもすでに刻まれ柔らかいので、晩餐会などで出ればあまり口の周りを気にすることなく味わって食べることができるとなれば、貴族社会で流行りそうな予感がする。
もう一口運び入れると、再び甘みと旨味が押し寄せてくる。
ゆっくりゆっくりと口に運んでいるつもりだったが、気がついたらすでにソラムの肉みそ焼きとご飯、スープを完食してしまっているではないか。
出来ればもう一杯ケーパのスープを飲みたい気持ちもあるにはあるが、すでにベルディエットのお腹はいっぱいだ。
「おかわりはしないで差し上げますわ」
「そりゃどーも」
謎の捨て台詞の後、常温のお茶をベルディエットが優雅に嗜んでいると今度は弟のエドワルドがやってきた。
「シズク!」
「エドワルド。いらっしゃい。何か食べていく?」
「もちろん! 急遽夜勤に変更になっちゃってあんまりゆっくりもできないんだけど……。あとお弁当よろしくお願いします!」
急遽夜勤とは忙しいのだろうか。
春も終わりの時期で夏が近づいている気配はするが、今夜は寒の戻りとまではいわないまでも夕方前から冷え込みそうだと朝顔を合わせた時に花屋のヒューイが言っていた気がする。たしかに通りを歩く人たちの肩が上がっていて心なしだが寒そうだなと感じた。
時間はないけれどお腹は満たせるメニュー。
ならば先ほどベルディエットが食べていたケーパのスープをアレンジして……。
「お弁当に何いれるか選んでちょっと待ってて」
「もちろん! 姉様は今日何を?」
「今日はソラムの肉詰めを食べましたのよ」
「それはまた白いご飯に合いそうな予感がするな」
「外は紫ですけれど、中は茶色いですからね。信用に足ります」
このユリシスでも屈指の人気を誇り、その人気に胡坐をかくことのない名門貴族セリオン家の長女と三男。その二人が市場の片隅にある屋台で肩を並べて話す会話が、大真面目にご飯に合うおかずの話とはなんとも不思議な光景で……。
ただ本当にベルディエットもエドワルドもこの店の料理を好きでいてくれて、シズクも嬉しくないはずがない。じわりと頬が緩む。
さて、二人の微笑ましいご飯力のあるおかず談議を聞きながら、シズクはケーパのスープを作り始めた。同時に薄く切ったパンをフライパンで焼き色がつくまで一旦焼く。チーズをその横で焦げないように少しだけ焼いて、パンに丁寧に乗せた。
スープにパンとチーズを器に盛り付けたら出来上がりだ。
「ささ、召し上がれー」
器一つ。
目の前のベルディエットとエドワルドが喉を鳴らす音が聞こえた。
「姉様。セリオン家の長女ともあろうお方が、そのように喉を鳴らすなど、他家のものには見せられませんね」
「愚弟よ。そっくりそのまま返しますわ! 三男とはいえあなたもセリオン家を背負うもとして、いささか行儀がよくないのではなくって?」
「もう喧嘩しないの。これはエドワルドのだよ。ベルディエットはさっき食べたでしょ?」
「そんな!」
先ほど自分に出てきたものと、ほぼ同じはずなのに全く違う。先ほどベルディエットに出てきたのは、シンプルなケーパのスープだった。
シンプルではあるが味には深みがあり、今まで食べたどのケーパのスープよりも美味しかったのでそれ自体に不満などない。
しかし今目の前に出てきたのは先ほどのケーパのスープの上に、こんがりと焼かれたパンとチーズが乗せられ見た目が全く違うのだ。あれだけ美味しかったスープにパンはおろかチーズまでプラスアルファされたことで味のバランスが崩れてしまうのではと心配になるのは一瞬だ。
スープと、パンとチーズの香ばしい香りが相まって、より魅惑的な香りに変身している。
「食べ方は好きに食べてー。スープとパンとチーズを別々に食べても良いし、軽く混ぜて食べても美味しいよ」
「混ぜてみる!」
一瞬ベルディエットに勝者の笑みを向けてから、大きな目をさらに大きく見開いて、スープを嬉しそうに混ぜるエドワルド。
それを見つめるベルディエットの猛烈に悔しさの滲み出る表情がなんだかとても面白くて、ついついシズクの頬がまた緩んでしまう。
「いただきます」
スプーンに掬うと湯気が上がる。
ふーっと何回か大きく息をかけて冷ましてから、大きく口を開けてパクリ。
キラキラとした目でシズクを見つめながら咀嚼する。
ごくんと大きく喉仏が動くと、ほぅ……とため息混じりの声を発した後、二口目を同じように口に迎え入れると、またうっとりした表情で食べ進めた。
「なにか感想なりなんなりおっしゃいなさいな。というか少し食べさせてちょうだ……、ちょっと! もうなくなってるじゃありませんかー!」
ベルディエットの悲鳴にも似た声を出しながら、今し方綺麗に空になったエドワルドの手の中にある器の中を覗き見ている。
「そんなに見つめてもなにも入ってないから、っぃって!」
足元でがんっと景気のいい音がしたので、ベルディエットがエドワルドの足でも蹴ったのだろう。
「それにしてもこんなに食べやすいケーパのスープは初めてだよ!」
「その通りなのですわ。ケーパが丸々と入っているスープももちろん美味しいのですけれど、これは食べやすくて安心する優しい味わいなのです」
「しかもパンとチーズが乗ってるからすっごく美味しいのに腹持ちも良さそうで最高にいい!」
この世界に美味しいスープがないわけではない。
しかしちゃんと美味しいスープは沢山あるにはあるが、何故か具材は大きく切らないといけない……、というやはり世界共通の決まりごとがあるのだろうかと思うほど、ほぼ丸ごと調理に使われているのだ。
丸ごと丸々そのものが入っているので食べやすいとは言い難い。
「そう言えばポタージュみたいなのは見たことないんだけど、そう言うのはないの?」
「ぽたーじゅ? スープとは違うのかしら?」
「ほーん。じゃぁちょっと作ってみるかな」
「今ですの?」
今な訳ないでしょとベルディエットに言うと、不満は残るが仕方ないと言ったように肩をすくめた。準備出来てないから、また来て欲しいと伝えるとエドワルドも絶対俺も食べたいと力説しながら、シズクからチョイスしていた総菜を詰めてくれた弁当を受け取った。
「そう言えば、あの男が出る音楽会は明日だったかしら?」
「えぇ、姉様。国立音楽堂で夕方からですよ」
あまり行きたくないといった表情を浮かべ、エドワルドとベルディエットの二人が同時に大きくため息をついた。
「二人共行くの?」
「うちもアイツのパトロンだからさ……。俺は別に行くつもりはないって父上に話したんだけど、国王様主催だからちゃんと出席しろって。そのために今日は急遽夜勤に変更してもらって。でもやっぱりいまからでも行くのやめようっかな」
「抜け駆けはいけませんわ。私も行くのですからあなたも必ず来なさい」
妙な圧をエドワルドにかけると、ベルディエットも帰るために席を立った。エドワルドも仕事に行かねばならないが、まだ食べ足りないようだ。名残惜しそうに立ち止まっては振り返り手元の弁当箱をじっと見てはまた振り返り、なかなか進まない。
二人共あまり乗り気でないかは分からないが、行きたくないことだけは二人の態度からわかるので、少しぐらいやる気を出して欲しい。
今夜は少し寒くなるようだが、明日は暑いだろう。
先日市場で見かけた甘くて黄色いもので初夏を味わってもらおうか。みんなびっくり百日芋を違うのもいい。どちらも簡単に手に入れることが出来る材料なので、シズクは二人にやる気を出して欲しくて声をかけた。
「二人とも明日ちゃんと音楽会に出席出来たら、帰りにうちに寄ってよ! 夏の美味しいご飯作って待ってるから」
とぼとぼ、よぼよぼ。
見るからに肩を落として店を離れていた二人がその声を聞くと、眩しい笑顔でシズクに向かって振り返える。
屋台からはそれなりに離れていたというのに、明日!絶対!やったー!と、嬉しそうに声を上げるのがシズクにも届いた。
「やれやれ。あんなに喜ばれちゃぁ頑張らにゃいかんね!」
先日見つけて、絶対に食べたいと思っていたアレをシズクはお見舞いしてやる準備を始めることにした。
お読みいただきありがとうございます。




