54.冷やし中華のその後。
BLっぽい回です。
苦手な方はご注意ください。
「お前……、なかなかやるな」
細腕ではあるが、毎日そこそこ重たい屋台を引いて仕事をしているシズクから繰り出された抉り上げるような渾身のボディブローを正面からくらったフロースは、四つん這いになりながら顔だけをなんとか上に上げて、掠れた声で尋ねた。
「うっさい! デリカシーない事言うからじゃん!」
そう。
今さっき、フロースはロイの恋心を、事もあろうか本人の前で暴き言い放った。自分でその思いを伝えていないにもかかわらずだ。
外野のシズクの怒りが一気に沸点に達した。
目の前にいるロイは、正面を見つめて固まったまま動かない。
「デリカシーって……。別に隠しているわけではなかろう? 二人が良きパートナーであることは、初めて会った私でもわかる」
「ドヤ顔で分かった顔すんな!」
困惑しているロイ。アレックスとエドワルド、そしてアッシュはきょとんとした顔で何が起こっているのかわからない様子だ。
「誰が見ても一目瞭然だろう」
いい加減に口を噤めとばかりに、シズクはフロースをテラスに引っ張り出す。
暴れそうなフロースからシズクを守るためにその横にエドワルドがきっちりと付き、アッシュとロイ、エドワルドとシズクをじっくりと見比べてから、アレックスはテラスに向かって歩き出す。
「えっと、お二方ともごゆっくりお話しされるのがいいかと」
ぴしゃりと窓が閉まったが、外からシズクがフロースに対し激しく抗議しているのが分かるほど大きな声が聞こえてきた。
ロイはまだ、アッシュさんに自分で気持ちを伝えてないんだから!!
その通りである。
先日のタルタルソースを一緒に食べた日から、気持ちが固まってきて、どこかのタイミングで気持ちを伝えるだけ伝えようと前向きになってきた矢先の今日である。
あれほどの美丈夫だ。同性からのアプローチもあるかもしれないが、ないかもしれない。
伝えるならばアッシュの負担にならないよう、自分には無理して返事などしなくても良いと、思っているだけで幸せなのだとそう伝えようと思っていた。
アッシュは近衛騎士団の団長と言う立場にあり、さらに貴族だ。何か変な噂が立ったらと思うと、好きだから好きだと伝えられるほどの勇気もなかったし、自分が告白したことにより、思いもよらない何かによってアッシュの経歴に傷がつくかもしれないと思うと、不用意にその気持ちを伝えることが本当にいいのかはずっと考えてきたことだ。
テラスからはシズクの怒りがいまだ納まらず、
「何か気にしているようだが、別に少数派という事ではないだろう? 同性を好きになったとして何がいけないと言うのか。あれか? 子供が欲しいなら養子縁組だってあるのだから気にすることもないだろう」
「そういうことを言ってるんじゃない。本人が温めていた気持ちを勝手に他人が踏みにじんなっつってんのっ」
そんな会話が聞こえてきて、エドワルドが仲裁しているのが見えた。
フロースは別に悪気があっていったわけではない。
アッシュを見つめるロイの表情に愛情を見つけ、思わずその思いのすべてが美しいと感じて口に出してしまっただけなのだ。
しかしそのフロースの思いも、シズクがロイを気遣う気持ちもお互いがお互い知らない。
話は平行線のまましばらく続いたが、様子を見ていたアッシュが気まずいとは言い難い、いつもの調子で口を開いた。
「折角楽しく試食していたのに、あまり喧嘩しないで欲しいね」
「まぁ、そうだが……」
「これ、麺だから早く食べないと伸びちゃうかな? 食べよう食べよう」
「え。あぁ、そうだな」
先ほどまで、あれこれ考えていたというのにいつもと変わらないアッシュの様子に、ロイは急に毒気を抜かれてしまった。さらに美味しそうに冷やし中華をすすり、美味しいねとロイに向かってにこやかに微笑む。
「この酸味が、僕結構好きなんだけど、ロイはどう?」
「俺は。もう少し酸味を足した方がす、す……」
普段はきっぱりしている性格なのに、こう言った場面ではどうしもうまく口にできない。
「そっか。好みが一緒だと嬉しいよね」
つるつるっとアッシュは最後に残った麺をすすった後酸っぱいつゆに口を付け、案の定むせかえっている。けほけほっと小さく咳をした後、くしゃくしゃな顔でロイに笑いかける。
あぁ、やっぱり好きだなと、再確認させられた。
きっかけは特にない。
学生の頃から成績も優秀で目立つ容姿をしていたこともあり、何となく視界に入ってくる程度だった。見かける度に楽しそうで優し気で、自分とは違って友人が沢山いるポジティブな性格をした輩なのだと思っていた。
とある時、一人木陰で目を瞑り何かに耳を傾けているのを見た。
ゆっくりと目を開いて、風に揺れる葉に目をやりまた目を閉じた。
風に揺れる葉の音を聞いているのだろうか。
しばらくすると鳥が二羽アッシュの元にやってきて、しばらく膝の上で遊んだあと飛び立っていった。
その間、アッシュは遊んでいるのをなんとも穏やかに微笑んでみているだけ。
ふとロイに気が付いて、少しはにかんだように笑い恥ずかしそうに手を振ったその時に、恋に落ちたのだと思う。
たったそれだけ。
あまり関わり合いになる事はなかったし、必要以上に距離を詰めたりすることはロイの性格上難しかったが、何かにつけて面倒くさいロイとの会話にも辛抱強く付き合い、たまに見せるいつもと違う雰囲気の笑みを見せる。そんなアッシュを見続けているうちにゆっくりと自分も知らぬ間に、しんしんと降り積もる雪のように思いが募る。
しかし自覚したとて、叶うことのない思いなのだと押し込め、友人の座に居座って数年。
先日のタルタルソースの日と言い、今日といい、一体運命は俺にどうしろというのか詰め寄りたい気持ちでいっぱいではあるし、何故こんな形で? と思わなくもないが……。
流れ的にもしかしなくても今日がチャンスなのではなかろうか。
実際はあまりいいタイミングではないかもしれないが、今言わなくてはいつ伝えることが出来るかわからない。
もしもその思いが否定されたとして、それでもアッシュは友人でいてくれるだろうかと不安がないわけではない。今まで通りではいられないのは自分も同じだが、お互い大人だ。仕事だけでもきっちりと付き合って行けるとロイは信じて、ロイは玉砕覚悟で口を開いた。
「あのさ。俺、アッシュの事がす」
「けほっ、けほっ。なんだい? ロイ」
一世一代と言ってもいいロイの告白の最中だが、少し口に含んだがつゆが酸っぱかったのだろうか。むせかえっているアッシュがなんとかロイに返事を返した。
少し落ち着くまでとゆっくりと背中をさすっていると、背中をちょっと丸めてしゃがれ声で『悪いねぇ、ありがとう』なんていうではないか。
「なんだか、じいさんみたいだな」
するとなんだか物凄く上機嫌でアッシュが微笑む。
アッシュは仕事の時はしっかりとした顔つきだが、本人としてはキリっとしているつもりでも元々が穏やかな顔なのであまり厳しくは見えないのが少々不便だと言っていたことをロイは思い出した。
実際ロイも、普段の生活の中で目元や表情がキリっとするような場面は見たことが無いのだが、次の瞬間その珍しいものを見た。
「おじいさんになっても一緒にいてよ」
物凄く真面目な顔で、丁度肩の辺りにあったロイの手に自分の手をぽんっと叩き、ぽつりとだが確かにロイの耳にそう聞こえた。
「アッシュ、それはどういうつもりで……」
自分の中だけでいいように解釈した妄想の話の流れで恋愛における好き嫌いであって欲しい。一人胸の中でうじうじ考えていた間、アッシュは冷やし中華を美味しそうに食べてはいたが、その心の中でいったい何を思っていたのかは分からないのだ。
その答えはどういう事なのか。
とアッシュが口を開いて何かを話し出そうとしたその時、テラス側の窓に耳を張り付けてじっと中の音を窺っている三人の姿がロイから見えた。
あの三人ときたらこちらを窺いながら小声で話していたようだが、次第に興奮してきたのか、隠そうとする気すら忘れて言い合いしている声が部屋の中にも聞こえてくるほどになってしまった。
「ちょっと! 覗き見なんてよくないでしょ!」
「そう言うお前もなんだ! しっかりと聞き耳立ててるじゃないか」
「二人とも静かに! せっかくいい雰囲気なんだから静かにして」
アッシュの心の奥が知りたい。今がチャンスではあった。
しかし、腹が立つことにあいつらを放っておくこともできない。
ぐっと気持ちを押し込めてから、ロイはアッシュに目くばせをして窓に近づく。
ヒートアップしている三人はアッシュとロイが窓側に近づいていることに全く気が付かないばかりか、普通に大きな声で話をし始めた。全くどうしようもないなと窓側に立っても話に夢中で気が付きもしない。
「俺はね、団長がロイと一緒になるならば凄く素敵だなって思う」
「素敵だなって……、随分とぼんやりてるな」
「ぼんやりって……。団長はちょっとふわふわしているところがあるから、しっかりもののロイが一緒ならこの先も安心って言うかさ」
「ロイは別にしっかりしているわけじゃないよ。仕事には厳しいけど他は全然ダメ! 人付き合いもへったくそだし」
「誰が人付き合いがへったくそだ、このやろうがっ」
「野郎じゃないよっ! あ……」
ロイが窓を開け放ち、大きくも小さくもない、しかし腹の底から冷えるような一言を浴びせると、ようやくシズクが気が付きエドワルドとフロースもそれに続いて固まってしまった。
「三人とも、僕達の事が気になるのかな?」
いつもとあまり変わらない、穏やかな表情と声でアッシュが三人に話しかける。
コクコクと頷くと、満面の笑みでアッシュが三人に告げた。
「今までも仲良しだと思ってたけれど、ロイとは今からおじいちゃんになるまでもっともっと仲良しになる予定だから……変な邪魔とかしないでね」
「アッシュ団長。それはおめでとうございますとお伝えした方がいいのでしょうか」
「返事さえもらえればね。どうだい? ロイ」
三人の驚く顔をバックに、アッシュがロイに向かって手を伸ばした。
こんな形で思いを伝えたら、きっと玉砕して、甘酸っぱい思い出になるんだとついさっきまで思っていた。
愛という括りでアッシュはロイの事を考えていたのだろうか。
それはいったいいつからだ。
わからない。わからないが、今ロイの目の前にいるアッシュはさっきまで酸っぱい冷やし中華でむせていたことが嘘のように、いつもよりもずっとずっと穏やかで優しい笑顔をロイに向けている。
縦に一度頷き、アッシュに向かって手を伸ばすと、アッシュはためらわずそっとその手を取ってはにかみながらも幸せそうに微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
アッシュの心情についてはまた別の機会に。




