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53.冷やし中華始めました。

 夕方前。今日はロイの工房に屋台のメンテナスに向かう日である。

 そろそろ暑い日も出てきたので、今日はとあるメニューの試食をお願いしているのだ。


 シズクは営業を終え一旦屋台をたたみ、冷蔵庫に準備たとある試食用の材料を確認して頷いだ。さて、とロイの工房に向かってしばらく歩いていると、正面からランチトートを高らかに掲げたエドワルドが満面の笑みで向かってくるのが見える。さらにその後ろに今日はアッシュも一緒である。


「シズク―! あ……。えと……今日はもう終わり?」

「そうなの。今日はこれからロイの工房にメンテナンスに行く約束してて……」


 どうやら今日は夕方からの勤務のようで、夕飯の弁当を選びに足を運んでくれたとのことだ。しょんぼりして耳が下がってしまった犬のように残念がっているのが目に見えてわかる。そんなに楽しみにしてくれていたのに、シズクもなんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

 なんとか弁当を用意したいものではあるが、あるのはロイのところに持っていく試食だけだ。

 幸い四人前程度の量はある。


「あのね、これからロイのところで試作の新商品食べてもらう約束してたんだけど、もしよかったらエドワルドも来ない?」


 そうエドワルドに聞くと、一瞬だけいつもとはなんだか違う表情が見えた後、少し考えて行くと答えた。どう違うのかと言われると上手く説明できないのだが、何となくピリッとした感じをシズクが受けたことだけは確かだ。


「さっきまであんなにご機嫌だったのに、急に機嫌悪くなるじゃん。どうしたの?」

「え? 別に、機嫌悪くなんてないし。今日は夜勤だからあまり長くいられないけど……」

「そっかー。じゃぁやめとく?」

「そんなこと言ってないし。行くし……」


 妙に歯切れの悪いエドワルドをアッシュが口元を押さえて二人を見ていることにシズクは気が付いた。


「ちょっと、団長! 何ニヤニヤしてるんですかっ」

「別にー、ニヤニヤじゃなくってニコニコだよ、エドワルド。ロイのところに行くなら僕も一緒に行こうかな。僕もご一緒しても大丈夫かな、シズク」

「もちろんですよ。でも仕事は大丈夫なんですか?」

「僕もエドワルドも今日は夜勤だからね……」


 と言いつつ、いつもは隣にいる副団長のアレックスを探している辺り、もしかすると本当はダメなのかもしれない……。そんなことを話しつつ、市場の出口に差し掛かった辺りにある本屋の前でどうにもシズクも聞いたことがある声が聞こえた。


「あんまりいい記憶がないんだけど……」


 次第に大きくはっきりと聞こえてくるその声の主を、顔を見なくてもシズクは分かってしまった。

 しかしなんでユリシスにいるのか。


「だから、何故この大きな本屋に古い楽譜が無いのかと聞いただけじゃないか」

「貴方の場合は聞いたと言うよりも脅しに近かったですよ。自分が一緒でなかったら通報されているレベルです。今後はご注意いただきたい」


 そこにいたのは、フロースだった。

 シズクの事を攫っておいて勝手に弟子呼ばわりした、リエインに住んでいる作曲家である。


「おぉおぉ、そこにいるのは不肖の弟子ではないか!」

「弟子になった覚えはない!」


 久しぶりに会ったと言うのに開口一番不肖の弟子扱いとは本当に腹が立つのだが、言葉とは裏腹に満面の笑みで近づいてくるフロースのことを、どうにも邪険にしにくい。


「お前、なんとも麗しいお方をお連れではないか! もしや騎士団団長のアッシュか! かーっ!!! 初めて見たが本当にいい男だな!! モテそう」


 いや、アッシュがいい男なのはこのユリシスにいる誰もが認めるところではあるが、相変わらず言い方等々諸々が失礼極まりない。


「で? その後ろに……、いらっしゃるのは……。あ、お久しぶりでございます。フロースで……、ございます」


 トーンが急に落ちた。

 フロースがエドワルドを見つけたからである。

 リエインでの騒動の際、散々エドワルドとベルディエットからお灸を据えられていたのだから当たり前かもしれないが。


「別にシズクに危害が及ばないなら、パトロンをやめた方がいいとは父上に進言したりしないから安心して」


 ややぶっきらぼうではあるがそのエドワルドのその言葉は、すぐにフロースがいつも通りの傍若無人に戻るには充分だったようだ。すぐさまいつも通りの自信満々な表情に戻り、上機嫌な表情だ。


「っていうかなんでユリシスにいるの?」

「はん? お前は弟子の癖に何も知らんのだな」


 ちらりとエドワルドがフロースを睨んでみたが、本人は危害を加えていないとばかりに鼻をふんっと鳴らして話し続けた。


「三日後に国立音楽堂で演奏会を開くのだ!」

「リサイタル?」

「そうだ。この栄えあるユリシス王国の国立音楽堂で演奏会を開くという事は、音楽家として大変名誉なことなのだぞ!」

 

 フロース本人の説明があまりに先に進まないので、ご説明しますと……、と横からアレックスが壁壁した顔で説明を始める。


 数年に一度で開かれているリサイタルだが、今年はユリシスの城下にある国立音楽堂で開かれるのだ。その出演者の一人がフロースというわけだ。別にたった一人で演奏会をするわけではなくこの数年で活躍した音楽家数が出演するものらしい。

 シズクはこの一年しかこのユリシスにいないので知らないのも当然ではあるが、大きな告知が打たれなかった事が気になった。


「それは……、まぁパトロンが貴族だからね。あまり一般市民に浸透しなくて……」

「それはちょっと残念ですよね。折角普段は聞かない音楽に触れることが出来るチャンスじゃない? お祭りみたいに外で色々な人に聞いてもらえばいいのに」

「弟子にしてはいい考えだがそれは難しいのだ」


 フロースは訳ありな言い方をして、それ以上言葉を発することなくちらっちらっとシズクを見る。口元を若干緩めながら今か今かと、なんで?どうして?と聞いて欲しいオーラ全開で……。


 正直面倒くさい。


 そしてこれからロイのところに行かねばならぬのだ。

 あのちょっと面倒くさい作曲家に付き合う義理もない。


「そっか。じゃ、私忙しいからこの辺で。演奏会ガンバ!」

「おい! ちょっと待て! お前、聞きたいことがあるだろう? この大作曲家のフロース様に」


 頑張って欲しい気持ちはあるのだがこれ以上フロースに付き合っていてもどうしようもないので、屋台の持ち手にぐっと力を込め前に進み始める。


「こら! 聞きたいことが! あるだろうが!」

「ないってば!」

「おい。シズクに迷惑かけるなって言ったばっかりなのにっ!」

「ふふふふ、楽しいねー」

「……」


 一人だけ楽しそうなアッシュを除き、それぞれがそれぞれの主張を曲げない結果、いつの間にかロイの工房に到着してしまったのであった……。



「お前、これはいったいどういう状態なのか説明してくんないか?」


 ロイの怒りもごもっともである。

 約束していたシズクが玄関のドアからひょっこり頭を出したかと思うと、その後ろには見慣れたアッシュブルーのさらさらの髪を揺らしたエドワルド。その後ろに満面の笑みで立つロイの最愛の人アッシュ。の後ろに全く見も知らずのフロースがぎゃんぎゃんと吠え、最後尾にはげっそりとしたアレックスが立っていたのだから。ロイにして見たら情報過多もいい所であろう。


「えっと……、今日新作の試食してもらう予定だったでしょ? ちょうど店に来たエドワルドを誘ったら、アッシュさんとあの人もついてきちゃって……」

「は?」


 説明していることに間違いはない。間違いではないのだが、説明にはなっていないのもわかる。しかしこれ以上の上手い説明はできないと、シズクはそのまま部屋に入ることにした。


「音楽祭に出演する人みたいなんだけど、この間のリエインで知り合った人みたいだよ? ちょっと癖が有り余ってるんだけど、悪い人じゃなさそう。なんかついてきちゃったから、一緒にご飯食べてもいいかな?」


 見かねたアッシュがまだ納得できないロイにフォローを入れる。


「ね?」


 そう言って首をコテンと横に倒してウィンクなどされたら……。


「仕方ない…」


 そう言うしかロイには道が残っていなかったのであった。


 さて、おかしな人間を連れてきてしまったが振る舞うものに変わりはない。

 今日は食欲があまりなくて口にしやすいもの。かつお腹にもしっかりたまるあるものの試食をお願いしたい。


 具の準備は終わっていてあとは麺を茹でるだけである。

 シズクは台所で大きな鍋にたっぷりの水を入れ、お湯を沸かし始める。勝手に戸棚から少し底のある皿を四つ取り出しておく。

 普段料理なんてしないのに、こんなに深い鍋があるのは実験で使ったからだそうだ。

 何の実験だったのかは聞くのはやめている。


 ぐらぐらと煮立ったところで、この日の為に試作に試作を重ねた中華麺を投入。

 試行錯誤の末、結構いい具合に出来上がったと思うそれをゆでること数分。


「あ! エドワルド。ごめんだけど小さい氷をこのボウルに作ってもらえないかな」


 こんなことに使ってしまって大変申しわないが、冷水で締めるだけでも美味しいとは思うが、氷水で締めればもっと美味しいくなるはずである。


「いいよ。これぐらい?」

「うん、ありがとう!」


 氷の入ったボウルに水を少し入れてから鍋を火からおろして、水でしっかりをぬめりを取って今度は氷水で締める。その上に色々と用意してきた具材を乗せて出来上がりである。


「では、忌憚のない意見をお願いします」


 自信はあるが、冷やし中華はこの世界で通用するのか。うどんもなかなか良かったので、朝食の屋台メニューに加えようと考えたのだが、もしこれが通用すればらーめんもいける。


 ぐっと四人が食べるのをじっと見る。

 上手にフォークを使って食べるアッシュとアレックスは、ちょっと味が薄いと感じているように見えたのですかさずシズクは用意していた追い酢の瓶を渡した。


「好き嫌いがあるんでビネガーがあまり効き過ぎないようにセーブしてたんですけど、ちょっとセーブしすぎましたかね。これお好みでかけてみてくださいね。あとはマスタードも試してみてください」

「マスタード? これにか?」


 ちょっと信じられないと言うような顔で全員分の水を持って戻って来たロイが食いついてきた。

 エドワルドはそれら全て全部乗せしてそっと手を合わせてから最近覚えた箸を使ってすすりながら食べ始めた。


「エドワルド、ちょっと行儀が悪いんじゃないか?」

「いいんですよ。私の故郷ではこうやって食べてもいいんです。うどんもお蕎麦も。まぁパスタはすすって食べたりしないですけど……」


 シズクがすする文化について説明をしている間、何故かフロースがロイの行動を観察しているように見える。今も一度アッシュの横をちらりと見た後、シズクの横に腰を下ろしたロイをじっと見ている。


「ビネガーはもう少しパンチがあっても俺は好き。マスタードも相乗効果でいいよね! 卵焼きが薄切りになってるのがいいし、キウリとポムダルムとビネガーのさっぱりさと、ピギー肉のスライスの脂がまた丁度いいよ! 全部細切りだから麺と絡めて食べやすいし、具だけ食べたい人も初めから混ざってないから避けやすいね」


 エドワルドの食レポで自己肯定感爆上がりだが、これはあくまで冷やし中華への賛辞である。勘違いしないようにしなくてはいけない。


 フロースの行動を全く気にすることなく、目の前の冷やし中華に専念してくれたエドワルドに心から感謝を言いたい。


「夏場に食欲のない時にいいかもしれませんね」

「あと、夜に食べるのも疲れが取れそう!」

「おかわりだ」

 

 元々ロイと自分だけで試食をするつもりで用意していたものなのだが、多めに準備しておいたとはいえ四人前が精一杯。残念だがフロースの所望するおかわりにはない。


「もうないよっ!」

「なんだと!? もっと用意しておくべきだろうがっ!」


 ワガママ言い放題のフロースとは違い、アッシュとアレックスの二人の感触もいいようでほっと胸を撫で下ろした。


 その後は麺はもう少し柔らかい方が、具はあれを入れてもいいかもなど色々な意見も聞きながら、いい手ごたえを感じつつもう少し改良点を皆で考えていた最中だ。

 

「ところで、だ。お前だ、ロイ」


 しばらく喋らずにずっと何かを観察するように忙しそうに視線を動かしていたと思ったら、ふん、と鼻を鳴らしてなんとも不思議そうな表情でフロースがロイを名指しする。何故そんな顔なのかはその次の一言で爆散するほどどうでも良くなってしまった。


「アッシュのことがそんなに好きなら、そんなに伺ってないで隣に座ればいいだろうが」


 実際は五秒ぐらいかもしれないが、その沈黙はたっぷりと体感三十秒ほどに感じられた。

 

「は……? あ゛? お前何言ってんだ」

「ちょ、ちょっと待て、フロース! ステイステイ!!」

「弟子の癖に、師匠に対してステイとはなんだ!」


 シズクはただ冷やし中華を始めたいだけだというのに……。


 今日会ったばかりの赤の他人のロイに爆弾を投げつけるフロースの腹に、シズは全身の体重をかけて腹に向けて拳を向け、その口を黙らせるために渾身のボディーブローを放ったのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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