52.ロコモコ丼
「号外だよ、ごうがーい!!」
街中を何人かが大きな声を出して練り歩いている。
一般市民の識字率の高いこの国でも活版印刷がないため、広く情報を伝える新聞のようなものは発行されてはいない。回覧のようなものは貴族にはあるようだが一般市民には基本的には御触れのようなものが立てられそれを確認する程度である。
しかし今日は違った。
「ごうがーい! ごうがーい!!」
また違う少年が大きな声を出しながら手にビラを持って歩いてきた。
「なんか凄いことがあったんですかね」
「え!? シズクちゃん知らないの!」
隣の店主曰く、先日どうやら子供のドラゴンが秘密裏に捕まえられて痛めつけられていた。何故かと言えば助けに来るであろう親ドラゴンにこの国を襲わせて壊滅させることが最終目的だったようだ。
その首謀者が捕まったのだが、なんとこの国の宰相の兄弟である財務省のサブル・ウォードだと言うではないか。首謀者自身は知らないが、宰相であるアナトルは謹厳実直を書いたような男で国民にも知名度の高い貴族の一人である。その宰相アナトルの兄弟がどの国かは知らされていないが他国と手を組み国家転覆をはかっていたことが分かったという。
「あー……」
シルワ村でのドラゴン騒ぎの顛末であろうか。
確かに誰かが手をかけたことは見てわかってはいたが、ただでさえ傷つけられていたことに怒りを覚えたが、国家転覆の為に利用されそうになっていたのだと思うと、シズクは腹が立って仕方がなかった。
まだこの国の文字をしっかり読むことが出来なかったが、あとでリグかエリス、ロイでもいい。誰かにしっかりと読んでもらおうと、通り過ぎようとしていた少年を呼び止めその号外を貰う。
「しっかし、ウォード家から謀反者が出たとなると、現宰相にもお咎めがあるかもしれないよね」
「国王陛下がどれだけ信用していたとしても、他の家臣に示しがつかないもんね」
いくら本人に問題がなかったとしても、お家全体でみられることがあるのが貴族社会だ。
しかし問題があったのは弟の方で、現宰相は国の為にしっかりと働いてきたのだ。国王陛下も寛大な処分をしてくれることを願うほかない。
「アナトル様は国民人気もあるし、現宰相のお咎めが寛大な処置になる事を願うばかりだよね。シズク、今日のお惣菜はなにがあるの?」
「エドワルド!」
そう言って会話に入ってきたのはエドワルドである。
「この号外なんだけど、ちょっと読めないところもあって……。良かったら読んで聞かせて欲しいんだけど、いいかな」
文章の中に近衛騎士団が、という一文が見て取れた。恐らくエドワルドはこの号外よりももっと詳しく話を知っているだろう。しかしそれを口外していいかどうかは捜査の進み具合にもよるはずだ。シズクとしては真相はもちろん知りたいが、今は号外の内容だけわかればいいのだ。困らせることが無いように、もう一度読んで聞かせてくれるだけでいいと伝える。
「うん。でもこの件についてはシズクにも手伝ってもらったし、ちゃんと片付いたら団長から話があると思うよ」
そう言って、一度屋台に並ぶ惣菜に目を走らせてから名残惜しそうに紙面に目を落として、静かに読み始める。
話している内容としては物騒な国家転覆を計る暴虐の話だというのに、エドワルドのその声はなんとも落ち着いていて心地よい。心地いいが難しい言葉の連続についうとうとしながら聞いていると、なんだか少し楽し気に噛み殺すような笑い声と共にとんとんと肩を叩かれた。
「シズク? 聞かせて欲しいって言ってた割に実は面白くなかった?」
覗き込むようにちょっと意地悪な笑みを浮かべてエドワルドがシズクを見ている。
びっくりして前につんのめりおでこ同士ごつんとぶつかってしまって、さらに恥ずかしさが倍増してしまったが、うとうとしてしまった事も申し訳ないと素直に謝る。
「面白くないとかじゃなくって、なんか心地よくって……。ごめんね。今度はちゃんと聞くから、もう一回! えっと出来るだけかみ砕いてお願いします!」
「仕方ないな……」
隣の店の店主もいったい何を見せつけられてるんだろうかという顔で、それでもかみ砕いて説明してくれるならとシズクの隣に座ったままエドワルドが話し出すのを待っている。
号外の内容は簡単に言えば次の通りだ。
サブルとレネの二名の取り調べを始めた。どこかの国と結託して傷つけた子ドラゴンで親ドラゴンをおびき寄せ、怒り狂った親子ドラゴンにユリシスを襲わせるつもりだったようだが詳しくはこれから明らかにしていくつもりで調査中だ。
国王はサブルの兄で宰相のアナトルから、国家転覆を目論んだ弟を持つものが国の宰相など続けて良いはずがないと職を辞する申し出を受けたが、近衛騎士団アッシュによるアナトル本人の取り調べにて潔白が証明されたため辞職は却下されたそうだ。
尚、ドラゴンをどこの国から融通してもらったかに関しては捜査は難航中である。
「って感じ」
「本当にざっくりだね」
「シズクが簡単にって言うからでしょ」
ごめんごめんと謝りつつ、結局ドラゴンの子供がどういった経緯でこの国に運ばれてきてあのようなむごい仕打ちを受けたのかは分からずじまいなのがシズクには残念に思えた。分かったとしてもシズクには何もすることは出来ないが、今はどこかで親のドラゴンと一緒に楽しく穏やかに過ごしていて欲しいと願うばかりである。
「てへ、ごめんだよ」
「謝り方があざとくて可愛いから、許しましょう」
「許し方が潔いので許されます!」
座っていた隣の店主が二人の謎の許し合いに一瞬ぽかんとしてしまったが、無人だった隣の店に客足が増えたので店主は自分の店に戻ることにした。
「君らね……。まぁいっか。じゃ、またね」
「はーい」
言ってやりたい気持ちはあった。君ら付き合ってないの?と。
しかし言ったところであまりどうこうなりそうな、そうでもないような……いまいちわかりにくい。
そのまま手を振るために一度振り返った店主が見たものは、お互いがお互いから見えないように若干顔を傾けて、それぞれ小さく照れる仕草であった。
まんざらではないのか。いい年して初々しい限りすぎて先ほど茶化さなくて良かったと心底ほっとして今後二人を見守ることに尽力しようと誓った。
さて、隣の店主が去ったヴォーノ・キッチン。
少しだけ頬の赤いエドワルドが、総菜を悩みに悩んで選んでいた。
「んー、今日はロコモコ丼とかどう?」
「ろこもこどん?」
「そう。ロコモコ丼」
ロコモコとは、ご飯の上にハンバーグや目玉焼きを乗せたハワイのソウルフードと呼ばれる食べ物だ。ソースはグレイビーソースが主流で、ご多分に漏れずシズクもご飯の上にハンバーグと目玉焼きを乗せたものを提供するつもりである。
「鶏のつくね丼とは違うのかな」
「そう。見た目は結構似てるけど今日のは鶏肉じゃなくってボルス肉を焼いてるのと、かかってるソースが違うかな」
「ふーん。ボルス肉かー。ボリュームありそうだね。それにしてみようっかな」
エドワルドは持っていた鞄から大事そうに弁当箱を取り出してシズクに手渡す。
命に代えても、とは言いすぎだがエドワルドが大事に一生使って行きたい物ランキング不動の第一位のその弁当箱は、今日もきれいに磨かれている。
「じゃぁ準備するね」
「わわっ!! 待って! シズク!」
ん?と準備するシズクの手には、ハンバーグのタネを乗せたトレイ。
それを見たエドワルドが大慌てで止めに入った。
「ちょっと、何? どうしたの?」
しっかりと冷蔵庫で冷やしているものだし、変に傷んでいる様子だってない。
綺麗な桜色をして、焼いたら一層美味しそうだというのに何が不満だと言うのか。
「それ、肉なの?」
「肉ですが?」
そう言ったシズクの顔を、信じられないものを見るようにエドワルドが見る。
いったい何がいけないのか。その答えはタネを見るエドワルドの表情で確信できる。
ひき肉そのものを見たことが、恐らくないのだろう。
確かに今まで仕入れした肉は大体固まり肉かスライスされていて、鳥つくねを作った時も他のちょっとしたものでひき肉が欲しい場合は店の人にお願いしていたのだ。皆不思議そうにしはするものの、直接どうこう言わなかったのでわからなかったのだ。
しかし今までひき肉を使ったメニューで、完成された状態のものについては、特段拒否するようなそぶりがなかったことから、この状態の肉を見たことがないだけなのだと思われた。
「これは普通の肉をね、すり潰したり切ったりして扱いやすくしたものだよ。エドワルドの好きな野菜に肉の詰まったやつなんかは大体これが入ってるんだけど……」
「そんなっ。いや……、だって、肉なのにこんな感じになるものなの?」
「なんか嫌悪感凄い」
普段食べている肉類だって、結構油が多い。
特にそう言う品種に改良して育てているわけでもなさそうだが、この国の牛肉や豚肉、とりわけ鶏肉は脂が少なくヘルシーである。まぁちょっとミンチ状になっている肉を本当に見たことがないならわかるが、もしかしたら戦場での何かがトラウマになっているのかもしれない……。
「ちょっとギラギラねとねとしすぎで、食欲を駆り立てない」
と面白くなさそうな顔で言うではないか。
トラウマならばあまり触れることが出来ないな、と気を使った方がいいのでは思い始めた矢先だったので大いにツッコミを入れたくなったがここはぐっとこらえる。
「それは火が通ってないから。エドワルドは好きだと思うなー。口に入れると肉汁が溢れる焼きたてハンバーグに目玉焼きとソースと混ぜて食べるの」
言いながらもフライパンに油を敷く。少しだけ強火で表面をしっかり焼いたら火を弱め蓋をした。
すでにいいにおいが立ち込めていたが、蓋をしたときにちらりとエドワルドを見ると、唾を飲み込んだのかのどぼとけが動くのが見えた。
「そんなに? 言うなら? 食べてあげてもいいけど?」
「そんなに? 言うなら? 食べなくってもいいけど?」
「あぁー、ごめんなさいっ! 食べてみたいです!!!」
何故なら、漂うその香りがかなりお気に召したからだろう。強気のエドワルドのその態度はすぐに翻されたのであった。
ハンバーグを蒸し焼きにしている間、別のフライパンで目玉焼きを作る準備だけしておく。
好みは人それぞれだがエドワルドはこの屋台で鍛えられているので、半熟卵の目玉焼きを気に入ってくれること間違いなしだと確信している。(いつもの養鶏農家は独自の殺菌魔法で生食可なのだ)
肉についてはこの世界でもステーキのレアで食べることがあるのである程度問題なさそうだが、ハンバーグに使う肉はひき肉だ。絶対にしっかり火を通さなくてはいけない。
そんなことを考えている間に、いい具合にハンバーグが焼きあがってきた。
蒸し焼きにしているので一度蓋を取り細い串でハンバーグを刺してみると、透明な肉汁が出てきた。
「よし、いい感じかな!」
一旦ハンバーグを取り出し、ソースとケチャップを入れ一煮立ちさせたらまたハンバーグを戻してに絡めている間に目玉焼きを焼きにかかる。
「これがさっきの気持ち悪い肉のなれの果てだと言うのかっ?」
「言い方っ!」
まだ出来上がってはいないけれど、すでにソースとケチャップの匂いでやられ気味なエドワルドがこらえきれずに質問をしてくる。
ぐつぐつとソースとケチャップが煮詰まる匂い。日本人も大好きだが、この国の人の胃袋にも直撃するようでシズクも嬉しくなる。
ご飯をよそい、用意していた秘密兵器を混ぜ込んだあと千切りにしたキャベツ、ハンバーグ、目玉焼きを乗せた後プチトマトを乗せたら出来上がりである。
目の前のエドワルドはと言えば、出来上がったロコモコ丼に目が釘付けだ。盛り付けしている間もずっと目が皿を追っている。
「ではどうぞ」
「ありがとうございます。頂戴いたします」
恭しく皿を受け取るとまずはあんなに嫌厭していたハンバーグから手をつけるようだ。少し震えながらハンバーグにスプーンを入れる。いつもの一口よりはもう半分程小さく切ってからご飯と共にスプーンに掬って口にゆっくりと運び入れる。
「む……」
じっくりと味わってからもう一口がデカい。
そして早い。
「ちょっと、そんなに急いで食べなくても誰も横取りしたりしないってば」
「ん……。これご飯に生姜のビネガー漬け入ってる……」
少し油っぽいかもしれないなと思ってガリを粗みじんにしたものを少し入れてさっぱり出来るようにしたのだ。前世何かのアニメでやっていたアイディアだったが、自分の弁当でもさっぱりするかもと思って夏場などに出していた一品でもある。苦手な人もいるかもしれないので酢の加減はマイルドにしてある。
「苦手だった?」
「全然! はんばーぐ? の肉の脂分が洗い流されるみたいで、またすぐこっち食べたくなる。実質最初から食べなおしてみるみたいで無限に食べれる」
「春巻きの時にも言ってなかった? そんなこと」
シズクの作るものはなんだって『好きだよ』、とエドワルドが真っすぐシズクを見つめて発してから、またロコモコに目を向け黙々と食べ始めた。
美味しいと言われること自体は嬉しくありがたいと思って受け止めはするのだが、真っ直ぐな目で好きだと言われるとじわじわと何かがせりあがるようなむず痒さをシズクは感じてしまう。
ロコモコ丼の匂いに惹かれたのか数名が店にやってきたので、エドワルドは席を立って弁当の総菜を選び始めると同時に、注文のロコモコが作られ始める。
「…………」
さて、そのシズクの姿をじっと見ながら、エドワルド本人も無意識に呟いたその言葉は、ジュウジュウと景気よく聞こえるハンバーグを焼く音と重なって誰にも聞こえることはなかった。
お読みいただきありがとうございます。




