51.紅玉の光
城の長い廊下にコツコツと響く靴の音が、とある扉の前でぱたりと止まる。
中肉中背のあまり目立たない薄茶色の髪の男は、止まった扉の前で上着のポケットから小さな紙を取り出した。
『扉よ、開け』とポツリと発するとその小さな紙が霧散し、目の前の扉の鍵が開く音が聞こえた。自分だと認識され部屋に入ることが許されホッとしたのも束の間、これから報告しなくてはいけない事を思うと、じわりと背筋に汗が滲む。
三度ゆっくりと深呼吸してドアノブを回し中に足を踏み入れると、汗で洋服に気を取られ足元が一瞬だけ薄く光った事にレネは気がつけなかった。
ドアをくぐると会話を聞こえにくくする魔法を部屋全体にかけているのだとすぐに分かった。何故なら少しだけ耳に膜が張った様にレネが感じたたからだ。
魔法で施錠されているこの部屋に誰彼構わず入ることは出来ないが、万が一に備えてレネが知らないだけで強力な隠ぺい魔法が施されているはずだ。
また一歩進むとまた冷たい汗が背中を伝ったが、部屋の主がさらに一層冷たい視線を寄越した。
「レネ」
「サブル様……」
サブルと呼ばれた男は、部屋に入って来た中肉中背の男をレネと呼んだ。サブルはこの国の宰相を兄に持ち自身は外務省で働く。レネは中級貴族の三男で、王城ではサブルの勤める外務省の部下だ。
「例の件、どう申し開きするつもりだ」
「それにつきましては、抜かりなく。足がつかぬように……」
上手く動かない口をようやく動かし紡いだ言葉は、先ほどと変わらぬ冷たい視線に止められてしまった。変わらないそれが腹の底から体全体が冷えてくるようだ。
「騎士団が動き出しているというではないか。何が抜かりなくだ」
「それはっ!」
口元に手を当てて大きな声を出してしまいそうだったレネの言葉をサブルの言葉が遮った。
さらにサブルは先ほどとは違う明らかに射貫くような視線を続けてレネに浴びせた。
「大きな声を出すな。レネ」
「申し訳ありません。サブル様……。しかし足取りが追えるようなものは残していないはずです。確かに最近微力ですが魔力探索の気配を感じ、つい自警団に探りを入れるようなことをしたと部下から報告がありはしましたが……」
「足がつきそうだからと、自警団に探りを入れるなど……。なんと愚かな」
サブルの言葉にレネは首を垂れ黙ってしまった。
自警団にレネの手下が何か探りを入れた際の挙動がおかしかったのか、それとも何か虫の知らせでもあったのか。不審に思った自警団員が近衛騎士団にすぐさま報告を上げたのだ。自警団は平民の集まりだと言うのに勘のいいやつはどこにでもいるのだ。
「念のため直接手を加えていた連中は指示通りすでに国外に出しております。これ以上の足取りを追われることはないとは思いますが、指示役の部下についてもすでに国外に出ており……」
そうレネがサブルに報告を進めようとしたが、最後まで聞くことはなくぴしゃりと一言が飛んできた。
「残念だが全員に自ら役目を終える様、伝えろ」
役目を終えろ。
この場合は自害、という事に他ならない。
サブルの視線があまりにも冷ややかで、先ほどからレネの背中を伝っていた汗がぴたりと止まった。
「しかし計画としては当初の予定とは違ってしまいましたが、脅威があるとしっかりと示すことが出来たではありませんか」
「計画と違うならば、それは失敗と同義だ」
レネの顔を見ず、サブルは手元にあった書類に目を落としてさらに言う。
「どこで計画が漏れるかわかったものではない。こういった事は必要以上に慎重になる必要があるのだからな。とにかくお前にも同じ指示を出さない事を心から祈る。万が一の場合はどうすればいいかわかっているな」
「……。承知しました」
承知したと答えたとはいえ、それ以上を言葉を発することなくどうしろともいわないサブルに、どうしたらいいのかわからずしばらく首を垂れ立ちすくんでいたレネだったが、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。
「騒がしいな。何かあったか」
ようやく口を開いたサブルだったが、足音が自室の前で止まりノックの音が聞こえたことに眉をひそめた。
財務の仕事は全て終わらせてある。
外に声が聞こえにくい魔法をかけ、出来るだけ声を荒げることなく話をしていた。外に漏れ出る危険性はないはずだ。
たとえこの部屋の中でレネが入ったところを見られたとしても、今後との仕事のスケジュールなどの相談にのっていたと言えば、レネの上司であるサブルを疑える要素はない。
もう一度扉がノックされ、サブルはレネに小さく『仕事の打ち合わせだと言え』と手短に伝えて、頷くのを確認してから扉を開けた。
扉を開けると立っていたのは近衛騎士団団長アッシュと副団長のアレックスという見知った顔だ。他、騎士団員が数人。後方にいる目立つアッシュブルーの髪の男はセリオンの三男だろうとサブルは見当をつける。
「サブル殿、前触れもなく伺う非礼をお許し願いたい」
「近衛騎士団長自らがお越しとは……。急がれていたようですがなにか急用でも?」
何が起こったのかわからず心底凄いと驚くレネの狼狽すら、いいスパイスだとサブルは思いながら自身もさも驚いたような素振りでアッシュの出方を探る。
するとアッシュも申し訳ない表情で頭を掻きながらゆっくりと話し始めた。
「急用、と言えばそうなのですが……」
すっと視線を一旦外して、顎に指を乗せながら部屋をぐるりと確認するとレイのそばまで歩み寄った。それを確認するとアレックスがサブルの横に移動し、頷く。
「こちらの部屋で面白いお話をしている、と情報がありましてね」
「面白い、話ですか」
「えぇ、折角なので僕も混ぜて欲しいなと思いまして。思い立ったらいてもたっても居られなくなってしまって前触れもなく来てしまった次第です」
「どんな話を掴まされたのかは存じ上げませんが、レネとは少し仕事の話をしていただけですよ」
視線をレネに移すと首がもげるかもしれないと思うほど何度も頷いている。
その狼狽ぶりは何か後ろめたいと事をしている、とも、何も知らない、とも両方に見えなくもない。いいカモフラージュだと心の中でサブルはほくそ笑む。
「外務のお仕事は大変ですよね。国と国とのやり取りですから……」
「どんな仕事をしていても大変さは付きまとうものです。管理職になればなるほど。アッシュ団長も騎士団を率いるとなると大変な心労では?」
「幸い僕には信頼できる右腕もいますし、優秀な部下も多いですから助かっていますが……そう言ってくださると、少しだけ軽くなります」
ニコリとアッシュが笑う。
釣られてサブルも、口角が少し上がった。
すると、サブルの横についていたアレックスがアッシュの方へ向かい耳打ちをする。
「当たりです」
それを聞いたアッシュはぞくりとするほど静かに、そして穏やかすぎる笑みをサブルに向けた。
「先ほどまで、ここで二人でお話しされていたこと。申し訳ありませんが詳しく聞かせていただきたいですね」
「はて。おかしなことをおっしゃる。先ほども申し上げた通り私とレネは今後招く要人のスケジューリングについて話をしていただけですよ」
「『残念だが自ら役目を終える様、伝えろ』。誰にそれを伝えろと?」
びくりとサブルの肩が揺れるが、表情に変化はない……、ように見えたが、瞳が一瞬だけ揺れるのをもちろんアッシュは見逃さなかった。
「ご存じかと思いますが、少し前に森でドラゴンが出たことがあったでしょう?」
逃亡を阻止しようと思ってのことかもしれないがアッシュが話し始めると、騎士団員が入口を固めたのが分かった。レイの視線がせわしなく動く。
「あの件少しおかしいなと思って調べていたんですけれど」
繋がっている鎖が絶ち切りきれていない事に不安はあるが、分かるはずはない。自分に繋がるその鎖は必ず自分の目の前で切れるようにしてある。大丈夫だ、大丈夫だ、まだまだ焦る必要はないとサブルはアッシュに次の言葉を促した。
「何かおかしなことが?」
「えぇ。現場には誰かが枯れ木を拾って作った焚き火を消した跡もありましたし、食事をした後、さらには小用の痕跡を消した跡も見られたのですが」
「おかしなことなど何もないのでは? 何者かがそこにいた証ではないですか」
「その通りです。数日の間にいたであろう人間の痕跡が至る所に残っていたのですが、魔力を使った痕跡がね、ほとんど残っていなかったのですよ」
「あぁ、そう言う……。確かに生活魔法を使うための魔力が残っていないと多少不自然ではありますね」
サブルの視線が、右上に少しだけ動いてすぐに正面に向き直り無表情に『そうですか』、とだけ声に出した。他に言いようがないのだから仕方がない。
「その通りです。しかし全ての隠し方が雑でしてね。逆に斬新でした。盗賊の方がまだましかもしれません」
「それはそれはそこまでお粗末と言われるのであれば、私も見て見たいものだ。レネもそう思わないか?」
サブルの問いにびくりと肩が揺れ何とか頷いたレネに、アレックスが何かびっくりすることでもありましたか?と顔を覗きながら声をかけられた。
「いえいえ、近衛騎士団のお二方とお目にかかれてついぼーっとしていたところに声掛けいただいたのでびっくりしただけでございます」
言い終えると大きく息を吐いて、レネはまた下を向いた。
アレックスの視線に、自分はもう必要以上に声を発してはいけない。そう思ったからである。
それを見てからアッシュはまた構わずに話をつづけた。
「そこから、まぁ魔力を辿って……、頑張って調べた結果とある証拠が手に入りまして」
あるはずがないのだ。どんなにお粗末な証拠を残していたとしても自分に繋がる証拠などあるはずがない。証拠など、あるはずがないともう何度目かの言葉を繰り返す。
その証拠に目の前のアッシュも今までと変わらぬトーンで話を進めているではないか。
「証拠? それは凄い。いったいどんな?」
「五年前の収穫祭で国王陛下から直々に賜った金貨、覚えていますか?」
豊作だった土地の領主である貴族達に褒美として作られ、希少とされる澄んだ朝焼けを思い出すような紅玉が中央にはめ込まれている特別製の国王陛下から直々に賜った世界に十数枚しかない貴重な金貨だ。
「それはもちろんです。恩賜の金貨はライト家も賜ったのでしたよね」
「えぇ」
先ほど前の穏やかな表情から変わらなかったアッシュの瞳孔が、獲物を捕らえる直前の獣のように獰猛に開いた。
「ふふ。貴殿の家にはありませんよ」
「何を! 我が家も家宝として大事に保管しております」
恩賜された金貨にはめられていた宝石は、紅玉だ。
万が一、恩賜された家から盗難されれば……、残念だがその宝石はそれ以外に色を変える。
見つけた時には紫だった宝石の色は、今は黄土色に変わっている。
寝る間も惜しんで……とは言わないが、アッシュは毎日この金貨を握っては仕事の合間を縫って地道に魔力の痕跡を辿った。その度に宝石の色は刻々と変わったが紅玉に戻ることはなかった。
色が変わるたびに、手ごたえがあったりなかったりを繰り返していたがとある時に気が付いた。
黄土色になるたびに、少しずつだがその痕跡を辿ることができたのだ。確信を得たアッシュは内々にこの金貨の秘密について、王に確認した。
「もう一度言います。貴殿の家に、その金貨はもうありませんよ」
「なんだと! そんなことはない! 我が家でしっかり保管している。しているはずだ!」
つい声を荒げてしまったのは、最近自分でそれを確認していないからだ。
じわじわと謎の悪寒がサブルの足元から込み上げてくる。
目の前にいるレネの顔が、何かを思い出したようにゆがんだ。
「では大変恐縮ではありますが、今から確認させていただきたく。ご許可を」
「……。わかった。父に先触れをだそう」
数人の近衛騎士団と共にウォード家へ到着すると、屋敷中ひっくりかえったような騒ぎだった。
何事かとサブルが父に聞いても、答えは帰って来なかった。
「ウォード家の紋章には、黄土色が印象的ですね」
盗難された金貨の宝石は、各家の紋章に使われている一番印象の強い色になった際に魔力を辿りやすくなり、盗まれた場所で恩賜された家に戻った場合に再び紅玉の光を取り戻す。
サブルの父にアッシュが金貨を手渡す。
「とあるルートから手に入れたものです。持っていた持ち主についてはお話しできませんが、『依頼主の家で掠め取った』という証言だけは取れています」
「そんなどこの馬の骨とも知れぬものの証言など、信じられるものか!」
「ではこれからじっくりとお話をお伺いして、僕達を信用させてもらいましょうか」
サブルとレネの顔色が、黄土色よりももっと悪くなる中、サブルの父が待つ金貨についた宝石には紅玉の輝きが戻っていた。
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