45.弁当箱
「じゃぁ行ってくるからな」
「くれぐれも一人で無茶したりしないでよ」
朝も早い時間だが、リグとエリスの二人が大きな荷物を持ったまま玄関前で本当にこれから出掛けるのだろうかと不安になるほど、何度も振り返ってはシズクに同じ言葉を繰り返す。
「大丈夫だってば。私も大人なんだからしばらく一人でも平気だって」
過保護な二人の事だ。
恐らく誰かには自分の事をよろしくと託しているはずだ。
仲良しのロイルド辺りには間違いなく話をしているだろうとシズクは踏んでいる。
「二週間ぐらいで戻ってくるから」
「さっきも聞いたってば……。もう早くしないと迎えの馬車に間に合わないよ? お弁当はちゃんと馬車で食べてよ」
リグは別に今の仕事の規模を大きくしたいというわけではなかったのだが、何回か足を運んでくれたリエインの商人に絆されて商品を卸すことを決めたのだった。どういったところで売られるのか気になっていたところその商人からの提案で見学に行くことになったわけである。
「リグさーん!」
「レインさん」
やってきたのは今回リグの店の商品を置くことになった商会『アウラ商会』のレインと呼ばれた男が待ちきれずに二人を迎えにきたようだ。
アウラ商会はこのユリシスにも数店中規模店舗を構える、最近勢いのある百貨店のようなイメージの商会である。ユリシスにはすでにリグ独自の販路があるため、リエインではアウラ商会が取り扱うという話になったらしい。
「この度は契約をお受けいただいてありがとうございます。今回は我が商会のリエイン本店にてリグさんの商品をどう扱っていくかしっかり確認いただければと存じます」
にこにこと人懐っこい笑顔でリグとエリスを迎えにやってきた。
優しそうな見た目からは想像できないぐらい色々な商品を見つけては自社で扱えるよう交渉を重ね今やアウラ商会ではトップバイヤーだというからびっくりだ。
「お二人のお嬢様で?」
「いいえ、同居人のシズク・シノノメと申します」
「左様でしたか。アウラ商会のレインと申します。今後お見知りおきを……」
二人のお弁当用に作ったパエリアの香りが残っていたのだろう。
挨拶を終えるとすぐにすん、すん。とレインが鼻を鳴らした。
「あのぅ、この香りは?」
「パエリアって言う料理なんですけれど。アサリとハマグリあとはユリシスの野菜で作った炊き込みご飯の香りです」
「アサリにハマグリ……ですか」
いぶかし気な顔でアサリやハマグリがこんなにいい匂いなものかと言いたげである。
先日仕事でアッシュがリエインに行った際に以前報酬として買ってきたことを思い出して、今回はお土産として買ってきてくれたのだ。
もちろん貝はしっかりと砂吐きさせて作ったので安心だ。
「シズクの作る飯は何でも旨いからな。これ作ってる時ずっといい匂いがして、正直めちゃくちゃ期待している」
「朝ごはんは軽いパンだけだったでしょう? お昼に食べるの楽しみにしてるのよ」
でろでろに褒めている二人を見ても、やはり貝が美味しいはずはないという警戒心が強く働いてレインの眉間に深いしわが刻まれていくのがシズクからも良く見える。
そんなレインとは真逆で期待値が異様に高いリグとエリスは、シズクから手渡された弁当箱をしっかりと手に持って意気揚々としている。なんなら羨ましいでしょう?といった具合で中身も見えないお弁当箱をレインに延々と見せびらかしているのは、シズクとしては嬉しいやら恥ずかしいやらである。
さて、今回の二人の馬車での旅だ。
リエインは馬車で二日ほどかかる距離で、途中に一つだけ村がある。そこで一泊してリエインに向かうそうだ。宿泊費や往復の馬車代もすべてアウラ商会が持ってくれるという。リグとエリスの作る商品にはそれだけの価値があると思われているようで、シズクはそれがとても嬉しかった。
「もしよかったら、レインさんにもお弁当あげたらどう?」
エリスの急な提案にリグは大賛成だが、当のレインの眉間にさらにしわが深く刻まれるのをシズクは見てしまった。
「それがいい! シズク、ほらほら」
「いや、それはレインさんがいるかいらないかじゃない? 貝はみんな美味しくないって言うの分かってるし無理に食べなくっても……」
「そんなことない! うちのシズクの作るものは本当に世界一旨いから、騙されたと思って食べてみてくれよ」
残った分はロイに届けてから仕事に出ようと思っていたので量には余裕があるが、目の前でそんなに嫌そうな顔をされたのではおすそ分けしようにも申し訳ない気持ちになってしまう。
パエリアは小さいおにぎり一個にして、何か他に詰められるものを弁当箱に詰めれば最悪パエリアを食べなくてもリグとエリスもドヤ顔出来るだろう。
「あの、魚介類はあまり好まれないのは分かってるんですけど、小さいおにぎりにしておくんで良かったら食べてみてください。道中お腹が空いた時用に他のお惣菜もお弁当箱に詰めておきますね」
「お? じゃぁあれ使ってくれよ。俺が作った弁当箱」
シズクが持ってきたヴォーノ・ボックスの名前入りの弁当箱はエドワルドにあげた分でもうない。
現在希望者にはリグに作ってもらったアルミのような素材の弁当箱を買ってもらっている。汚れが取れやすく丈夫で壊れにくい。そして何よりも多少熱を加えても変形したり壊れたりしないのでごくごく弱い火の魔法を駆使して温めるのが最近の巷の流行らしい。
「これは!」
シズクの知っている最先端の技術には流石に及ばないが、オリジナルの弁当箱に形を寄せて作られている。この世界では難しいとされるズレの少ない二段重ね。汁気のあるものでも漏れにくいパッキンのような素材を蓋に用いて四隅は綺麗な曲線を描く。リグの腕がきらりと光る逸品だ。
「これに飯詰めれば火魔法で温められるから、重宝されてんだぜ」
「口コミでかなり評価は貰ってるものね」
ほほぅと言いながらレインはその弁当箱をひっくり返してみては、叩いたり挙句の果てには高い所から落としてみたりと強度を測ることに夢中になっている。
「なかなかにいいものですね。これは用途としては弁当箱だけでしょうか」
「弁当箱として作ったけど、別に好きなことに使えばいいんじゃねぇかな? まぁ他の用途ってあんまり考えられねぇけど」
そう言って中に詰めてやってくれとリグが弁当箱をシズクに手渡した。
パエリアを拳よりも少し小さく握った後、今日屋台で出そうと思っていたメニューの中から、唐揚げとスパニッシュオムレツにキャロッテのサラダを詰める。
「温かいキャロッテが苦手であれば、キャロッテだけ弁当箱の外に出してから温めてくださいね」
「もしかしてこのオムレツに百日芋入ってる?」
「うん。百日芋とケーパも入ってるよ」
やった! と嬉しそうに笑うエリスの横で、またもやレインの眉間に皺が刻まれる。
十中八九百日芋が嫌なんだろうなとは思うが、そんなことはお構いなしでエリスはご満悦な顔である。
「前に作ってもらった時すっごく美味しかったもの。屋台のメニューにも加えたのね」
「うん。エリスめちゃくちゃ気に入ってくれたから絶対ウケると思って!」
スパニッシュオムレツは、百日芋とケーパと卵だけで塩と香辛料で味付けしたけどシンプルなものを一度夕飯に作った時からエリスが好きな一品となった。百日芋みんな好きじゃないけれど、味付けの仕方や調理の仕方で俄然おいしくなる。
シンプルなじゃがバタは収穫祭でも大人気だったし、いかの塩辛に似たものが見つかった暁にはユリシス中の飲兵衛たちがこぞってじゃがバターを食べるだろうなと思ってしまう。いくらを乗せたものを前世食べたことがあったがイキュアがそこそこ売れ始めている。イクラを乗せたものを前世でも美味しく食べた記憶があるので、それも踏まえてもう一度寒い時期になったら出してみることにしよう。
「では、遠慮なく頂戴いたします。感想はリグさんとエリスさんにお伝えしますので」
「ありがとうございます。道中うちのリグとエリスをよろしくお願いいたします」
しっかりと二人の事を頼むと、レインはお任せくださいとニコリと微笑んで出発を促した。
さて、あまり見たことのない形状の弁当箱には興味津々なのであとでリグに詳しく聞くとして、未知のラインナップが並ぶ弁当の中身には、美味しければいいな、ぐらいの感情でしかなかったレインだったのだが……。
旅の休憩によく使われている商人御用達のオアシスに立ち寄った。時間はおあつらえ向きにお昼を少しすぎたあたりだ。
「こんなところに休めるところがあるんですねー」
数人が腰掛けられるテーブルに座りながら感心したようにエリスがレインに話しかける前には、リグが椅子に腰を下ろし弁当箱を取り出した。
じっと弁当箱の横に手を差し出し、とてもとても微弱な火魔法を当てて温めているようだ。
「冷えてても美味しいはずなので、そのままどうぞ?」
じっと集中するリグは置いておいてエリスが弁当を勧めるとさらに違う筒状の何かを鞄から取り出した。レインがそれをじっと見ていると、筒状の上の部分を回し始めた。すると上だけ取れて中から湯気が出ているのが見えた。ふわりとほんのりと甘い香りがレインの鼻先をくすぐる。
「それも、リグさんの? 中身はあの子が作ったものなのですかね」
「そうですよ。スープを保温したくてあの人が試行錯誤して作ってました。中はもちろんシズクの作ったものですよ。甘芋と南瓜のスープかしら。これも美味しいんですよ。もしカップがあれば少し分けましょうか?」
「あ、ありがとうございます」
その甘い香りのするスープを持っていたカップに注ぐと、さらに優しい甘さが広がるような香りがしてきた。美味しそうだとは思うのだがそれよりも家から持ってきたスープなのにまだ湯気が出ていることに驚いて、その容器も出来れば自分の店で売りたい!とリグを見るが、まだ弁当を温めることに夢中のようだ……。
諦めてレインはそのスープを口に運ぶ。
「ふあぁぁぁ……」
気の抜けたような声を出してしまったが、旨いのだから仕方ない。仕方ないのだ。
この張りつめた気持ちを緩ませるほのかな甘さ。甘芋なんてただのぽそぽそした甘いだけの芋だと思っていたのにこんなにも美味しいだなんて、今まで誰も教えてくれなかったではないか。そんな怒りを覚えるほどの美味しさである。
そして弁当箱を開けると、茶色と黄色とオリンジ色が鎮座している。
食べたことがないので恐る恐るではあるが、スープが美味しかったので期待も込めて茶色いものから手を伸ばす。
冷えているのに外側はカリッとした歯ごたえだったのに、その中はジューシーに肉汁が溢れる。その肉自体にした味がしっかりと付いていて噛めば噛むほど鶏肉のいい所とした味の良さが上乗せされていくような旨さだ。
「こらは鶏肉ですね! 味付きの!」
「ふふ。唐揚げって言うんです。これは塩味ですね。色々味があって美味しいんですよ。今回は塩味ね」
次は黄色だ。卵の中に百日芋とケーパが入っているのだと言っていたものだ。
ふわりと卵が全体を包み込み、シャキシャキしたケーパと、ホクホクとした百日芋とばっちり合う。無限に食べることができそうだ。
付け合わせのオリンジ色の食べ物は、キャロッテの酢漬けのようだったが酸味の奥にキャロッテ本来の甘みがしっかりと感じられる。唐揚げとこのオムレツと言うものを食べた後一旦リセットするかのように口の中がさっぱりする。
そして持たされた三角に握られたこれまた茶色っぽい米。
レインがおかずに夢中になっている間に、リグもようやく気に入る温度になったのかようやく弁当箱を開けてがつがつと食べ始めたのだが、なんと唐揚げに何か白いものを乗っけて食べているではないか。じっと見ていてもそれが何なのかは分からず、手に持った三角に握られた茶色っぽい米を口に少しだけ入れる。
ほんの少しだけ口に入れただけだというのに、咀嚼をするたびに海の香りが広がる。
アサリが入っていると言っていたが、今食べている触感のものはアサリで間違いないのかと疑ってしまうほどだ。じゃりじゃりと砂が入っていることもなくぷりぷりとした食感を余すことなく堪能できる。さらにアサリと野菜のうまみが染み込んだ炊き込みご飯は、あんなに拒絶などせずに大きく握って貰えばよかったと今さら後悔してしまうほどに、旨い。
旨い旨いばかりで自分の語彙力が低下してしまったのかもしれないと、一瞬手を止めてはみたが……。旨いものは旨いのだからそれでいいのだと、あっという間に弁当箱の中身と小さな三角に握られたものを食べ終え、何とも言い難い多幸感にレインは包まれた。
「美味しいもの食べると、幸せになっちまうよな。シズクの作るものはよ、なんていうか知らない味のものも多いのになんだか妙に懐かしい気持ちになるって言うか、優しい気持ちになるって言うか……。ほんと不思議なんだ」
そうなのだ。食材を美味しく調理する手腕もさることながら、どれもこれもが食べてくれる人に喜んで欲しいと思っている気持ちが滲み出ているような、温かい優しい気持ちになる。
レインはその不思議にまた出会える日が早くくることを祈りながら、幸せいっぱいだが食べ足りない気持ちで空っぽになった弁当箱をじっと見つめた。
お読みいただきありがとうございます。




