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44.オリンジデー 下

 今この場にいるガイル以外の全ての人が、エドワルドの怒りが()()()()()

 何故ならば物理的にガイルの足元がじわりと霜で覆われ、靴を白くしているからに他ならない。


「あの話はもう終わった事でございますよ、エドワルド様。セリオン家と強い絆を結ぶ予定がおありとのことでございましたので私にはもうそのような考えはございません。ご安心ください」

「だったら何故このような場所に? 貴様、まだ性懲りもなくシズク殿に何かちょっかいを掛けようとしているのではあるまいな」


 エドワルドの代わりにクレドが声を荒げると、滅相もないとばかりにオーバー気味にも見える仕草でガイルが肩を上げた。

 そしてガイルの足元の霜は増えもしないが減りもしない。


「今日はそのような話をしに来たのではないのです。オリンジデー当日にシズク・シノノメの菓子が凄いと噂を聞いて足を運んだのです」

「本当か?」

「噂? シズク何かしたの?」


 クレドの問いに返事をするガイルの表情は、真摯であるが前科があるだけに信用はまだできない。

 ガイルへは変わらず威嚇とも取れる冷気を向けるが、シズクに話しかけている今の顔は温かく穏やかないつも通りのエドワルドだ。


「何も……。ただなんか変な噂が広がっちゃったみたいでさ。うちの店で買ったお菓子をベルディエットから手渡されて食べてから告白すると上手く行くーみたいな」

「私から手渡されると、というところがポイントなのですわ」

「姉上から?」

「ほぅ、それもなかなかに興味深いですな」


 あくまで噂だというのにわざわざ市場まで足を運ぶなんてと思いはするが、自分の妻のおめでたを運んできたのがシズクの祝い膳であったと思っていることから、ガイル自身シズクの作るものにはいい印象しかないのだ。

 そのシズクが使った何かが街中の噂になるほど話題に上ったのならば、それを確かめに覗きに来ること自体はおかしなことではないは思う。しかしシズクを十番目の妻にするとの軽々しく口にした男だ。うかつに信用するなどエドワルドには出来ようはずがない。


 そんなガイルとエドワルドが対峙している間に、ここぞとばかりにまたもや出来上がった列からちらちらと窺い見る客の視線に耐えかねて、シズクとベルディエットは数メートルしか離れていないが屋台の前に戻る。


「ガイル様、こちらに」

「これか」


 するとすでに噂のお菓子を購入していたガイルの部下から、オランジェットとロリポップ、チョコがけのポテトチップを受け取りその場で食べ始めた。


 そしてその口から出た言葉は商売人の台詞そのものであった。


「やはりこのような屋台ではもったいない。祝い膳での見事な味付けにも魅了されたが、この菓子ときたら一体なんだ! あの苦くて旨くもないカカオをこのように甘美な甘さに仕上げて食べさせるばかりか、特産のオリンジを使ったドライフルーツを使いこんなにも繊細で目にも鮮やかに変身させるとは。しかもこのキャンディのようなものも、百日芋を使った菓子も……、すべてが金の成る木ではないか! これを全世界に広げるべく私が出資してまずはここユリシスに第一号店を出そうではないか!」


 離れているが、シズクに向かって手を広げてて大声を出しているので何を言っているのか丸わかりだ。

 褒められていはするが、色々と余計である。

 

「貴様、性懲りもなくまだそのような世迷言を。シズク殿はすでに一人でヴォーノ・ボックスという立派な城を持っている」

「その通り!! 私、一介の弁当屋なんで!!」


 長々と一人演説を繰り広げたばかりのガイルを即時クレドが諌めると、シズクもその通りだと大いに同意する。

 しかしそのシズクの言葉にかぶせるようにガイルがそばにいたエドワルドに問いかけた。


「この才をただの弁当屋などで終わらせるのは大変もったいないと、エドワルド様も思われませんか?」

「え……と……」

「おい、エドワルド! そこはすぐに否定するところであろうっ!」


 少しうつむき気味に言い淀んだように見えたエドワルドに、苛立ったクレドが活を入れる。

 しかしエドワルドは言い淀んだわけではなく、考えをまとめているだけだった。 


「シズクはどこで何をしていても楽しそうですが、ヴォーノ・ボックスでお客さんとかと他愛もないお喋りながら話をしている時が一番楽しそうなんです」

「いえ、彼女が楽しいかどうかではなくてですね。その魔法のような力をもっと……ひっ!」


 さすがのガイルが言葉を最後まで紡ぐことは叶わなかった。

 エドワルドの体の周りに、白くキラキラしたものが舞い始めたと同時に足元の霜が少し上に這い上がって来ていたからだ。


「それから彼女は、自らの力で美味しいご飯を作ってるんです。さも簡単に出来るみたいに思ってもらっては困ります」


 クレドも同感だが、静かに語るエドワルドが珍しい。

 どちらかと言わなくてもエドワルドは熱い男だ。こんな風に静かに揺れる炎のように怒るエドワルドをクレドは初めて見た。


 前回はあまりはっきりしなかった気持ちが、間違いなくしっかりと固まったが故だろうかとクレドはチクリと痛む痛みを振り払いながら思った。


「目は口ほどにものをいうとはこういうことだな」

「なんだよ、急に」

「急ではない。さてガイル。シズク殿にはこのようにユリシス名門セリオン家が付いている。言えば我がサライアス家もだ。些か分が悪いとは思わんか?」


 確かにそれはそうですが、もったいないもったいないと眉間にしわを寄せながらも言い続けるガイルが、ふと手に持っていたオランジェットを口に入れると表情が和らいだ。また一口、一口、味わうように口にいれては、その眉間のしわが伸びていく。


「諦めてもらえますよね?」


 ロリポップを口に入れてもごもごと喋る姿でも、むせかえるような色気が放たれている不思議はあるが、初めて会った時よりも幾分かマシになってきている、ような気もする。

 

「ちなみにシズクはお菓子屋さんじゃないんで。お弁当屋さんなんでそこんところ間違えないように」

「そうか、確かにな」


 初めて認識したのは祝い膳であったはずなのに、祝い膳の効果と目の前にある美味しいスイーツに騙されそうになっていた。ガイルも頭がようやく冷えてきた。

 欲しい欲しいと思ってその物に手を伸ばしてみたが、人は物ではない。今まで生きてきた人生があって、意志があって、志があるのだと思い出した。妻たちと出会った時も手を伸ばしたのは同じだが、ちゃんと妻一人一人を見ていたから思いが通じたのだと、ふとそんなことを考えてしまった。


「初心に返れというわけ、だな」


 手に入らないかもしれないと思っていたものを運んできてくれたと思った。その不思議な力を自らの懐に入れて置きたいと思った。自分はただ彼女のその不思議な力に吸い寄せられていただけなのかもしれない。

 それにあんなにガードの強い男が付いていては、どうにもならないな。


 ガイルは長く深く息を吐くと、込み上げてくる笑いを止めることが出来ず、ぽかんとした顔でエドワルドとクレドがガイルを見ているのがさらに面白くなってさらにしばらく笑いが止まらなくなってしまった。

 ひとしきり笑うとガイルはすっきりした顔をしていた。


「自分もね、まぁ強引すぎたかなと思ったけれど、シズク・シノノメの才能を欲しているの本当だよ。何か力になれることがあれば今後協力は惜しむつもりはないよ。何せ教えてもらったことを実践したらもう一人も懐妊兆候があってね。嬉しい限りだよ」

「九人奥様がいると伺ったが……」

「そうだね、嬉しいことに四人が懐妊してもう一人も嬉しいことに懐妊兆候が見られるよ。すべてシズク・シノノメのおかげだ」


 そんなシズクはと言えば、笑顔で引き続き屋台に立ってベルディエットとと一緒に商品を売っているようだ。

 エドワルドとクレドの視線に気が付いて、嬉しそうに手を振っていたが、ふとガイルの足元を指さされてエドワルドが慌てて冷気を向けるのをやめるとシズクが大きく頭の上に丸を描いて笑った。


「ちなみに五人が女性で、都合上妻と呼んでいるが四人は男性だ。みな私を支えてくれるよい伴侶だ」


 そこに明るめなネイビーの細身のスリーピースを着こなした細身で優しそうな顔の男性が一人、ガイルに近寄って話しかけてきた。


「ガイル様、そろそろ参りましょうか」

「そうだな。待たせてすまなかった。さてこの度はなんとも恥ずかしいところをお見せしてしまい失礼いたじした。エドワルド様もクレド様も、何かお困りの事があれば是非お声がけください。必ずお力になりますので」


 ふわりと優しくその男性に笑うとゆっくりと歩き出した。迎えに来た男は執事か何かかと思ったのだが、最後腰をしっかりと抱き寄せて歩いていたのでパートナーの一人なのだろう。


 ユリシスの恋愛と婚姻は別に別性である必要はない。

 好きであれば異性同性など関係ないが、まだまだ同性婚については少数派だ。それを堂々と言えるほどにガイルは自分のパートナー達を信頼しているのかもしれない、とエドワルドは思った。


「ガイルさん! あの、仕事の邪魔さえしなければ問題ないんで、今度はみなさんと寄ってくださいね!」

「邪魔なんてしないさ。また寄らせてもらうよ」


 ベルディエットとシズクに向かって、ばちんと大げさなウィンクと共に盛大に投げキッスをして、そのまま仲睦まじく去っていったのであった。


「あの人、何しに来たんだよ。人騒がせだな……」

「本当にな。しかしシズク殿は色々な人を引き寄せてしまう、天然の人たらしな部分があるな」

「俺もそれ思ってる。フロースも変な人だったし」


 ガイルが去って、エドワルドとガイルはしばらくシズクの屋台を見守っていたのだが、どうやら準備していた分がすべてなくなってしまったようで、並んでいた数人に一人一人丁寧に在庫がなくなってしまったこと、スイーツは期間限定で普段売っていないこと。ここで惣菜とお弁当屋の屋台を出していることなどを丁寧に説明しているのが見える。

 説明を終え、満足したようなシズクの顔がエドワルドからも見えた。


「お疲れ様。やっぱり大盛況だったんだ」

「今回は私も手伝ったのですよ。大盛況で当たり前です」

「姉さんは手渡してただけでしょ」

「あ、忘れるとこだった!」


 ごもっとも、と悪びれずベルディエットが笑うと、思い出したとばかりにシズクは屋台の下の部分から三つ袋を取り出す。


「ハッピーオリンジデー!」


 ベルディエットは店を手伝ってもらえる予定だったし、クレドとエドワルドは会えなければ後日渡すつもりでシズクはプレゼントを屋台に忍ばせていたのだ。

 

 全員にチョコのついていないオレンジピールと、チョコ付きのオランジェット。


 満面の笑みでシズクに袋を手渡された三人はと言うと、無言でそれを受け取りはしたが普段とあまり変わらないばかりか若干驚いているように見える。


 前世でバレンタインで友達に渡すテンションと変わらないつもりだったのが、この世界ではテンションが高すぎたのだろうか。


 ちらっとその顔を窺い見ると、みるみる頬が高揚していくのが分かった。

 嫌がっている素振りがないことに一安心である。


「日頃のお礼にね、チョコがついてないのもあるよ。あ! ベルディエットにはおまけでロリポップも数本入れてあるからね」

「まぁ、本当! これ美味しかったのよね。ありがとうシズク。私、オリンジデーに家族以外でプレゼントを頂いたのは初めてだわ」

「え? そうなの?」


 隣で苦笑いするエドワルドが言うには、貴族同士で贈り物をする場合は何か勘繰られる可能性もある。婚約が決まっているなどしなければオリンジデーに家族以外で贈り物はしないのだそうだ。クレドも同じように感動しているようにも見えるのはそう言った理由からのようだ。


「エドワルドはあんまりびっくりしてないね」

「そんなことないよ。警ら隊のみんなが昨日からソワソワしてて、あ、そうかって思い出したんだけど、貰えるなんて思ってなかったから、凄く、うれし……」


 袋の中を見るエドワルドが、中にあるもう一つに気がついた。

 もちろんベルディエットとクレドも同じく、何かを見つけた。


「お菓子だけだとちょっと寂しいかなって思って」


 ベルディエットとクレドの袋にそっと忍ばせたのは栞である。

 二人とも本を読むだろうなという単純な理由からだ。細長い革に穴をあけて、リボンを通すだけの簡単なものだが、そのリボンの先を金と赤の少し太くて硬い糸を使って水引の梅結びにしてみた。

 ちなみにリグとエリスには同じ色の梅結びの根付をプレゼントした。二人共仕事用のポーチに付けてくれたのが嬉しかった。ちなみにシュシュリカマリルエルへは今回売り出した三種類のお菓子詰め合わせである。

 ちなみに何故シズクが梅結びを覚えていたかというと、エリと一緒に普段やらない事をやってみようといくつか挑戦したことの一つだったからである。


「このモチーフは私の故郷では魔よけの意味もあるんだよ」

「ほぅ、それは興味深いな」

「大事にするわ。絶対に大事にする」


 とても喜んでもらえて感無量だ。

 一方エドワルドに送ったものはもっと実用的なものである。 


「えっと、俺の……これは?」

「肩たたき券ならぬ、お弁当券だよ!」

「お弁当券……?」

「そう。お店をやってるときはいつものお弁当と交換。で、お店がお休みの日は事前に連絡貰えば大丈夫だから!!」


 ヴォーノ・キッチンいちの常連客エドワルドであれば、これは絶対に喜んでもらえる自信がシズクにはあった。枚数は十枚だがお店が休みの日でも使えて期限なしの手作りお弁当券だ。


「俺だけの、だよね」

「そう、エドワルドだけ。ダメだったかな」

「ダメじゃない。嬉しい。ありがと……」

「あとね、帰ったら開けて見てみて」


 こっそりエドワルドに告げるシズクの顔は悪戯を仕掛ける子供のような笑顔だ。


「じゃぁまたねー!」


 リグやエリス、ベルディエット、クレド、エドワルドにも充分喜んでもらえてシズクは大満足でオリンジデーを終えた。


☆☆☆☆☆☆☆☆

 家に戻ると、エドワルドはすぐにシズクに言われた通り渡された袋を開けた。

 そこにはベルディエット達にも渡していた梅結びの根付けとは違う、自分の髪色に似た雪の結晶モチーフアクセサリーが、彼女の瞳の色に似た茜色の梅結びの根付けに付けられていた。


 取り出してまじまじと見る。


 一体どんな気持ちで、シズクはこれを俺に渡したのだろうか……。


「……」


 あの別れ際の悪戯っ子のような笑顔を考えたら、特に深い意味合いはなくさらにサプライズ成功したらいいぐらいの感じだろう。


 それでもエドワルドは、じわじわと腹の底から嬉しさが込み上げてきて、自分の体温が上がるのを感じるのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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