43.オリンジデー 上
「あんなに感謝していたではありませんか……」
上品に口を尖らせながら、ベルディエットが不満をもらした。
濃厚なムスクの香りを常にまき散らしているのではないかと勘違いしそうな濃すぎる色気の権化ガイルを撃退したベルディエットだったが、最後の一言が波紋を呼びすぎたのだ。
『強い絆を結ぶ』とは養子縁組か婚姻の事を差す。
あの時シュシュリカマリルエルが養子かエドワルドと結婚かと聞いてこなければ、シズクは何も知らないで何か約束でも結ぶのかと思ったままだったかもしれない。実際あの後クレドによるベルディエットへの追及はシズクの知らないところで数日間に及んだと言う。
「クレドにもちゃんと説明しましたけれど、そのうち時期が来ればそういうこともあるかもしれないと、ほんのーりと匂わせただけです」
「全然ほんのーりちゃうやん!」
「しかし私にとって、いえ、我がセリオン家にとってシズクは恩人です。強い絆を結びたいと思っている事自体は間違いではありません。エドワルドとのことは今後の進展に期待したいとこですが……。絆を繋いだと思えるような証は送りたいと思っていますもの」
途中小声で何を言っているのか聞こえない箇所もあったが、ベルディエットが本当に自分と強い絆を結びたいと思っていることだけは理解できた。
「ありがたいけどさぁ、言い方とか、やり方とかあるじゃん。びっくりするから次からはちゃんと相談してから話してよね」
「相談したら了承してもらえる、ということかしら?」
「もう、そうやってー。でもまぁちゃんと相談したら考えるってだけだよ?」
シズクがそう言うと、ベルディエットは満足したように笑顔で頷いた。
「今はその言質を取れただけでも良しとしましょう。それにそのお詫びに今日は手伝いに朝から来たではありませんか。でこれが今日の?」
本日屋台に並ぶのは甘い甘いスイーツと、甘しょっぱい魅惑のスナック。
「そう! オリンジを使ったオランジェットと、ロリポップだよ。あとはポテチ」
「オランジェットはオリンジを使ったものだとなんとなくわかりますが、ろりぽっぷとぽてちとは一体?」
やはり全て初めて見るものなのかとシズクはベルディエットの反応を見ながら説明をしてみる。
オランジェットはユリシスの特産品でもあるオリンジを甘く煮て乾燥させてドライフルーツだ。これはどこでも売っているし社交界でも結構出てくるようだし、ポテトチップスは収穫祭でエドワルドが買ってきたお土産で、ロリポップは似た形状の飴を行商人から買った事があるという。
どれもこれも似た形状のものを見たことがある。しかし。
「どれにもカカオが使われていますが、カカオは飾りに使われていますがもろいですし食べると苦いと聞いたことがありますわ」
「ベルディエットは食べたことはある?」
口元に手を当ててしばらく考えると、ベルディエットは首を少しひねった。
「食事に飾りで乗っている場合は溶ける前に取ってしまうわ。それでもその周りについたカカオを一緒に口にする機会もありますが、私は少し苦いのであまり好きではありませんね」
やはり砂糖を混ぜたりはしていないのだ。
そりゃただの苦いだけの飾りだ。
「これはね、カカオに砂糖を混ぜて作ったチョコレートっていう食べ物だよ。甘いから……、オランジェットから食べてみて」
一度は口にしたことがあるであろうオリンジのドライフルーツにチョコをディップしたオランジェットをシズクが勧めると、特に嫌がる風でもなく手を伸ばして口に入れた。
リサーチがてら、もちろんシズクもこちらの世界のオレンジピールを食べてみた。
茹でこぼし回数が少ないのか、やはり砂糖が高級品でたっぷり使って煮ることが出来ないからか……。とにかく透明度もあまりない結構苦めのオレンジピールだった。
「これ、本当にオリンジで作ったんですの? 甘酸っぱくて、でもほんの少し皮のほろ苦さが残っていて……。この香りも爽やかで、このちょこれーとというのと凄く合いますわ! 絶妙ですわ!」
「そうでしょう、そうでしょう!」
オランジェットは簡単に言えば何回か茹でこぼし砂糖で煮て乾燥させるだけなのだが、それなりに手間もかかる。しかし美味しくなるなら苦にならない。ちなみに輪切りにして果肉も一緒に乾燥させるか、皮だけを使うかは好みに寄る所だろう。今回は皮だけを使ったが、今回の売れ行き次第では果肉も付いた輪切りタイプも出すかもしれない。
「これは本当に飾りに使われているカカオと同じものなの?」
「同じものに砂糖を足して甘くすると、とっても美味しいでしょ?」
「えぇ、ではこちらの可愛らしいキャンディーのようなものもいただいてみましょう」
中はユリシスでよく売られている普通のビスケットを砕いてバターと牛乳を混ぜて中にナッツを入れ固めたものを冷やし、チョコをコーティングしただけである。チョコに色を付けたりすることが出来なかったので見た目はあまり可愛らしくないのが嫌で、少し酸っぱい赤いベリー系の果物があるのでそれを砕いて飾りにしている。
「これ思っていたのと触感が違って楽しいわね」
「色がねー、まだ試作中でさ」
「シズクの茶色い食べ物は全部美味しいのですから、茶色いままでいいのではないかしら」
「はは、なんとも言えない感想サンキュー」
ベルディエットもエドワルドもシズクの作る茶色い総菜には一目置いているからこそ出てくる感想なわけで……、茶色ければ何でも美味しいわけではないとは思うが、その気持ちはありがたく受け取るだけはしておこうとシズクは思う。
さらにポテチのチョコかけを美味しそうにベルディエットが試食を終えると往来が増えてきた。
こんなにのんびりした話をしてはいるが、市場としてはそろそろ混みあってくる時間である。
迷惑料のついでにオリンジデーで屋台を手伝ってくれることになったと言っても、市民にも人気のあるセリオン家の姫だ。名前も顔も結構広く知られていて人気もある。すでに店を開ける前だというのにうわさを聞き付けたファンと思しき人たちも集まりつつある。
とりあえずお会計が終わったものを手早く渡すという任務に就いてもらうことにしたのだ。
「エドワルドは調理までしたと聞きましたわよ。私も袋に入れたりお会計したりぐらいは出来ましてよ?」
「収穫祭の時は緊急避難的処置だっただけだし。エドワルドは警ら隊でメルカドにも詳しいし顔も広いから大丈夫だったけど、ベルディエットは他の意味で顔が広いというかネームバリューが凄いから……」
市場が開かれる時間は正式に決まっていない。シズクのある屋台街は早くから仕事をする人のために早朝から開ける店もあれば夜だけの店もある。シズクの店も早朝から夕方まで、と決めてはいるが夕方前に閉める時もあって結構柔軟だ。
いつも来てくれるお客様には開店が遅くなることを事前にアナウンスして、オリンジデー当日は前世時間で言うところの朝の九時に店を開けることにした。
「前の日までに準備できなかった人の為に、そして意中の人にプレゼントした後に、報告会で集まるであろう人達を引っ掛けようなんて……、シズクの商魂の逞しさには驚くわ」
大事な人には感謝を込めて刺繍を贈る。友人達とは当日お菓子を買いに行く。とシュシュリカマリルエルが言っていたのを当てにした形にはなるが、普段市場でスイーツを売っている店自体が少ないのでそこそこ売れるとシズクも踏んだわけだ。
「それは私も商売人ですからね。それにシュシュに聞いたら当日でも結構買うって聞いたから……」
と話をしている間に、店の前にいた女性二人組がオランジェットとロリポップを見てどうするか考えているようであった。このお二人はこの後意中の人に告白をしに行くそうだがその前にスイーツで景気つけしようと見ていたようだ。これ下さいとお願いすると目の前にいた超絶美少女セリオンの姫、ベルディエットから恐縮しながらも商品を受け取り、そのまま笑顔で食べながら街に繰り出していくのをシズクとベルディエットは見送った。
「お二人共、恋が叶うといいですわね」
「そうだね。背中を押せるようなお菓子になったなら嬉しいね」
「そうですわね」
その内にまたぽつりぽつりと人がやってきたのだが、お昼前にやけに人が途切れなくなってきた。
「ちょっとおかしくない?」
「収穫祭の時のようなお祭りならともかく、今日はオリンジデーですし……。いえ、私オリンジデーに街にいたことがありませんので、もしかしたらこれが普通なのかもしれませんわ」
「普通って、あっちの花屋さんとか二・三人並んでるぐらいだし……」
そんな話をしている間にもまた人が並び始め、十人ほどの人達が待ってくれている。ありがたいことだがポテチもなんとか売りたいのになと思っていると、また三人ほどが並んだ。
ただオランジェットとロリポップに買いが偏っていて、混雑しているのでシズクもお会計の後商品を渡そうとするとベルディエットから渡してもらいたいと言われまくった。
ポテチが余ったらどうしようかなと考える余裕もないほど、混雑しているというのにその全員がベルディエットからしか商品を受け取らない不思議な現象の問いが解けたのは次の瞬間だった。
「この丸いお菓子かオリンジのお菓子をセリオンの姫から受け取って食べた後告白すると絶対成功するって噂、ほんとなの?」
「本当だってばー! 朝一で買いに来た子がここの丸いお菓子買った後二人共告白成功したんだって。あと、それを聞いた子達もここでお菓子食べてから告白して続々と!」
やだー、どうしよう、やっぱ期待しちゃうー!
そんな声が列の中から小さな声でシズクにも聞こえてくる。
「そのような噂があったから、お会計でベルディエットご指名になっちゃったんだ……」
「まさか、あんな美味しいものにそのような効果があるだなんて。私も食べましたので、誰か殿方に求婚したならば受け入れていただけるのかしら」
一瞬ざわりと空気が動き、遠巻きにずっとベルディエットを見ていたどこぞの貴族のご子息様方の目が、期待するかのように爛々としているのが見えた。しかし、ベルディエットにそんな気がないのはわかりきっている事。
「そんなつもりなんてないくせに」
「バレてしまいましたか?」
「可愛らしく首を傾げても騙されてなんかやらないんだぞ」
そんなやりとりを聞いていたどこぞの貴族ご子息達ががっくりと肩を落としたその間を分け入って、何故今日この場所にいるのか甚だ不明な、そしてむせかえるような色気を振りまいて歩く男が一人。
「シズク・シノノメ……。君には本当に参ったよ」
「あー……。いらっしゃいませー」
「ガイル。私先日しっかりとお話しさせていただいたつもりでしたが、まだ懲りずにやってきたのですか?」
「今日と言う日にこれだけ噂が聞こえてくれば、ここに来ざるを得ないね。いったいどんな魔法お菓子に掛けたらこんなに恋が実るんだい?」
また変な人来たー、とげんなりするシズクの表情を見ても尚ぐいぐいと押してくるガイルから一定の距離を取りながら逃げるシズクの攻防戦はあっけない幕切れとなる。
「シズク―! お菓子買いに来たよー!」
「シズク殿、おれもいいだろうか」
「いいところに! 助けてー……」
エドワルドとクレドの二人が忙しいのに店に寄ってくれたというのに、申し訳ない気持ちもあるにはあるが、今は助けて欲しいとばかり二人の後ろにシズクは逃げ込む。
「クレド様は先日ぶりでございますね。今日はセリオンのご子息まで?」
「またシズク殿にちょっかいを出しに来ていたのか。ガイル」
「ちょっかいなどとは滅相もございません。今日はシズク・シノノメの店で大層評判の菓子を買いに来たまででございます」
ガイルはもちろん後ろめたいこともないので正直に来た目的を告げるが、先日の事を知っているベルディエットとクレドは気が気ではないのだ。
「失礼ですが……?」
「エドワルド様とはお初にお目にかかります。私ゴトフリー商会のガイル・ゴトフリーと申します。以後お見知りおき……を……」
それを聞いたエドワルドの表情が、冷ややかなものになったのは気のせいではない。
ガイルも思わず喉を鳴らしてつばを飲み込んでしまったほどに。
どうしてエドワルドの体から冷たい冷気が出ているのではと錯覚するほど、その態度が冷ややかなのか。
「姉のベルディエットに聞きましたよ。貴方が、シズクを十番目の妻に迎えたいと馬鹿なことを言ったガイル・ゴトフリーですか。初めまして。俺がエドワルド・アブソリュー・セリオンです」
そう。先日あった事をベルディエットから聞いていたからである。
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