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41.襲来

 この世界、秋にある収穫祭以外は国を挙げての大きな祭りはないらしい。

 シズクが調べたところ、五穀豊穣を願う祈年祭に似た行事があるようだったが、それは国王が王城の中で特別な詠唱を二日ほどかけて行う厳粛な祭事であって、お祭りではないそうだ。


 それを残念にシズクが思っていると、どうやら春の訪れを祝う習慣がある。ということを今シズクの目の前で、シュシュが売れに売れた自分へのこ褒美にと、三段重ねのクリームたっぷりフルーツジャムのパンケーキをぺろりと食べ終えたシュシュリカマリルエルが言うではないか。


「年が明けてからひと月と少し後の休日に、お祭りとかじゃないんだけど、家族や友達にプレゼントし合う、みたいなオリンジデーっていう日があるんだけどね」


 けふー、と可愛らしいゲップをするとシュシュリカマリルエルは温かいお茶をすすった。


「ほうほう。それは初耳」


 シズクは去年の春にヴォーノ・キッチンを始めた。

 年が明けてふた月なら体調はそこそこ充分元気になっていたが、まだシズクは外には出ていない時期だ。ただリグとエリスから贈り物をもらったことは確かに覚えている。

 

 日本で言えば二月の中旬ぐらいか。自分が気が付かなかっただけでそういったイベントごとはそこそこあるのかもしれない。


「あ……、私も去年リグとエリスが二人で刺した刺繍入りのハンカチを貰ったっけ。贈り物はハンカチが主流なの?」


 貰ったはいいがひと針ひと針とても丁寧に刺繍されているそのハンカチがあまりに綺麗だったので、シズクはなかなか使えずにたまに出して眺めているのだ。


「そうでもないよ? でもまぁハンカチに刺繍するっていうのは家族とか大事な人っていうイメージはめちゃくちゃある」

「そっか。ならより一層大事にしなくちゃだめだね」


 過保護すぎて呆れてしまう事も多々ある。そして家族と同等だと思ってくれている事は分かってはいたが……、それでもじわじわと嬉しさが込み上げてきてしまう。

 笑ってしまう口元を止めるために、シズクは他の質問をシュシュリカマリルエルに次の質問を投げかけた。


「他には何か贈ったりする?」

「意中の人がいる場合は花束とか刺繍が人気。友達同士だとお菓子がやっぱり人気あるよ。友達同士のプレゼント枠を狙ってシュシュをまた売ろうと思ってるんだよね」

「いいじゃん! 友チョコみたいな感じかな……? それっていいお菓子をみんなで贈り合うの?」

「うん。そんな感じ」

「今食べてるみたいなやつ?」


 そうだよー、と言ってシュシュリカマリルエルはお茶をまたゆっくりと飲み始めた。


「好きな人にお菓子を贈る、か……」


 二月の中旬と言えば、バレンタイン。

 勇気を出して好きな人に想いを告げるための背中を押してくれる日だ。

 そして、幸なことに食材はあるのだ。

 前回のご褒美にとアッシュにリエインで見かけた食材をお願いしていたのだ。魚介は流石に足が早いので、二、三日分をエドワルドの氷魔法で凍らせておいたものと、出汁で使えそうな乾物。

 そしてカカオマスとカカオバターだ。

 

 この世界にはチョコレートはあるにはあるにはあるが、細工飴のような飾りで使われていることが多く食べずに香りだけを楽しむらしい。だから金持ちが食べるような高級料理店でしかお目見えしないのである。

 

 カカオマスとは、簡単に言うとカカオ豆をローストしたり磨り潰したりしたりして作られるチョコレートの主原料となるものだ。この時点ではチョコレートの匂いはする苦い何かである。それに砂糖やココアバターを練ったものが良く知っているチョコレートになる。


 香りだけを楽しんでいるという事は砂糖を混ぜたりはせずそのまま使うので、ただただ甘い香りのする苦い何かなのだ。それをシズクが知った時はそりゃ人気も出ないよな、と思わざるを得なかったわけで。


 しかし、手に入れたカカオマスとココアバターに、砂糖を混ぜれば甘くて美味しいチョコレートが出来上がる。


 砂糖はそこそこ高価だが、手に入らないわけではない。

 養鶏農家の謎の伝手を使って甜菜のような爽やかな甘みの砂糖を探してもらえるのでは……、うんうん、何とかなりそうだと思うとにやりと口角が上がったところをシュシュリカマリルが同じようにニヤニヤしながら指摘してくる。


「なに、シズク、すっごく悪い顔してる」

「悪いって何。悪だくみしてる顔って言って」

「どっちも悪いじゃん」


 チョコレートが手軽に食べることが出来るようになれば、デザートの幅がさらに広くなるだろう。シュシュリカマリルエルが食べていたクリームに乗せてもいいし、パンケーキに練りこんだっていい。


 しかし今回教えてもらったイベントで売るならば友チョコのように気軽に交換出来て可愛いものが多い方が受けがいいだろうか?


 それならユリシスでも手軽に食べられているオリンジのドライフルーツを使ってオランジェットにしたら、甘い物が苦手な人でも口にできるだろう。それから派手に装飾することは出来ないが見た目も可愛いし包みを工夫すればロリポップなんかもいいかもしれない。


 チョコレートは無限大だぜと、シズクはぐっと拳を小さく握る。


 オレンジピュールを自分で作るのは少し手間がかかるが、オリンジデーと言うからにはやはりオリンジを使ったお菓子は必須としたい。あとは先ほども考えていたが、こう言うイベントごとは友達どうして贈り合うのも楽しいので、貰った時に今までに見たことがないようなものがいいだろう。


 そう思うと、この世界でお馴染みのオランジェットと、見たことがないロリポップは決定だ。

 あと一つあれやっちゃうかな。前世でも大好きでたまにドカ食いしていたしょっぱいと甘いの悪魔の食べ物。収穫祭でどえらい人気になった百日芋を揚げたポテトチップスにチョコレートをかけたお菓子。


 チョコレート自体が一般市民になじみがないが、どれも食べたら絶対に美味しいので三種類を出品することにしようと決めると、丁度自分のカップの中からも飲んでいたジュースがなくなっていた。


「そいえば、今度はドラゴンに睨みきかせてまた退散させたんだって? 噂聞いたよー」

「何それ! 根も葉もない噂だし。騎士団の人だっていっぱいいたし。しっかり助けてあげたんだってば」

「本当に? 前回のワンパンの事もあるしなー」

「それ自体も根も葉もない噂じゃーん」


 飲み物がなくなってしまったのと、そろそろ夕方。明日はお互い仕事なのでそろそろ解散と会計を済ませて店を出たところで、銀色のフレームの眼鏡をかけた見知らぬ女性に、左腕を急に掴まれた。


「シズク・シノノメ様とお見受けいたします。ご同行をお願い申し上げます」


 自分が名前を名乗るよりも前に、有無を言わせず目の前にいる見知らぬ女性にシズクはぐいぐいと引っ張られる。

 身なりは良く、着ている服も執事服でネクタイにはどこかの家の紋章が見事な刺繍で入っている。

 口調だけは丁寧だし痛くはない。しかしご同行と言えば聞こえはいいが急に腕を掴んで強引にどこかに連れて行こうとする行為には、残念だがあまりいい感情を向けられているような気はしない。


 何とか抵抗するがその手を離してはくれず、それなのにその人は何故かシズクを一目見て呆れたようにため息をついた。


「ため息をつきたいのはこっちなんですけれど。どこのどなたかは存じ上げませんが、名乗りもせずに強引にどこかに連れて行こうなんて誘拐と同じですよ」


 前回攫われた時よりはまだマシではあるが、マシだというだけで決して正しいわけではない。

 横にいたシュシュリカマリルエルは、ネクタイの紋章を知っているのか顔面蒼白ながらシズクの服の袖をギュッと握って決して離したりはしないと、怖いながらも必死に目の前の女性を睨む。


 ぐいっとさらに女性がシズクの手を引くと、急にかかった力にシズクがふらついてようやくハッとしたように目が見開き、ユニが手を離した。


「シズク.シノノメノ。あなたはドラゴンを二度も屠ったと聞いていたのですが……あまり強くないようだ」

「は?? 一介の弁当屋がドラゴンなんてどうにもできないよ!?」


 最近されがちな失礼な質問に、聞こえないふりは出来ない。

 そして手を離してもらえたことで、シズクに少しだけ余裕が出来た。


「まぁ、確かに私がシズク・シノノメですけれど?」


 シズクが名乗ってから、お互いに何も言わず数分。

 絶対に自分から声を掛けないと決めたシズクも、むずむずと居心地が悪くなってきて、口がからからに乾いてきてしまった。

 我慢はしているが飲み物が飲みたいとシズクの視線が動いたとき、ようやくその人が口を開いた。


「先ほどは大変失礼いたしました。私はゴトフリー商会会長、ガイル・ゴトフリー様付きの執事、ユニです」


 ユニの態度は先ほどまでとは変わりに変わって、とても丁寧なものとなった。

 おせちを買ったお客の中にそんな名前の人もいたな、ぐらいの認識だったシズクとは裏腹にシュシュリカマリルエルはその名前を聞き身体がびくりと震えた。


「そちらのお嬢さんはご存じの様ですね。ゴトフリー商会と言えばお針子を束ねる針仕立協会の頂点。ガイル様がその協会の会長でございます」

「そんな偉い人がいったい私に何の用だって言うんですか」


 急にやってくるのは別に構わないが、お互い初対面だというのに強引に腕を引っ張るなどあまりいい印象を残せなかったガイルの執事ユニに対して、シズクも遠慮はせずに語尾強めで聞き返せば、ユニからも同じように強めの口調で返事が返ってくる。


「ガイル様が年の終わりにご購入したあなたの祝い膳をいたく気に入って是非専属の料理人したいと仰せです。メルカド ユリシスでの稼ぎよりずっと好待遇で。それから、お会いして自分の好みであれば場合によっては十番目の妻に迎え入れても良いとの仰せでございます。ご理解いただけましたでしょうか。では、今すぐご準備ください」 

「ご理解なんてするわけないでしょうっっ!!」


 ヘッドハンティングだってもっとオブラードに包んで交渉するだろうし、さらに知りもしない自分を妻になど……っ!!


 断るとは思っていなかった様子で、大声で断りを入れたシズクにユニが困惑しているのが見て取れる。

 しかし何故困惑しているのか、理解に苦しむ。


 いくら言ってもこれは理解できないかもしれないとシズクが頭を悩ませていると、シュシュリカマリルエルは袖を掴んだまま消え入りそうな声でシズクに告げる。


「妻が何人もいるらしいって噂で聞いたことあったけど九人もいたんだ……」

「ちょいと! 驚くところそこ!?」

「早く参りましょう」

 

 えへへと笑うシュシュリカマリルエルに、急かすユニ。

 どうにもならないような気がして頭を抱えるシズクに、救世主の声が聞こえた。


「往来でそんなに声を荒げるなど、そこの者に何かされたのか? シズク殿」


 魔術師なのに、凛とした武士のような佇まいにさらに突き刺さるような物言いに、シズクから離れユニが後ずさる。

 

「ちょっと、そこの方。誰の許しを得てこんなことをしているのかしら私のシズクに乱暴など許しませんことよ」


 こちらは扇で口元を隠して悪役令嬢さながらの登場である。


「ベルディエット! クルドさん!」

「ほほぅ、セリオンの姫ベルディエット様とサライアス家のご嫡男クレド様とお知り合いとは……」


 何故二人揃って、屋台街に近い喫茶店の近くにいたのか不明だが来てくれて助かった事には間違いない。

 どうにか援軍が来てくれたと安心したのも束の間、ユニは何故同意してくれると思ったのか甚だ理解できない言葉を言い放ったのであった。


「貴族のお二人ならばご理解も早いかと。ガイル様がシズク・シノノメをご所望でございます。是非このお話をお受けいただけるようお二方からもお話しいただきたく存じます」


 変な人、襲来である。

 

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