38.ドラゴンを救え
「人間が悪いことしたなら、その尻ぬぐいも人間がしなくちゃダメだよ。それにこういう場合子供を使って親をおびき寄せるって相場が決まってる! 助けてあげなくっちゃ! エドワルドだってそう思うでしょ!」
畏怖の存在でもあるドラゴンを助けようなんて思う人間が、この世にいるのだろうか。
エドワルドの目の前に、いた。
「色々考えなくちゃいけないことはありますけど、まずはあのドラゴンを助けてからです!」
確かに今はあの小さなドラゴンを助けなければ、親のドラゴンによってより大きな脅威にさらされる可能性が非常に高い。
どうしたら槍を抜けるのか。槍を抜いた後の処置はどうするのかをアッシュは考える。しかし、良い案は浮かんでこない。大きく息を吸って鼻からゆっくりと吐き出すと、薄らと白い息が見えた。
「野生の動物に人間が触ったらいけないんですよね?」
「そうね……。ドラゴンは分からないけれど動物にもよるけれど病気を持っている場合もあるし、動物の子供に人間の匂いが必要以上についていたら育児放棄される可能性だって考えられますわ」
「うーん」
シズクは目を閉じあの時の……、あの話の時は……。と小さく独り言をつぶやいていたかと思うと、急に目を見開いて小さく手を叩いた。
「アッシュさん。ならばこんなのはどうでしょうか!」
まず眠らせ、痛みが分からないように麻痺のような状態を作る。その後槍を引き抜いて治療した後治癒魔法で傷口を塞ぎ体力を少し回復させてみませんか? 魔法で……とシズクが提案した。
「御伽噺に出てくる伝説のドラゴンを助けるなんて……。ふふ。前代未聞ですね」
「でもやってみる価値はあるんじゃないでしょうか、アッシュ団長」
「では魔法を使えるものを集めましょう」
シズクの提案にエドワルドもやってみようとさらに後押しすると、アッシュも大きく頷き人選を考え始めた。
恐らくこの森の中にいるであろう脅威だったものは、人を傷つけたり街を襲ったわけでもないのに傷つけられている。
確かに以前シズク達を襲ったドラゴンも人を襲うことが理由なのではなく、今回と同じように何か別の理由で街のそばまで誘導されてそこの場所にいたのだとしたら……?
エドワルドの憶測は後でアッシュに話をしてみることにして今は子供のドラゴンを救う事に集中しよう。
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「では、手はずは先ほどの話した通りです。皆さんの魔法の痕跡は出来るだけ薄くなるよう私も最後に努力しますので、どうか頑張って助けていきましょう」
「「はい!」」
団員三人がかりで昏睡詠唱を唱え始めると、子ドラゴンが先ほどまで発していたぎっぎっという鳴き声が次第に聞こえなくなってきた。次に麻酔のような痛みを軽減できる魔法を使える人物はいないので、処置中はエドワルドの氷魔法で患部を冷やし痛覚を麻痺させる作戦を取った。皮膚の深いところまで凍らせないよう気を遣いながら常に冷やし続ける。
普段の生活では小さな氷を作ったり氷菓を作るぐらいだし、戦いでは一気に氷漬けにしたり攻撃するために氷柱上にしたりすることが多かったエドワルドは、このような用途で魔法を使うのは初めてだった。
「意外に神経使うな……」
「同じく……」
絞り出すようにエドワルドに返事をした昏睡の詠唱を続けている団員の額に、汗の粒が浮き始める。
「では次……」
アッシュの声に続いて今度はシャイロが前に立った。
ものを動かしたりする魔法を使うのはシャイロの様だ。
柏手のように二度手を打ち胸の前で手を合わせ、小さくふっと息を吐き手を動かし始めた。何かを持ったり引いたりするパントマイムのような動作は、まさにドラゴンに刺さる槍をじわりじわりと抜こうとしているのだとシズクには見える。一人の力で抜けるものなのかと手に汗握りながらその様子を見ていたがその心配も杞憂に終わった。
ゆっくり丁寧にさぐるような動かし方をしていたと思ったその瞬間、綱引きをしているような動きのあと離れた両手を一気に自分の体に引き寄せるようなしぐさをしたと同時に、ドラゴンの体がからすぱっと槍が抜けた。
血が噴き出るのではないかと一瞬目を逸らしたが、そこにエドワルドの氷魔法が薄い膜を張るように傷口を塞いだ。
《偉大なる風の王 切に願い奉る 傷ついた彼の者をあなたの慈悲の風を持って癒し救いたもう》
さらに氷の薄い膜が張られるのとほぼ同時にベルディエットの治癒の詠唱がゆっくりとそして静かに響き渡った。
数回の詠唱が終わる頃には傷が遠くから見てもすっかり塞がっているのが見えた。
そのまま子供のドラゴンにかけているエドワルドの氷魔法を解き、昏睡の詠唱も終わらせる。
ドラゴンにはごまかしは利かないとは思いはするが、念のためアッシュが魔法の痕跡を出来る限り消していく。自分にはまったく理解の及ばないドラゴン相手にどれだけ自分が痕跡を消そうと躍起になったとしても意味はないのかもしれないが、しないよりはマシだと考え付く限りを尽くした。
「さて、親のドラゴンに見つかる前に撤退しましょうか」
その言葉を合図に撤退が始まった。
ドラゴンとはいえまだ子供を一人残していくのが心配でシズクが振り返ると、ゆっくりと体が上下して穏やかに呼吸をしていることが見てわかった。助けられてよかったと小さく言葉に出すと、聞こえたわけでは決してないだろうがしっぽが穏やかに揺れて返事を返してくれたように思えた。
安心してほっと息を吐いたが、今日は何がいるのかを確認するだけでよかったのに、こんなに突っ走って周りの皆を巻き込んで本当に良かったのか、いや、でもここで助けることが出来たという事は子供のドラゴンの命も救い、さらには親のドラゴンの報復も回避できたという事ではないか、いやでも……と急にシズクは不安になってきた。
「……」
エドワルドから見て見れば撤退の最中、先ほどまでは鼻息荒く興奮していたシズクが、急にしょんぼりと肩を落としてため息をつくではないか。
側で見ていたエドワルドはじっとシズクを観察する。
ため息をついて、何か閃いたようにキラキラと目を光らせたと思うと急に口を尖らせて眉を寄せる。あまりにも百面相が続くのでとうとうエドワルドはシズクに声をかけた。
「シズク。どうしたの?」
「アッシュさんは見るだけだって言ってたのに、私勝手に突っ走って助けた方がいいなんていっちゃってよかったのかなって今さら考えちゃって……。助けられてよかったし最善だと思ったのは間違いないんだけれどさ……」
「危険がなかったかって言えばキリがないよ。でも今回はこれが最善だって俺も思う」
親ドラゴンと鉢合わせをした場合、部隊が丸ごと全滅していた可能性もないとは言い切れない。しかしそれでも人が意図的に子供のドラゴンを傷つけ、最終的にもっと大きな被害が出る可能性の方が大きいと団長であるアッシュ自身が判断したのだ。
「そうだよ。今回はシズクがいてくれたからあの子も助けることが出来たんだからもっと自慢げにしてたっていいと思うよ」
「そっかな」
「そうだよ! でも次からはこういう事に同行する時は即決しないでちゃんと俺に相談してからにして」
一瞬きょとんとした顔をしたシズクだったが、すぐさま『そうするね』、とエドワルドに満面の笑みで返してくれたことに安心したように『ありがとう』とシズクは小声でエドワルドに返した。
お互いその笑顔にほっとして、なんだかくすぐったいような何故か恥ずかしい気持ちを抱えて森を抜けて、シルワ村まであと一歩というところで急に鳥肌が立ちぞくりと背中が冷える。
「ーーーーーー!!」
街を出る前に背中に感じた悪寒と同じ感覚が身体を襲うのと同時に、腹の底からビリビリと響くような獣の雄叫びが響き渡った。
アッシュやエドワルド、近衛騎士団の団員はさすがと言うべきか座り込む者はいないが、シズクとベルディエットは耳の奥がキーンとして三半規管がおかしくなったのか酔ったように歩くことも出来ずその場でへたり込んでしまった。
近くにいる。
何かに見られているような、品定めされているような視線を感じて、重くてぞわりとした感覚がシズク達を襲うがこちらに向かってくる気配は感じない。
しかしアッシュはこの感覚の中にあっても気配を探り続け、おそらくドラゴンがいるであろう方向をじっと見つめていた。
「ーーーーーー」
地響きのような雄叫びが再度聞こえたと思うと、アッシュがじっと見つめていた森から奥から赤く大きなものが飛び出し羽ばたくのを見た。
日が暮れて昼と夜の間の色の方に向かって吸い込まれるように羽ばたいている。
「ドラゴンだ……」
以前シズクとベルディエットが出会ったドラゴンと同じかどうかはわからないが、赤い鱗が暮れ行く夕陽に反射してキラキラと光る。
目を凝らしてみると遠くて見えにくくはあるが、親のドラゴンの腕に先ほど助けた子供のドラゴンだろうか。すっぽりとその腕の中に納まっているのがエドワルドには見えた。
見送っていると今は先ほどまでの値踏みされているようなぞわりとした感覚はいつのまにかどこかに消え、恐怖などもない。今は見えているこの光景が綺麗な絵画のように尊くすら感じ、ここにいるもの全てがドラゴンの姿が見えなくなるまでじっと見続けていた。
「はーっ、なんか凄かったね!」
静寂をいち早く破ったのはロッサムだった。
それを皮切りに、初めてドラゴンを見た騎士団員たちは各々興奮気味にドラゴンを語り始めるが、一応に凄いものだった……という感想に落ち着くと、緊張からもようやく解放されたのか一人が笑い始めそれが伝播して全員で大空に向かって笑ったのであった。
脅威を確認するために森に入って来てみれば、人の手で傷つけられたドラゴンを見つけた。
子供が無事だったからか、ドラゴンは森にも人にも危害を加えることなくどこかに去っていった。
釈然としないが、事が大きくならずに済んで一番に考えたことは、誰が何の理由で小さなドラゴンを傷つけ森の奥とは言え人の住む近くに置き去りにしたのか。という事だ。
人を襲わせるために、わざと??
以前シズク達を襲ったドラゴンも元々は人を襲うことが理由なのではなく、結果として人や村を襲う何かをされていたのだとしたら……。
世の中にはそんな恐ろしいことを考える人がいるのだろうか。
ここには本の中で語られる昔話でもなければ、夢の中でもない。まぎれもなく皆が生きていて何かあれば簡単に死んでしまう現実なのだ。
優しい人ばかりではないが、もしもそこまで悪意に満ちた人が今回のことを仕組んだとしたら?そう思うだけで体中の熱が奪われていくような恐怖を感じる。
シズクはそんなことを考えながら、遠くに見えるシルワ村の小さな明かりに、ほっとする。
少し前を歩くエドワルドが心配したのか、振り返ってシズクに向かって手を伸ばして微笑む。
「帰ろう、シズク」
「うん」
エドワルドに伸ばされたその手をただ取ると、シズクは冷えた心に温かさがじわりと戻ったような気になった。
それを不思議に思いながらも手からじんわりと伝わるエドワルドの温かさがシズクの体中に広がって、その心地よさが手を離せずに村まで並んで歩いた。
先ほど見えた村の明かりはもっと明るく輝いて見えた。




