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37.森の中の魔物

 昨日の夜に食べた香辛料の香りが髪に少し残る。

 連勤でへとへとだったというのに、昨日久しぶりにシズクに会えた為か、はたまたしっかり寝たからかはわからないが頭も体が不思議なほどにすっきりしていた。


「カレーって体にいいのかな?」


 口に出してみたがシズクの食事で元気が出た事だけは間違いない。

 そう思いながら軽く伸びをしてから、エドワルドはベッドから出る。

 窓を開けるとカラッとした風が部屋に流れて、透き通るように綺麗な青い空に、ぽっかりと二つまん丸の雲が浮かんでいるのが見えた。

 

「おーい! えどわるどー!」


 気持ちに任せて上ばかり見ていたエドワルドだったが、気の抜けた声が聞こえて窓の下を見るとそこには昨日の夜には話をする事ができなかったシャイロが笑顔で見上げているのが見えた。


「シャイロ! ……シャイロン……殿下」

「シャイロでいいです〜」


 言い直した名前に、これから危険な何かを確認しに行かなくてはいけないと言うには随分時の抜けた返事を返すシャイロが手を振った。その近くの人だかりにはエドワルドの姉であるベルディエットが、聖母のような笑みを湛えて騎士団員に囲まれていた。

 一瞬エドワルドに『早く助けなさいよ!』と言わんばかりの視線をよこしたが、誰かに話しかけられすぐさまよそ行きの微笑みに戻った。


 出発まではまだ時間があったと言うのに、何故外にいたのかはよくわからないが、騎士団員の声から察するにベルディエットの散歩にみんなついて行ってしまったようである。

 一人になるのは危険ではあるが、周りに十人ほどとは流石にやりすぎだとエドワルドの顔に苦笑いが浮かべてしまったが、当の本人はその顔を見ることなくさらに人に囲まれ続けている。


 やれやれと思いつつも身支度を済ませエドワルドが宿の食堂に向かうと、忙しそうに朝食の準備をする宿の人達とシズクが目に入った。

 以前城で開催された時のような、いくつかの料理が並びその中から自分で好きなものを選んで皿に盛ることが出来るスタイルだ。

 料理は以前この宿で食べたことのある豆の入ったスープ、サラダといくつかの肉料理が並ぶ中に昨日と同じ香辛料の匂いをエドワルドの鼻が捕えた。しかしカレーはそこにはない。


「おかしいな……。昨日と似た匂いはするのに……」


 うろうろとその匂いの元に辿り着くべく途中でいくつかを皿に盛りつけながら歩くと、オリンジの実よりは一回り小さい黄金に輝く丸い揚げ物からその匂いがすることをエドワルドは突き止めた。


 これか!? これだな?


 エドワルドは躊躇する事なくその揚げ物を三つ、すでに山盛りの皿の上に乗せて席に着く。

 サラダを少し口にして豆のスープに口を付ける。力が出そうなボルス肉を、賽の目のように四角く切ったステーキを二つ口に入れながら、この黄金色の丸い揚げ物に注意深くエドワルドはナイフを入れる。


「あ!」


 思わず声に出してしまったが、黄金に輝くカリカリの衣の扉を開けると、そこには昨晩堪能したカレーを全身にまとった米。そしてそのさらに中からチーズがとろりと溶け出した。

 口に入れていたステーキを急いで飲み込み、半分に切ったそれを空になった口に再度放り込む。


 熱さではふはふと口を動かすとカレーとチーズの香りに翻弄される。

 これはなんて幸せな食べ物なんだ……。

 今までこの宿で出たことなんてなかったが新作なのだろうかなどと考えながらもりもりと食事を済ませ、エドワルドがお代わりするかどうか迷っていると、二階から団長のアッシュと副隊長のアレックスが降りてくるのが見えた。


「さて皆さん。食事はしっかり済ませてくださいね。今日の工程は昨日の夜にお話しした通りです。もし何か見知らぬ脅威と遭遇しても決して手を出さないように。分かりましたね」

 

 今日は本当にただそこに何かがいるのか、いるのであれば何がいるのかを確認するだけだ。

 ただ見知った魔物であれば戦う事もやぶさかではないが、どう考えてもかすかにだがたまに感じる悪寒が、決して見知った魔物ではないと牽制しているようにも感じられる。


 後ろ髪を引かれるように驚異的に旨い朝食を食べ終えると、すぐに集合し出発。


 エドワルドは前衛の為、比較的前方に位置する場所で目的地へ向かって歩いている。

 シズクとベルディエットは中ほどの位置でアッシュが守ってくれているはずだ。本当なら何をおいても自分がそばで守りたいとアッシュにシズクの護衛を願い出たが却下された。ドラゴンに対して有効とされる氷魔法の使い手が万が一の攻撃に参加できなくてはエドワルドを連れてきた意味がないという理由からだ。


 遠くに聞こえる遠吠えは耳を凝らさなくても聞こえ、ぱきっとなった足元の枯れ木の音が大きく感じるほどに、森全体が静かだった。


 ふー、と一つ大きく息を吐いて、見えるはずもない後ろを振り返った。


「……」


 昨日の夜は久しぶりにシズクの顔を見れたことが嬉しくて、さらに自分の中に眠っていた思いにも気が付いてしまったエドワルドは、リエインからの事を謝ることすら忘れてしまっていたのだ。

 自分の馬鹿さ加減が心底嫌になる。


 一人心の中であぁでもない、こうでもないとひとりごちながら進んでいると斥候の一人が少し興奮したような顔つきで走って隊列に戻って来た。


「この先に正体不明の魔物を一頭発見。遭遇までの時間は半刻ほど」


 子供とはいえドラゴンと思しき魔物発見の報告に、一同に緊張が走る。


「どうやら手負いで、後ろ脚の辺りに鉄製の槍が食い込んでいるのを確認。たまに仲間を呼んでいるのか鳴き声を発するので要警戒だ。この先も気を付けていけ」


 そう言うとアッシュの居る中盤に向けてさらに速度を増して走って行った。


「うわ……。それはちょっと怖いね。鉄製の槍が食い込んでるだなんて……」


 横を歩いていたロッサムが周りを警戒しながらもエドワルドにそう話しかけた。

 確かに自然界で鉄製の槍なんかが空から降ってくることなんてあるはずがない。魔法でそのものを作り出して槍を打ち込んだのか。それとも罠でも仕掛けて襲ったのか……。


「人に襲われたのは、間違いないと思う」


 では誰が?


 というのは今自分が考えることではない。

 その魔物を確認した後、アッシュの指示の元また皆でシルワ村まで無事に帰る事だ。とすぐさまエドワルドは任務に集中を戻す。

 

 こんなに気をつけて歩いているのに布の擦れる音、地面を踏み締める音まで、相手に気づかれているように思えて緊張が続く。

 

 そっと呼吸を繰り返し、緊張でじっとりと背中に伝う汗がそれなりに気になり始めた頃。

 半刻ほど歩いたのだろか。

 少し先に近衛騎士団が使う魔法の目印が淡く青く光って見える。どうやら斥候が報告した地点に辿り着いたようだった。

 

 ぎっ、ぎっ……。


 聞き慣れない音が聞こえ、それを注意深くエドワルドは探す。他の騎士団員も目を凝らして発信源を探す。

 青く光る目印の先、小さく小さく赤が二つきらりと光るのがエドワルドには見えた。この森は大なり小なり魔物は出る。さらに今回探している魔物はそれらとは異次元の違う大物だ。

 確認に飛び出したくなる衝動を抑え、じっとそれを観察すると隣で深く息を吐きだし、小さな声でロッサムがエドワルドに声をかけた。


「エドワルド、あそこ……」

「どこ?」


 さらに注意深くそれを二人で見つめると、またぎっぎっと音がした。

 音の鳴る方角には赤い光がゆらゆらと揺れているのが見えた。


「あれは目かな……。こっちを認識したわけじゃないとは思うけど、肝が冷えるよ……」


 ロッサムがエドワルドの肩に手を添え、自分と同じ高さになったところで見て欲しいであろう場所を指さした。森のほの暗さで見えなかったそれが次第にその姿を現す。


 大きさはボルスと同じぐらいだろうか。この目で見たことはないが、目の前にいる魔物はドラゴンだと断言できるような姿形をしている。

 ボルスほどの大きさとはいえ、畏怖を抱かせる風貌は魔物とは一線を画す。


 その体は赤い鱗に覆われ、宝石のような赤が二つ光る。

 その赤く光る眼が何かを探すようにゆらゆらと揺れている。力なくだらりとしたしっぽの上あたりに鉄製の槍が痛々しくその体に深く突き刺さっているのが見えた。

なんとか引き抜こうと短い手を伸ばし、しっぽを振ったり足を動かしているがその槍は全く抜ける気配などない。寧ろ痛々しく出血し小さな血だまりが身体を動かすたびに少しずつ染み出し、どす黒く地面に広がる。


「間違いないな。あれ、絶対人間の仕業だ」

「あんなもの勝手に身体に刺さったりしないもんね……」

「しかし、あれがドラゴン……」


 じっと観察することさらに半刻。斥候を伴ってアッシュが到着した。

 もちろんシズクとベルディエットもそばにいて、疲れはあるものの怪我をしている様子もなくエドワルドはほっと胸を撫で下ろした。


「アッシュ団長。あそこです……」


 小声でロッサムがアッシュに指を指し伝えると、その後ろにいたベルディエットとシズクも一緒に確認する。

 ベルディエットとシズクが目を見合わせて頷く。


「私達が対峙したドラゴンよりはかなり小さいですが、あの鱗と形、間違いないですわ」

「子供のドラゴンかな……。怪我して血が出てる。親とはぐれちゃったところを人間に悪さされちゃったのかな。もしそうなら許されないよ」


 エドワルドが初めて対峙したドラゴンはボルスほどの大きさの傷ついた個体だ。

 それでもこれほどの威圧感である。成体になったらどれほどになるのだろうか、想像もつかない。


 そして、大きさが違うとは言え同じドラゴンと再び対峙したというのに人間に鉄の槍で怪我をさせられたドラゴンの子供を心配して憤るシズクの姿に、お人よしにもほどがあるとエドワルドは言いたくなったのが、それがシズクと言う人間なのだとすとんと胸に落ちた。


「現状確認は出来ましたが、放っておいて仲間を呼ばれると、どうにも厄介ですね」

「私たちが以前対峙したドラゴンはうまく立ち去ってくれましたが……」

「そうですね。今現在の戦力で手負いのドラゴンに勝てるかどうかも……」


 目の前のドラゴンを放っておくかこの場でどうにかするかを考えあぐねているアッシュとシャイロに向かって、信じられないといった顔で目を大きく見開き、その大きな声が手負いのドラゴンにも届いてしまうのではないかと思うほどの大声で怒りを露わにする人物が一人。


「戦うって言う選択肢がもう高リスク過ぎるし、ナンセンス! 助けるって言う選択肢が出てこない理由が私には理解できない!」

「シズク、何言って……」

「人間が悪いことしたなら、その尻ぬぐいも人間がしなくちゃダメだよ。それにこういう場合子供を使って親をおびき寄せるって相場が決まってる! 助けてあげなくっちゃ! エドワルドだってそう思うでしょ!」

 

 畏怖の存在でもあるドラゴンを助けようなんて思う人間が、この世にいるのだろうか。

 

 いた。


 あまつさえその人は一度ドラゴンの餌食になりかけ、死にかけたと言うのに……。


 亜麻色の髪に、茜色の瞳に助けたいと言う強い意志をにじませ、いつだってエドワルドの心をつかんで離さない、シズク・シノノメだ。

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