36.カレーライス
「なんだよ……。さっき仮眠入ったばっかりなのに……」
「ほら、仕事なんだから仕方がないだろっ! 起きろー! ほら行くぞ!」
「なんだよー。どこに行くって言うんだよ」
年初めの休みをもぎ取るためにに色々な人達と休みを交換していたら、そのもぎ取った休み明けから三日間、自分の家にも帰ることが出来ずシズクのところにも顔を出すことが出来なくなってしまったエドワルドは、夜勤明けからの仮眠を一人の騎士団員によって叩き起こされた。
『お前は婚約者か旦那なのか?』
そんな風に周りから見られてるほど今までどれほど距離が近かったのだろうか。別にシズクとの距離感を自分自身良いとか悪いとか考えたこともなかった。楽しくて心地よくて、あったかい気持ちになるからそばにいただけ。
それがフロースに急に意識させられてシズクとの距離感が分からなくなってしまったのだ。
あの後はどうやってシズクに接していいのか分からなくなってしまって、必要以上に距離を取ってみたりしたのだが、正しいとされる距離感が分からないままリエインから帰って来てから今日に至る。
最後別れる時も自分がシズクに対してどういう顔をしていたのか覚えていない。
やはりあまりいい態度ではなかったと猛省したエドワルドは、夜勤が明けたらシズクの店に行って謝ろうと固い決意を持って仮眠に入ったというのに……。
それなのにだ、急に起こされたと思ったらそのまま着替えさせられて移動門で移動。すでに準備された荷物と共に、あっという間にシルワ村に連れてこられてしまった。
「仮眠はこっちでだってできるだろ」
「そうじゃなくって、少し仮眠してそのまま会いに行かなくちゃいけない人がいたんだって」
ここにエドワルドを引っ張って連れてきた騎士団の男の名は、ロッサム・チルベ・アスター。リエインでいくつかある大きな商家の四男坊だ。四男坊の自分が家を継げるわけでもなく、さりとて何か商売がしたいわけでもなかったロッサムは昔から剣だけは強かったので警ら隊に志願。その後数年後に騎士団に引き抜かれて入団した、その童顔からは想像もできないなかなかの凄腕剣士である。
「なんだなんだー? あ、あれか! 弁当屋の女の子。ここ数日警ら隊と騎士団で行ったり来たりだから顔見れなかったのか? いやぁ、こいつは愛だねー」
「愛って……。だからシズクは大事な友達なんだってば……」
「大事な友達なんだから、愛だって言っても別に変なことないだろ?」
「そう?」
「そうそう!」
眠さの為にロッサムの言ってることを今は深く考えることが出来なくて、しばらくまた仮眠しようと仮眠部屋に向かおうとしたその時、瞬く間にどこかに消えてしまったのだがわずかだがただ事ではない悪寒のような寒気を一瞬だけ感じた。
「急に連れてこられたから、要件聞いてなかった。この悪寒いったい何があった」
「ボクも言い忘れてた。ごめんごめん。実は……」
ロッサムが言うには、どうやらドラゴンらしきものを見たと報告があったという。通りすがりの商人の話では、小さな紅い色の鱗がかなり落ちていたようで、騎士団が確認したところ昨年目撃がありベルディエットとシズクが対峙したというドラゴンの鱗と同様の物のようだとのこと。目撃証言があったのはリットラビアとルドニア、そしてユリシスの三国の間にある森の中。
今のところ被害は出ていない。
目撃された場所に一番近いユリシスの近衛騎士団が先行して足を運ぶことになり、今に至る。すでに昼を回り現地まで数時間歩くとなると夜になってしまう。安全に調査を行うためには明日朝一番に森に入るのが賢明だというアッシュ団長の言葉もあり、移動後はそれぞれ英気を養うためにしっかり休むようにというお達しまで出ている。
「って言うわけ」
「何かまがまがしそうなものがいる感じはするけど、確かにはっきりしないよな」
うっすらと、しかしたまに感じられるこの悪寒の正体がいったい何なのかははっきりしないが、危険なものでないことを祈るばかりだ。
とにかく調査としては明日の朝。
夜勤が明けてから明日の朝までは基本的に休みなので、この後は隊全員で夕食を食べた後今回の作戦会議があるはずなのでそれに参加し、シルワ村でいつもお世話になっている宿で食事をして明日に備えて寝るだけだ。
エドワルドは会議までの時間どうするか考えた結果、仮眠はしないで少しだけ体を動かすために村の奥にある騎士団の訓練場に足を向けた。
この任務が終わったらすぐにシズクに会いに向かおう。そしてすぐにリエインでの自分の態度は良くなかったと謝って、今まで通りでもいいか聞こう。いや待て。今まで通りということは他人から見たら恋仲のような間柄に見えるというわけで……。でも他人がどう思うかではなく自分たちが仲の良い友人なのだとわかっていれば問題ないわけで……。
剣を振れば振るほどどうしたらいいのかわからなくなってしまったが、とにもかくにもまずは会ったらしっかりシズクに謝る事だけは固く心に誓う。
そうこう考えているだけであっという間に日が暮れ、エドワルドは何回も反芻した『あったらしっかり謝る』を呪文のように唱えながら宿に戻ると、珍しく宿からとてもいい匂いがしてくるではないか。
シルワ村でお世話になっている宿では基本的に騎士団が自分たちで食事を賄うことになっている。野菜と肉の入っているごった煮スープになる事が多く大方味はニンニクと塩だ。
それが今日はどうだ。
スパイシーな食欲をそそる香りが、宿の外まで漂って忘れていた空腹を刺激するではないか。
「なんだ。今日は誰かからレシピでも教えてもらったのかな。それにしてもいい匂い……」
スパイシーな香りが、エドワルドにおいでおいでと手招きしているような錯覚を覚えると、自分がかなり空腹だったことに気が付いた。
それもそうだ。昨日の夜に食事を取ってから今の今まで何も食べていなかったのだから。
エドワルドは誘われるままに宿のドアに手をかけ、勢いよく開く。
宿は食事処が一階にあり、二階と三階が客室になっていて今騎士団のほとんどが食事処に集まっているのではないかというぐらい人でごった返している。いつもそこそこ混雑しているがこのシルワ村の宿で立ち食いが出るほどの込み合いはエドワルドが騎士団に入ってからは見たことがなかった。
食堂の真ん中に辺りはかなり混雑しており、何故か立っている人が多い。
すると、食堂の厨房近くの席でエドワルドに向かって手を振っている男が一人。
「エドワルド―! こっちこっちー」
がやがやとかなり騒がしい食堂に、まっすぐなロッサムの声が響いた。
「おい、行儀悪いぞ」
「悪い悪い。でも今日の飯はすっごい旨いんだって!」
興奮気味に早口で話すロッサムの目の前にあるのは、新鮮そうなサラダと茶色いどろっとしたものが米にかかっている何か……である。
その茶色いものは先ほど宿の外まで漂っていた旨い匂いの発生源なのだと間違いなく、その匂いから分かるのだが見た目がいかんせんよくない。
ゴクリ。
それでもこの匂いを嗅ぐとゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「これ、ボク二杯目だよ! エドワルドが弁当で食べてるから白米が美味しいのは知識では知ってたけど、これほどとは思ってなかった! してやられた気分だよ」
「米は大体何でも旨く一緒に食べられるからな」
「いや、これはね、一つの料理だよ。米とこのかかっているシチューみたいなやつが口の中で一つに溶け合う瞬間、そこには神の導きにも似た光が生まれるんだ! そして……」
謎の力説を続けるロッサムの目の前にある皿をよく見ると、素揚げされた野菜が入っているのが見えた。
百日芋やキャロッテ、南瓜、ケーパなどが入ってるようだ。ごろりと入った肉は食べてみないとわからないが恐らくボルス肉だろうとエドワルドは見当をつける。
「ちょっとピリッとするのがまた後を引くんだよ」
ようやくロッサムが力説を終えると同時に、厨房からかすかだが聞きなれた声が聞こえる。
一瞬他人の空似かと思ったが、自分が聞き間違えるはずなど絶対にない。エドワルドは立ち上がり声が聞こえた厨房の入口に向かう。
そこには、会いたかった人がキラキラとした笑顔で楽しそうに皿を持って盛り付けをしているのが見えた。
「シズク!」
「あ! エドワルド! こっちに来てるって聞いたんだけれど会えてよかった!」
厨房のコックにシズクは一言何かを話してからエドワルドにパタパタと走り寄ってくる。
「シズク。そのエプロン、すっごい似合ってる」
宿で借りたのだろうか。普段は見慣れない白いフリルのエプロンが可愛らしいなと、こんな時だと言うのについ頬が緩む。
「笑っちゃってるし! 成り行きで料理作ることになっちゃって、宿にあったエプロンがこれしかなかったの!」
「ご飯を作ってるから違和感なかったけど……、どうしてこんなところにいるの? この近くは今あまり安全では……」
厨房で働いている人に聞こえてしまって不安をあおらないように、声のトーンを落としてシズクのそばに寄って話を進める。
「近くの森にさ、危ない魔物がいたかもって目撃情報があって、今近衛騎士団が先陣切って見に来てるんだよ」
ドラゴンと対峙した事があるシズクなら、もしかしたら背筋にビリビリと走る悪寒の正体に気が付いているかもしれない……。
エドワルドはリエインの帰りから気まずくなっていたこともすっかり忘れてしまうほどに、目の前のシズクを心配する気持ちが溢れてきてそっと正面から肩に手を置きシズクの答えを待った。
「知ってる知ってる」
「知っててきたの?」
「いやぁ、アッシュさんにどうしてもって頼まれてさ、ベルディエットと一緒にドラゴンかどうか確認しに来たんだよ。あとシャイロさんも来てる」
「あー……。そうなんだ」
「アッシュさんも絶対に守ってくれるって約束してくれし、ベルディエットを一人で行かせるのは嫌だったから……」
ちらりとシズクげ食堂中央に目線をやる。
確かに、食堂の中央にやけに人が集中していると思ったらあそこの中心に姉のベルディエットがいるのだとエドワルドは確信できた。そしてそのベルディエットのそばにはさらにシャイロもいるのであればあの人だかりも頷けるわけだ。
「ねぇ、それよりエドワルドもカレー食べて! これね、リエインにもなかった香辛料がシルワ村では普通に手に入るんだよ! テンションめちゃくちゃ上がっちゃったよ。カレーはねスパイスが胃腸の働きを活発にしてくれるし、体もぽっかぽかになるんだよ。免疫力も上がるから食べてみて」
もりもりとカレーと呼ばれるものを皿に盛り付けし、シズクはその場で野菜を素揚げし始めた。香辛料の香りと共に油の匂いがさらに食欲をそそる。
「エドワルドの好きな百日芋、多めにしたげるね!」
エドワルドがシズクのすぐ横に立って覗き込むように見ていると、シズクはさもそれがあたり前かのようににこりと笑った。シズクのふんふんと言う謎の鼻歌に混じり、ジュワジュワと小気味良い音が聞こえてくると小さく独り言だがシズクのご機嫌な声が聞こえた。
「カレーに入ったじゃがいも……じゃなかった百日芋大好きなんだよねー」
シズクのふんふんと鼻歌混じりに聞こえた小さな声にエドワルドはなんだか胸の奥がふわふわぽかぽかするのを感じて、自分自身にそれはどうしてなのかと問う。
近くにいるとふわふわとあったかい気持ちになるのは何故なのか。
優しくて強くて、守ってあげたくて守ってくれて、全力で生きている彼女の隣にずっといたい。隣にいるのは俺じゃなくちゃ嫌だ。
ーそっか……、俺、そっかー
自分の気持ちがわかると、その問いの答えは至極簡単だった。
「出来た出来た! 出来立てはびっくりするほど美味しいよ! 愛情たっぷり、どうぞ召し上がれ」
カレーに出来上がった百日芋多めの野菜の素揚げを豪快に並べて、茶目っ気たっぷりにシズクがエドワルドに向けて眩しいほどに微笑んだ。
自分の気持ちを自覚したエドワルドもより一層の笑顔でシズクに微笑み返して、その皿を受け取る。
シズクとの距離感については、今後は節度を持って……と心に誓う。
「ありがとう。シズクの愛情たっぷりのカレー、いただくね」
それを聞いたシズクの目が少し見開かれ、ほんのり頬が赤く染まるのを見ながらエドワルドが初めて食べたカレーは、スパイシーで素揚げされた野菜が甘く、とびっきり特別で美味しい。
「あのさ、シズク」
「なに?」
「何があったら、俺が絶対守るよ」
決意を込めて、しかし負担にならないような声色でエドワルドが告げると、それを聞いたシズクがニヤリと笑う。
「じゃぁ、私も何があってもエドワルドを守るよ!」
「頼りにしてるよ」
「うん!」
キリッとした表情を見せながら、シズクが胸の前で拳を逞しく握り込む。
こんなやり取りは今までもしてきた。しかし今日のそれはエドワルドにとって今までとは一味も二味も違う。
「あ。おかわりいる?」
「うん。明日に備えてシズクのご飯で力をつけないとね」
そう。明日、ドラゴンかそうでなくても何かの脅威から彼女を守る為に。




