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34.作曲家と卵サンド

「もう一度頭から」

「また!?」

「またではない。もう一度だ。お前は何度弾いても同じではないからだろうが!」

「私プロじゃないしっ!」

「関係ない!」


 関係なくないっっ!


 とりあえず言葉を飲み込んだが、何故怒られているのかシズクには分からない。

 ベルディエットとエドワルドと共に昼食をとるためにレストランに入った先で出会ったこの男に数時間ほど前に拉致られてからずっとこの調子なのだ。


*************************


 「この馬鹿力が……。いいパンチ持ってるじゃないか……」

「勝手にこんなところ連れてきて、いったい何しようって言うんですか!」


 何とか腕を振りほどきシズクは目の前の男に啖呵を切る。

 強くつかまれていた腕を見ると、手跡がついて赤くなっているのが見えた。


「早く、早くこっちだ!」


 正拳突きされた当たりの腹をさすりながらも、目の前の男はまったく悪びれることもなくさらに手を引いて別の部屋に行こうとする。


「あなたいったい誰なんですか?」

「我が名はアプリリス・フローレオ・フロース。美しい名だろう? そして職業は作曲家だ。昨年一大ブームを起こした『幸せの花束』は知っているな? 社交界でもかなり売れた私の作曲した中でも最高傑作だからな」

「私は貴族ではないので……。残念ですが」

「ふむ……、まぁ別に良い。さて、お前の名は何という」


 アプリリス・フローレオ・フロース。

 まったくもってシズクは知らない。

 目の前の男は作曲家だと名乗り、大げさな仕草で自己紹介をした。ボサボサの髪に無精髭だが自信にあふれた瞳に力強さが光る。


「シズク・シノノメ」

「珍しい、聴いたことがない名だ。この大陸の出身ではないのか……。ならば私が知らぬ曲を知っているのも頷けるな……」


 名前を名乗ったのにも関わらず、フロースはぶつぶつと独り言を言いながらさらにシズクの手を引く。連れてこられた部屋は、大きなピアノが一台だけ。


 作曲家なのかどうかは見た目からではまったく分からないが、ピアノの横に綺麗に整えられた五線紙の山から音楽関係の仕事をしているのだという事だけは分かった。

 五線紙をじっと見ていると、ようやくフロースが口を開く。


「お前のピアノを聞いた。つたない演奏ではあったが私の全く知らない曲だった。色々な音楽を聴いてきた私でさえも知らない曲だったのだ。あの旋律はとても心に響き、震えた。皆にも聞いてもらうために完全なものを聞いて譜面に起こすために直接連れてきたというわけだ。他にも知っている曲があるなら弾くといい」


 さもそれが当たり前で尊い事かのように恍惚とした顔で語り、両手をあげて歓迎しているようではあるがやっていることは誘拐である。


 しかし先ほどいたピザ屋からいったいどうやってこの場所まで来たのだろうか。目の前にエドワルドがいて手を伸ばしてくれていたが、その後急にこの部屋に来ていた。


「あぁ、不思議そうな顔をしているな。その問いには答えてやろう。私にはどんな状況下においても一日に一度一瞬で家に帰るという魔法を使うことが出来る」

「それでエドワルドに捕まる前にその魔法でここに戻って来たという事ですかね」

「その通りだ。ではこの話は終わりだ」

「お願いする立場だってわかってんの?」

「早く、先ほどの曲をもう一度頭から」


*************************


 散々きらきら星変奏曲を弾いたというのに、さっきと違う、今回はなぜこうなのか、しつこくしつこく聞いてくる。


 シズクはピアノに小さい頃数か月だけ通った事があるだけでしっかり習ったわけではない。音楽は好きだったが、家の手伝いの方が楽しくなってしまったからだ。

 別にピアノが嫌いだったわけではないので、学校の授業では比較的真面目に勉強したので簡単な曲なら主旋律だけは弾ける、ぐらいなだけなのだ。

 それをこうも怒られると腹が立ってきてしまう。


 そして、嫌いではないがこんなに同じものばかり弾いていると、そろそろきらきら星以外も弾きたいのだ。


「もう一度だ。何故こんな短い曲だというのに同じように弾けないのか……」


 苛立っているフロースを横目に、こっちだってイライラしているんだぞと言わんばかりにシズクはため息をついた。


「こっちだってプロじゃないんだからさ。毎回同じように弾けるわけないでしょう。同じ曲ばっかり弾いてても私だって飽きるし、違う曲だって……」

「なに? 違う曲もあるのか!」


 自らの不注意で火に油を注いでしまったことを、こんなに後悔した事はない。

 フロースが目を爛々を輝かせながら新たな五線紙を握りしめるのが見えた。

 

「でも待て。他の曲があるのだとすれば……今のこの曲をいったん整理しなければならん。キッチンにパンがあるから昼食を適当に作ってくれ」

 

 拉致したばかりでは飽き足らず、飯まで作れというのか!

 怒りたくてもそれを完全に無視するようにフロースは五線紙を床に広げ、何を言っても聞く耳を持たない、というよりも耳を傾けもしないのでシズクはあきらめて昼食を作ることにした。


 台所にあったのはトマトに卵とハム、スライスチーズと少しの調味料にカンパーニュのみだ。

 台所自体は綺麗、というよりあまり使っていないのだろう。汚いよりはいいだろうと思うことにする。


 さて気を取り直して鍋にお湯を沸かし、沸騰したところに卵を入れる。

 カンパーニュをくり抜いて、中のパンを切っておく。ハムとトマトも切って準備万端だ。その間に卵黄一つと塩をよく混ぜ、それに酢を入れさらによく混ぜ合わせる。合わさったらさらに油を少しずつ加えて混ぜ合わせ白っぽくなったらマヨネーズの出来上がりである。


「まぁまぁかな」


 マヨネーズが出来上がったところで茹で上がった卵を水に入れ、冷めてきたら殻をむいて粗みじんにする。エドワルドがいれば氷を出してもらえたのにな、とこんな状況でもエドワルドの笑顔を思い出すとつい頬が緩んでしまう。

 バターがなかったのでそのまま粗みじんにした卵とマヨネーズを混ぜたものをパンに挟む。胡椒がないのが残念だが美味しい卵サンドとハムとトマトのサンドイッチの出来上がりだ。


「フロースさん。出来上がりましたよ」

「随分と手際がいいな……。何かをパンに挟んだだけか。まぁいい」


 出来上がったと告げると、声をかけても反応しないと思っていたのにフロースが五線紙から顔を上げたが。しかしシズクの手に持っていたのがサンドイッチだったのを見てあからさまにがっかりした表情をフロースが浮かべながらも、卵サンドに手を伸ばした。


「なんだ? これは」

「卵サンドですけど……」

「……」


 リグやエリス、ロイも普通に食べていたしエドワルドも大好きなので別に変なものではないと思うのだがリエインではそもそもこういった形でパンを食べる習慣がないのではないかと思うほど怪訝な顔だ。

 しばらく匂いを嗅いだりまじまじと眺めた後、ようやく口に入れる。と、一瞬で顔がほころんだ。


「ハムとトマトの方は普通だが、この卵のやつはかなりいいな! 旨い! 手が汚れにくいのもいい」

「ハムとトマトの方はチーズがあればもうちょっと違うんですけれどね。ちなみに卵サンドは友人達からも好評で店でも今後出すかどうか迷ってるんですよ。お口に合って良かったです!」


 完全に納得がいくものを出せたわけではないが、手元にあるもの中でこの偏屈な男が美味しいと頬をほころばせてシズクの作った物を食べているのを見ると、今まで腹が立っていたことも忘れるほど嬉しくなるのがシズクである。


「随分と饒舌だな……。そんなに嬉しいものか」


 あまりに前のめりのシズクに、今度はフロースの方がなぜそんなにもといった表情だ。

 

「私はただの弁当屋なので、自分が作ったものを美味しいって食べてもらえて、それで笑顔になって貰えたらすっごく嬉しいですよ」

 

 ただのシズクの思い入れだし言葉にすると他人にはなんとも小さなことかもしれないが、シズクの作った食事で誰かが幸せになったり元気になったり笑顔になったり……。そう言った事がシズクの原動力になるのだ。改めてそう思っていると、急に目から鱗が落ちるように先ほどからのフロースのその行動を理解することが出来た。


 私と、同じなんだ。音楽を楽しんでもらいたいだけなんだ。


 今回は初めて聞く曲に興奮し、それを形にしてまた誰かに伝えたいだけ。

 言っていたではないか。『あの旋律はとても心に響き、震えた。皆にも聞いてもらうために完全なものを聞いて譜面に起こすために直接連れてきたというわけだ』と。


「フロースさん、音楽好きなんですね」

「当たり前だ。音楽は人の心を豊かにする」

「食事も同じです。心を温かくできます!」


 まぁ誘拐同然に連れ去ったのはどうかとは思うが、フロースの行動をようやく理解できたと思ったその時、玄関のドアがガツガツっと音を立てたかと思うと、光る鋭いものがフロースめがけていくつか飛んでいくのが見えた。

 次の瞬間にはフロースは顔面蒼白で部屋の壁に手裏剣のような形をした氷で縫い留められ、非常に情けないか細い叫び声をあげると同時に、穴だらけの玄関から知った声が聞こえてきた。


「シズク!」


 その先には先ほど卵サンドを作っている時に思い出したエドワルド、その人が今は笑顔ではなく眉間にしわを寄せ、外は寒いというのに額に汗をにじませて息を切らして立っていた。

 居るのかいないのか不安を振り切るように大きな声でシズクの名前を呼んだあと、その本人がそこに立っている事を確認すると今度は泣きそうな顔をしてシズクに向かい歩いてきた。


「無事でよかった……」


 その後ろからベルディエットがエドワルドを追い越しシズクに走り寄って抱きついた。


「ちょいと、良家のお嬢様がそんな家の中で走っちゃダメじゃん」

「今はただのあなたのお友達よ」


 ぎゅっと抱きしめるベルディエットの手が震えていることに気が付いて、シズクはその背中を大丈夫だよと言いながらぽんぽんと優しく叩くと、ベルディエットも何故だか同じようにシズクの背中を数回優しく叩いてからようやく体を離した。


「別に私怖くなかったよ」

「怖くないわけないじゃない! あんな無理矢理移動の魔法なんて使って……。ただで済むとは思わないで頂戴よ」

「……腕、こんなに強くつかまれたの? 赤くなってる……」


 二人共シズクの事を本当に心配してくれているのはありがたいのだが、優しく耳元で囁かれるベルディエットの一言も物騒だし、家の扉を突き破るほどの強度の氷の手裏剣をフロースだけに向けて放ったエドワルドも大変物騒ではあるが、シズクに向けるまなざしは甘く、触れるその手はとても優しい。

 

 エドワルドにはそんなつもりはないだろうしシズクにもそんなつもりは毛頭ないのだが、丁寧に優しく赤くなった腕の部分を撫でられるとほんの少し、ほんの少しだけ勘違いしてしまいそうになる。


「ほんと、ほんと特に変なことされてないから大丈夫だって」


 エドワルドはじろりと視線を合わせてしまったら凍ってしまいそうに冷たい視線をもう一度フロースに向けてから、ぐっと力を入れてシズクを守るように肩を抱き寄せもう一度赤くなってしまった腕を見る。


「変なことされてなかったとしても、また痛い目にあったんじゃない? こんなに赤くなって……」

「ちょっとやり過ぎちゃっただけだって。変な人だけど悪い人じゃなさそうだから、そんなに警戒しなくても大丈夫だってば」


 信用全くできないと言った風で、エドワルドもベルディエットも先ほどからずっと臨戦態勢を崩そうとはしない。さらにぐっとシズクの肩を抱き寄せたエドワルドを見てフロースが思わず声に出してしまった。


「男の方はいったいなんだんだ。お前の婚約者か旦那なのか?」

「は!? 俺、俺は、シズクの友人だ!」

「そんなわけないだろ……。なぁ、そこのお嬢さんもそう思うだろ?」


 急に話を振られたベルディエットは、表情がまったく取り繕うことができなくて思わず吹き出して笑ってしまったのだが、確かに今のエドワルドを見ると彼氏面していると言ってもいいほどではある。

 以前から自覚のない風ではあったが、こう見ると本当に無自覚であるならば相当だなと思わざるを得ない。フロースに言われて顔を真っ赤にしながらもシズクから離れないエドワルドと、そんなエドワルドを見上げてきょとんとしているシズクをあとで追及すれば面白いものが見られるとは思うが、今はそこを追求している場合ではない。


「まぁそこは後々、ですわ。あなた、話をすり替えれるとは思っていないでしょうね。シズクが許しても私達が許さなくてよ。名を名乗りなさいな」

「私はアプリリス・フローレオ・フロース。作曲家だ! 結構有名なのだぞ!」


 胸を張ってベルディエットに名を告げると、シズクは貴族ではないから知らないと言っていたが、目の前のベルディエットは見るからに貴族だ。身動きできない状態の癖に、絶対に知っているはずだと得意げに鼻を鳴らしたが、ベルディエットがさらに得意げにフロースに問う。

  

「アプリリス・フローレオ・フロース。あなたのパトロンはどなたでしたかしら」

「ははん、聞いたな? よく聞くがいい。ユリシスの貴族にしてその人気は不動。アッシュブルーの髪が一族のトレードマークの……、セリオン家……だ……です……」


 氷の手裏剣に縫い留められて身動きもできないフロースも、二人の髪の色を見て自分のパトロンの一族だと気が付いたのだろう。語尾がどんどん小さくなり最後には消え入りそうな声でとなんとか絞り出した。

 真っ赤になって固まってしまっていたエドワルドがようやく正気を取り戻し、シズクに照れ笑いを向けている中、ベルディエットがその美しい顔から冷気が出るのではないかというほど冷たい笑顔で言い放つ。


「私ベルディエット・アブソリュー・セリオンと申します。セリオン家の長女ですわ。あちらは弟のエドワルド。シズクは私達の友人です。シズクに免じてこれ以上は不問としますが、まだシズクに何かするのであれば容赦はいたしませんわ。ではごきげんよう。行きますわよ。シズク。エド」


 話は終わったと、颯爽と歩き出すベルディエットと、シズクの手を取ってその後に続いたエドワルドをフロースはただ見送るしかなかった。 


「あ! 他の曲も弾いてもらうつもりだったのに! あの二人の居ない時にまたあいつに会いに行くか」


 自分の音楽に対する情熱は消せはしないが……。

 市民からは優しい聖女様だなんだと言われ治癒魔法の詠唱が得意なベルディエットから、その時だけは氷のような冷たい殺気で殺されそうだった。思い出すと背筋が今でも凍るようだ。

 

 とのちにフロースはその時の恐怖を語ったのであった。


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