33.お味噌汁とピザ
今年もよろしくお願いいたします。
今まで出汁はユリシスで売っている鶏ガラスープの素などで味噌汁を作っていた。いずれは煮干しか昆布、鰹節に出会いたいと思っていたのだが、到着した日海苔に出会えたシズクはとうとうこのリエインで煮干しと昆布に出会った。
煮干しで使われている魚は昔からここリエインで獲られている小魚で、その名もカタクチイワシ。昆布はアルガという名前で、やはりどちらも食用というよりは肥料の類であった。
しかしこの世界の人々は、シズクが食品として扱ってきた食材を食べる文化がない。
そのままでも美味しいものもあるし少しの工夫で美味しくなるものもある。食べれるのに食べないのはやはり穀物肥料として使われている忌避感からかもしれない。それでも……。
「やっぱり栄養もあるし美味しいから、食べないの絶対勿体無いってのっっ!」
シズクはリエインのセリオン家邸宅のキッチンに立ちながら一人、ぶつぶつと文句とも言えないような言葉を発しながら鍋に向かっていた。
煮干しと昆布を使って出汁を取る。味見をしてみたが美味しい出汁が取れた。
出汁にゆっくりと味噌を溶かしていく。
「ふあぁ……なんかいい匂いする……」
そんな中、起き抜けだからか少しだけかすれた声にラフな部屋着のエドワルドが台所に顔を出した。
さらさらつやつやのアッシュブルーの髪が、一か所だけあらぬ方向にはねている。寝ぐせを付けているのを見たことなどなかったので、なんだかちょっと可愛いな、とシズクは先ほどのイライラをすっかり忘れてしまえるほど和めた。
「おはよう。エドワルド。昨日買ったやつでお味噌汁作ったんだよ。飲む?」
「飲む飲む! いつもよりも香りがまろやかな感じするんだよね」
今日の味噌汁の具は昨日見つけたあさりだ。もちろん一晩砂を吐かせてある。
香りを近くで嗅ぐために、くんくんと味噌汁の鍋に鼻を寄せるエドワルドの頭の上でぴょこぴょこと揺れる寝ぐせが、なんとも気になる。
自分の肩ぐらいまで下がってきているエドワルドの寝癖を直すために、頭をそっと撫でるようにシズクはその頭に手を伸ばした。
急に触られたエドワルドはびくりと一度肩を揺らしたあと、そのままの頭の高さのままシズクを振り返った。
「なに?」
「いや、丁度寝ぐせが気になっちゃって」
「寝ぐせ? うそ!」
「ふふふ、ここだけね、ぴょこってなってて可愛かったんだけどこの後出かけるから今のうちに直しておいた方がいいかと思って。急に触っちゃってごめんね」
いや、別にいいけど。と先ほどまで全く気にもしていなかったその寝ぐせを手でぐっと押さえつける。
シズクはこれで少し押さえてたら直るよと言って沸いたお湯で湿らせたタオルを渡し、味噌汁の火をいったん止めて土鍋を開けるとホカホカのご飯が出来上がっていた。
「昨日のお昼もご飯食べたけどお味噌汁にはやっぱりご飯が合うと思って。土鍋で炊いたからご飯今日は何もかけないでお味噌汁と食べてみてね」
お茶碗もお椀もないので、丸皿にご飯をよそいスープカップにお味噌汁を入れる。
あさりはしっかりと砂吐きさせたが、多少の砂が残っている可能性があるのでそれだけはエドワルドに伝える。
「炊き立てのご飯って、こんなにふっくらしてて艶々なんだね……」
器用にフォークを使って炊き立てのご飯を口に含みゆっくりと咀嚼し、味噌汁に口を付ける。これまた器用に音を立てずにすすると目がみるみる大きく開き、ほぅ……とため息をついた。とその後あさりを口に入れるとびっくりしたのかまたさらに目が大きく見開かれた。
「シズク。これ、本当にあさりなの?」
「そうだよ。さっきも言ったけど生き物だからさ完全に砂吐き出来てないかもしれないけれど……」
「俺の知ってるあさりはずっと口の中でずっとじゃりじゃりするし、こんなに美味しくないよ」
下処理は砂吐きをさせているだけだから、あさり自体の味が変化することはないと思うのだが、やはり砂吐きさせていないためにおこる不快な触感が大きな差なのかもしれない。
「あさりとハマグリの酒蒸しなんかも美味しいんだよ。白ワインで蒸すとたまらんよ」
「シズクさんや、そんな食べ方があるならいつでも食べさせてもらっていいんですぜ??」
「なにそれ悪代官みたいな言い方」
「あくだいかん?」
偉い人が領民を圧政で苦しめたり不正を働く人の事を、悪代官と自分の故郷ではそう呼ぶのだとシズクは伝えてみたがいまいちピンとこないようなエドワルドの顔が面白い。
「素行の悪い貴族みたいな感じ?」
「どうだろ、袖の下とかもらって権力とお金に執着もある感じかな」
「そでのした?? 賄賂のこと?」
それそれと頷くとシズクの故郷にはそんな悪い奴がいたのによく無事だったね、と心配がるエドワルドに自分が知る悪代官はテレビドラマ中にしかいないから大丈夫なのにとは言えるはずもなく苦笑いで誤魔化してしまった。
「そう言う人は正義の味方に成敗されるけどね。さ、ベルディエットを起こしてご飯食べたらまた市場に連れて行ってくれるんだよね!」
「うん。今日はどんなところに行きたいの?」
「めぼしいものは昨日大方見つかったしなぁ。ぶらぶら歩いてさらに何か見つけられたらいいと思うんだけど、駄目かな」
「全然。いいね。ぶらぶら散歩」
「じゃぁ、お寝坊なベルディエットお嬢様を起こして参りますね」
そう言ってシズクはベルディエットを起こしに向かった。
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「おぉ……。これはまた色々あるなー!」
「すっごいテンション上がってるね」
「シズク、これはいったいどうやって食べるものなんですの?」
市場の中で気品あふれるベルディエットとエドワルドを両脇に従え、びっくりするほど一般人のシズクだがそれに物怖じしたりすることなく説明する。
するとまた気になったものを質問し……を繰り返していたらあっという間にお昼の時間になってしまった。朝食は結構しっかりとってきたはずだが、動き回るのとテンションが上がっているので程よくお腹もすいてくる。
ぐぅーっとシズクのお腹が大きな音を立てると、それに釣られる様にエドワルドのお腹も鳴る。
「私はレディの嗜みとして、お腹の音は聞かせられませ……」
きりりとした表情でそう宣言しようとしたベルディエットのお腹からも可愛らしい音が聞こえた。
「何か落ち着いて食べられるところがあるかしら?」
「落ち着いてって言うならいつもの店だろうけど、あまり行った事がないようなところがいいかな」
エドワルドは申し訳なさそうな顔をするベルディエットに向かって、少し先に見える店を指さす。
白壁に明るいオレンジ色の屋根、葡萄とワインボトルの吊り下げ看板が青空によく映えるレストランだ。
「良さそうな店ですわね。行きましょうか」
「行ってみよう!」
白い石畳と白壁、風は冷たいがリゾート感満載の道は夏に来たらきっと楽しいに違いないと思わせるだけの情緒がある。
通り過ぎる人々は笑顔で挨拶をしてくれるが、ベルディエットとエドワルドを三度見ぐらいしながら通り過ぎるのが面白い。
「何故じろじろ見られるのかしら」
「二人共美男美女だからだよー」
「シズクも可愛いのにな」
「またまたー。お世辞が上手だなー」
シズクが照れ隠しでエドワルドの背中をバンバン叩きながら店に入ると、ふわりと知っている香りがした。溶けたそれが美味しい料理。そして店の奥では店には似合わない落ち着いた曲のピアノを弾く男性が一人。
そして目の前に丁度別の客のテーブルに運ばれていくそれは、見知った料理。
「ピザだ!」
そう、ピザなのだ!
これは楽しみだとばかりにメニューを広げてみるが、まだ専門的な文字が読めないシズクにとって、それだけで見知らぬ言語を解析しているような気分になってしまう。
折角上がったテンションが下がってしまいそうになるのを、テーブルにやってきた店員が笑顔で引き上げてくれる。
「いらっしゃいませ! 当店の自慢はピッサでございます。ワインも多数ご準備させていただいておりますのでよろしければおすすめをご紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
「よろしくお願いします」
「……っっ!!はいっ、畏まりました」
ベルディエットとエドワルドの顔を見るとびっくりしたように一度息をひゅっと吸ったのだが、一瞬で持ち直してメニューの説明を始めてくれた。
ピッサは色々な種類があり、自分で具を選べるものもあるようだ。店の一押しは説明を聞くにマルゲリータに似たものとバンビーノに似たもので一枚ずつ注文し、さらにそれに合うワインと共に注文する。
「港町なのに、海鮮のピッサはないんですか?」
「あるにはあるんですけれど、海鮮を乗せてもどうしても磯臭さが気になるようで人気がないんで、メニューに乗せていないんです」
「ちなみに具材は何を乗せてるんですか?」
せっかくの港町、やはりシーフードを食べたくなるものだ。シーフードのピザなら辛口のロゼなんて合いそうだなと思いながらワインを持ってきてくれた店員に聞いたが、シズクにはあまり聞きなれない食材だった。乗っているとするならば、イカ、エビ、タコ、貝類なんかが定番だだとは思う。
そしてこの世界のことだ。臭みが気になると言うことは片栗粉と塩で揉む……みたいなことはしないかもしれない。
「大変お待たせいたしました。当店自慢のピッサでございます」
「これは期待できる匂い!」
海鮮ピッサはさておき、ふわりと立ちこめるチーズの香りが堪らない。
生地は薄めだが耳の部分がふっくらとしており、膨らんだところがまた美味しそうだ。
それを六等分してもらうようにエドワルドが頼むと、三日月のような包丁で切り分けてくれた。
「メッツァルーナ初めて見た!!」
別の興奮と合間って、ピッサがより美味しく感じる。
「チーズがとろりとして、ソースと相性抜群じゃない?」
「そしてこの白ワインと合いますわね」
「こっちのやつも具だくさんで美味しい!! ベーコンが激うまっ」
「俺なら一枚食べられちゃう」
ふらりと寄った初めての店であったが三人とも大満足で、シズクは食べ過ぎたお腹をさすった。飲み物はこの後の散策も考えてすでにワインから炭酸水に変えて今日これからの事を話始める。
これから昨日と同じ市場に行くか、街中でお土産などを探しながら食材を探すかを思案していると先ほどまでピアノを弾いていた男性が席を外した。
「すみません。あの楽器はピアノですか?」
「そうよー。お嬢ちゃんも弾けるのかしら」
「ちょっとだけですけど」
「あら、じゃぁお願いしちゃおうかしら!」
先ほどまで弾いていた男の人は、食事を取るのでしばらく戻ってこないという。
エドワルドもベルディエットも期待を込めた目でシズクを見るので、つい調子に乗ってピアノの前に座ってしまった。
「あの、本当に上手じゃないから絶対に期待しないでよー? それでは僭越ながら……」
今でも何となく弾けるきらきら星。
元々は恋の歌だったものが歌詞も変わり童謡として世界中に広がったというのだから面白い。
ピアノのキー配置は同じ。試しに鍵盤のドを叩いて音を出してみたが、同じように思える。耳がいいわけでもないしピアノは小さい時に通っていたがすぐに飽きて辞めてしまった。
音感も普通でカラオケも中の中のシズクが弾く、たどたどしいきらきら星が店内に響く。
少しだけ感傷に浸ってしまうが、それもほんの少しだけ。今はリグにエリスが居て、ベルディエットとエドワルドと言う大事な友人がそばにいてくれるのだ。他にも沢山友人も知り合いもできた。
向こうの家族や友人達エリを忘れたりはしないけれど、ここで生きていける。
冒頭部分しか知らないきらきら星を弾き終えると、ぽっと心が温かくなったような優しい気分になる。
自然と店内から拍手が起こった。
シズクに向けられている拍手なのに、何故かエドワルドが満ち足りたような表情で立ちあがったのが見え、離れている席から周りの客に自慢しながらシズクに向かって歩いてくるのが見える。
チーズの匂いに包まれながらこんな感傷深くなるなんて、なかなか人生奥深いな、などと優しい気分から楽しい気分になったその時。
エドワルドの方を向いていた反対側から、強く肩と左腕を掴まれ引っ張られた。
「痛っ、だれ!?」
「……」
「は?」
何が起こっているのかわからないままシズクが抵抗すると、低く男の声が耳元で『もう一度……』と囁く。
一連の流れを見ていたエドワルドの目が鋭く光りテーブルの間を凄い勢いですり抜けてくるのが見えた。
何が怒っているのか良く分からないが、とにかく離れた方がいいと抵抗を試みるが力を押すだけではびくともしない。と、急に思いついてシズクが体の力を抜くと案の定相手の体勢がぐらついた。
「このやろっっ」
まだ肩と腕は掴まれたままだが、シズクは目一杯自分の体重をかけてぐらついた男の腹に右手で正拳突きをお見舞いしてやった。
「ぐぅ……」
結構効いたのかも!!
「シズクっっ!」
シズクはチャンスだとばかりに男から離れようとした直後、ぱちりと指を鳴らす音が聞こえ酷いめまいのようにぐらぐらとシズクの視界が急激に歪み、エドワルドの声が遠のいた。
次の瞬間、シズクは肩と腕を掴まれたまま見知らぬ部屋にいたのであった。




