31.白鬚のさんたと生姜焼き
時は少し遡る。
今日は年の終わりの七日ほど前。
来週グリューワインを飲んで、ぐたぐだになったシズクをおんぶして帰る途中に強烈な一撃を食らうとはこれっぽっちも知らないエドワルドは、夕暮れの屋台街をヴォーノボックスに向かって歩いていた。
シズクを連れてリエインに行く際の護衛をベルディエットに強引に頼まれ、エドワルドはその間の休みをもぎ取るためにそれが決まった後からほとんど休みなく働いていた。
年明けからすぐシズクと一緒にリエインにいけるのが楽しみで忙しさもさほど気にならないが、流石に疲れはする。
夜中の街の警備から午前中の鍛錬、やっと先ほど午後から夕方までの街の警備を終え、ようやく明日の昼まで待機となった今日、数日ぶりにようやく癒しを求めてシズクの待つ屋台に向かったのだ。
いや別に俺の事だけ待っててくれるわけじゃないけど……。
会えたらきっと満面の笑みで迎えてくれるはず、と疲れてはいるが足取り軽やかに道を進む。
収穫祭であふれかえっていた観光客は今はほとんどおらず、もうすぐ年が終わるからか街は何となくせわしない。がやがやと賑やかな夕暮れ時に、ようやく見えてきたその店にシズクはもちろんいた。
いたが、なんだか様子がおかしい。
鼻の下にちょび髭よろしく白い綿を付け、頭には白いボンボンのついた赤い三角帽子をかぶってニヨニヨしている。
「あ! エドワルド! 久しぶりだね! 疲れてそうだけど……、でも元気そうでよかった! ご飯食べていく?」
エドワルドの顔をじっと見た後、疲れた顔を見抜かれはしたが心配され過ぎることはなくシズクは鼻の下の白い綿をふわふわと揺らしながら笑顔で迎えてくれた。
「久しぶり。ちょっと忙しくってなかなか来れなくってゴメンね。っていうか、それ何?」
とてもいい笑顔だ。しかし白い髭のアンバランスさが逆にエドワルドには可愛く見えてはいるのだが、どんなに可愛くともどうにも笑いが込み上げてきてしまうので仕方なく笑いながらシズクに聞いてしまった。
「これはね、私の故郷の伝わるサンタクロースのコスプレです」
「さんたくろーす? のこすぷれ、とは?」
「架空の人物の衣装の真似なんだけれど……」
シズク曰く、年の終わり近くのくりすますと言う日に空を駆けるソリに乗って世界中の良い子の子供たちにプレゼントを配る恰幅のいい白い髭のおじいさんの事を言うらしい。それにしても架空の人物とは言え世界中の子供にプレゼントを配るとは、モデルになった人物はどういう人なのか気になりはする。
「サンタさんのモデルになった人が赤い服を着ていたり凄い白い髭だったらしいよ。私も詳しくないからこれ以上はあまり知らないんだけれどね」
「凄い髭と言う割には、何というか……。ふっ……。ちょび髭じゃない?」
話すたびに鼻の下で白い綿がふわふわと揺れるのを見る度に、込み上げる笑いをこらえるのが大変だ。
「そう! シュシュリカマリルエルにね、いい感じの赤い三角帽子と白い綿が欲しいってお願いしたんだけれど、忙しいからって言ってこれだけ渡されてー。本当は顎のあたりからお腹の方まで髭があるからそうしたかったんだけど……、ちょっとエドワルド聞いてる!?」
どうしても一生懸命説明しているシズクの真面目な表情と、シズクの鼻の下で心もとなさそうな様子で揺れる髭を模した白い綿のギャップが面白すぎる。本人としては渾身の仮装なのだろうが、込み上げてくる笑いをどうしても噛み殺せないが、安心して欲しい。ちゃんと話は聞いている。
「聞いてる、聞いてるって」
「怪しいなぁ……。お夕飯前だけれどうちでご飯食べていく?」
少し迷ったが、家で食べるよりも今はシズクの作った食事が食べたい気持ちが勝った。
二つ返事でお願いすると、自分から進めてきたくせに料理長に悪いなといいながら何かを準備し始めてくれてた。
今日は総菜ではなく直接作ってくれるようだ。
大きなフライパンに薄く切ったケーパをを入れ炒め始めると、景気のいい音があたりに響いた。
ケーパは生で食べると独特の辛みがある。加熱すると甘くなって食べやすくはなるのだが、スープの具に入れるぐらいでこのユリシスではあまり人気はない。エドワルドもケーパのステーキを食べたことがあったがあまりおいしくは感じなかった。
その炒めたケーパの中にピギーの肉を入れる様だが、すでに何かに漬けていたようでその中から肉だけを取り出してケーパと合わせて焼き始めた。ジュージューといい音と、甘辛い香りが食欲をそそる。
「夕飯前だから、気持ち少なめにしておくね」
漬け汁を上から回し入れるさっと炒めるととさらにいい香りがする。
口元の白い綿を器用によけながら菜箸を使って味見の為に口に入れ小さく頷いた後、小ぶりのドンブリに白米をよそい細かく切ったサラダ菜を敷き、さらにその上に焼いていたピギー肉を乗せた。
「はい。生姜焼き丼です。疲れた身体に染みわたるよ。ご賞味あれ」
そう言って小首をかしげたと同時に、鼻の下のふわふわ白い綿がとうとう口元からぽろりと落ちてしまった。
どうやってついていたのかと尋ねると、お米を手に取ってすり潰すと糊のようになるのでそれで付けていたのだと教えてくれた。
「ただこの国のお米はあまり粘性がないからすぐとれちゃうけどね」
先ほどまであった白い髭もどきの綿がとれ、ようやく見慣れたシズクの顔がお目見えしたのだが、鼻の下に糊にしていた白い米粒の欠片が残ってしまっている。
「シズク、ちょっとご飯が……」
手招きして屋台のカウンター越しに、鼻の下の米粒を取ろうと顔に手を伸ばすと、なんの警戒もせずシズクが目を瞑った。
白い米粒を取るだけでよかったのに、つい触りたくなってシズクのその頬をひとなでするとエドワルドは自分の指先が、じわじわと熱くなるのを感じた。
「え? 鼻の下もほっぺたもどっちにも付いてた? 恥ずかしいな……」
シズクが目を瞑ったまま、そう言うと頬がほのかに赤く染まりくすくすと警戒心なく笑う。
ぎゅうっと胸が締め付けられるようで、シズクの頬に触れた指先がどんどん熱を増しているように思う。
「別に目は瞑らなくってもよくない? ほら、取れたよ」
「ありがとうね! あ、ほらほら。あったかいうちに食べて」
パッと目を開け満面の笑みで小さなどんぶりをエドワルドの前に置くと、早くその味を味わってもらいたいとばかりにじっと食べるのを待っている。早く早くという声が口から出ていなくても漏れ出てしまうほどキラキラと期待に満ちて見られているのが分かる。
「じゃぁ、いただきます」
シズクのように箸は旨く扱えないので、スプーンを使っている。
ピギー肉とケーパを甘辛く焼いた生姜焼きなるものを一口分スプーンに乗せて口に運ぶ。
口に入れる前から生姜の香りがガツンと攻めてきてかなり刺激的だ。そのまま口にいれると、さらにガツンと生姜が攻め立てる。しかし生姜だけが特出しているわけではなく、炒められたケーパが程よい油と生姜焼きのタレを吸って、今までの人生で食べたケーパ史上最高点を叩きだしている。(エドワルド調べ)
そして十分に付け込まれたピギー肉は、噛めば噛むほど凝縮された旨味を出し続け、それがケーパと相まってさらに旨いのだ。
シズクの作る食事で茶色いものは本当に裏切ったりしない。
述べようとすれば延々と旨いとしか言いようがないこの生姜焼き丼を食べ進めると、じんわりと身体が温まってきたように感じた。うっすらと額に汗が滲む。
「生姜は身体を温めて、風邪の予防にもいいんだよ」
そう言って、シズクはエプロンのポケットからハンカチを取り出しエドワルドに差し出した。
「結構汗出てきてる。生姜焼き丼のおかげかな。それとももしかして屋台の周りちょっと暑い?」
気を使ってくれるシズクの言葉が嬉しかったからか、それとも食事をしてじんわりと体が温まって来たからか。指先の熱がまた増した。
食べ進めながらシズクとゆっくりと話をする。
他愛のない話だ。
年初めにリエインに急に行く事になってゴメン。ベルディエットに聞いたおせち楽しみにしている。
楽しい時間はあっという間にエドワルドの心を潤し、少し小振りのドンブリに入っていた生姜焼き丼もあっという間にエドワルドの腹を満たした。
明日からも年終わりまでまだ少し仕事だ。行きたくもない舞踏会に出席した後にはベルディエットも一緒にいるがシズクと一緒に出掛けられることを楽しみにもうひと頑張りするぞと気合を入れる。
名残惜しいし、出来ればもう一杯先ほどの生姜焼き丼を食べたいところだが、それを我慢して席を立つ。
「あ、もう帰っちゃう? そのサンタクロースにちなんでプレゼント作ったんだよ。はい。これどうぞ」
先ほどまでつけていた渾身の可愛らしい白い綿の髭は今はもうない。
それでも屋台の中から小さな紙包みを取り出してエドワルドに渡した。
「ジンジャークッキーだよ」
「クッキー?」
ただの白い小さな紙包みだが、しっかりとした重みがある。
中を開けると、少しだけピリッとするような香りの茶色い丸いクッキーが入っていた。
そうそう、と嬉しそうにシズクが頷き生姜についてのあれこれを披露してくるているのだが、目を輝かせながら話をしているのが妙に可愛く見えて……正直エドワルドはうんちくの内容が全然頭に入ってこない。
「聞いてる?」
「聞いてる聞いてる……」
「やっぱり髭付け直した方がいいかなー」
そんなのつけてなくってもシズクには充分幸せを貰ってる、なんていつもなら簡単に言葉にできるはずなのに何故か今日は口に出来ない。
コロコロと笑うシズクの頭の上で、赤い三角帽子についた白いボンボンが揺れる。
先ほどの白い綿で作った髭を付けたシズクの姿を思い出した。
正直さんたくろーすには会った事もないし、エドワルドにとって初めて聞いた話だった。
ただこんな風に楽しそうに笑うのであれば、毎年今日がシズクと一緒に過ごすくりすますという日にしたいな、とエドワルドはそう思うのであった。




