30.恋心
「これが巷で噂のヴォーノボックス謹製、新年の祝い膳と言うやつか」
「そうなんだよ。これめちゃくちゃ大人気で結局抽選になったんだぞ」
「そいつはありがたくいただかないといかんな」
その年の初めての日、シズクはリグとエリスと一緒にロイの工房にやってきていた。
ともすれば一人で延々仕事をしてしまいそうなロイを止めて、新年の挨拶も兼ねて夕食を一緒にとる為だ。
ロイの健康を慮っての行動なのだが、当の本人は全くもってありがたいとは思っていないような口ぶりでロイが伊達巻に手を伸ばした。
「でもこれは余りものを詰めたりしてるから、本物とはちょっと違うけどね」
余りものを詰め、コロのそぼろ煮を追加で作ったのだがなかなかいい具合に出来上がった。イキュアもそうだがこのコロのそぼろ煮も白米必須の美味しい出来上がりでシズクは大満足である。
「この中に入っていればなんでもおめでたく感じるわねー。しかも華やかだし」
「でしょー」
今回のおせち作りにも多大な協力をしてくれた養鶏農家の方の知り合いに作ってもらったお重は外観は黒。内側はユリシスでもおめでたい色であるという赤。
日本人が見ても間違いなくそれとわかるパーフェクトなお重だ。
「おい、白米握って来てんだろうな」
「おいこら! なんでそんな上から目線なんだっ!」
コロのそぼろ煮がお気に召したのだろう。ついツッコミを入れながらもシズクは所望された白米のおにぎりを準備する。
「こっちが中身なし。こっちがイキュア入り」
「馬鹿なのか? イキュアなんて頭がイカれているとしか思えん!」
むんずと中身無の塩握りを掴み、重箱の中からいくつかおかずを自分の皿に乗せて食べ始めたが、目の前にいるリグとエリスが迷うことなくイキュア入りのおにぎりに手を伸ばしたのを見て、信じられないという顔をした。
「そう思うだろ? でもこれは違うんだなー。シズクが作った専用のイキュアなんだぜ」
「これ本当に美味しいのよね……。お土産屋さんのものは手を出せないけれど、シズクが作った物ならば安心できるわ」
「そうそう、宝石のような透明な赤が綺麗で食べるのがもったいないぐらいだよな」
リグとエリスは既に経験済みなので迷うことなくイキュアの入ったおにぎりを美味しそうに頬張り、他のおかずと共に食べ始めた。
あまりにも美味しそうにリグ達が食べるので、とうとう我慢できなくなったのかロイはイキュア入りのおにぎりをつかみ、半分に割った。
「本当だ。赤い煌めきがまるで宝石のようだ……」
「宝石は旨くはないが、これはハチャメチャ旨い」
「作ってくれてありがとうね。シズク」
詩的な言い回しのロイ。正直旨いというだけのリグ。天使のような笑顔でお礼を言うエリス。
この三人の付き合いは結構長いという事は聞いてはいたが、いったいいつからなのかはシズクは知らなかった。ただ、付き合いの長さなんてそんなことはどうでもよくて、三人でいる時にとても楽しそうにしていることが大事なのだとシズクは一人うんうんと頷きながらイキュア入りのおにぎりを頬張る。
「えへへ。こちらこそありがと」
「なにそれ」
お酒を飲みながら美味しいご飯を食べて、大して面白い話と言うものでもないのにその人と話をしているからこそ面白くて笑い出してしまうのは、なんというか仲のいい友達と一緒にいるとよくあったなと三人を見ていると思い出してしまう。
エリと最後に飲みに行った日はとても楽しかったが、その日を最後にあの世界の『私』は死んでしまったのだ。
もうあんなに楽しいことはないかもしれない……。
「シズク?」
「あ、ごめんごめん。三人がめちゃくちゃ仲良しさんで嬉しくなっちゃっただけ」
「は? 仲良しだなんてそんな生易しい関係じゃないがな」
「親友ってこと?」
「あ゛??」
怒りのマークがこめかみに見える様ではあったが否定することがなかったので、何というか照れ隠しなのかもしれない。
「そう言えば、お前セリオン家の連中と一緒に明日からリエインに行くんだろ?」
「そうなのよ。勝手に決めてって思ったんだけどシズク大好きなベルディエットとエドワルドがいるから危ないことはないと思うんだけれどね、心配は心配で」
「いやね、私もびっくりの展開でさー。あれよあれよと言う感じで決まっちゃったから……」
移動門と言う扉をベルディエットが何と言って説得し使わせてもらえる事になったのかは不明だが、おせちを届けに行った時に確かにロイルドは年明け二日目に出発すると言っていたので間違いはないだろう。
「この国でセリオン家に手を出すやつなんていないからな。ある意味安全と言えば安全だろ」
「まぁ違いねぇ」
そう言いながら充分腹が膨れたのかロイはワインに手を伸ばすと、こんな新年の夜に来客を告げる呼び鈴が鳴った。
「今日誰か来る予定あった?」
「いや、ない」
来客の予定がないのにこんな時間に呼び鈴が鳴るだなんてと思っていたのも束の間、その呼び鈴を鳴らした主がすでにテラスにやってきていた。
「あぇ……っと、アッシュ」
「アッシュ団長!?」
リグとエリスはびっくりを通り越して驚愕している。
「アッシュさん、こんばんわ。今日は何かロイにお願いしたい案件でも?」
年末年始は城で催されている舞踏会に出ているか国王陛下の警護でもしていると思っていたのだが、こんな時間に一人でロイのところに来るなら急用かもしれないとは思ったが、そうではないと笑顔で否定された。
「いえ、特に用事というわけではないんです。王城でお土産にワインを何本かいただいたんで、ロイにお裾分けと思っただけ」
それでも急いできたのか、少し息が上がり吐く息が白い。外はかなり寒いのだろう。鼻の頭の赤さが外の寒さを思わせた。
「アッシュ、なにかあったのか?」
「違う違う、本当にワインもらったから持ってきただけ。ロイにも会いたかったし」
「あぁ……。そうか……」
「舞踏会は退屈だったけど、ちょっと面白いことがあったから今度ゆっくり。この後王城の詰所に戻らなくちゃいけないから、また今度ね。今年もよろしく」
アルコールが程よく入っていつもより上機嫌なアッシュは、ニコニコと笑いながらライトハグをしてワインを直接手渡して怒涛のように行ってしまった。
「おわっ、結構いい時間だったんだな。俺達もそろそろお暇しようか」
ロイは貰ったワインをとても丁寧な所作で棚に入れた。
はにかむようにほのかに口元が上がり、耳が赤く見える。
しかし、いい時間だとリグが切り出すと急いで食器などをばたばたと片付け帰り支度を始めた。
それにしても、急にやってきたアッシュも気になるが、ロイも気になる。
「アッシュさん何だったんだろうね」
「それは俺も聞きたいよ……」
そう言ったロイはいつもよりも心なしか弾んだような感じで、なんとなくそわそわしていて……。
シズクは今のロイの状態をどこかで見たことがあるような気がするのだが思い出せずにいた。
「年明けすぐにアッシュと会えるなんて……」
とても小さい声で、先ほどのようにはにかむように笑いながら確かにそう言ったように聞こえて初めて、シズクはようやく思い出せた。
前世エリが彼と付き合う前、彼の後ろ姿を見ていた時のそれにそっくりなのだ。強がりな彼女もほんの少しだけ柔らかい表情でじっと好きな人を見つめては、好きを噛み締めるようにはかんでいたではないか。
アッシュと一緒にいるとき、ロイは時折あんな顔をしていたのに、どうして今まで気がつけなかったのかとつい、ぽろっと口から思っていたことがまろびでてしまった。
「そっかぁ……。ロイはアッシュさんのこと好きなんだね」
ふと出てしまった言葉が間違いでないことを、耳まで赤くなったロイの表情が示している。
「今のは不躾だった。ごめん」
「……」
一度リグとエリスに聞こえていないか確認するように視線を動かし、聞こえていなさそうなことを確認すると大きくため息をつきそのまま振り返り、小声でロイはシズクに小声で話しかけてきた。
「お前……、無神経過ぎ」
「だからごめんってば……」
ロイの視線がふいっと泳いだ。いつもの俺様的な様子は見えず何というか自信がなさそうで、こう言っては申し訳ないがシズクにとってはとても新鮮ではある。
「しかしなんでわかった? 今まで誰からも指摘されたことなんてなかったのに」
大きな声を出すとリグ達に変に思われてしまうと思って、シズクはロイの肩を叩きながら、小さな声で答えた。
「ロイが恋してる顔してたから」
「は? そんな顔してないしっ」
「全然アッシュさんへの恋心隠しきれてなかったけど?」
「ば、そんなわけない。気持ちはしっかり隠しきれている!」
絶対に誰かはロイの恋心に気が付いていそうだと思うが、気がついた人がいたとしても、こんな表情を見ることが出来るほどロイとは近しい人物だと思われるので変に吹聴して回ることもないだろう。
「あははは。言っちゃってる! 全然隠しきれてないってば」
「なっ! ちっ、仕方ない。お前には教えてやる。リグ達に聞こえるからもう少し静かにしろ」
「うん」
「オレは……」
ロイは大きく息を吐いたあと、一生告白するつもりはない。自分のような魔法技師では彼のような立派な人間には釣り合わないからな、と自らに言い聞かせるように眉間に皺を寄せてロイは無理矢理笑ってそう言った。
ロイがいつからアッシュに想いを寄せているか、どれほどの想いを抱えているのかシズクは知らない。
釣り合わないと言っていたが、ロイもアッシュの剣のメンテナンスを頼まれるほどの腕の持ち主なのだからそんなことはないはずだ。だからもっと違う理由が隠されているのかもしれない。
大事にしたい人がいる。好きな人がいる。愛する人がいる。
それは素敵なことだと、シズクは思う。
だからもっと前向きになって欲しいとシズクは思わずにはいられなかった。
「ロイは意地悪だけどいい男だよ」
シズクとロイの付き合いは短い。それでもその短い中で見てきたロイの姿は決して妥協しない職人で、愛想も悪いけど、裏表のない近所のお兄ちゃんみたいな人だ。
「過去が今を形作るみたいに、今が未来を形作るんだよ。今が変わらなかったら未来は変わらないんだから、そんな悪い想像ばかりしないで、受け入れてもらえた時のビジョン描いたらいいよ」
教科書に載っていた哲学者の言葉を勝手に解釈して覚えていたのだが、今のロイには響いたようだ。
少しだけ考えてから口を開いた。
「引かないのか?」
「引く理由が見当たらんけど?」
なんだそれ、と呆れたような声を出したがロイの顔は少し嬉しそうだ。
「意地悪とは余計だが……。まぁ、そうだな。告白してすっきりする未来のために行動した方が、フラれたとしても気分がよさそうだ」
「そうそう。好きな気持ちはいけない事じゃないし、フラれない可能性もしっかり考えてこ!」
「はは。前向きだが具体性に欠けるな」
と、リグとエリスが帰り支度が済んだのかロイに声をかけ、玄関に向かって行く。
「ロイ、片付けも終わったしそろそろお暇するな。遅くまですまなかった」
「構わん。またいつでも来い」
「シズクはちゃんと帰る準備出来てんのか?」
「できてますー!」
「お前の忘れ物があったら捨てておくからな」
「酷いっ!」
その後をシズクも付いて行く。
「なんでよっ。忘れ物あっても絶対捨てないでよ!」
「はは」
帰り際にみたロイの表情は、手厳しい一言とは裏腹に目元をほころばせくしゃりと楽しそうに笑っていた。




