止めることは能わず、されど走りだす
一方、港ではウィナが一人、燃え盛る船を眺めていた。
もちろん、消火活動に従事している人間はかなりの数いるし、野次馬はその数倍はいる。
それでも、ウィナの周囲には誰もいない。
船は見えても、港の中心にはいないからだ。
それは、喧騒に飲まれて何かを見逃さないためでもあるし、誰かに捕捉されないためでもある。
慎重に、状況を見張っている。そうしている。
だが、それでも。
ウィナは身をかがめ、船から視線を逸らさないわけにはいかなかった。
先ほどまでいた場所を、投げナイフが通り過ぎるのを見て、その軌道の元へと短杖を向ける。
「風刃よ!」
短杖の先端にある、ウィナの髪と同じ緑色の宝石が輝き、空気を切り裂く風が音もなく放たれる。
しかし、その一撃は相手を捉えることができない。
できないまでも、姿を晒させることには成功する。
物陰から出てきたその姿は、日中では逆に目立つ、黒一色。
恐らくは、魔薬によって利益を得る何者かが放った刺客。
「わたしは船の件には無関係、って言っても聞かないわよね?」
ウィナの言葉にも、男は反応しない。ただ、腰に帯びている短剣を抜いた。
ウィナも姿勢を低くし、短杖を構える。
二人が同時に動く。
男の短剣が振り下ろされる直前で、ウィナは動きを急に止める。
しかし、男の剣はすぐに止まらない。わずかに身体が泳いだ。
その隙を、ウィナは逃さない。
「風の礫よ!」
ドンッ!
大きな音を立てて、圧縮された球状の風が男の鳩尾に叩き込まれた。
抵抗もできず吹き飛ぶ相手に、ウィナはさらに追撃する。
「もう一つ!」
さらに大きな音を立てて、男の身体が先ほどまで隠れていた建物の壁へと激突した。
男が完全に沈黙したことを確認して、ウィナは息を一つ吐く。
「そうよね……わたしだってこれくらいできるはずよね」
武力を売りにしているわけではないとはいえ、一国の近衛にまで抜擢されたウィナは、今さらなことを口にする。
「怪物に囲まれていると、忘れそうになるけれどわたし強いわよね?」
確かめるようにつぶやいて、再び船の監視に戻る。
「もっとも、わたしの役割は手がかり探し。怪物を倒す、なんてことは、同じ怪物に任せるけれどね」
その言葉には、自戒はあっても卑屈はない。
己の実力を正しく把握し、しかしそれにこだわらず。
求められる役割を、きちんとこなす。
それは確かに、誰かに仕える者の、正しい姿であった。
同僚というか、ほぼ相棒のような少女に『怪物』と評されていることなど露知らず、フリッツは目の前で瓦礫と化したその建物を見つめていた。
隣に立つネロが顔を蒼くしているのとは対照的に、ひどく落ち着いた様子である。
ネロが顔を蒼くする理由は単純だ。ネロにとってはかつての職場であり、妹が今なお働いているセヴィーチェ商会の本店であるからだし、もっと言えば単純に、狙いすましたかのように一つの建物だけが倒壊したからでもある。
そのどちらも、フリッツには当てはまらない。前者はもちろんフリッツとは関係のない理由であり、後者については――決して好き好んでやりはしないが――フリッツにも可能だからである。
港にウィナを残し、ちょうどここに着いたタイミングで、セヴィーチェ商会が倒壊した。
その異変から何を見出したのか、ビットはすぐにアリシアの元へと駆けて行った。
だから、彼女の姿を見たのは、仲間内ではフリッツとビットだけである。
顔がフードに隠れていようと、見間違え用のないシルエット。華奢で小柄な体格と、それに全く似つかわしくない、反りの入った大剣。
決して殺気を撒き散らしているわけではない。しかし、粉塵の中でも薄まることのない存在感。
瓦礫の中心で悠然と立っているのは、シェーラだった。
「!」
見ていることに気づいたのか、シェーラは明らかにフードに隠れた視線をフリッツへと返してきた。
その鋭さが、語っている。
ここで止めてみるか、と。
しかし、ここは大通りに直結する通りの一つ。事件を聞きつけたのか、人通りは増える一方だ。
フリッツが躊躇していると、興味を失くしたようにシェーラの視線が逸らされる。
そして、倒れていた従業員らしき男の襟首をつかむと、いきなり宙づりにした。
男に顔を寄せ、小声で何かを呟くシェーラ。
男が苦しそうに喘ぎ、何かを返そうとした、その次の瞬間。
シェーラが男を放り投げる。いつの間にか瓦礫に紛れていたのだろう、黒装束の男たちが三人、シェーラに襲い掛かった。
しかし、シェーラはそれをまるで相手にしない。いつの間にか抜き放った大剣で、あっという間に全員を切り捨てた。
だが、それで終わりではなかった。
投げ飛ばされた、従業員と思われた男の身体が膨れ上がり、その瞳がぐるり、と裏返る。
通常白いはずの人間の瞳が、黒一色に染まっていた。
黒装束の男など、比較にならない速度でシェーラへと駆けだす。
ここで、フリッツも動いた。走りながら、右腕に巻きついている腕輪を、棍へと変化させる。
その眼前で、シェーラはいつの間にか納めていた大剣を鞘ごと腰だめに構えていた。
「真魔の出来損ないが」
その言葉は、何の感情も籠っておらず、だというのに、恐ろしく冷えた響きを持っていた。
そして、そのままフリッツの眼前で、シェーラと、もはや人間と呼んでいいのかもわからない男が交錯する。
一瞬シェーラの身体が緑に輝き、それが剣閃にも伝わる。
音のしない、緑の残光。
一瞬の交錯の後に残ったのは、それだけが残り、その形の通りに、男の身体が二つに分かたれる。
驚愕に足を止めるフリッツには構わず、シェーラは同じように別の男をまた持ち上げ、またしても男が変貌すると、緑を宿した太刀筋で切り捨てる。
フリッツだけでなく、誰もがその異様さに、近づけないでいる中、シェーラは一人の少女を起こした。
ネロよりもさらに小さい。8歳くらいの女の子だ。
「マナ!」
誰もが動けない中、ネロの叫びがそして、地面を蹴る音が響いた。
その声に押されるように、フリッツも動く。
だが、シェーラは今度は剣を抜かなかった。何かを話し、少女が何かに答える。
それを見て、フリッツはネロを押しとどめた。
「離してください! 離せ!」
「心配ない。大丈夫だよ」
暴れるネロに、フリッツが語り掛ける。
その言葉通り、マナと呼ばれた少女の身体に変化はなく、シェーラもまた、何をすることもなく、背中を向けて、走り出した。
シェーラの姿が消えて、ようやく何かの圧から解放されたかのように周囲が騒ぎ始める。
「マナ!」
「お兄ちゃん!?」
ネロが少女に呼びかけ、少女が答える。二人が固く抱き合う。
(無事妹が見つかったのは、不幸中の幸い、だな)
フリッツが内心で喜んでいると、ネロはフリッツの予想を超えた行動に出る。
「フリッツさん、走って!」
「え?」
「僕たちはこのままだと重要参考人です! 急いで!」
なるほど、と納得して、フリッツは走り出す。
すぐにネロとマナの2人を、まるで荷物でも背負うかのように肩に抱いて。
騒ぎの中心から離れながら、思う。
あの異様な光景に飲まれず、妹を守ろうと動ける胆力。
求めてやまなかったはずの再会に飲み込まれず、適切な判断を瞬時に下す聡明さ。
なるほど、まだ子どもとはいえ、このネロという少年は――さすがはアリシアが欲するだけのことはある。
そんなことを思いながら、ともかくアリシア達と合流しよう、としていると正面から走ってきたビットと出会った。
「ビットさん?」
「どうしました? 持ち場を離れて」
当然の疑問に、フリッツが回答するよりも速く、ビットが思い直したように言葉を続けた。
「いや、後にしましょう。とりあえず、まずはアリシアさんと合流を」
「わかりました」
珍しくも焦りを見せるビットに、フリッツは疑問を表に出すことなく頷く。
それは紛れもない、お互いの信頼の証であったが、ネロはともかく、フリッツは気づかない。
「ウィナは?」
「先に声をかけました」
そうして、ビットが再び来た道を戻って走り出すのを、フリッツはすぐに追いかける。
なお、ネロが二人の速度についていけるはずもなく、数秒後にはフリッツに小脇に抱えられることとなった。




