15話 姉
(姉さんは元気だろうか……?)
レイはふと思った。
勇者レオナルドと対決した日――それが姉と顔合わせした最後の日だった。
レイは優しくて強い姉が幼い頃から大好きだった。
子供の頃から転んで膝を擦りむいた時も誰よりも早く駆けつけ治療してくれた。
そして、泣きじゃくるレイを見ては呆れた顔をしながらも抱きしめて頭をよく撫でてくれる。
――すごく心地良かった。
姉の温もり、匂い、抱きしめられた時の感触――今でも思い出す。
どんなに傷が痛くても抱きしめられた瞬間、すべての痛みが吹き飛ぶほど幼い頃は嬉しかった。
誰しも羨む姉に抱き寄せられることが……。
姉は幼い頃から武勇の才覚に恵まれ、弱虫なレイとは大違い。
今でこそ、ここまでレイは力をつけたが幼い頃は小さな虫すらも殺せなかった心優しくも弱い少年だった。
そんなレイとは違い姉には次期魔王として期待する者も多く、女性陣からは『私の騎士様』と呼ばれ、男性陣からは求婚される日々。
魔国は弱肉強食の国。
強さこそがすべてであり、強者の言うことは絶対だ。
強くなって魔王の座に就きたい――誰しもそう思うのが当然なのだが、レイは違った。
姉が魔王に就任したらそれを自分が支えていきたいと思ったのだ。
レイにとって強さなんていうものはどうでも良かった。
自分の大好きな姉を支えていくことこそが本望だったのだ。
そのために今まで避けてきた勉学にも必死に励み、武術にも身体がボロボロになるまで励んだ。
すべては優しくて強い大好きな姉のために――この気持ちが強かったのだ。
しかし、魔王の座に就いたのはレイの方だった。
なぜ、レイなのか……。
それは、わからない――父であるラグナスが亡くなってしまった以上は……。
だけど、姉はレイが魔王の座に就いたと聞いた時にはものすごく喜んでくれた。
その後もあんなに自由奔放だった姉が真面目に働き、下僕達には剣術指導まで行い、まるで人が変わったかのようだった。
あの時、どんな気持ちでレイを支えていたのかもわからない。
今後、再会する機会があれば直接聞いてみたいとレイは思うのだった。
女性から膳を受け取ったコクエイがレイとエリカのもとへ吸い物を運ぶ。
その動きは素早くかつ丁寧で汁椀から一滴たりとも零れる気配はない。
食事のすべてが運び終わったのか皆の動きが止まり横一列に整列するのだった。
そして、レイとエリカは手を合わせた。
『頂きます!』
レイは膳に置かれてある箸を持ち、ものすごい勢いで口いっぱいに白米を頬張る。
「ふふ、お腹空いてたんだね、レイ兄」
「ああ、美味いな。これ」
レイが箸を伸ばし口にした食べ物、それはアワビだった。
「そうでしょ。それ、とても希少で高級な食材なんだよ。年に一回か二回しか収穫できないんだ。わたしも初めて食べた時は驚いたよ。少し磯の香りがして、新鮮だからこそのコリコリした歯応え。癖になるよね」
「そうだよな。俺も思ったよ。生まれてこの方一度もこんなに美味しいもの食べたことなかったからな。いい経験になるよ。エリカはいつもこんな豪勢な食事をしてるのか?」
「そんなことないよ。普段はもっと質素だよ、白米と吸い物だけの時もあるし、今日は特別な日だからね。久しぶりのレイ兄との食事だから、朝から皆に頑張って作って貰ったんだ」
「そうなのか? なんか悪いな」
レイは満足した様子で次々と料理を口の中に運ぶ。
エリカはそれを見てニコニコしながら目の前の料理を平らげ、急いで自室へと向かうのだった。
レイはというと食事を終えた後、天守から外を眺めながら一息つく。
ここスメラギは平和そのもの――世界のすべての国がこのスメラギのような種族関係なく暮らせる場所なら国同士の争いは起きないのに……。
これが、この世界の運命なのか。
なら、なぜ女神はこの世界を創り、色々な種族を生み出したのだ――まったく理解ができない。
レイはこのスメラギに住む人間や亜人種達が手を取り合う姿を見て羨ましくもあり、自分が情けなくも感じるのだった。
自分が望みながらも成し得なかったことをエリカは成し遂げた。
「……本当に、成長したな……」
レイはそう静かに口にするのだった。
もう自分の助けなどいらないかも知れない――そう思うと嬉しい気持ちと悲しい気持ちが心の中で交じり合うようだった。
その時、コクエイがレイの背後に霧のように現れ問いかけた。
「レイ殿、何か悩みでも? 普段より暗い様子でしたので……」
「……いや、特には……」
「そうやって一人で抱えておられると身体にも良くありません。姫に相談し難い内容でしたら、このコクエイがお聞きしますので」
「気を使わせて悪いな。ありがとう」
「いえいえ、……っでどうされますか?」
「なら、聞いてもらっていいか? エリカはここまで立派に育ってくれた」
「はい、存じております」
「〝剣聖〟の称号も与えられ、こんなすごい国も造って、もちろんそれは嬉しいことなんだが……いつか自分のもとから離れてしまうんじゃないかと思うと寂しくて、寂しくて…………もう、どうしたらいいか」
レイの目元から涙が溢れ出る。
エリカと出会った当時レイは人助け程度にしか思っていなかった。
しかし、その助けたエリカと過ごした日々はレイにとっていつしか掛け替えのない大切なものへと変化していったのだ。
エリカは人懐っこく、自分を恐れる様子も見られない――それどころか夜になるとレイの布団に潜りこんでは抱きつきながら眠りに就く。
そんな、エリカが自分のもとから離れることを想像すると……悲しくなってくる。
「……なんで、俺……泣いてるんだ……」
「本当にあなたは姫のことを大切に思ってらっしゃるのですね」
レイは手で涙を拭う――だが、拭っても、拭っても涙が次々と溢れてくる。
「ぐすっ……なんで、止まらないんだ」
「レイ殿はそれだけ姫のことを大切に思っている証拠ですよ。これを姫が知ったらどれだけ喜ぶか」
「え、ええ! 何がどうしてレイ兄が泣いてるの? まさか、コクエイが泣かし――」
「先に言っておきますが我は何もしておりません」
そこに現れたのは浴衣から着物へと着替えたエリカだった。
エリカはレイの背中を優しく擦る。
「……レイ兄大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
そう言いながらレイはエリカを強く抱きしめた。
それに反応したエリカは頬を赤く染め、恥じらいを隠すように顔を下に向ける。
――まるで、その一瞬だけ少女に戻ったかのように。
エリカは嬉しかった。
この時間だけでも大切にしたい。
今まで離れていた時間をこの抱擁一つで満たされていくようだった。




